第03話 偏屈荘の御主人さま (3)
「ふふ。にゃふふふ」
ごろりとベッドの上に横になって、ミアは漏れる笑みを隠しもせずに天井を見上げた。
埃っぽい部屋だが、それは自分が掃除すれば改善されるだろう。それよりもと、ミアは身体を横にして部屋を眺める。
「優しそうな人でよかった」
偏也を思い出して、ミアは安堵の息を吐いた。街の噂なんて当てにならないのかもしれないと、ミアは頬を緩める。
確かに偏屈そうだし、変わってはいる。しかし、悪い人ではないことは伝わってきて、ミアは無愛想な黒髪の主人を思い浮かべた。
仕事は大変そうだが、待遇を考えれば破格と言える。ただの小娘の自分なんかに、こんないい部屋まであてがってくれているのだ。ミアは心の中で、偏也に再度礼を言った。
「……けど。ほんと変わった人だなぁ」
ぽつりと呟く。雇い主にこんな言い方をとは思うが、随分と予想していた印象と違いすぎる。
もっとこう、厳つい御仁を想像していた。荒れ放題の屋敷にしろ、あれが本当に魔法使いと呼ばれる人物なのだろうか。
けれど、単身一代で財をなした天才。案外あんなものなのかもしれないと、ミアは一人納得した。
それに、おかしいといえばこの屋敷もだ。
屋敷というより、屋敷に散らばっている物なのだが。ミアが見たことも聞いたこともない物が沢山ある。
お金持ちだからといえばそれまでだが。ミアだって、前の主人のところで働いていたのだ。それなりにだが上流階級の人の生活というものも見てきている。
その記憶を呼び起こしても、この屋敷にあるものは奇妙すぎた。
やはり、変わり者なのだろう。当然だ。普通の人物では、この屋敷を一代では手に出来ない。
関わっていくうちに、人となりも分かっていくだろう。そう思って、ミアはゆっくりと瞼を閉じる。
偏屈で無愛想な顔を想いながら、ミアは微睡みの中へ落ちていった。
◆ ◆ ◆
「ミアくん。ちょっと用事に出かけてくるよ」
次の日、ミアは掃除の最中に偏也に声をかけられた。とりあえず皿を洗おうと集めていたミアに、偏也はコートを羽織りながらキッチンへ顔を覗かせる。
そんな偏也に、ミアは慌てたように皿を置いて駆け寄った。
「す、すみませんっ。いますぐ支度を……」
「ああ、構わない。君は家のことをしていてくれたまえ。夕飯までには戻る」
エプロンを外そうとするミアを、偏也は右腕を広げて制する。その言葉に、ミアは驚いたように偏也を見つめた。
いくら住み込みのメイドといっても、昨日雇われたばかりだ。そんな自分に留守を任せるなど、ミアの常識では考えられない。
言ってしまえば、ミアがこのまま屋敷の調度品を持ち逃げする可能性もあり得るのだ。
「なんだ、一緒に来たいのか? んー、すまない。待ち合わせの時間も迫っているのでね」
「い、いえっ。大丈夫ですっ。行ってらっしゃいませっ」
顔に出ていたのだろう。しかし勘違いをしている偏也の発言に、ミアは慌てて首を振った。
それだけ信頼してくれているということだろうか。まぁ、この場合はミアというよりは前の主人がという話だが。
「そうだミアくん。二階の僕の寝室の隣に、もう一つ部屋があるだろう?」
「えっ? あっ、はい」
出かける直前、思い出したように偏也は真剣な表情をミアに向けた。それを聞いてミアも二階の一室を思い出す。確かに鍵付きの部屋が一室あった。
「寝室は掃除しておいてくれるとありがたい。……だが、あの部屋だけは入らないでくれたまえ」
「わ、分かりました」
偏也のはっきりとした言葉に、ミアはこくこくと頷く。雇い主の秘密の部屋に入ったとなれば、首が飛ぶどころか下手したら後ろに手が回る。ミアは肝に銘じておきますと偏也を見つめた。
「そんな変なものがあるわけじゃないが、ちょっと危ない物が置いてあるのでね。絶対に入らないでくれたまえ」
そう念を押し、偏也はコートの襟を正す。ミアはその様子を、口を開けて眺めた。玄関に向かう偏也を、ミアは見送るために付いていく。
扉がしっかりと閉まったのを確認して、ミアはホッとため息を付いた。
「……お仕事はちゃんとしてるんだな」
当たり前だが、仕事を出かけた偏也をミアは思い出す。
暖かそうで、それでいて高級感のあるコート。グレーの色のコートを思い出して、ミアはふむと口に指を当てた。
前の主人もそれは上等なものを着ていたが、それにしてもあんなコートを羽織っているのは見たことがない。
服ひとつとっても、やはり違和感がある。どこか奇妙な心持ちに、ミアは屋敷を見回した。
「私も、お仕事頑張ろうっと」
しかし、深く考える必要もない。尻尾をぶんぶんと振りながら、ミアはリビングへと足を向けるのだった。
◆ ◆ ◆
「……これ、なんだろう?」
リビングに落ちていた四角い物体を見つめて、ミアはふぅむと首を傾けた。
つるつるとしていて、どうも金属ではないらしい。持ち上げると、その下端からは黒い紐が伸びていた。
紐の先端にはこれまた奇妙な物体が付いていて、左右対称に柔らかなクッションが取り付けられている。
「耳当て、かな?」
ひょいと、試しに自分の猫耳に柔らかい部分を乗せてみる。ふんわりと包み込まれる耳に、これは正解そうだぞとミアは笑みを浮かべた。
暖かな感触が耳を包み込む。これならば、寒空の下を歩いても耳が痛くなることもないだろう。
けれど、どうにも具合が悪い。エルフと猫の亜人では耳の位置が違うから当然なのだが。少々残念だと思いながら、ミアはヘッドフォンと携帯オーディオをソファの上へ避難させる。
ひとまず、ゴミとそれ以外に分けなければならない。ミアは気合いを入れて、リビングに散らばる荷物を物色していくのだった。
◆ ◆ ◆
そして二時間が経過する頃、あんなにもぐちゃぐちゃだったリビングの床の全貌が露わになった。
ひとまず捨てるわけにはいかないものを、ミアは散らばっていたテーブルの上やソファーの上に纏める。
ゴミだらけだと思っていたが、一目でゴミと分かるようなものは少なかった。紙クズや食べカスをゴミ箱に入れて、ミアはふむと腕を組む。
「この水筒、凄いなぁ。……ガラスじゃないのに透明だ」
ぺこぺこと凹む不思議な筒を見つめて、ミアは不思議そうに口を開ける。中身が少し残っているが、どうも水筒のようだ。
透明で光に透けている。それでいて、指で押さえると凹むほどに柔らかい。
「高そうだなぁ。……たくさんあるけど」
見たこともないものだが、こんなに綺麗なのだ。きっと物凄い値段がするに違いない。ミアは慎重に荷物の山から透明な水筒をより分けていく。
丸いのから、四角いの。小さいのから、大きいの。様々な水筒が、優に二十本は見つかった。周りのラベルが皆違っていて、凄くお洒落だ。とんでもないお宝だぜと、ミアはよいしょとそれを抱える。
その軽さに驚きながら、ミアは台所に歩いていった。
昨日の深皿と一緒に、ミアは丁寧にそれを水で洗っていく。途中、そういえばと辺りを見渡すが、石鹸が何処にも見あたらなかった。帰ってきたら偏也さんに言わないとと、ミアは心の中にメモをとる。
「……なんだろこれ。綺麗だなぁ」
流し台の隅に置かれている蛍光色のボトルをちらりと見やって、ミアははてと首を傾げるのだった。