第11話 メイドとマンゴーと昔話と(2)
「お、美味しいでふぅ」
数秒後、今度は感動のあまり震えているミアがいた。偏也も思わずくすりと笑う。
「そんなにか?」
「甘いですぅ。こんなに甘い飲み物初めてですぅ」
ずぞぞぞっと飲み干してしまいそうな勢いのミアに頬を緩めながら、なるほどと頷く。
向こうの世界で砂糖は高級品だ。代用となれば蜂蜜だが、それだって庶民が買うには値が張る代物。
もともとあまり食べないので気にしていなかったが、たしかに向こうでスイーツなど見たことはない。あって甘いフルーツくらいか。
貴族の家でこれみよがしに砂糖が振る舞われるくらいだが、そんな世界の少女からすればこのドリンクは感動だろう。
そんなことを考え、偏也はストローを啜るミアに口を開いた。
「……甘いものを飲んだらコーヒーが飲みたくなったな。交換しないかい?」
「えっ!? いいんですかっ!?」
驚くミアに微笑んで、偏也はコーヒーのカップに手を伸ばす。
嬉しそうなミアの表情をあてに飲んでみれば、チェーンにしてはなかなかな味のコーヒーだった。
「そういえば、ヘンヤさんってお一人で住んでるんですね。ご両親は実家ですか?」
間が空いたからだろう。世間話を振ってきたミアの質問に偏也の手が止まる。一度カップに口を付けて、偏也はなんの気ないように切り出した。
「親は……数年前に亡くなってね。事故だったよ」
「へっ」
ミアの目が見開かれ、しまったと顔が固まる。それを優しく笑顔で制しながら、偏也は構わないと言葉を続けた。
「気にしないでくれたまえ。いっときは忙しかったがね、今は落ち着いている。喉元過ぎればという奴だよ」
「そ、そうですか。すみません」
窺うようなミアの上目遣いに偏也も苦笑してしまう。両親のことを話すと皆こんな感じだ。これは異世界も変わらないらしい。
だが、なにも持たない子供の親が死んだわけではないのだ。自分は既に成人を何年も過ぎ、両親は立派に親の義務を果たして亡くなった。
後悔がなかったと言えば嘘にはなるがと、偏也はゆっくりとカップを持ち上げる。
「僕の実家は田舎でね」
「ふぇ?」
突然切り出された話にミアが困惑の声を上げた。しかし、ここは黙って聞くべきだろうとミアはグラスをぐっと握る。
そんなミアを見ているのかいないのか、偏也は遠い目をして昔を思い出していた。
「田舎も田舎。田舎の土地の、更に僻地の離れ島さ」
「島、ですか?」
意外だとミアは偏也を見つめた。異世界にも勿論、離島に住んでいる人たちは存在する。しかしなんというか、ミアから見れば偏也は都会人の代表のような人物だ。
「少し失礼な話になるが……向こうの世界よりも、なにもなかったよ。仕事も、夢も、同年代の女の子もいやしない」
話す偏也の表情は言葉とは裏腹に優しいもので、ミアはじっと耳を澄ませた。
コーヒーを口に含み、偏也は懐かしそうに故郷を語る。
「こんな喫茶店も勿論なくてね。それどころか学校も。嫌になって、親と喧嘩するように飛び出したんだ」
「ヘンヤさんがですか?」
恥ずかしそうに下がる偏也の眉に、ミアは驚いて目を向けた。ちょっと想像できない。けれど、誰にでも思春期はあるものだ。
「とにかく都会で成功したくてね。方言も必死に治した。……気がつけば、新進気鋭の若手社長だ」
「す、すごいですね」
さらっと言ったが、素直に凄い。田舎から上京した少年の、かなり端折ったサクセスストーリーをミアは感心したように聞いていた。
しかし、疑問が出てくる。ならばなぜ、偏也はあの屋敷にいるのだろうと。
その疑問に答えるように、偏也は声のトーンを少し下げた。
「事業も波に乗り、これからというところだった。そんなとき、両親が亡くなってね。……正直、そのときは煩わしく思ってしまったんだ」
素直な本音。けれどそれは間違いだったと偏也は続ける。
「葬式が終わり、喪主としても一息ついたときかな。もう親には会えないんだという事実が、ようやく胸に落ちてね。……泣くというよりは、呆れてしまった。今までなにをしていたんだとね」
思えば、最後のほうは両親とは喧嘩しかしていない。
「残ったものは、金だ。別に悪いもんじゃない。ただ、やる気がふっと消えてね。気づけば、親友に会社を任せて故郷の島で暮らしていた」
今でも会社は成長を止めず、偏也の口座にはなぜか金が振り込まれ続けている。どんな名目かすら偏也は知らない。
一度断ったが、親友に「お前の会社だ」と突っぱねられた。
「そんなとき、実家の納屋で見つけたのが例の鏡だ。家宝なんて感じじゃない。ほんとに無造作に置かれていたよ」
そこから先は分かりやすい話だ。異世界に行った偏也は、そこで第二の人生を始めるのも悪くないと思ってしまった。
見るもの全てが新鮮で、少し遅れた文明度。故郷の島よりは都会な辺りが、偏也の琴線を揺らした。
「それから、私たちの世界に?」
「ああ、とりあえず言葉は不思議となんとかなったからね。手始めに文字を覚えた。安い部屋を借りて、日銭を稼ぐ日々だ。楽しかったし、死ぬことはない。こちらに戻れば食うには困らないしね」
そして、ここからは笑い話だ。偏也は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「気づけば、屋敷が建っていた。魔法使いだの言われて、金庫には金の延べ棒が並んでいたというわけさ」
「……凄すぎますよ」
ここまで聞けばミアも呆れるしかない。庶民のミアからすれば何が不満か分からない話だ。そりゃあ両親のことは残念だろうが、事故ならば仕方がない。
こちらでも向こうでも成功して、なんで偏也はこんなにも偏屈な顔をしているんだろうと、ミアは偏也を新種の生き物のように見つめる。
「そんなことはない。……結局、金儲けしか取り柄がなかったということだ」
異世界人だとか、関係ない。どこか歪な人だとミアは思った。
随分と遠回りをしている。しかも、せっかくたどり着いたゴールを逆走しているような。
ただ答えは簡単なような気がして、ミアはぽつりと言葉を落とした。
「要は、ヘンヤさんはお金以外の幸せが欲しいんですね」
それは、これ以上ない単純な理解。
偏也の身体が固まり、ミアに視線を向ける。
見ていれば分かる。完璧な人ではない。片づけが出来ないのも、注意してくれる人がいなかったからだ。きっと、子供の頃は甘やかされていたのだろう。
親の愛を知らない人ではない。友人にも恵まれている。
ただ、随分と偏屈に育ってしまったものだから。
「私でよければ、一緒に探してあげますよ」
誰かが手を貸してあげなければと、ミアは青年に微笑んだ。
◆ ◆ ◆
しばしのときが流れた。数秒だっただろうか。
ネコ耳と尻尾に目を向けて、偏也はきょとんとミアを見つめた。
「……それは、求婚かね?」
「へぅ!?」
偏也の問いかけにミアの顔が真っ赤に染まる。
つい言葉が出てきてしまったが、確かに今のは誤解されても仕方がない。
「気持ちは嬉しいが、なにぶん出会って日も浅いことだし。歳も……」
「にゃあああああっ!! ち、違いますっ!! 誤解ですぅううっ!!」
真剣に言葉を選び出した偏也に、ミアが慌てて両手を振り回す。
メイドと主人。気づけば、カップの中身は消えていた。




