第31話 ドラゴンの少女と甘い感触 (3)
口に広がる紅茶の風味に、サラは驚いて目を見開いた。
この世界では高級品だ。庶民も飲むには飲むが、こんなにも上等な茶葉は初めて飲んだとサラはティーカップの中を見つめる。
「お、美味しい……ですね」
「それはよかった。僕はコーヒー派だったんだが、最近は紅茶も嫌いというわけじゃなくてね。仕事中はともかく、甘いものと一緒なら紅茶がいい」
カップに口を付ける偏也をサラは唖然として見やる。コーヒーとやらが何かは分からないが、きっと高級な嗜好品なのだろう。
サラは自分の部屋に置いてある紅茶の茶葉を思い浮かべた。貴族の真似事をするのが嬉しくて買ってみたが、それでも勿体なくて飲んでいない。
(参ったな……もう、飲めないかも)
自嘲気味に笑いながら、それでもサラは手元の香りを楽しんだ。
なぜだろう。主人に用意しているだけでは気にならなかったことが、チクチクと胸を刺激していく。
言っておきたくて、サラは偏也へと言葉を落とした。
「あたしも、前に紅茶買って。それで、勿体なくて。皆……その、なんでか買ってて。なんでなんでしょうね」
本当、なんでなんだろうとサラは思う。貴族が嗜むものを飲めば、それで同等だとでも思いたいのか。
はにかむサラを見て、偏也はゆっくりとカップを置いた。
「はは、すみませんね。なんか、緊張して。何千回って洗ってますけど、そういえば口付けるのは初めてだなぁって」
ティーカップひとつでもそうだ。なんだか言っていて、サラは泣きそうになってしまう。
サラを見つめながら、偏也は一度目を閉じた。
偏也は、サラの問いの答えを知っている。
イギリス北部の炭坑町ウィガン。1936年のあの街に生きた炭鉱労働者たちが、なぜ紅茶とチョコレートを手に取ったのか。
苦しいからこそ、必要なのだ。娯楽として嗜好するのではなく、逃避として買わずにはいられない。
偏也は、ジョージ・オーウェルを知っている。だがそれが、この場でなんの意味を持つというのか。
「美味しいかね?」
ひとこと、偏也はサラに問い返した。先ほど言った言葉を、サラは不思議そうに反復する。
「え、ええ。美味しいです、とても」
当たり前だと言っているサラの顔へ、偏也は小さく呟いた。
「君が淹れてくれた方が美味い」
サラの手が止まる。心底唖然とした表情で、サラはわけも分からず偏也の次を待っていた。
カップを持ち上げ、偏也は紅茶を口に含む。
「正直、いまいちだよ。……普段は、ミアくんに淹れてもらっているからね。飲んでみて驚いた。君たちの仕事は、銘柄なんて軽く超えてくる」
これでも、練習しているんだけどね。そう微笑みながら、偏也はサラへと言葉を続ける。
「言っていたよ、ミアくんが。紅茶の淹れ方は、サラさんから教わったのだと」
危うく落としそうになったカップを、サラはなんとか掴んでいた。ゆっくりと、テーブルの上へと着地させる。
カップを持つ指が震える。自分ですら、忘れていた遠い記憶。
「そうですか。ミアが、そんなことを」
思い返せば、そうだった。ただあの子が器用で真面目だから、すぐに自分よりも上手くなっただけだ。
羨ましく思えるほど自分は真面目に生きていなくて、それでも後ろを付いてきていた。
もっと、他にいただろうに。
「ミアくんと過ごすようになって、紅茶を好きになってね。ペットボトルの紅茶で好き嫌いしていた自分を恥じたものだよ」
なんだろう。ペットボトルが何かはわからないが、偏也の言っていることはわかる気がした。
サラは、カップに手を添えた。ほんのりと温い。本当は、カップを温めないといけないのに。
「サラくんのおかげだ。ありがとう」
偏也からの感謝に、サラはこくりと頷いた。
◆ ◆ ◆
「ええーッ! 二人でプリン食べちゃったんですかぁッ!?」
数十分後、そろそろいいかと戻ってきたミアが絶望の表情で耳を倒していた。
ずるいですと偏也にすがりつき、ショックの大きさをアピールする。
「ははは、別に構わないだろう。君は前に僕の分まで二つ食べてるし」
「えっ!?」
偏也の愉快そうな声に、サラは驚いたように声を上げた。ミアのイメージからは考えられない行為だが、当の本人が口を噤む。
「そ、それはそうなんですけどぉ。元々私のだったのにぃ」
「まぁまぁ。今度また買ってあげるから」
しょんぼりと肩を落とすミアの頭に手を乗せながら、心底愉快そうに偏也は笑った。
偏也の声に嬉しそうに顔を上げるミアを見て、サラは気の抜けたように肩の力を抜く。
これではまるで、自分のほうが真面目ではないか。
「今日はサラくんから紅茶の淹れ方を教わっていてね、これがなかなか難しいんだ」
「ああ、サラは上手ですから。私も色々と教えてもらったんですよ」
にこにこと笑うミアの顔。気恥ずかしそうに、サラがピンクの角を指で掻く。
「へぇ、他にはなにを教えてもらったんだい?」
そんなサラを横目に、偏也はミアに問いかけた。
そうですねぇとミアが腕を組み、思い出すように目を瞑る。
「先輩の目の盗み方とか、サボり方とか。……食料庫からパンをくすねる方法とか、ですかね?」
目を開けて、ろくでもないですと、ミアはサラを呆れたように振り返った。
サラも、事実なのだから仕方がないと腕を組む。
「くくっ、はははっ。僕の屋敷では勘弁しておくれよ」
こんなに愉快なこともないだろう。先輩の心、後輩知らず。振り返れば、サラが顔を真っ赤にして恥ずかしそうに俯いていた。
正直思い返してみれば、悪いことばかり教えた気がする。
「いや、その。大事なんですよ、それも」
苦し紛れに出したサラの言い訳に、一同は堪えた笑いを漏らすのだった。




