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£最終話 私のご主人様 (4)

「ほほう」


 メニューを見つめながらミアはふむふむと尻尾を揺らした。

 なんともお洒落な革張りの手帳だ。そこに書かれたメニュー一覧に、ミアは目を輝かせる。


 日本語が読めるわけではないがメニューには丁寧に料理の写真が貼られていて、しかもどれも美味しそうだ。


「ひとまず飲み物を頼まないかい? ここはカクテルも美味しくてね」


 ミアが悩んでいると、隣の偏也に声をかけられる。つい食い意地が出てしまい料理のページに直行したが、それもそうかとミアは恥ずかしそうにページを飲み物に戻した。


「うーん、よく分からないです。お酒はあんまり詳しくないですし」

「……そういえば君って、未成年だよね?」


 ミアの一言に、偏也も今更ながらに気がついた。深く考えずに誘ってしまったが、ミアの年齢は十七かそこらだ。


「ふにゃ? いえ、成人はしてますけど」


 そんな偏也の問いかけにミアはきょとんと目を丸くする。そこですれ違いに気がついて、偏也は申し訳ないと右手を挙げた。


「すまない、僕のミスだ。日本じゃ成人は二十歳からでね。酒も成人しないと飲めないんだ」

「ありゃ、そうなんですか。まぁでも別に、そこまでお酒好きじゃないからいいですよ」


 笑われて、偏也はしまったなぁと頬を掻く。向こうでの生活が長くなっていて失念していた。ミアの世界では成人は十五歳からだし、メイド業務で生計を立てている彼女は立派な大人だ。


「マスター、お酒抜きでも作れるかね?」

「勿論ですよ。……失礼、ノンアルコールカクテルはこちらに」


 カウンターから伸びた手が、手帳のページをぺらりとめくる。そこには確かに、ノンアルコールカクテルと記されていた。

 種類は普通のカクテルほどはないものの、中々に美味しそうだ。


「お、これなんか可愛いんじゃないか。シンデレラだってさ」

「シンデレラ?」


 一覧の中にあった名前を偏也が指さし、ミアが聞き覚えのない単語に首を捻る。


「こっちのおとぎ話に出てくるお姫様の名前だよ」

「ふにゃあ、お姫様ですか。それにします!」


 お姫様と聞いて、ミアはふりふりと尻尾を振った。本来は十二時前に出すお酒だが、マスターもそんな野暮なことは言わずに柔和に微笑む。


「マスター、それとウィスキーをロックで。後、オムライスひとつ」

「かしこまりました」


 とりあえずはこんなもんでいいだろう。一品頼む偏也を、ミアが「ずるいです」と見つめた。


「ここのオムライスは絶品でね。ほら、これなんだけど」

「ふにゃ!? なんですかこれ!? 美味しそうです!!」


 偏也にページをめくられて、そこに貼られている写真を見たミアが声を上げる。

 黄色く輝くオムライスだ。とろりと溶けており、写真でも半熟であることが伺える。


「チキンライスの上で卵を包丁で開いてくれるんだ。美味そうだろ?」

「にゃ、にゃんてものを頼んでるんですかヘンヤさんは」


 わなわなと震えるミアを見て、偏也がくすりと笑う。分けて食べようとミアに伝えて、そのうちに頼んでいたカクテルが到着した。


「シンデレラです」


 ことんと置かれたミックスジュースは可愛らしいカクテルグラスに入れられていて、淡い水色がなんとも女の子らしい。グラスの縁に添えられたオレンジがお姫様の髪飾りのようだ。


「へぇ、可愛いな」

「ほんとですぅ。こんな色の飲み物初めてです」


 想像していたよりもカクテルぽい容姿に、偏也もミアも小さなお姫様をのぞき込んだ。


「本来はブルーシロップは使わないのですが、せっかくバーにいらしたので」


 ただのミックスジュースを飲んで帰るというのも味気ない。マスターの心遣いに、偏也は申し訳ないと感謝した。

 微笑みながらウィスキーを差し出され、ロックグラスに注がれたそれを偏也は右手で軽くあげる。


「ミアくん」


 細かいマナーは知らないが、個人的にはやはり合わせないと落ち着かない。

 察したミアが、嬉しそうにシンデレラのグラスを持ち上げた。


 小さく、触れ合うだけの音。

 ジャズに溶けていく乾杯の音色を聞きながら、偏也はグラスに口を付けるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「なんかどきどきするお店ですねぇー」


 きょろきょろと店内を見回すミアが偏也へと笑いかける。シンデレラは既に半分ほど減っていて、このまま行くとオムライスが来るまでにはもう一杯頼まないといけないだろう。


「偏也さんってえっちですよね」

「ぶっ!」


 突然わけが分からないことを言われ、偏也はウィスキーを吹き出した。けたけたと笑うミアに、眉を寄せながら顔を向ける。


「おい、どういうことだ一体」

「にゃはは、だって女の子をこんなお店に。下心がないとは思えませんねぇー」


 シンデレラを持ち上げながら、にやにやとミアが笑みを浮かべる。その表情に少しだけどきりとしつつ、偏也はふんとそっぽを向いた。


「くだらんな。第一、そういう目的なら素直に酒を頼めばいいだろう」

「そういうところがだめなんですよ」


 ミアに痛いところを突かれ、うぐっと偏也の喉が詰まる。

 まぁ、言ってしまえばこの前の告白はもう少し上手くできたのではないかと反省していたわけで、異世界の少女をとりあえず餌付けようというのがなんとも安易な戦略である。


「私が美味しいもの食べさせて雰囲気のいいお店でお酒を飲ませたらなびくような女とお思いですか!」

「……まぁ、割と」


 偏也の言葉に、今度はミアがあちゃーと顔を上げた。はっきりいって間違ってはいない。


「とまぁ、冗談はそのくらいにして……この前の件ですけどよろしかったんですか?」

「ん? この前って」


 口調が変わったミアの問いかけを聞いて、偏也は不思議そうにウィスキーを口に運ぶ。

 それがこの間のマリーの一件を指しているのだと気がついて、偏也の目が驚きに見開いた。


「聞いていたのかね?」

「すみません、偶然ですが」


 シャルを追いかけたあの日、引き返した扉の前で聞こえてきた偏也とマリーの話。

 ミアからすれば、住む世界の違う話だ。口出す気もなかったが、なんとなく気が変わった。


「マリーさんもですけど、こちら世界のご友人からのお誘いも。いいんですか?」


 同じ質問だが、多少砕けた口調。ミアの言葉を聞きながら、偏也はからんとグラスを鳴らした。


「いいもなにも、いいに決まってるさ」


 マリーに言った通りだ。そこまで聞いているかは知らないが、聞かれていれば随分と恥ずかしいところを見られた。


「……応援するとは言いましたけど、別に仕事に生きるというのもありですよ? なんだったら、私でいいならお側にいますし」


 ミアの言葉に、偏也の指がぴたりと止まる。そしてまた、ゆらゆらとグラスを回し始めた。

 ミアの言うことも分かる。マリーの言っていた通りだ。仕事に励みながら、金を稼ぎながら、なんなら隣の彼女との時間を過ごせばいい。


「だがそれは、メイドとしてだろう?」


 偏也の言葉に、今度はミアが噴き出しそうになってしまう。グラスを置いてがばりと顔を上げるミアに、偏也は不満げに顔を作った。


「なにかね?」

「え、いえ。その……」


 見てくる偏也の視線を誤魔化すように、ミアはシンデレラに口を付ける。参ったなと耳が動き、ミアは観念したように白状した。


「さっきのは、少しどきどきしました」


 小さく呟いたミアに、偏也はこれまた小さく微笑む。


「ふふ、僕も成長しているということだよ」


 ちょうど、二人同時にグラスが空いた。

 そして、いい頃合いに出来上がるオムライスの香りに、偏也は満足げに目を細めるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「うっにゃあぁ……ほぁああ」


 隣で変な声を出しているミアの声を聞きながら、偏也は笑いそうになるのを堪えていた。


「美味しいかい?」

「とろとろでふぅ……ほにゃあ」


 偏也が注文したオムライスだが、結局スプーンはミアが独占していた。マスターから貰った二本目のスプーンを片手に、偏也も横から手を伸ばす。


「どれ、僕もひとくち」


 スプーンがトロトロの卵を貫き、その下のチキンライスを削り取る。

 見るからに美味しそうなオムライスだ。熟練の技で作った、プロの料理である。

 ごくりと唾を飲み込んで、偏也はオムライスを口に入れた。


「……うむっ!」


 思わず唸る。やはり美味い。

 半熟の卵はこれでもかというくらい滑らかで、中のチキンライスもしっかりとケチャップが効いている。


「美味いな」

「ほんと、美味しいですぅ」


 卵に目を奪われがちだが、チキンライスがいい。ケチャップ味のチキンライスはある種の安っぽさも感じさせるが、そこがまた家庭的でいい感じだ。

 子供の頃に母親が作ってくれたオムライス。勿論それはこのような熟練の卵を纏ってはいなかったが、中身はこんな素朴な美味しさであったように思う。


「デミグラスとかでないのがまたいい」


 高級店の美味しさと、家庭の温かさ。そのどちらも楽しめるような一品だ。これもマスターの人柄ゆえだろうか。


 ひとしきり二人でオムライスを堪能していたが、すぐに終わりが見えてきた。美味しくとも一人前は一人前。偏也は追加を注文しようとメニューへと手を伸ばす。


「まだ食べるだろう、なにがいいかな?」


 飲み物も頼まねばならない。機嫌のよい偏也を見つめ、ミアはぽつりと呟いた。


「ヘンヤさんって、やっぱりこっちの世界の方が好きなんですか?」


 前にも聞いたような気がするが、ミアはじっと偏也を見つめる。

 ページをめくる手を止めて、偏也は少し言いよどんだ。


「……さてね。向こうには君がいるとでも言えば格好いいのだろうが、こうして君は隣にいるわけだし」


 偏也の台詞にどきりとミアは鼓動を鳴らす。誘っているのかいないのか。告白されているのかいないのか。どうにも分かり辛いご主人様だ。


「ただ、例えば君が向こうの世界に捕らわれて、鏡があと一度しか使えない。向こうに行けば、もう二度とこちらには戻ってこれないとしよう。……そうなれば、僕はこちらの世界に残るだろうね」


 当然の話だ。ミアは偏也の話に耳を澄ませた。

 彼は自分の雇い主で、夫でもなければ恋人でもない。いや、例えそうであったとしても、彼が世界を取ることを誰も責められないだろう。


「ミアくん、君はどうかな?」


 突然振られた問いに、ミアは「ふにゃ?」と声を出した。意図が読めず、偏也の顔をまじまじと見つめる。


「つまり、二度と鏡が使えなくなるなら……君はこちらとあちら、どっちの世界に住みたい?」


 偏也の声と表情に、ミアは息を呑んだ。

 そんなものは、決まっている。


 美味しい料理、便利な機械、快適な文明……それにそうなった場合、偏也はこちらに残ると言ったのだ。

 そんなものは、決まっている。


 ミアは、自分の答えを口にした。


「……向こうの、私の世界に帰りますかね。だから、ヘンヤさんとはそこでお別れです」


 ミアの返答に、偏也は満足そうに頷いた。

 それが、自分たちの関係だ。


「まぁ、今はそれでいいだろう。恋に障害は付きものだ」

「そんなもんですかねぇ」


 主人とメイドは、互いに笑いをこぼし合う。

 今はまだ、こんなところが限界だろう。


 なにせ一人は変に捻れたひねくれもので、もう一人には耳と尻尾がついている。


「お酒、飲みたくなったんですけど」

「だめだ。こちらの世界ではこちらのルールを守りたまえ」


 くすりと笑う偏也の声に、ミアは残念そうに息を吐いた。

 どうやらこちらの世界では、まだまだ自分は子供らしい。


「やっぱり向こうがいいですねぇ」


 へんっと笑うミアの顔を愉快そうに眺めながら、偏也はノンアルコールの一覧を興味深げになぞるのだった。



ここまでお読みいただきありがとうございます。

この度『異世界堂のミア~お持ち帰りは亜人メイドですか?~』が書籍化される運びとなりました! これも読者の皆様のおかげです。本当にありがとうございます。

なお、書籍化に伴う作品の取り下げ等はございませんのでご安心ください。詳細の方は追って活動報告でご連絡しようと思います。

読者の皆様の応援のおかげで筆を折ることなく書いて行けております。これからも精進して参りますので、どうぞよろしくお願い致します。


天那 光汰

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