第15話 異世界チーズハンバーグ(3)
「ふおおおおおおお」
目の前に置かれた光景に、ミアは抗うこともできずに声を出した。
「す、凄いですううううう」
ミアの目の前には、注文したチーズハンバーグ。それに、偏也が追加してあげたAセットのスープとパンとサラダが並んでいた。
じゅうじゅうと音を立てるハンバーグを横に、運んできたウェイターがミアに訊ねる。
「ソースをおかけしてもよろしいですか?」
「にゃ? あ、はいっ!」
偏也が反応するよりも早く、ミアが力強く頷いていた。デミグラスが苦手だったときを考慮して、別皿のままにしてもらうつもりだったが、この際仕方がない。
鉄板の周りに紙の囲いを置いてから、ウェイターはソースをハンバーグに回し掛けた。
とたん、弾け出すデミグラス。じゅうじゅうどころではない。じゅばあああ!とでもいうかのような音がミアの目の前で奏でられた。
「ふおおおおおおおお!」
「ごっゆくりお召し上がりくださいー」
マニュアル厳守の店員が去った後も、ミアは輝いた瞳でハンバーグを見つめ続ける。ナイフとフォークを握りしめて臨戦態勢だ。
その間もじゅばじゅばとソースは加熱され、ぷくりとマグマのように噴き上がる。
同時、香ばしい匂いも漂ってきて、対面で見ていた偏也も腹を鳴らした。
「いいんですかっ!? これ食べていいんですかっ!?」
目を輝かせながら訊ねてくるミアに、偏也も思わず苦笑してしまう。
しかし、喜ばれるのはいいことだ。勿論だと偏也が頷くと、ミアはちらちらと偏也の手元を見つめた。
「せっかくだから熱いうちに食べなさい。僕はいいから」
「そ、そうですか? にゃう……それじゃあ」
どうも主人である偏也よりも早く手をつけることが気になったようだ。真面目なメイドに微笑みつつ、偏也はナイフとフォークを手渡した。
受け取ったミアが、ごくりと唾を飲み込んでハンバーグを見下ろす。
偏也から見てもよくできたハンバーグだ。バツ印のチーズが、子供っぽいながらも美味しそうで、これは大人も頼んでしまう。
ゆっくりと、慎重な手つきでナイフが入れられた。
瞬間、あふれ出る肉汁。月並みな表現だが、やはり見ると美味そうである。
「にゃわわっ! ふわあ」
湯気が立ち上るハンバーグの切り口を見て、ミアは幸せそうに口を開けた。
ぴこぴこと耳が動き、尻尾もぶんぶんと左右に揺れる。
意を決したように、ミアは切り分けたハンバーグの欠片を口へと運んだ。
思い切って一口で頬張り、そしてミアの顔が優しく緩む。
「にゃ、あふぅ」
じゅわりと、ミアの口の中にハンバーグが広がった。
肉汁だけではない。人生で初めてのハンバーグだ。
肉だがミアの食べてきた肉ではない。
広がる肉汁。そしてそれ以上に口の中で溶けるハンバーグ。それらをチーズが包み込む。
初めての『ハンバーグ』が広がったのだ。
「お、おいひぃでふ」
噛みしめ、ミアはその味を魂に刻み込む。
こんな美味しいものは初めて食べた。デミグラスソースも、特に苦手には思わない。
ハンバーグにしっかりと付けられた下味。胡椒の風味も、庶民のミアには珍しく感じる。臭みのない大手チェーンのハンバーグは、異世界のネコ耳娘を虜にした。
「ヘンヤひゃん、おいひぃでふぅ」
「そ、そうか。よかったな」
泣き出しそうな様子のミアを見て、偏也も面食らってしまった。
言っても、向こうにだって美味しい食事はあるのだ。ハンバーグはないがステーキは勿論あるし、なんならミートパイなんかもある。
けれど、ミアにとってはファミレスのチーズハンバーグは衝撃的だったようだ。ふるふると震えながら、次のひと欠片を口へと運ぶ。
(ほんとに泣いてる……)
感激のあまり目を細めて泣きだしたミアに、偏也は小さく息を吐いた。
ともかく、デートは成功らしい。
「おいしいですぅ。にゃぅうう」
よよよと泣きながら、ミアはAセットのパンを摘んだ。あまりハンバーグを食べ過ぎるとすぐになくなってしまう。とりあえずパンで小休止しようと、指で千切って口に入れる。
「パンもおいしいですぅうう」
「そ、そうか。よかった」
もちもちとしたフォカッチャを、なんですかこれはと半ば怒って食べながら、ミアは幸せな時間を堪能するのだった。
◆ ◆ ◆
「案外と美味しかったね」
「にゃふぅ、最高でしたぁ」
帰り道、偏也は幸せそうにお腹を撫でるミアを見やった。
シートベルトにはもう慣れたようで、目を細めて先ほどのハンバーグに思いを馳せている。
事実、ファミレスの食事も侮れないものだ。偏也が頼んだ夏野菜の冷製パスタも中々だった。
専門店には及ばないかもしれないが、それでも値段を考えれば十分美味い。
「喜んでくれたならよかったよ」
「うぅ、おいしかったですぅ。私にはもはや、あのパンとスープだけでもご馳走ですぅ」
げふと、小さくミアは口から漏らした。ハッと口を押さえ、恥ずかしそうに赤面する。
ハンバーグを食べた後、スープがお代わりできると知ったミアは結局4杯ほどスープバーへと足を運んだ。
胡椒が利いた簡単な日替わりのコンソメスープだが、ミアにとっては目を見開くほどの品物だったのだ。
「ははは、お腹たぷたぷじゃないのか?」
「はうぅう、恥ずかしいですぅ」
それだけじゃなく、ミアは氷水も2杯ほどお代わりしていた。現に割と喉まで来ているのだが、それを偏也に言うのは恥ずかしい。
恥ずかしそうにネコ耳を押さえているミアを愉快そうに横目で見て、偏也はくすりと笑みを浮かべた。
しかし、その笑みがちらりと止まる。
なぜだろうか、ミアの表情が曇っていたからだ。先ほどまでの笑顔が消え、考えるようにドアに顔を置いている。
「どうした? 食べ過ぎてお腹痛くなったかい?」
「ち、違いますよっ!」
慌てて赤面を取り戻すミアにほっとしつつも、偏也は助手席に先を促した。ミアも、少し考えてメイド服の裾を握る。
「いえ、ちょっと考えちゃいまして」
「考える?」
どういうことだろうと偏也はミアの横顔に目をやった。寂しそうな、複雑そうな表情。
異世界の少女は、後方へと飛んでいく街灯の光をじっと見つめる。
「この世界って、凄いじゃないですか。美味しいものもたくさんあって、家事だって機械がやってくれて。……私って、本当に偏也さんに必要なのかなって」
偏也はミアの料理が好きだと言うが、ミアには自分の料理が先ほどのハンバーグよりも価値のあるものだとはどうしても思えない。
家事にしたってそうだ。偏也から貰った洗剤は、いとも簡単に汚れを落とす。
「私である必要なんて……ないんじゃないかって」
ミアの言葉を、偏也はハンドルを握りながら聞いていた。
そして、少しだけ頬を掻いて口を開く。
「その人でなければならない仕事なんて、この世には存在しないよ」
小さな呟きに、ミアは偏也へ目を向けた。
ミアがなにかを言う前に、偏也は言葉を続けていく。
「僕だってそうさ。僕が会社を抜けたところで、今も会社は回ってる。究極的に言えば、僕が死んでも世界は回る」
「そ、それは」
言わんとしていることは分かるが、なんとも寂しい言葉だ。ミアは、残念そうに下を向いた。そんなミアに、偏也は大事な言葉を届ける。
「だからこそ、大切なのは人の気持ちだ」
ミアの身体が止まり、そしてゆっくりと顔が上がった。
「僕の世話を君以外ができるかって? できるだろうさ。こちらと向こう、二つの世界を見渡せば、それこそ巨万といるはずだ。中には、君よりも遙かに上手くこなす者だっているだろう」
それは真実だ。ミアだって、別に向こうで達人と呼ばれているわけでもない。
どこにでもいる。ただこの世界には一人もいない。そんなネコ耳の女の子だ。
「だけどね、僕はミアくんでよかったと思っているよ。君は実に真面目で、誠実で、そして愉快だ。……君を雇ったことに、一点の曇りも後悔もない」
「ヘンヤさん……」
代わりなどいくらでもいる。それは、世界中の仕事の真理だ。
だが、仕事は心の信頼が繋ぐもの。だからこそ、人は人に金を払う。
誰でもできるのかもしれない。けれど、誰でもいいわけじゃない。
「これからもよろしく頼む」
告げられた偏也の願いに、ミアは大きく頷くのだった。
「――あっ!」
そして数秒後、ミアが取り返しのつかないことを思い出したと目を見開いた。
ミアの声に、偏也のハンドルを握る手が強くなる。
「ど、どうした?」
この世の終わりのような顔をして、ミアは半泣きで震える声を絞り出すのだった。
「甘いもの、頼むの忘れてましたぁ」




