第25話 イチゴパフェ (1)
「にゃお……」
震えながらミアは立ちすくんだ。
呆然と辺りを見回しながら、自分が置かれている状況に困惑する。
人混み。端的に言えば、そうだった。
人、人、人、人……。何人いるのか数えるのも馬鹿らしい人々が、まるで濁流のようにミアを後ろから追い抜いていく。
「ふにゃ……」
ちらりとミアのネコ耳を気にする者はいるものの、人々の歩みが止まることはない。ミアは偏也に買ってもらった切符を片手に握りしめながら、半泣きで行き交う人々を眺めていた。
なにやら皆、片手をゲートに押しつけて改札を通っている。どうも偏也が持っていた青いカードのようだ。アレを押しつければゲートが開いて出られるらしい。
「ふぐぅ……ふぅうううッ!」
べしべしと、ミアは震えながら探知機に切符を何度も押し当てる。当然開くこともない改札に、ミアは必死に涙を堪えた。
「ふぐぅうううッ!!」
すでに偏也は人混みの中に消えてしまった。早く追いかけねばと切符を改札に叩きつけながら、ミアは留守番をしていればよかったと心の底から後悔するのだった。
◆ ◆ ◆
「悪かったよ。まさか改札で詰まっているとは」
「ひどいですぅ。一生出られないかと思いましたぁ」
大げさなと思いつつも、偏也は赤く腫らした目で怒りの抗議をしてくるミアに申し訳ないと頬を掻く。
付いてきているはずのミアがいないことに気が付いたのが改札を出てから50メートルほど。慌てて戻ってみれば、泣きながら改札を連打しているミアに遭遇した。
「いやぁ、はは。しかし、べしべしって」
「にゃッ!? わ、笑いましたねぇッ!? ひどすぎますぅッ!」
珍しく怒っているミアを新鮮に思いながら、偏也は腕時計に目を向けた。時間自体は予定通りに進行している。このまま歩けば、少し余裕を持って目的地に行けるだろう。
「……って、なにかね?」
くいっと、背中が何かに引っ張られた。
振り返れば、ぷくっと頬を膨らましたミアがスーツの裾を掴んでいる。
もうはぐれたくないということだろう。やれやれと偏也はスーツを見下ろした。人に会う前にシワを付けるわけにもいかない。
「ほら」
差し出された右手に、ミアが驚いたように尻尾を立てた。そんなミアの視線に、偏也はくすりと笑みを浮かべる。
一瞬だけ恥ずかしそうに目を逸らし、ミアはしぶしぶと偏也の右手に手を伸ばした。
「ほう。柔らかいな」
「は、恥ずかしいこと言わないでくださいッ!」
顔を真っ赤にして声を上げるミアを見下ろしながら、偏也は愉快そうに笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆
「それにしても……本当に凄いですねぇ。人がいっぱい。お祭りみたいですぅ」
「ははは、常套句だね。僕も上京したての頃はびっくりしたよ」
偏也の台詞にミアは一月前の話を思い出した。
こんなに発展した世界でも、偏也の故郷の島は自分の暮らす街よりも辺鄙らしい。
実家がある農村を思い浮かべて、ミアはくすりと微笑んだ。
「それより、お目当ての場所は遠いんですか?」
「ん? いや、もうすぐだよ。ほら」
言われ、偏也の目線の先をミアも追う。
「こ、ここですか……?」
指し示された30階建てのビルを見上げ、もはやなにも言うまいとミアは呆然と口を開けるのだった。
◆ ◆ ◆
中に入ると、そこは異世界だった。
ピカピカの床に、見上げるほどの天井。かすかに大理石の床に映る自分の姿に、ミアは小さく眉を寄せた。
壁に掛けられた大きな絵画。ミアの以前の部屋くらいの大きさだ。
巨大な観葉植物の葉をぴんと指で触りながら、ミアは呆れてしまうと息を吐いた。
異世界人のミアでも分かる。ここは上流階級の人のための場所だ。
見回せば、行き来する人の身なりは思った通りの上等に見えた。
「ヘンヤさんはここでお仕事を?」
「そうだね。僕はどこでもよかったんだが、まぁ見栄えも多少は重要さ。門構えの良さは信用にも繋がる」
涼しい顔で語る偏也に、ミアは感心したように頷くことしかできない。正直、住む世界の違う話だ。
さてとと腕時計を気にしながら、偏也はロビー横のラウンジに目をやった。連れてきたのはいいが、このままミアをオフィスフロアに上げるわけにもいかない。
「ミアくんはあそこでパフェでも食べていてくれたまえ。なに、そんなに時間はかからないから」
ミアの顔が輝いたのは言うまでもない。
◆ ◆ ◆
「ふおぉおおおおっ!」
目の前にそびえ立った神々しい存在にミアは思わず声を出した。
イチゴパフェ。まさにパーフェクトの名に相応しい一品である。
「な、なんですかこれはぁ」
誰に言うわけでもない言葉をミアはイチゴパフェへと投げかけた。
きょろきょろと辺りを見渡し、そっともう一度イチゴパフェを見つめる。
偏也が頼んでくれたものだが、これは素晴らしいぞとミアは喉を鳴らした。
白と赤。ケーキで食べたことがある。確かクリームとかいうやつだ。それに、イチゴ。完璧ではないかとミアはふんふんと鼻息を荒くした。
パタパタと尻尾を振っているメイドさんに店員は首を傾げるが、色んな人がいるわねと業務に戻っていった。ここを訪れる人の格好にいちいち突っ込んでいては身が持たない。
「にゃふふふ。いいですね、いいですねぇ」
スプーンをぎゅっと握りしめ、ミアは恐る恐るイチゴパフェへと近づけた。
芸術的ともいえるパフェの表面に、スプーンが軽く入っていく。
ぱくり。ミアは思い切って口の中へとパフェを迎えた。
「お、おいひぃですぅうっ」
途端、広がる甘み。冷たくて、甘い。
しゃくりとスプーンが次をすくう。クリームの下のアイスクリーム。もちろんイチゴソースがかかっている。
「ふわぁぁ」
なんですかこれは。そう言いたげにミアは顔を緩ませた。
冷たい。氷のように冷たくて、しかも甘い。
感動ですとミアはパフェを見下ろした。百点満点、ミアはぶんぶんと尻尾を振り乱す。
イチゴも美味しい。以前ケーキでも食べたが、こちらの方が大ぶりで甘く感じる。
それもそのはず、一杯1600円のパフェは中々に高級なのだが、ミアは知る由もなくパフェを口に運んでいった。
「うう、幸せですねぇ」
来てよかった。駅では散々な目にあったが、こんなものが食べられるのならば安いものだ。
パクパクと一心不乱にミアはパフェを食べていく。アイスクリームの表面が溶けてきたからだ。急いで食べねばと焦りながら、ミアは背の高い器の中身をせっせとスプーンでほじっていく。
数分後。
「ふぅ。おいしかったですねぇ」
そこには満足げにお腹をさするミアの姿があった。もちろん、パフェは全てミアの腹の中だ。
感激の美味しさだった。これは歴代のランキングが更新されたぞと、ミアは頭の中で先ほどの甘味を思い浮かべる。
「……ヘンヤさんは、まだでしょうか」
壁にかかっている高そうな時計を見るに、20分ほどしか経っていない。もうしばらくはかかるだろうと、ミアは辺りを見回す。
何人かのお客さんはいるが、皆飲み物などを頼んでいるようだ。
調子に乗って食べきってしまったが、少々居心地が悪くなってしまった。少し残せばよかったかと、ミアは小さく眉を寄せる。
「でも、おいしかったなぁ」
けれど悔いはない。あれだけ美味しいのだ。美味しさが逃げてしまう前に食べなければ失礼というものだろう。
どうしようか。ミアは自分の胸に手をやった。
首から下げた巾着。ミアは静かに決意する。
「よ、よーし」
覚悟を決めたミアは、通りがかった店員へと右手を上げるのだった。




