第12話 メイドとマンゴーと昔話と(3)
「で、どーなのよ仕事のほうは?」
「にゃ?」
もぐもぐとサンドイッチを頬張りながら、ミアは首を傾げた。
呆れたような視線がミアに突き刺さり、視線の主はため息を吐く。
「仕事よ仕事。新しい旦那様はどーだって聞いてんのよ」
「ああ、そういうことですか。んー、ちょっと変わってますけど優しくていい人ですよ」
偏屈そうな主人を思い浮かべ、ミアはにこりと笑みを浮かべた。それを聞き、対面の人物は椅子の背に気だるそうな顎を乗せる。
金髪に、剃られた眉、ドラゴンの角。ところどころ見える額の鱗は、カラフルに一枚ずつ彩色されていた。背もたれを前にしているのは、大きな尻尾が邪魔になるからだ。
「くっそー、いいなぁ。あたしんとこなんて面倒な親父でさぁ。メイド長も真面目だし、サボってんとすぐ怒鳴りにくんのよ」
「にゃはは。それはサラさんが悪い気が……」
相変わらず自由人な元同僚を見て、ミアはけれど安心したと声に出す。
お互いに、前の旦那様には随分と甘やかされたものだ。
大股に足を開いているサラを見つめつつ、ミアは自分の境遇を考えた。
最初は戸惑ったが、偏也の屋敷での仕事はこれ以上はない待遇だ。部屋に姿見があることを自慢すると、サラは羨ましそうに鱗の生えた尻尾を振り回した。
「いいなぁ、あたしなんて4人部屋だぜぇ。夜中抜け出すと怒られんしよー」
「いや、それもサラさんが悪い気が……」
茶色いはずの竜の角だが、サラの左の角は真っピンクだ。恐らく、これでも普通よりは随分と規則の緩い屋敷を紹介してもらっているのだろう。
それはサラも分かっているのか、不服そうにしながらも口に咥えた葉巻をぴこぴこと動かす。
「またそんなもの吸ってぇ。不良なんですから」
「いやいや、万能薬らしいぜ。まぁこれと酒のために働いてるようなもんだし」
煙を吐き出しながら、サラはのんびりとしたミアを眺める。相変わらずのほほんとしている友人に、サラは注意するように口を開いた。
「ミアも今年で十七だろ? 男作るなら今のうちだぜー。じゃないと、うちのメイド長みたいに行き遅れちまうぞ」
「うにゃあ、恋人ですかぁ。考えたことないですねぇ」
この世界の結婚適齢期は十代だ。ただ、最近は二〇代で結婚も珍しくないと聞くし、ミアもぼんやりとしか考えてない。
そもそも田舎から出てきた身だ。偏也と違い両親は健在だが、嫁入りのための持参金があるわけでもない。どうしましょうかねぇとミアは安穏と目を細めた。
「私は都会に出てこれただけで満足してますし」
「あー、ダメダメ! それはまずいぜミア! その考えは止めた方がいい!」
サラの忠告にミアはそうですかねぇと耳を澄ます。そんなことを言われても、住み込みの生活だ。たまの休みもこうして同性と過ごしているのだからどうしようもない。
「そうだ! お前って旦那様と二人暮らしなんだろ!? どうだよ? 一発仕込めば玉の輿だぜ!? こんなチャンス滅多にねぇぞ!」
「仕込めばって……もう」
友人の提案にミアは呆れ果ててしまう。確かに偏也は独身で不倫にはならないが、メイドと主人だ。主人に手を出したなんて噂が流れれば、次の就職先は絶望的である。
火遊びは、所詮は恋愛小説のなかだけのお話だ。
「ヘンヤさんは……そういうのは、うーん」
それに、ミアの主人はあの偏也である。女性に興味があるのかすら怪しい旦那様の顔を思いだし、ミアは思わず苦笑した。
そういう関係にはなりようがないとサラに言って、そういえばとミアは鞄に右手を突っ込んだ。
「そうだ。これ見てくださいよ。お給料で買ったんですけど」
取り出されたペットボトルにサラの目が輝き、ミアが得意げに胸を張る。今は井戸水を入れているが、ラベルは確かにメロンソーダだ。
透明な水筒をまじまじと見つめるサラに気分を良くしつつ、ミアは久しぶりの休みを堪能する。
乙女は話に華を咲かせながら、しばし仕事のことを忘れるのだった。
◆ ◆ ◆
「な、なんですかこの匂いは……ッ!?」
久しぶりの友人との語らいに満足して帰ってきたミアは、屋敷に帰るなりクンクンと鼻を鳴らした。
「こ、これはいったい……」
焦げ臭い。火事かと思ったミアは匂いの元へと全速力で駆け出した。
漂ってきている場所はキッチンだ。ミアはキッチンに飛び込むと、目の前に広がった光景に目を見開いた。
せっかく綺麗にしたはずのキッチンには皿や調味料が散乱し、もはやちょっとした猟奇事件現場のようだった。
台所は粉まみれ。なぜか包丁がまな板に刺さっており、その上には乱雑に切られた野菜が転がっている。
そして、キッチンにはもう一人。
「ああ、おかえりミアくん。どうだったかね? たまの休日は」
愕然と惨状を見回しているミアに、呑気な声がかけられた。ひょっこりと振り向いた偏也に向かい、ミアは震える指で台所を指さす。
「あ、あのヘンヤさん……なにがあって……」
「ん? ああ、今日は僕が夕食を作ろうかと思ったんだがね。ミアくんは休みなんだし、働かせるのもあれだろう」
そう言いながら、偏也は困ったように腕を組んでいた。あまり見たことのない表情だが、偏也の視線は彼の目の前の鍋に注がれている。
ミアの嗅覚は見た瞬間に理解した。この焦げた匂いは、あの鍋が元凶である。
「うーむ、カレーを作ってあげるつもりだったんだが。案外と難しいものだね。ちょっと目を放したらこれだ」
ガシガシと鍋の中をツツき、菜箸に付着した焦げの塊を偏也は眉を寄せて見つめた。
断言できるが「ちょっと」ではない。カレーがなにかは知らないが、火事にならなくてよかったとミアは胸をなで下ろした。
「も、もう! ヘンヤさんはご飯とかいいですからっ! 火事にでもなったらどうするつもりだったんですか!?」
「むぅ、無性に竈が使いたくなったんだが。いやはや。すまないね」
謝る偏也の表情はにこやかだ。本人からすれば、気まぐれに料理でも作ってみようと思い立ったのだろう。
メイドにとっては偉い迷惑な話ではあるが、何事もなかったわけだしこれ以上の追求は止めておこうとミアは愛想笑いを浮かべた。
前の主人もそうだったが、本当たまに男は気まぐれに家事をやろうと思い立つのだ。そして大抵はろくなことにならない。
休日に増えた仕事を眺めつつ、ミアは軽い笑いを響かせた。
「しかし、弱ったな。夕飯は僕が作るつもりだったから、材料も全て使ってしまった」
「あ、でしたら買いに行きましょうか?」
キッチンの掃除も大事だが、優先すべきは雇い主の腹事情だ。向こうの世界のキッチンを使えば、夕食の準備自体は材料があれば出来る。
けれどミアの返事に、偏也は毅然と言い放った。
「だめだ、今日はミアくんは休日なのだから。働かせるわけにはいかない」
偏也にそう言われ、ミアがぽかんと口を開ける。
休日だなんだと言っても、住み込みのメイドと主人だ。偏也の言っていることが理解できず、ミアは小首を傾げてしまう。
しかし、現実として腹は減る。少し考えて、偏也はミアに振り返った。
「そうだミアくん、どうかな? 僕とデートでも」
妙案だと指を立てた偏也の声に、ミアは耳と尻尾を立てるのだった。




