竜の召使い(5)
「……お、美味しい」
愕然と、サラは手に持ったビールジョッキの中身を見つめた。
いやいやあり得ないだろうと、サラは確かめるように再びぐいっとジョッキを傾ける。
「――ッ!?」
その瞬間、キンキンに冷えたビールがサラの喉を通過した。
脳が「美味い」と認識する前に、喉ごしが、キレのよい泡がサラの全身を包み込む。
そのまま一気に飲み干して、目を見開いたままにジョッキをテーブルに叩きつけた。
「お、美味しいですッ!!」
口の周りに泡のヒゲを付けながら、サラは偏也へ目を輝かせる。それにうんうんと頷いて、偏也もジョッキを口に運んだ。
「プレミアムだからな。やはりお好み焼きにはビールだ」
喉を鳴らし、ごっきゅごっきゅと水分とアルコールを補給する。「くぅー」と目を瞑りつつ、偏也もジョッキをテーブルに置いた。
「そんなに美味しいんですか? 私にはよく分かんないですぅ」
「ははは! ミアくんはお酒はあまり好きじゃないものな! まぁ、コーラでも飲みたまえ」
ビール党というわけでもないミアは二人の様子に首を傾げた。一度偏也に貰って飲んだことがあるが、ミアからすれば向こうのビールもこちらのビールもただの苦い飲み物だ。炭酸が強いとか風味が豊かとかは感じるが、正直それで美味しいとも思えない。
ただ、暗にお子さまだと言われた気がしてミアはむぅと眉を寄せた。
「……いいですよーだ。私はこのドブ水みたいな炭酸ジュース飲んでますから」
「おいおい、ひどい言われようだ。一応それ、世界で一番売れてる飲み物だぞ」
ふてくされるミアを笑いながら、偏也はヘラを手に取った。そろそろひっくり返す頃合いだ。こればっかりは、メイドにやらせるわけにもいかない。
「ふふふ、見ていろよ。学生時代、結構練習したんだ」
そう言って、偏也が気合いを入れてヘラを回す。
勢いよくひょいと回転したお好み焼きは、ものの見事に半分に折れてぐしゃりと着地した。一瞬、微妙な空気が辺りに流れる。
「……これ、成功なんです?」
「そ、そうだな。まぁ半分成功というか、こうして整えれば問題ない」
立て直そうと、偏也が必死になってヘラを動かす。そのうちに、みるみるとお好み焼きが無惨にもぐちゃぐちゃとした何かに変えられた。
じぃとメイド二人分の視線を受けて、偏也は珍しく唇を尖らせる。
「……くそッ。親父、生地が悪いぞ」
やってられないとヘラを放り投げた偏也を見て、ミアが呆れたようにくすりと笑った。今度はすっかりふてくされたご主人様に、メイドは愉快そうに口を開く。
「もう、しょうがないですねぇ。私の代わりにあげますから」
そう言うと、ミアはいとも簡単にくるりとお好み焼きをひっくり返した。なんの崩れもなく裏返された生地を見て、偏也が驚いたように身を乗り出す。
「あ、アタシもあげますッ! ヘンヤさんのはアタシが食べますッ!」
続けてサラも、当然のようにお好み焼きを回転させる。こちらも、ひとつの乱れも生地にはない。
わなわなと震えながら、偏也は自分のメイド二人に信じられないものでも見たかのように顔を向けた。
「馬鹿な……ず、ずるいぞ。なんでそんな……初めてなのに」
「え? いや、その……メイドですし。というか私たちをなんだと思ってたんですか」
当たり前でしょうとでも言うように、ミアはくるくるとヘラを指で回して見せた。まるで漫画のようなヘラ捌きのミアを見て、偏也は敗北感に両手を握りしめる。
「ぐ、ぐぅ……そ、そんなことできても味には微塵も影響ないぞ」
「ヘンヤさんのは味にも影響ありそうですね」
痛いところを突かれ、偏也は言葉を詰まらせる。見事に論破された偏也は、恨めしそうに最期の切り札をミアに繰り出した。
「君、言うようになったね。ご主人様に向かって」
「にゃふふん、無礼講って言ったのはヘンヤさんですよ?」
ミアはあっけらかんと鼻を鳴らした。もはや完全に打ち負けた偏也は、降参だと肘を突く。最近、メイドの態度が生意気です。
「どう思うかね? 主人に対してこの態度。君のメイド長はこんな感じだぞ」
冗談気味に、偏也がサラへと口を開く。二人の様子をびっくりしながら眺めていたサラは、少し考えて、差し障りがないように親友を裏切ることにした。
「信じられませんね、これは平のメイドに降格もあり得ますよ。代わりにアタシがメイド長やります」
「ちょ、ちょっとサラ! 裏切りましたねッ! このバッジは死んでも渡しませんよッ!」
ガビーンと、親友の謀反にミアの尻尾が逆立った。その様子を愉快そうに笑いながら、サラがごめんごめんと目を細める。
本当は、「アタシもそんな感じがしたいです」という言葉を飲み込んで、今はまだこれでいいやと竜のメイドはジョッキの縁を優しく指でなぞるのだった。
◆ ◆ ◆
「いやぁ美味しかったですねぇ。満足です」
帰り道、ミアはお腹をさすりながら月のすっかり上った夜空を見上げた。
お好み焼き。最初はこの世界にしては期待外れそうな印象を受けたが、なんとも侮り難い味だった。
「特にあのソース。あれは代々店に受け継がれている秘伝の味に違いありませんよ」
「いや、普通のお徳用ソースだから、なんならスーパーに売ってるぞ」
偏也の返事に、ミアは「にゃんですと!?」と振り向いた。材料も作り方も簡単だし、ソースが一番の障害だったのにとミアは驚く。
「そ、そんなの……親父さん意味ないじゃないですか!?」
ぶっちゃけ、混ぜたのも焼いたのも自分たちだ。あの人はいったい何をしていたんだと、ミアは偏也に問いかける。
言われてみれば、客に焼かせるのもどうなんだと偏也は思案顔で腕を組んだ。
「い、いや。あれはあれでプロの技なんだよ。多分」
実際、それでも他の店より美味いのだから仕方ない。出汁の取り方か粉の分量か。素人には分からない努力があるのだろう。
「アタシはビールが美味しかったです。びっくりしました」
サラが、おずおずと手を上げる。行きよりは道にも慣れたようで、ときおり通る車にびくりとはしているが、泣くことはなくなっていた。
ただやっぱり少し怖いのか、袖をちょこんと握って付いて来ているリザードマンの少女を偏也は微笑みながら見つめる。
「サラはお酒好きですからねぇ。聞いてくださいよヘンヤさん。サラったら、お給料のほとんどお酒とタバコに使っちゃうんですよ」
「ちょっ! い、言うなよぉッ!」
ミアの密告にサラの顔が真っ赤に染まる。ちらりと偏也の顔を窺って、サラはミアに向かって頬を膨らませた。
それを「さっきのお返しです」と笑顔で受け流しながら、ミアは親友の悪癖を主人に伝える。正直、これを機会に直してもらいたい。
「ん? まぁ、僕はいいと思うぞ。なんならサラくん、今度バーでも一緒に行くかい?」
「ふぇっ!?」
偏也の予想外の提案に、サラがぎょっと身体を固める。まさか怒られるどころか誘われるとは思っていなかったので、サラは動揺しながら尻尾を振り乱した。
「ええー、なんかヘンヤさんサラに甘くないですかぁ」
「い、いや、なんなら僕は君に一番甘いと思うが」
多少自覚はしている。そう言われ、ミアは嬉しそうに「むふー」と顔を綻ばせた。
親友の恋は応援しているが、それとこれとは話が別だ。古株として主人に可愛がられていることを素直に喜びながら、ミアはぶんぶんと尻尾を振った。
「にゃふふ、どうですかサラ! これがメイド長の実力ですよ!」
「あーごめんミア。今ちょっと幸せを噛みしめてるから相手してる暇ないわ」
社交辞令でもなんでもいい。とりあえずデートに誘われてしまったとサラは指の力を強くした。そんな意味じゃないだろうが、とりあえずそう思っておこうとサラは胸を震わせる。
そんな二人のメイドを眺めながら、賑やかになったもんだと偏也は月を見上げた。以前じゃ考えられないが、これはこれでいいものだと歩みを進める。
「よーし、帰りにコンビニ寄っていくか」
せっかくの歓迎会だ。新人の好きなビールでも買ってあげようと、ご主人様は少しだけ遠回りをするように足を向けるのだった。




