第17話 紅茶とケーキと子猫の夢と(2)
「にゃうううう、甘いですぅう。柔らかいですぅうッ」
ついに泣き始めたミアを見ながら、偏也は思わず苦笑した。
ケーキが到着したときはくんくんと匂いを確かめていただけだったが、ひとくち食べた途端にこれである。
「美味しいかい?」
「すごいですぅ。こんな甘くておいしいもの初めて食べましたぁあ」
もぐもぐと口にケーキを押し込みながら、ミアはダバダバと涙を流していた。
口の周りにクリームが付いているが、それも綺麗に舌で舐める。
「なんですかこれはぁああ、この白くて甘くておいしいのぉおお」
「生クリームだね」
偏也が答えるが、ミアにそれを聞く余裕はない。更にもう一口食べて、ミアは感動に身体を震わせた。
「このパンもふわっふわでぇええ。なにこれぇえええ」
「スポンジ生地だね」
いちいち感涙するミアを愉快そうに眺めつつ、偏也もチーズケーキへフォークを通した。
かなり重めの手応えに頷きつつ、偏也はニューヨークチーズケーキを口へと運ぶ。
「うん、美味い」
口に入れた瞬間、ねっとりとした旨みが広がった。
舌にまとわりつくようなチーズの濃厚さ。通常のチーズケーキとは比べるまでもないほどの重厚さだ。
ケーキといえばふんわりとしたものという常識に真っ向から喧嘩を売りに行くスタイル。嫌いではないと偏也はもうひとくち食べ進める。
ほのかに香るバニラビーンズ。タルト生地とチーズの相性もいい。
小さめの大きさだが、これで通常のケーキと同じ大きさだったら重すぎて完食できないだろう。
「ケーキはね、こっちの世界でもお祝いのときに食べるんだ。誕生日とか……神様の聖誕祭とかにね」
「はぅぅ、納得ですぅ。こんなもの平日に食べたら罰が当たりますぅ」
偏也の説明にミアは得心いったと深く頷く。偏也にしても、特段間違った説明ではないかなと思った。
今の子はどうか知らないが、少なくとも偏也が子供の頃はケーキはご馳走だった気がする。
特別な日。それこそ、ケーキを買ってもらうこと事態がとんでもなく特別なことだった。
(なんせ島だったけんなぁ。思えば、母さんはわざわざ本土に買いに行っとったんか)
勿論というか、偏也の故郷にはケーキ屋など存在しない。それでも連絡便に乗れば店自体はあるもので、そういえば結局、あのケーキはどこのケーキだったのかついぞ分からずじまいだ。
(聞いておけば、よかったかね)
そこまで考えて、偏也は自嘲気味に息を吐いた。聞いていたところで、その店が現存するとも思えない。第一、偏也自身ですら、あの日の味をはっきりと覚えているかといえば疑問だ。
あまりはっきり思い出す必要もないのかもしれない。思えば、クリームはもっとべったりとしていたし、イチゴもほんのりと萎びていた気がする。いや、なにかジェルでコーティングされていたか。
いずれにせよ、目の前でミアが食べているものに比べれば、確実に味は落ちるものだったろう。
それでも、あの日の自分にとっては特別だった。
その事実があれば、それでいい。
「この赤い果物もおいしい!?」
「イチゴだね」
ふるふると震えているミアに答えつつ、偏也はティーカップへと手を伸ばした。
紅茶の香りを楽しんだ後、カップの縁を口へと付ける。
見回せば、のんびりとした店内に客は自分とミアの二人だけ。店員の女子高生は、奥の席に座ってスマホの画面を睨んでいる。
「来てよかったな」
「はいっ!」
元気のよいミアの返事に、偏也はくすりと微笑むのだった。
◆ ◆ ◆
「ふにゃあ、外でると暑いですねぇ」
喫茶店からの帰り道、ミアは日本の夏の蒸し暑さにぐでんとベロを出した。
垂れ下がる尻尾を眺めつつ、偏也が呆れたように口を開く。
「おいおい、大丈夫じゃなかったのか」
「さっきまで涼しかったですからぁ。日陰が恋しいですぅ」
とぼとぼと歩いているミアを見て、しかしこれはこれで猫らしいかと偏也は思った。放っておくと道端の木陰で丸くなってそうだ。
「というか、暑すぎません? 竈の上にいるみたいですよぉ」
パタパタと耳を扇ぐミアの言葉に、偏也も袖を更に捲った。
確かに、日本の夏は向こうの世界と比べると随分と暑い。亜熱帯の気候もあるだろうが、ジリジリと焼くような暑さはどうも足下が原因のようだ。
「コンクリートジャングルとはよくいったものだ。便利だが、一長一短だな」
なにせ、素足では歩けないくらいにアスファルトが加熱されているのだ。そりゃあ、その上を歩いていたら暑いだろう。
異世界人のミアにとっては耐え難いようで、ミアは手提げバックから例のペットボトルを取り出した。
温くなった水を、んぐんぐと飲み干していく。
「……本当に水筒にしてるんだね」
「にゃへ? そりゃそうですよ、せっかくこっちの初任給で買いましたから!」
ふんすと、鼻を膨らませながら水筒を見せつけてくる。けれど、偏也から見れば水道水をペットボトルに入れているお婆ちゃんとそう変わりない。
(まぁ、本人が喜んでるならいっか)
そう思うが、今現在の気温を考え偏也は空を見上げる。生水をペットボトルで持ち運ぶには危ない季節だ。
元気を取り戻したミアが手を振りだすのを横目で見ながら、偏也は流れる汗を拭う。ハンカチを取り出している偏也を見上げて、ミアがにぱりと笑顔を作った。
「また行きたいですっ!」
よほど嬉しかったのだろう。ミアがおねだりするのは珍しい。
一瞬、偏也の動きが止まり、くすりともう一度笑みを浮かべた。
「早めに行かねばならんな」
なにせあの爺様だ。来年生きているかも怪しい。
それでも、元気なひ孫もついている。
今度のケーキは、案外と忘れがたくなりそうだ。
どこか懐かしい気持ちになりながら、偏也は曲がり角に差し掛かる。ここを曲がれば、自宅までは一直線だ。
しかし、曲がらずに直進した偏也の背中を、あれっとミアが追いかける。異世界でも、これくらいの距離ならば道を間違うはずもない。
「このまま、スーパーに寄って帰ろうか」
振り向いた偏也の提案に、ミアは当然のように首を傾げるのだった。




