第29話 ドラゴンの少女と甘い感触 (1)
サラは目の前の人物を震える身体で見つめていた。
親友に臨時の仕事を頼まれて、日当も良いみたいなので快く引き受けた。
今日は一応の顔合わせということで、初めて親友が働く屋敷に出向いたのだが。
「おや、君はあのときの」
ミアの主人がなにかに気づいたのか意外そうな顔をする。
なにを考えているかはサラにもわかった。多分自分と同じことを思っている。
「な、あ……あの、そのっ」
聞いていない。こんなことは聞いていない。
ちらりと親友のミアを見やれば、きょとんとした顔で首を傾げていた。
当たり前だ。彼女にとっても予想外のことだろう。
「いや、奇遇だな。そうか、君がミアくんの親友のサラくんか」
「へひっ!? は、はひそうでふっ!」
柔和に笑う目の前の人物に、サラは思わず間抜けな声で返事をしてしまう。
普段と違う調子の親友を見て、ミアが不思議そうに声をかけた。
「ヘンヤさん、サラちゃんと知り合いだったんですか?」
「ん? ああ、知り合いというか。以前、この子がスリと間違われそうになっている現場に出くわしてね。危なそうだったから送ったんだ」
偏也の説明を聞き、ミアの目が見開かれる。どこかで聞いたような話に、ミアはサラへと顔を向けた。
「あ、あのっ! さ、サラですっ! あのときは、そのっ! ありがとうございました!」
動転して、焦点の定まっていない親友。それもそのはずで、ミアは彼女から事の顛末を聞いている。
そして、彼女がなんと言っていたかも。
「いや、礼には及ばないよ。それよりも、無事に帰れたかい?」
「はいっ! それはもう! 安心安全にっ!」
完全に舞い上がっている親友に、ミアはえらいことになったと額に汗を流すのだった。
◆ ◆ ◆
「ど、どういうことだよミア! あの人があんたのご主人様って!」
「どういうことはこっちですよ! なんですか、いったい!」
偏也に紹介も終わり、二人して台所。準備の予定を立てるという名目で集まった二人は、互いに顔をつき合わして言いたいことを言っていた。
「ま、まさかですけどサラが言ってた例のあの人って……!」
「あの人だよ! ヘンヤさん! あーもう、マジかよ!」
サラがぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。まったく予想していなかった事態だ。
まさか、気になっていたいつかの男性が親友の雇い主だとは。
「うぅ、やっぱかっこいいなぁ。こんなとこで再会できるなんて」
「えっ?」
頭を抱えつつも嬉しそうなサラに、ミアは不可解そうに眉を寄せた。
偏屈そうで胡散臭そうな自分の主人を思いだし、ミアは「かっこ、いい……?」と首を傾げる。
「それよりも、どうするんです?」
「へ?」
ミアの質問に、今度はサラが声を落とす。呆れたような表情のミアは、分かっていない親友に言葉を続けた。
「告白ですよ告白。こんなチャンスめったにありませんよ。私のご主人様っていっても、いつでも会えるわけじゃないんですから」
「こっ! こくはっ!?」
ミアに言われ、サラの顔が真っ赤に燃える。しかし、すぐに諦めたように表情を戻した。
「な、なに言ってんだよ、出来るわけないだろ。あんたのご主人様だぞ。……万が一なんかあったら、ミアにまで悪評が付いちまうかもしんねぇ」
冷静になってみれば、出会ったところでどうこう出来るものではない。
しかも親友の雇い主だ。自分が引っかき回して、ミアの仕事がなくなるような事態だけは避けなくてはならない。
「まぁ、名前が分かっただけでも十分さ。羨ましいっちゃ羨ましいけど、いっそ自分の雇い主じゃなくてよかったよ」
諦めるには丁度いい。そう笑う親友に、ミアは頬を膨らませた。
「いいんですか、それで」
ぷくぅと頬を丸くして、ミアがじとりとサラを睨む。
迫ってきたミアの鼻先に、サラがぎょっと目を見開いた。
「な、なんだよ。いいって言ってんじゃん」
「承諾しかねます」
膨らむ鼻。ミアがもう一度サラを睨む。
ミアとて理解している。サラの言っていることは正しいし、その気持ちは自分自身を思んばかってのものだ。
けれど、だからこそ。ミアはこのままサラが自分のせいでなにも出来ないのが悔しかった。
「サラがこのままでいいと言うならば、無理にとは言いません。ですが、私も私でやれることは勝手にやらせていただきます」
むんっと気合いを入れるミアの様子に、サラは不安げな瞳で長年の親友を見つめ続けるのだった。
◆ ◆ ◆
「おーい、二人とも。頑張ってるか……って、おや」
コンビニのビニール袋を右手に掲げ、偏也は屋敷の台所にひょっこりと顔を出した。
「えっと、サラくんだけか。ミアくんは?」
そこで、一人だけで皿洗いをしているサラを見つけ、不思議そうに偏也は辺りを見回す。
どうやら近くの部屋にもいないらしいネコ耳メイドの居場所を、サラがぎこちない口調で偏也に伝えた。
「み、ミアなら買い出しに。その、か、買い忘れたものがあるとかで。結構かかるらしくて」
「おや、そうなのかい? んー、そっか。どうしようかな」
タオルで手を振きながら、歯切れ悪く説明するサラ。特に深く疑問にも思わずに、偏也は困ったようにビニール袋を見下ろした。
『私がこれから留守にしますから、サラはヘンヤさんと二人きりになってください』
そう言ってミアが出ていったのが数分前。本当に二人きりになってしまった状況に、サラは鼓動をこれでもかというくらい速くしていた。
要は、お膳立てはしてあげるから後は任せるということだ。本当にそのままがいいのならば何もしなければいい。
だけど、もし--。
(や、やばい。やばいやばい。どうしよう。ミア、ど、どうしたら)
サラは泣きそうになっていた。
正直、偏也への想いすら、ろくに準備出来てもいない想いなのだ。
どうせ無理だ。考えるだけならばタダだ。夢のような。
そんな、現実となにも繋げずに作っていた想いの答えを出すのには、目の前の偏也は急すぎるしリアル過ぎた。
いっそ、逃げ出してしまおうか。
そんな考えがサラの脳裏を掠めた瞬間、偏也の唇が一足先に動いた。
「サラくん、甘いものは好きかな?」
弱ったような、困ったような偏也の声。
ご丁寧に、どうしたものかと頬を指で掻いている。
「へっ……?」
差し出された白い袋と偏也の右手に、サラは思わず短い言葉を返していた。




