第16話 紅茶とケーキと子猫の夢と(1)
「どうでしょうか?」
緊張したミアの声が部屋にこぼれ、偏也はふむとフォークを置いた。
口を拭き、背筋を伸ばすミアへと顔を向ける。
「美味しいよ。よくできてると思う」
その一言に、ミアはホッと胸を撫で下ろした。しかし、偏也の前の皿へと悔しそうな視線を送る。
そこには、少し端の崩れた挽き肉の塊が存在した。
「なんか、頑張ってみたんですけど。ミンチのお肉が上手にできなくて」
「わざわざ包丁で叩いたんだろう? 十分だよ」
偏也の賛辞にも、ミアは納得いってないように眉を寄せた。
ファミレスで食べたチーズハンバーグに感動したミアの要望で、次の日の昼食はミアの手作りハンバーグとなっていた。
多少硬めでパサパサするが、その理由は挽き肉に使用した肉の種類だろう。ヌーアという、牛によく似たこちらの世界の家畜だ。
つまり、地球でいうところの牛肉100%なミンチ肉のハンバーグということになる。
「これはこれで美味いけどなぁ」
粘りが足りなかったのか、やけにボロボロとこぼれる。そういえば、つなぎも入っていない。
だが、味は悪くないと、もうひと欠片を口に入れた。香辛料が利いていて、少々感じる肉の癖も面白い感じだ。エスニックな風を感じる。
「いえ、これではハンバアグは名乗れません。もっとこう、じゅわあって感じでした」
しかし、ミアにとっては不満が残る出来だったようだ。今度ハンバーグの詳しい作り方を調べておこうと、偏也は悔しそうに拳を握るミアを見やる。
ここまでやる気になっているのだ。雇い主としては従業員の自主性を尊重したい。
「そういえば、甘いものを奢ると言って、結局食べられなかったね」
偏也は八分目になった腹をさすりながら、昨晩のミアを思い出した。
言われ、ミアが恥ずかしそうに身をよじる。
「うにゃあ、忘れてください。ハンバアグおいしかったですし大丈夫ですぅ」
食い意地が張っているところを見せてしまったと、ミアは羞恥で耳を隠す。前に回された尻尾を見ながら、偏也はふむと腕を組んだ。
デザートを忘れていたのは偏也のミスだ。ここは主人として約束は果たさねばならないだろう。
「……よし、行くぞミアくん」
少し考えて、偏也はすくりと立ち上がった。
出かける準備を始める偏也を見て、ミアが慌てて口を開く。
「で、出かけるって、どこにですかっ?」
相変わらず急な人だと思いながら、ミアはメイド服のエプロンをわたわたと外していく。それを見て、偏也は当然のように言い放った。
「ケーキ屋だ」
甘いといっても色々とあるが、初めてならばこれだろう。
◆ ◆ ◆
「ちょうど近所にケーキの美味い喫茶店があるんだ。レトロな感じだが、紅茶も美味しくてね」
「ケェーキ屋さん……ですか?」
鏡を越え、偏也とミアはアスファルトの歩道を歩いていた。
ジリジリと照りつける太陽が高く昇り、こちらは夏真っ盛りである。
メイド服で歩くミアを見て、偏也は顎に指を置いた。
「そういえばミアくん、暑くないかね? それ冬服だろう?」
「ふにゃ? んー、まあ暑いですけど。ちゃんとした服これくらいしかないですし」
言いながら、ミアは両手の腕を水平に伸ばす。袖は手首まできっちり覆っていた。
ミアも向こうの世界で普段着は勿論持っているが、簡易的な麻布の服である。パッと見で、こちらで浮いてしまうだろうことはミアにも予想できた。
「今度、君の服を買いに行こうか。いつもメイド服ってわけにもいかないだろう?」
「そうなんですか? 私は別に大丈夫ですけど」
偏也の提案に、ミアはきょとんと返事をした。その表情で、偏也はミアの勘違いを理解する。
ミアにとっては、メイド服はきちんとした正装だ。エプロンを外せば公式な場にも出れるし、街を歩いていても問題はない。
しかし、今いるここは地球の日本だ。
さきほどから、すれ違う人がチラチラとミアに驚いているのを感じて、偏也は困ったように頬を掻いた。
ミアの見た目ならば耳や尻尾もコスプレで通るだろうが、それにしてもメイド服とセットは目立つ。
なんにせよ、夏服は買ってあげようと偏也は心の中にメモをした。
「そういえばヘンヤさん、ケェーキってなんですか?」
トコトコ後ろをついてきながら首を傾げるミアに、偏也はくすりと笑みを浮かべた。
向こうの世界のお菓子といえば簡単なものだ。焼き菓子はあるにはあるが、甘くもないクッキーもどきでも高級品。まぁ、ナッツの粉で焼いたそれは美味しいといえば美味しいのだが、甘味と呼ぶには不適切だろう。
「食べれば分かるよ」
ひとこと呟いて、偏也は夏の日差しの中を前に進んだ。
◆ ◆ ◆
「ふわぁあ、やっぱりクーラーは涼しいですぅ」
「そうだな。思ったより暑かった」
喫茶店の扉を開くと冷たい風が流れ込んできた。
文明に感謝しつつ、偏也とミアは店の中へと入っていく。
「ふにゃ?」
ベルが鳴る中、ミアは踏み入れた店内を驚いたように見回した。
「どうした?」
「あ、いえ」
ミアの反応に偏也が問いかけるが、そこで奥から元気の良い声がきこえてくる。
見れば、メイド服を着た店員がこちらに向かって駆け寄ってきていた。
「いらっしゃいませー! お二人ですか?」
店員の女の子の服装に偏也は面食らった。以前はメイドなんていなかったがと店の奥を見れば、マスターの爺様は相変わらずだ。
とりあえず席に案内されながら、偏也はしきりにミアを気にしている女の子を見つめた。
メイド服は、ミアと同じで古き良き感じだ。チャラチャラと短くないのはいいことだが、それでもなんとなく気恥ずかしい。
テーブルに付いた偏也とミアを、メイドさんは興味深げに見比べた。
「えっと……同業者の方、ですかね?」
「にゃあ、こっちでメイドさん初めて見ましたぁ」
メニューを偏也に手渡しながら、黒髪のメイドはネコ耳のメイドに視線を向ける。
メイド服に顔を綻ばせたミアの耳と尻尾を、女の子は交互にちら見する。
「ヘンヤさん、メイドさんですよ。やっぱりこっちにもいるんですねぇ」
「君と違ってウェイトレスだけどね。あ、ケーキってなにがあるかな?」
「えっ!? 本物のメイドさんですかっ!?」
偏也の言葉にギョッと女の子が目を見開く。マジマジと見つめられ、ミアが照れたように耳を掻いた。
その様子に、女の子も感心したようにへぇと頷く。
「はぁ、いるんですねぇ本物。……てことは、お兄さんお金持ち? ケーキ全種いっとく?」
「いや、そんなには。って、随分フランクだね君」
勝手に全種類を制覇させられそうになり、偏也は思わず苦笑する。
なんとなく愛嬌があって、嫌いになれない子だ。最近の子はこんな感じなのだろうか。
「昔通ってたんだが、メイド喫茶だったっけ?」
「あー、常連さんでしたか。いやぁ、あたしが自分で着てるだけですよ。爺ちゃんも歳なんで、お小遣い稼ぎと手伝いも兼ねて」
言いながら、ちょいちょいと女の子は奥のマスターを親指で示した。ぷるぷると小刻みに震えている爺様は、確かに手伝いが必要そうだ。
「てことは、お孫さん?」
年齢的には不思議ではない。偏也が質問すると、しかし女の子は首を振った。
「いえいえ、ひ孫です。ピチピチの女子高生ですよ。なんと時給は1500円」
「高っ」
孫には甘いが、曾孫にはもっと甘いということか。店の経営が気になるところだが、可愛い曾孫と一緒に働けるのなら高くはないのかもしれない。
過ぎた時間に思いを馳せながら、偏也はメニューをふんふんと見つめているミアに視線を戻した。
文字は読めないが、写真がいくらか存在する。ケーキのページで止まっているミアの指を見て、偏也は女の子に問いかけた。
「あのページのケーキって全部ある?」
「大丈夫ですよ、って……え? 本当に全種いっちゃいます?」
女子高生の言葉に、そんなわけないだろうと偏也は笑うしかない。ミアにどれでもいいぞと話しかけ、言われたミアが真剣な表情でメニューを睨む。
「にゃむぅ。……この白くて赤いのにしますっ!」
ひとしきり睨んだ後、ミアがペシペシとメニューを叩いた。それを見て、偏也もほうと目を細める。
「ショートケーキか。いいんじゃないか」
初めて食べるケーキとしてはナイスなチョイスだ。偏也も、人生で初めて食べたケーキはショートケーキだったような気がすると記憶を探る。
スフレチーズだった気もするがとメニューを見ながら、偏也も一枚の写真を指さした。
「僕はこのニューヨークチーズケーキで。二つともホットの紅茶つけてくれる?」
「わかりましたー。少々お待ちください」
伝票に注文を書き取って、女子高生はくるりと背を向ける。ふわりと広がるメイド服は素晴らしいが、本人が全然メイドっぽくない。
「爺ちゃん爺ちゃん、ちゅーもーん! 紅茶ふたつねー!」
間延びした声で奥へと歩いていくメイドの後ろ姿を見ながら、偏也は鼻から息を吐いた。
文明は進んだようだが、メイドの立ち振る舞いは向こうの世界が数段上だ。優秀な自分のメイドを誇らしく思いつつ、偏也はミアに笑いかけた。
「こっちのメイドはダメだな」
「そうですか? 友達のサラちゃんはもっと酷いですよ」
観葉植物を楽しそうに眺めながら、ミアが偏也へ小首を傾げる。
そんな彼女のひとことに、偏也は思わず目を見開くのだった。
「いや、君でよかったよ。ほんと」
これにはミアも、笑うしかない。




