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第37話 私のご主人様 (3)


「ふにゃあ、今日も綺麗なお月様ですねぇ」


 廊下のカーテンを閉めながら、ミアは夜空に輝く月を見上げた。

 雲一つない夜の空に、ぽっかりと大きな月が浮かんでいる。


 今日もよい天気だった。働き者のメイドは、尻尾を揺らしながら主人の寝室の前まで鼻歌交じりで歩いていく。


 この時間の、といっても偏也しか他にはいないのだが、けれどこの誰もいない夜の空気がミアは好きだった。

 坂の上に立っているこの屋敷は、周りを閑静な住宅街が囲んでいる。土地柄がよいのか、妙な酔っぱらいの声なんかは聞こえない。


「もっと便利な場所もあったでしょうに」


 高級住宅街と言えば聞こえはいいが、不便な面も多い土地だ。市場からも遠く、もちろんコンビニなんてあるわけない。

 偏也の生活からして街中に居を構えたほうがよかったのではとミアは思うが、そういえばと不思議な鏡を思い出す。


「まぁ、どこに住んでも一緒ですか」


 なにせあの鏡を通った先の自宅からなら、歩けばものの数分でコンビニやスーパーだ。ミアも最近はめっきりこちらの市場を使わなくなってしまった。

 距離の問題もあるが、単純に品ぞろえにも雲泥の差がある。本当に便利だとミアは異世界の店々を思い浮かべた。


「メイドとしてはどうなんだろうって感じですけど……」


 便利すぎるのも困りもので、ミアは気を引き締めねばと腕を組む。


 なにせ買った野菜は土を洗う必要すらなく、魚にいたっては切り身で売っている。肉も臭み抜きをしなくとも新鮮で、それどころかお湯を注げばカップ麺が出来上がるのだ。

 料理だけでなく、洗濯もスイッチを押して干すだけ。掃除はそこまで変化はないが、通りでメイドを向こうで見かけないとミアは納得したように頷いた。


「でも、やっぱりいいことです」


 あんなに便利になってしまったら自分たちのような者の存在意義はどうなるんだとも一時期は思ったが、それでもミアはあちらの世界に賛同する。


 偏也は色々と愚痴も言うが、ミアは向こうの世界の技術の進歩が間違ったものだとは思わない。

 食材が便利になれば、その分だけ調理に手をかけられる。別に料理でなくても、空いた時間を好きなことに使えばよいだろう。


「まぁ、とはいっても一人はさすがにキツくなってきましたが」


 料理も洗濯も一段と楽になったはずなのに、むしろ仕事の量は増え続けている。一人で屋敷と自宅の二カ所をこなしているのだから当然といえば当然なのだが、働き者のメイドは手の抜き方をちょっと知らない。


 中途半端に空いた時間で気になっていた庭の整備なんかをやり出したものだから、最近は腰が辛いミアである。


 けれど貰うものを貰っている手前文句は言えない。それに、メイドを増やすとなれば偏也はいい顔はしないだろう。


「……私と二人きり。気に入ってくれてるんでしょうか」


 以前それとなく人員補充の話をしたら「君だけで十分だ」と言い切られてしまった。偏也からすれば無理はしなくていいと伝えたつもりだが、ミアは少し嬉しくなって尻尾を振る。


「にゃふふ、ヘンヤさん私のこと好きですしねぇ」


 言ってみて、思わず頬が緩むミアである。失礼な告白をされ、思わず平手をかましたミアだったが、言い寄られること自体は満更でもない。

 正直、恋かどうかも怪しい物言いだったが、それでもそれなりに女としては見てもらえているというわけだろう。


 色恋沙汰に興味はないが、主人に好かれているというのは朗報だ。給料に見合った働きはさせてもらおうと、ミアは労働意欲を燃やして笑った。


「ほんと、いい人見つかるといいんですけど」


 けれど、好意自体は嬉しいが、自分でいいとは欠片も思っていない。釣り合いが取れるとも思わないし、練習台にされるのはごめん被る。


 主人の恋路を応援しながら、メイドは寝室の前で立ち止まった。

 折った指で、軽くノックの音を響かせる。


「ヘンヤさん、お休みの前のミルクは……」


 毎晩の締めの仕事をしようと扉を叩いたミアは、そこで続けようとしていた言葉を止めた。

 なぜなら、きっちりとコートを羽織った部屋の主が扉を開けてミアを見下ろしてきたからだ。


 就寝する格好ではない。頭に疑問符を浮かべながら、ミアは偏也な顔を見上げる。


「ミアくん、食事に出かけるぞ」


 そんなミアに、偏也はにこやかな笑顔で宣言するのだった。



 ◆  ◆  ◆



「あの……なんでこんな夜中に」

「ははは、少し小腹が空いてね。わざわざ君の手を煩わすわけにもいくまい」


 後部座席のシートベルトを握りしめながら、ミアは思わずため息を吐きそうになった。

 言ってくれれば夜食くらい用意するのにとは思うが、この場合は夜中に外に食べに行きたくなったということだろう。


「というか、この時間にお店開いてるんですね」

「ん? そうだな、大抵の店は閉まっているが、夜通し開いている店も多いぞ」


 隣に座る偏也に言われ、ミアは感心したように窓の外に目を移す。ミアの世界も酒場などは遅くまで開いている店もあるが、それでも日を跨ぐくらいまでの話だ。

 見れば夜中にも関わらず電灯や建物から漏れる明かりで眩しいくらいだった。もはや呆れたようにミアはその輝きに目を通す。


「綺麗ですねぇ」

「ふふふ、だろう? 夜は車も少ないしな。流れる夜景というのも雰囲気があっていい」


 腕を組んで夜景を眺めている偏也をちらりと覗いて、ミアも景色に目を戻す。確かに綺麗だ。少し感じる眠気がなければ、耳を立てて騒いでいただろう。


「というか、タクシーには驚かないんだね」


 流れていく光を顔に浴びているミアに、偏也が問いかけた。

 ミアがタクシーに乗るのは初めてだ。驚くかと思ったが、なんの疑問も持たず乗車している。


「そりゃあ……だって、偏也さんが運転できるほうが驚きですよ」

「ああ、なるほど。まぁ、そうなるか」


 ミアに言われて偏也も気づく。向こうの世界で車に当たる乗り物と言えばケンタウロスの馬車だが、あれは乗客が操縦したりはしない。

 馬に似た動物の、それこそ馬車も存在するがそれには専門の操縦主が付いている。要はタクシーと同じだ。


「結局、あまり変わらないということだな」


 むしろ運賃で言えば向こうのほうが高級で、偏也もケンタウロス車を頼むときは多少財布具合を考える。けれど二つの世界の共通点を見つけて、満足そうに偏也は頷いた。


「……そうですかね?」


 ミアの呟きを乗せながら、車は夜の街を走っていくのだった。



 ◆  ◆  ◆



「ここですか?」


 交差点で降車して、ちょっとした路地を歩いて数分。ひっそりと地下に続く階段の前で、ミアは偏也の顔を見上げた。


「いい店でね。君を連れてきたかったんだ」


 そう言いながら偏也が階段を下りていく。薄暗くなっていく階段へ、ミアも続いて踏み出した。

 ネオンの灯りが一段ごとに淡くなる。溢れている人工の灯りが夜の暗闇に飲み込まれたと思ったら、ぼんやりとしたランプの灯りが見えてきた。


 階段を下りた先、木製の扉に偏也が手をかける。


「わぁ」


 店内を一目見て、ミアが小さく声を出した。

 オレンジ色の淡い灯りに満たされた空間。シックとでもいうのだろうか。軽いジャズが流れる店内には、ほどよい静けさと明るさが混在していた。


「いらっしゃいませ」


 グラスを拭いていたマスターが偏也に気づき、にこりと笑みを浮かべる。

 目線で軽く挨拶を交わしながら、偏也はカウンターへと足を進めた。


「お久しぶりです。お元気そうでなにより」

「ははは、おかげさまで。おや、今日はお連れの方も一緒ですか」


 マスターの目がミアに止まる。おずおずと会釈をするミアの耳と尻尾にも視線が一瞬動くが、マスターは特になにも言わずに微笑んだ。


「な、なんか大人な感じですね!」

「そうかい? 酒場は君もよく行くだろう」


 雰囲気に飲まれそうになるミアを、偏也がきょとんと見下ろす。それにミアはふるふると首を振った。

 確かにサラと酒場には足を運ぶミアだが、それでもそこは大衆酒場的な様相で、言ってしまえば騒々しい。


 ミアは少々興奮した面もちで店の中を見回した。

 シックというのだろうか。中々に高級感のある内装だ。


 どうやら客は偏也たち以外は一人だけ。後ろのソファー席で、生きているのか死んでいるのか分からない爺様が、ぴくりとも動かずに座っていた。

 帽子で顔は分からないが、どうも眠っているらしい。テーブルの上のウィスキーはすでにロックの氷が溶けきっている。


「どうぞ」


 ミアがきょろきょろと見回していると、カウンターの上に一冊の手帳が置かれた。

 革張りの重厚な見た目の手帳だ。妙に高級感のあるその手帳を、偏也はミアに手渡した。


「メニューになってるんだ。写真も載ってるから、好きなのを食べていいよ」

「ほんとですか!?」


 喜びながらミアが手帳をパラパラとめくる。

 最初の方には一頁ごとにカクテルの写真。カラフルなお酒にミアが目を輝かせる。度数や割り方なんかも軽く書かれているが、それはミアには分からない。


 とりあえず飲み物はいいやと飛ばして、ミアは料理のページに胸を弾ませるのだった。

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