第26話 イチゴパフェ (2)
(どういうことだいったい……)
用を終え、ラウンジまで戻ってきた偏也の前には理解しがたい光景が広がっていた。
「あ、ヘンヤさん。おかえりなさい。……うぷ」
苦しそうに、けれども満足そうに腹を抱えたミアが偏也へと手を振った。
メイド服の上からでもうっすら分かるほどに膨れたお腹に、偏也は呆れたように眉を寄せる。
パフェの器。それはいい、ひとつは自分が頼んだものだ。けれど、共に並べられた3つの器に、さしもの偏也も息を吐いた。
「……堪能したかね?」
「幸せでしたぁ」
ミアの対面の席に腰を下ろし、傍らのメニューを手元に寄せる。
見てみれば、確かにパフェの種類は4種類だった。
「全部頼んだのか」
「おいしかったです。げふっ」
思わず出た音に、ミアが慌てて口を押さえる。苦笑しつつ、偏也は巾着を握りしめているミアを見つめた。
「悔いはありません。追加した分は私が払いますっ」
「あ、うん。そうしてくれたまえ」
きらきらと目を輝かせているミア。買い物はスーパーで慣れているが、飲食店で払うのは初めての経験だ。見るからに高級そうな店だが、悔いはなしとミアはふんすと鼻を広げた。
「しかし、その様子だともう入りそうにないね。昼食を食べにいく予定だったんだが」
「にゃへっ!?」
ガーンと、見るからにミアがショックを受けた。萎れていく耳と尻尾に、偏也は弱ったなと頬を掻く。
別に予約をしていたわけでもなし、偏也は自分もここで済ませてしまおうとメニューを今一度見下ろした。
◆ ◆ ◆
「……ヘンヤさんはなんのお話をしに上の階に?」
じぃーとミアが見つめている。
涎を垂らしてしまいそうなメイドを見やりながら、偏也は目の前のハンバーグドリアにスプーンを入れた。
熱々のドリアだが、冷房のかかっているフロア内ではむしろ喜ばしい。
ハンバーグの好きなミアの前で食ってやろうという、ちょっとした偏也の意地悪心である。
「ん? そうだなぁ、特に重要な話ではなかったよ」
おいしそうだ。ハンバアグだ。チーズもかかっている。凄くおいしそうだ。
そんなことで頭が一杯になっていたものだから、ミアは偏也の声の機微を聞き逃した。もしかしたら偏也は、そのためにハンバーグドリアを注文したのかもしれない。
「そうですかぁ。私はてっきり大事なお話かと」
「まぁ、無駄足ではなかったけどね。久しぶりに友人にも会えたし」
考え込むように目を細めて食事を進める偏也の表情を、ミアは見ていない。
とろーりと伸びていくチーズ。下にはご飯が敷かれているようだ。しかもなぜか色がオレンジ色で美味しそうな。
ハンバーグドリアに心奪われているミアを安堵したように見つめながら、偏也はスプーンを動かしていく。
「……ミアくんは、こちらの世界のことをどう思う?」
質問と共に、偏也の手が止まった。そこで初めて、ミアは偏也の顔へと視線を向ける。
少しだけ考えて、ミアはゆっくりと答え始めた。
「凄いと思います。便利だし、おいしいものは沢山あるし」
そもそも、ミアはこの世界のことをまだよく知らない。偏也と過ごす時間がこの世界の普通だと考えるのは間違いだということくらいは、ミアにでも分かる。
自分たちの世界でも同じ。偏也は庶民ではない。
「ただ……」
そう呟いたミアの続きに、偏也は目を見開いた。
「こちらにいるときの方が、ヘンヤさんは幸せそうです」
一見、繋ぎが間違っているようなミアの言葉。だがその微笑みに、偏也は参ったねと椅子に背を預けた。
「わざわざ異世界にまで行ったというのに。進歩のないことだ」
なにかが変わると思った。けれど、結局は向こうでも同じ事の繰り返し。
なぜ自分は金を稼いでしまうのか。贅沢な悩みだが、そも金とは手段だ。目的じゃあない。
稼いだ金でなにをしたいかが、偏也にはなにも見えてこなかった。
呆然と天井を見上げる偏也に、ミアはくすりと笑ってみせる。
「そんなに悩む必要ないと思いますけどね。普通の人は、悩むほどお金ないからかもですけど。……おいしいもの食べて、大きなお家に住んで、立派な服を着て……それじゃあダメなんですか?」
ダメじゃない。不味いよりは美味いほうが勿論好きだし、家だって狭いよりは大きい方が便利だろう。
それでも、偏也は満たされない。
無論、満たされる人間などいないことは分かっている。皆、なにかしら不満や不安を抱えている。
それでも、あるはずだ。一瞬でも、自分が世界で一番幸福だと感じる。そんな瞬間が。
幻想でも間違いでも、そんな瞬間が偏也は欲しい。
「……恋人でも、作られたらどうですか?」
ミアの一言が、偏也の胸にすとんと落ちた。
「恋……人?」
顔を向け、ミアの長いまつげを見つめる。
「ヘンヤさんの悩みは、お金や物じゃダメな気がします。ほら、ヘンヤさんって異性の友達も少なそうですし。女性と付き合ったことあります?」
「割とずけずけと言うようになったね」
目を細めるミアは、メイドですからと微笑んだ。主人に助言するのも従者の勤めだ。
「しかし、恋人か。……そういえば、出来たことはないな」
「え? そうなんですかっ?」
聞いておいて、偏也の返答にミアは驚いて聞き返した。
偏也はこちらの世界でも優秀な男性だ。言い寄られてしかるべきだがとミアは考え込む偏也を見つめる。
「んー、デートに誘われることは多かったが。全て断っていた」
「なんでまた」
ミアの呆れ顔で見つめられ、偏也は顎に手を当てる。なんでと言われても、興味がなかったからとしか言いようがない。
「勉強と企業の準備で忙しかったからな。後、大学にいた頃は方言が恥ずかしくてあまり人と関わらなかった」
「ああ、それでですか」
言いながら意外に思い、ミアは偏也を覗き見た。人の目など気にしなさそうな偏也だが、案外と田舎出身のコンプレックスは強いのかもしれない。
考えてみれば、元々それが原因で両親と喧嘩別れしている人物だ。気をつけておこうと、ミアは心にメモを取る。
「恋人……か。なるほど。確かに、そうかもしれん」
シンプルかつ真理に思えた。なぜその考えに至らなかったんだと、偏也は笑顔を覗かせる。
「うん、うんっ。あり得るぞ。ありがとうミアくん、光明が差してきた気がする」
「それはよかったです」
手の掛かるご主人様を見やって、ミアはやれやれと眉を下げた。多少偏屈なところのある偏也だが、なにせお金持ちだ。こちらでも向こうでも、相手に困るということはないだろう。
よっぽどまずい相手なら自分が忠告すればいいと、ミアは喜んでいる偏也を眺めた。
「それでミアくん、相談なんだが」
「なんですか? 女心のご相談くらいなら……」
張り切っている偏也を微笑ましく思いながら、ミアも楽しくなってくる。メイドは他人の恋路が大好きだ。
しかし、次の瞬間にミアの顔が大きく歪んだ。
「試しに僕と付き合ってみないか? ほら、君となら多少失敗しても大丈夫だし!」
ミアの口がへの字に折れて、こ気味よい音がラウンジへと鳴り響く。
雇い主に平手を出したのは、これが初めての経験だ。




