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第07話 紙の通貨と憧れの水筒 (1)

「んぅ……」


 目が覚めた。まだ霞がかかっている頭を起こし、偏也はゆっくりと瞬きをする。

 天井に備え付けられた電灯に目を向けて、僅かに眉を寄せた。


「ここは……そうか、帰ってきてたんだったな」


 考えてみれば、こちらで寝るのも久しぶりだ。理由は分からないが、なんとなく向こうの屋敷で寝るのが習慣になっていた。

 少し埃っぽい布団を端に寄せて、ベッドから立ち上がる。


 ワイシャツにズボン。帰ってきてそのまま寝たらしい。

 髪を眠たそうに掻きながら、偏也は自室の扉へと足を向けた。


 そのとき、鼻腔をいい匂いがくすぐる。


 そういえば、あのネコ耳メイドはどうしたんだと思いつつ、偏也は扉を開けた。

 漂ってくる香り。首を傾げながら偏也はリビングへと歩いていく。


「あ、ヘンヤさん! おはようございますっ。朝ご飯できてますよ!」


 元気良くかけられた返事を聞いて、偏也は思わず目を開いた。


 ここは何処だ? そんな問いかけが偏也の頭に広がる。

 磨かれたフローリング。埃臭さではなく焼けたパンの香り。


 散乱したペットボトルは流しの横で乾かされ、脱ぎ散らかした衣類は影も形もない。


「ちょっ……なにをして」

「にゃふふふー、早起きをしてお掃除していたのですよ。とてもじゃないですけど人が住める部屋ではありませんでしたので」


 胸を張り、得意げに顎を上げるミア。尻尾が元気良く左右に揺れているのはご機嫌の証だろうか。

 それも当然か。信じられないくらいに綺麗になっている。偏也の脳内にある自宅は、こんな人が住めるような環境ではない。


「あ、ありがとう……ところで、服とかは?」

「服は一旦お屋敷に持って帰って洗濯しました。今ベランダで干してます」


 そう言ってミアが指さす方を見れば、確かにベランダの物干し竿に服がぎっちりと干されていた。

 乾燥機もあったのにと偏也は思うが、ミアにそれを求めるのも酷だろう。


「わざわざこっちで干したのか」

「お掃除したかったので。向こうは留守にしちゃいますから。それにこっちは夏ですし」


 聞いて、なるほどと偏也は頷いた。そして時計を見てぎょっとする。

 午前11時。お寝坊さんだが、それでも午前中だ。


 ダイニングテーブルの上の朝食を眺めて、偏也は参ったと苦笑した。

 いったいいつから起きていたのか。どうやら、自分のメイドは偉く優秀な子だったらしい。


「でかしたぞミアくん。君を雇ってよかった」


 素直に口から出てきた言葉に、偏也は自分でも驚く。

 ミアの目が見開き、数秒後、照れたように耳を動かした。


「にゃへへへ」


 そうして、嬉しそうなメイドを見下ろしながら偏也はテーブルの席に着く。

 せっかく早起きした賜物だ。冷める前に食べなければならない。



 ◆  ◆  ◆



「んっ……美味いな」

「ほんとですかっ!?」


 身を乗り出してきたミアに偏也は頷いた。

 言ってしまえばただの焼いたパンとサラダだが、やけに美味しく感じる。


 ジャムもなく、目玉焼きもない。それでも、パリパリと香ばしく焼けたパンの表面がやけに食欲を刺激する。


 そういえばどうやって作ったのだろうと、偏也は綺麗に磨かれたキッチンを見回した。


「これも屋敷から?」

「はい。なんか竈もオーブンもなかったんで」


 首を傾げているミアを見て、偏也はなるほどとパンを咥える。

 コンロもオーブンレンジもミアにとっては用途不明の品物だろう。今度使い方を教えなければと思いながら、偏也はぺろりとパンを平らげた。


 サラダも摘み、けれど中にあった赤い野菜をひょいと避ける。


「あっ、ちゃんと食べないとだめですよっ」


 子供じみた偏也の行動をミアが咎めた。雇い主だが、偏也が色の付いた野菜をいつも残すのをミアは気になっていたのだ。

 葉野菜は食べるのだが、どうも赤や黄色の野菜が苦手らしい。


「このパプリカに似た野菜だがな、恐らく毒があるぞ。じゃないとこんなに赤いはずがない」

「そんなわけないですよ。食べてくださいよ、可哀想に」


 ミアに言われ、偏也はうへぇと赤い野菜を見つめた。一度気まぐれにかじったことがあるが、味はピーマンそのものだった。日本のピーマンを数倍苦くした感じだ。


 そもそも偏也はピーマンやパプリカが苦手だ。トマトも苦手だし、ニンジンもできれば食べたくない。


 正直、野菜など食べなくても生きていけると偏也は思う。キャベツやレタスは食べるのだし、それで十分だ。足りない栄養素はサプリメントで補えばいい。


 偏也は少し考えて、思い出したように口を開いた。


「そうだ、ミアくん。部屋の掃除ご苦労だった。本来、君の業務は向こうの屋敷だけだからね。こちらの部屋の分の対価を与えなければならない」

「ふぇ? い、いえっ。いいですよ別にっ、ついでみたいなものですしっ!」


 偏也の言葉にミアは慌てて首を振りだした。目論見通りに話を逸らせて、偏也は内心でにやりと笑う。

 しかし、言葉自体は本心だ。業務に見合った給与を与えるのは雇い主の義務ともいえる。


 それに、少しだけ偏也には面白い考えがあった。


「まぁそういうな。主人がやると言っているんだ、貰っておきなさい」

「にゃぅぅ、そういうことでしたら」


 言いながら、けれどミアの尻尾は嬉しそうだった。それはそうだ。給料が上がって喜ばない者はいない。

 それを微笑ましく眺めながら、偏也はズボンのポケットから財布を取り出した。中から、ふむと数種類の紙幣と硬貨を取り出す。


「こちらでの仕事だからね。こちらの貨幣で払わせてもらう」


 そう言って差し出された紙幣と硬貨にミアは戸惑った。

 見れば、やけに精巧に人の顔が描かれた紙に、きらきらと光る硬貨。


 硬貨はなんとなく分かるが、ミアは紙幣を興味深げに持ち上げた。

 少々厳つい顔をしたおじさんとミアの目が合う。


「それが一万円札。向こうでいう、一万ギニー硬貨くらいの価値だ」

「にゃっ!? この紙がですかっ!?」


 驚いてミアの目が偏也を捉える。紙のお金を見たことがない者にとっては、確かに奇妙に移るだろう。金とは、それそのものに価値があってしかるべきものだ。


 この紙が一万ギニーなら、いったいこちらの銀貨は何十万ギニーなのだろうと、恐る恐るミアは500円玉を持ち上げた。

 それに、偏也はあっけらかんと答える。


「そっちは500円玉。まぁ、500ギニーくらいだな」

「えっ? こっちの方が安いんですか!?」


 二度びっくりするミアに偏也は愉快そうに笑みを浮かべた。

 だがまぁ、ミアの驚きは本来当然のものだ。信用貨幣制度とは近代が作り出した偉大な発明のひとつである。


「にゃむぅ……あー、でも確かに。こんなに上手な絵を描くのは大変そうですもんねぇ」

「ぶッ」


 神妙に福沢諭吉を見つめるミアに、たまらず偏也が噴き出した。危ない危ないと口元を拭いながら、偏也はもう二枚ほど諭吉さんを取り出す。


「ほら、もう二万ほどあげよう。こっちで欲しいものがあれば買うといい」

「あ、ありがとうございますっ」


 偏也の差し出したお金を受け取って、ミアの顔が輝いた。詳しくはまだ分かっていないが、それでもちょっとしたボーナスを貰ったことは理解できる。

 偏也としても、この異世界の少女がなにを買うのか興味があった。買ってやると言っても、ミアのことだ。遠慮して欲しいものなど言えないだろう。


 近場に出かけてみようか。そんなことを思いながら、偏也は満足そうにグラスに口を付けるのだった。


「あ、それはそうと、お野菜食べてくださいね」

「……はい」


 どうやら、今回ばかりは向こうが一枚上手のようだ。


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