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第24話 竜と猫 (3)


「な、なにに使おう……」


 目の前の諭吉たちを見下ろして、ミアはごくりと唾を飲み込んだ。

 十枚ずつに纏めた束がちょうど三つ。どう考えても大金だ。


『はい。今月の向こう側での分の給料だよ』


 そう言われ、当然のように差し出された札束をミアは震える手で受け取った。

 30万。ミアの歳では高い方だが、メイドとしてもあり得ない額ではない。


 問題は同じくらいの分の給金を、こちらの世界の通貨でも貰っているということだ。


「へ、ヘンヤさん、相場とか分かってるのかな」


 分かってはいるだろう。彼は商売のプロなのだ。

 つまりはこちらと向こう、併せて一月分の働きが、それだけの価値があると彼は考えているのだろう。


「ま、まじですか」


 嬉しいような、けれど少し困ったような。意識したことのないプレッシャーを感じながら、ミアは頑張ろうと机に顔を突っ伏すのだった。



 ◆  ◆  ◆



「……ん? なんか妙に庭が綺麗だな」


 用事から戻った偏也は、庭の違和感に首を傾げた。

 荒れ放題だった庭の見栄えが良くなっている。さすがのミアも屋敷の掃除で手が一杯で、ここまでは手が付けれていなかったはずだと偏也は目を細めた。


「なにをしてるんだ君は」


 そして、事の原因に向かって偏也は眉を寄せた。


「あ、ヘンヤさん。おかえりなさい」


 偏也の視線の先には、首からタオルをかけたミアの姿。中腰に身を屈め、右手には雑草が握られている。

 どうも、庭の草抜きをしているらしい。


「草抜きもいいが……夕飯の支度は」

「あ、用意できてます。後は焼くだけなんで、すぐ食べますか?」


 パッパッと土を落としながら、ミアがゆっくりと立ち上がった。驚く偏也に、ミアは照れくさそうに尻尾を揺らす。


「いえ、お給料増えましたし。その、頑張らないとなぁって」


 今まで以上に。それくらいしか、自分にはできない。

 いつも通り殊勝なメイドに、偏也はなるほどと頷いた。


 自分のメイド運の良さに感謝しつつ、偏也は焦らなくていいとミアに微笑んで、玄関へと足を向ける。


「いい心がけだね。その分のお給料は弾むから、楽しみにしておくといい」


 そう言い残し、偏也は一足先に玄関へと入っていく。屋敷へと消える偏也を呆然と見送りながら、ミアは右手の雑草をポトリと落とした。


「そ、そうなるのかぁ」


 ほどほどにしておこう。そんなことを思いつつ、ミアは己の勤務態勢に思いを馳せるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「お仕事ですか?」


 ハンバーグを口に運ぶ偏也を眺めながら、ミアは首を小さく傾げた。


「仕事っていうか……友人に呼ばれてね。無碍にもできない」


 切り分けたハンバーグを噛みしめて、偏也はうむと頷いた。あの日から、ミアのハンバーグの腕はかなり上達している。今では平均的な家庭の味は越えているだろう。


 ナイフとフォークで次の一口を作りながら、偏也は少し困ったように眉を寄せた。


「どうも嫌な予感がする。……はぁ、僕はただ平穏に暮らしたいだけなんだがね」

「そうなんですか?」


 ミアの言葉に、偏也の腕がぴたりと止まった。

 傍らに控えるミアの方へ顔を向けて、見られたミアは口を開く。


「お仕事、お好きでしょう?」


 その言葉に、偏也は罰が悪そうに唇を尖らせた。

 元よりこの地には、仕事以外のなにかを探しにやってきた偏也だ。けれど、結局のところこちらでも仕事人間になってしまっていることをミアはよく知っている。


 偏也からすればバカンスのような今の生活だが、ミアの感覚からすればまだ働きすぎだ。常にしかめっ面で資料を睨んでいる偏也は、なにが楽しくて生きているんだろうとミアは思う。


「……好きじゃ、ない」


 悔しそうに絞り出した偏也の言葉に、ミアはくすりと微笑んだ。

 好きでないなら、やはり異常だ。仕事が好きならば、まだ救いはあるというのに。


 なにかを誤魔化すように、偏也はグラスをぐいと飲み干した。


「私にはお仕事大好きに見えますけどねぇ。他に好きなことあるんです?」


 空になったグラスに水を注ぎ、ミアは自分の主人を見つめる。意地を張るのが男性だが、彼の張り方は見ていてどこかむずむずする。


 澄まし顔でグラスを戻すミアの質問に、偏也は少し考えて口を開いた。


「君とご飯を食べてる時間なんかは、結構好きだよ」


 そうだと納得いったように、偏也の顔が明るくなる。

 いきなり言われ、ミアの顔がボッと染まった。


「へっ!?」

「うんうん、そうだ。ミアくんと過ごすのは何というか、心が安らぐ。ふふ、どうだい。僕にも仕事以外の楽しみもあるということだよ」


 得意げに語ってみせる偏也は、自分がなにを言っているか理解してないらしい。

 まるで自分の特技に気がついた子供のような表情で、偏也はハンバーグを再開した。


「うむ、実に美味い。腕を上げたなミアくん」

「あ、ありがとうございます」


 笑顔でハンバーグを平らげていく偏也を見ながら、ミアはこの人はまったくと染まった頬を逸らすのだった。



 ◆  ◆  ◆



「でだ、どうせ街に出るんだ。ミアくんも来るかい?」

「わ、私もですか?」


 食事の後、偏也は一息吐きながら紅茶のティーカップに口を付けた。

 誘われたミアはいきなりの提案に面食らってしまう。


 仕事でないとはいえ、偏也は友人に会うのだ。自分がついて行って大丈夫だろうかとミアは思う。

 そんなミアに、心配は無用だと偏也は笑った。


「オフィスのラウンジには喫茶店も入っているからな。僕が友人に会っている間は、君はそこで甘味でも食べているといい」

「ほんとですかっ」


 甘味と聞き、ミアの顔が華やいだ。邪魔にならないなら、これ以上はない提案だ。

 お財布を持って行こうと、ミアは自室にあるお給料を思い浮かべる。


「ふにゃ、てことはまた自動車で行くんですね?」


 以前ファミレスに行ったときに乗ったスポーツカーを思いだし、ミアはわくわくと目を細めた。最初は怖かったが、慣れた後は楽しい乗り物だ。


 そんなミアの表情を見つめて、偏也はよいことを思いついたと口を開いた。


「そうだなぁ。今回は電車で行こうか」


 なにごとも人生経験。なんですかそれはと見つめ返してくるミアに、偏也は愉快そうに笑うのだった。



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