第34話 宝石王と万華の筒 (3)
シャルを追いかけてミアが部屋を飛び出して数分後、マリーはそろそろいいかと偏也に話を切り出した。
「さて、メイドもちょうどいなくなったな」
別に聞かれても構わないが、偏也が気にするかもしれない。人払いが終わった応接室で、マリーは優しげな瞳を偏也に向ける。
このためにシャルが出て行くのを見咎めなかったのかと察して、相変わらず食えない人だと言うように偏也は目を細めた。
「それで、本題っていうのは?」
「ああ、そうそう。それだよ」
マリーが脚を組み替える。スリットから晒される生足を見ようともしない偏也を愉快そうに眺めながら、マリーは来訪の目的を単刀直入に言い放った。
「ヘンヤ。君、私の元に戻って働く気はないかね?」
マリーの言葉に偏也の眉がぴくりと動く。
無言で見つめ返してくる偏也に頷きながら、マリーは言葉を続けた。
「なに、単純な話だ。新しいエメラルダ鉱山を手に入れてね。その流れで、ジュエリー工房をひとつ立ち上げることになった」
「工房?」
妙な話だと思い偏也が聞き返す。宝石を加工する工房なんて、それこそマリーは大規模小規模に関わらず幾十と所有している。
偏也の疑問に得心いったのか、マリーは楽しそうに笑みを深めた。
「ブランドだよ。君が私に教えてくれたものだ。あの頃は準備が間に合わなかったが、今やもう煮詰まっている。……数年後には、宝石の質に関わらず、私のブランド印のないジュエリーは石ころに変わるだろう」
思わず偏也の背中が凍った。確かにそんな話をした記憶もあるが、酒の席での世間話だ。
この人はこういう女性だ。自分を拾って面倒を見てくれたのも、自分に利用価値を見いだしていたからだろう。
そして、その評価は今も変わっていないらしい。
「……ありがたい、お話ですが」
本音が漏れる。本当に、ありがたい話だ。どうしてこう、金回りのことだけが上手く回っていくのか。
偏也の返事の声色に、マリーが初めて眉間を寄せた。
「悪い話ではないよ? 君になら任せていいと思っている」
「そう思ってくれてることには、感謝していますよ」
変わらない偏也の態度にマリーは唇を尖らせた。彼女にしてはストレートな機嫌のアピールだ。
理由を話せというのももっともなので、偏也はどこから話したものかと頬を掻く。
「いえね、一度お話ししたでしょう? 故郷で事業を起こしてたって。会社を任せた友人から、戻ってこないかと誘われましてね」
偏也の説明に、マリーもなるほどと頷いた。偏也にとっても大事な相手だ。仕方がないとマリーは腕を組む。
「先約か。まぁ、そういうことならば……」
「で、その誘いも断りました」
ぴたりと、マリーの動きが止まった。顔を上げ、どういうことだと偏也を睨む。
本当に恥ずかしそうに笑いながら、偏也は照れた顔を見せた。
「仕事以外での幸せを見つけられればと、諭されまして」
偏也の表情と声を、マリーは目を見開いて見つめる。
思わず「はぁ?」と聞き返しそうになった言葉を、マリーは寸前で飲み込んだ。
「いや、分かってはいるんですよ。贅沢な話だって。それに、別に仕事してたからって手に入らないものでもないんだろうなって。ただ、当分は色々と探していきたいと思います」
自分探しなんて歳でもないが、やってみたいと思えたのだ。メイドに背中を押されてというのが情けないところだが、そうでもなければ気づけなかっただろう。
呆れたように、マリーはソファの背に体重を預けた。
「……理解に苦しむが、言いたいことは分かった」
それはそうだろうと偏也は思う。この人ほど、仕事に生きている者も珍しい。
ただ、それでもマリーは何かを思い出し、小さく笑った。
「怒らないんですか?」
「叱れると思うか?」
優しく苦笑して、マリーは自嘲気味に続けた。
「私だって、母で女だ。まさか、シャルを工房で創ったとか思っていないだろうね?」
言われ、偏也も気がつく。それと同時に、羞恥も襲った。
この人ですら、両立させているというのに。
「ふふふ、なにか失礼なことを考えているだろう? ……だがまぁ、そうであっても残念だ」
「なにがです?」
言葉通り、残念そうなマリーの顔に偏也は聞き返した。どうもブランドのことではないようだ。
「ん? なに、そんなに君が心配することもなかったのにと思ってね。行く行くは、シャルもやろうと思っていたのに」
「そ、それはちょっと……」
何を言い出すんだと偏也は目を細めた。目を付けてもらえることはありがたいが、許諾出来ることと出来ないことがある。
「なぜだ? 後七年もすれば、ほら問題ない」
「大ありですよ」
呆れたように見つめ返す偏也を見て、マリーは至極残念そうに笑った。
そして、ようやく反抗期に突入した息子を見やる。
「……改めて見るとなんだ」
「はい?」
じぃっと、マリーは偏也を値踏みした。商人としてではなく、女として偏也を見つめる。
「君、モテそうにないな」
真っ当な意見に、偏也も苦笑いをするしかない。
◆ ◆ ◆
「すごーい! おいしいっ!」
食堂に、シャルの声が木霊する。
横では、マリーも驚いたように固まっていた。
「メイド、この料理はなに!? 初めて食べたわっ!」
「にゃふふふ、それはですねぇ。ミアさん特製ハンバアグですよ」
とろりとバツ印にかかったチーズ。つなぎや具材にまで気を払ったミア渾身の一品は、あのときのファミレスの味をついに超えていた。
美食など食べ慣れているはずのマリーも、異世界の料理に思わずフォークを進める。
「まぁ実際は、下拵え含めほとんどサラですけどね。助かりました」
「さすがサラね! さすがはわたしの友達だわ!」
がつがつと、お嬢様らしからぬ勢いでシャルがハンバーグを平らげていく。いつの間にか仲良くなっていたサラとシャルに、偏也もマリーも驚いた。
「す、すみません。こんな格好で」
「ふふ、構わないよ。なかなか斬新じゃないか。若い子はそうじゃないとね」
念のためサラには裏に回って貰っていたが杞憂だったらしい。ピンク色の角を褒められて、どう反応すればいいか分からずにサラの頬が染まる。
照れて髪を触るサラを眺めながら、ミアはほっと胸をなで下ろした。
最初はどうなることかと思ったが、無事に職務は果たせそうだ。
「あ、そういえば君たち」
そんなとき、グラスを置いたマリーがミアとサラに話しかける。嫌な予感がして偏也が顔を上げるが、既に遅かった。
「ヘンヤが嫁を探しているらしい。どうだ? 稼ぎ頭としてはいい男だぞ?」
「にゃ?」
「へぅッ!?」
「ぶッ!?」
三者三様に、マリーの言葉に声を出した。
恨むように偏也が睨むが、マリーは愉快そうにケタケタと笑う。
「なに、男は胃袋を掴めばすぐさ。その点は、どうやら心配ないようだし」
そう言って微笑むマリーの話を、ミアは複雑そうに、サラは顔を真っ赤にしながら聞いているのだった。
「胃袋ってこの辺?」
「ぐぶぅッ!?」
シャルに鳩尾を思い切り掴まれて、偏也は危うくハンバーグを吐き出しそうになっていた。




