竜の召使い(1)
「はぁー、かったるいなぁ」
モップの柄に顎を乗せ、サラは廊下の壁に掛かる額縁を見つめた。
少し傾いている気がするが、直す気も起きない。今日は日差しがポカポカといい陽気で、窓からの光だけで眠くなってしまいそうだ。
「明日なにしよっかなぁ」
サラは竜の尻尾をゆらゆらと揺らしながら、明日の休日に思いを馳せた。特に予定を組んでいないので、このままだと寝て食べて終わってしまう。
「さ、サラっ! ちょっと!」
それもつまらないなと、サラが出かけ先を考えていると、メイド長の声が聞こえてきた。振り返れば、珍しく慌てた様子のメイド長がこちらに向かって駆けてきている。
なにかあったのだろうか。ただ事ではない気配を感じて、サラはゆっくりと顔を上げた。
「だ、旦那さまがっ!」
そして、真剣な声色で切り出し始めるメイド長の話を、サラも驚きの表情で聞くのだった。
◆ ◆ ◆
「ご主人様が亡くなった?」
目の前で顔を突っ伏している親友を、ミアは驚いたように見つめた。
「そ、それはご愁傷様です。でも、言っちゃ悪いですけど大往生ですよね?」
「まぁそうなんだけどさぁ」
むくりとサラが顔を上げ、心底困ったように目の下の隈を見せつけた。
サラの雇い主といえば、ご老体もご老体の御仁だ。残念だとは思うが、いつ亡くなっても仕方がない容態ではあったと、ミアはしわくちゃの顔を思い出す。
「問題はその後よ。雇ってくれるとこがねー」
「ああ、なるほど……」
頭を抱えるサラを、ミアは納得したように眺めた。
ピンク色に染めた角、耳にあけたピアス。確かにサラをわざわざ雇う物好きは珍しいだろう。
「それだけ可愛がってくれてたってことですよ。これを機会に、角も元に戻して真面目になればどうです?」
「うう、やだぁ。アタシじゃなくなるぅ」
ガシガシと髪を乱すサラは少し半泣きだ。なんだかんだで雇い主に恵まれて好き勝手に生きてきたもんだから、窮屈な生活は想像しただけで嫌なのだろう。
「でも、このままじゃ野垂れ死にですよ。情婦でもするつもりですか?」
「うぐぅ、それはちょっと。シャレになんねー」
黙り込んでしまうサラをミアは見守る。本人も分かってはいるだろう。ただ、愚痴くらいは聞いてあげようとミアはミルクを口に含んだ。
なにせサラは身寄りがない。施設で育ったサラにとって、先ほどの情婦の話は冗談でもなく現実的に迫る話題だ。
勿論、そんなことをさせるつもりは毛頭ないが、職の斡旋などミアには出来ない。精々がまともな格好にしたサラを知り合いのメイドがいる職場に口利きしてあげるくらいが関の山ーー
と、そこまで考えてミアは眉を寄せて動きを止めた。
そういえば、人手が足りていない屋敷があったような。
「あっ」
なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。
ただ、偏屈な主人の顔を思い浮かべて、大丈夫かなとミアは腕を組むのだった。
◆ ◆ ◆
「というわけで、サラを雇っていただきたく」
「お、お願いしますっ!!」
土下座で頭を下げる二人の亜人メイドを見下ろして、偏也は困ったように表情を固めた。
「えっと、とりあえず顔を上げてくれ。なんか居心地が悪い」
この世界にも土下座の文化があるのは知っていたが、こう女の子が二人して額を床に着けている絵面は少々やばいものがある。偏也に言われ、二人はゆっくりと顔を上げた。
「ヘンヤさん、ご慈悲を! こう見えてもサラ、料理とかそれなりに上手でして!」
「い、いや、それは知ってるけど」
一度会食を手伝ってもらっている身だ。格好にしても、外見とは裏腹にまともな子であることも知っている。
いきなり押し掛けられて面食らっただけで、偏也からすれば断る理由は特になかった。人手が足りないと思っていたのは偏也もである。
「お、お願いします! へ、ヘンヤさんにならなんでもしますから!」
がばりとサラが再び頭を下げた。あまりの勢いに、少々偏也も引いてしまう。
角とピアスさえなんとかすれば雇い手などいくらでもいると思うが、それよりも親友のミアと一緒の職場というのは魅力的なのかもしれない。そう思った偏也は、安心するようにサラに告げた。
「別にそこまでしてくれなくても大丈夫だし、サラくんがいいなら俺は構わないよ。ミアくんも忙しそうだからね。ちょうど人手が足りないと思ってたし」
「ほ、ほんとですかっ!?」
信じられないと言うような目で見つめられる。正直、雇うのならば全く知らない人物よりは素性が明らかな人の方がいい。その点、サラの人柄はミアの保証付きだ。
「よろしく頼むよ」
そう言って差し出された偏也の右手を、サラは真っ赤な顔で握りしめるのだった。
◆ ◆ ◆
「ま、まさか本当に雇ってもらえるとは」
わなわなと震えながら、サラは自分の両手を見下ろしていた。
ミアから話を振られたときは困惑しつつも嬉しかったが、こうして本決まりになってしまうと色々と気持ちが現実に追いついていない。
「ほらね、大丈夫だったでしょう? ヘンヤさん優しいですから」
ベッドに座るサラに向かって、腰に手を当てたミアが得意げに胸を張った。先ほどは土下座していたが、なんだかんだで上手くいく気はしていたミアである。
「う、うん。……というか、ミアはいいの? アタシと一緒で」
「にゃふ? なんでですか? いいに決まってますよ、あんな何年も一緒にいといて」
サラの質問にミアはきょとんと首を傾げた。分かっているようで分かっていない後輩に、サラはなんでもないと手元に目を戻す。
(ミアってヘンヤさんのこと好きじゃないのかな?)
よく分からない。今までの話を聞く限りそれなりに好意はあるように思えるし、なんなら偏也もある程度はそうだろう。
不思議な関係だ。ただ、主人とメイドなんてそんなもんか?と妙に納得しながら、サラは深く考えないことに決めた。
「あー、やば。なんか緊張してきた。吐きそう」
「え、ちょっ。や、やめてくださいよぉ!」
ごろんとベッドに横になるサラにミアが慌てる。そんなことを言われても気分が悪いのだから仕方がない。
あれよあれよという間に、気が付けば意中の人の屋敷で召使いである。気持ちが追いつくには当分かかりそうだ。
「で、でも! これでサラとヘンヤさんも急接近ですよ! 応援しますから!」
いい匂いのするシーツにくるまっていると、ミアが気合いを入れて鼻を広げた。わかりやすく尻尾も動いていて、どうやら親友は自分と偏也の仲を取り持つつもりらしい。
「ばーか。これで正真正銘アタシの雇い主だぞ、手出すなんてそれこそ情婦コースだよ」
「あっ」
サラの呆れ声にミアがしまったと口を開ける。メイドの世界じゃ雇い主との火遊びは御法度だ。独身ならばそれでもという風潮はあるが、それも添い遂げる場合の話だろう。
もちろん、余所の旦那様に手を出してもそれはそれでまずいのだが。
「ま、結局のところよかったのさ。一人の部屋、給料もよし。アンタだっているし文句はねぇよ。……ほんと、勿体ない話さ」
しみじみとサラは目を細めて壁を見つめた。ミアの部屋のように姿見はないが、それでも個室だ。ここまでの待遇で働いているメイドは少ないだろう。
自分の境遇を考えれば出来すぎだ。加えて、今度のご主人様も角はそのままでいいと言う。
「っしゃ、働くぜ。ヘンヤさんに恥ずかしい思いはさせられねーかんな」
そう言うとサラは勢いよく立ち上がった。色恋もいいがまずは仕事だ。不思議とやる気に満ちている。
「それなら角は戻すべきじゃ?」
どこか納得していない様子の後輩は無視をして、サラは「やるぞー」と伸びをするのだった。
お読みいただきありがとうございます。
私事ではあるのですが、昨日更新のガンガンONLINEで新人企画の漫画原作を担当しました。
『妖怪パティシエール』という作品です。気になった方はお暇潰しにお読み下されば幸いです。
ミアの書籍化も着々と進行中ですので、また公開できる情報など増えましたらご報告いたします。




