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第10話 メイドとマンゴーと昔話と(1)

「さて……暇だな」


 冬にしては暖かな日差しを窓から受けながら、偏也はゆっくりと伸びをした。

 溜めていた仕事も終わり、腕時計を見ればまだ午後の2時だ。


 おやつの時間が近いとも言える。


「喫茶店にでも行くか」


 暖かいといっても、冬にしてはだ。やはり肌寒く、けれど偏也にはそれを簡単に解決する手段が存在する。

 この間ミアを自販機に連れて行ったのが3日前。久しぶりに日本でコーヒーでも飲むのも悪くない。


 そう思い、偏也はおもむろに立ち上がった。大人にはボヘっと過ごす時間も必要なのだ。


「あ、偏也さん。向こうに行くんですか?」


 廊下に出て、鏡のある部屋のドアノブに手をかけたそのとき、もはや聞き慣れた声が偏也の耳に届いた。

 振り向けば、ハタキを片手に持ったミアがキラキラとした瞳でこちらを見つめている。


「ああ、ちょっと喫茶店にでも行こうと思ってね」

「喫茶店ッ!?」


 ミアの鼻がふんふんと元気にひくついた。揺れる尻尾を見て、偏也もさすがにミアがなにを期待しているかを察した。

 偏也としても、軽い話し相手は欲しいところだ。 


「ミアくんも来るかい?」

「いいんですかっ!? あ、でもお掃除がまだ……」


 けれど、しょんぼりと肩を落とすミアの姿に、偏也はポリポリと頬を掻いた。真面目なのはいいことだが、張り切りすぎはよくない。

 そもそも、ミアの勤務は朝から晩までだ。日本の法律に照らし合わせれば、明らかに労働基準法違反だろう。


 少しくらい息抜きをしてしかるべきだと、偏也はミアに口を開いた。


「主人の外出に付いてくるのも従者の務めだ。来なさい」


 偏也の言葉に、ミアの顔が上がる。

 明るくなるミアの表情に、偏也は少し照れたように横を向くのだった。



 ◆  ◆  ◆



「にゃふふふ~、旦那様とお出かけ~」


 十数分後、偏也とミアは日本の歩道を並んで歩いていた。

 夏用のジャケットに着替えた偏也が、ご機嫌で腕を振っているミアを眺める。


 一応メイドの職務の一環ということで、ミアはメイド服のエプロンを外しただけだ。


「ご機嫌だね」


 ミアの元気に揺れる尻尾に偏也は首を傾げる。日本が嬉しいのもあるだろうが、この機嫌の良さはどうもそれだけではなさそうだ。

 偏也の声に、ミアは得意げに振り返った。


「にゃふふふん。旦那様のお出かけに付いていけるのはメイド長やチーフだけなんです」

「あー、そういう」


 ミアによれば、主人の外出に同行できるのはメイドとして格が高いものだけらしい。

 外出先での従者の振る舞いはそのまま主人の評価にもなるわけで、当然といえば当然なのだが。ミアにとっては今回のお出かけは嬉しいことだったようだ。


「やっぱり、メイドの仕事にもいろいろあるのかな?」

「そうですね。私はご飯作ったり食器洗ったり掃除したり……まぁ家事や雑用でした。チーフなんかは、食材や油なんかの出納もしてましたかね」


 ミアの返事に偏也はほぅと頷いた。偏也はミアひとりしか雇っていないが、普通はメイドや執事だけでも大所帯だ。確かに、色々と管理する人材が必要だろう。


 食費や生活費は偏也が毎日ミアに渡しているため、ミアはその中で食費や家事に必要なものを買っているだけだ。


「興味があるなら、ミアくんも出納帳を付けるかね?」

「えっ? にゃあ……面倒くさそうですぅ」


 提案にミアの顔がぐにゃりと歪む。それに愉快そうに笑って、偏也は夏の日差しを見上げた。

 肌が焦げそうな日の光だが、これも少しの辛抱である。



 ◆  ◆  ◆



「ふにゃあああっ、涼しいですうううっ」


 扉を開けた瞬間に飛び込んできた冷気に、ミアが気持ちよさそうに目を細めた。

 自宅の近所にある喫茶店。チェーン店だが店舗が広く、客もこの時間帯はあまりいない。


 期間限定品のポスターを目に留めつつ、偏也はカウンターに向かって歩を進めた。


「やっぱりクーラーは凄いですねっ! 快適ですっ!」

「そうだな。……と、それよりなに頼む?」


 ミアの興奮を程々で受け流し、偏也はメニュー票を手渡した。しかし、文字の読めないミアには何がなんだかだ。

 いくつか載っている写真を、ミアはじぃーっと見つめる。


 視線の先にはホットコーヒーが映っていた。


「なんですこの……泥水? みたいな飲み物は」

「ははは、随分だな。それはコーヒーって言ってな、まぁ嗜好品の一種だ」


 ミアの言いぐさに偏也が面白そうに頬を緩める。確かに、向こうの世界で真っ黒な飲み物なんて目にしたことがない。ミアからすれば奇妙に映るだろう。


「嗜好品……美味しいんですか?」

「ん? そうだなぁ、紅茶はあっちにもあるだろ? あれと対をなす飲み物だよ。こっちじゃ紅茶派かコーヒー派かって感じだ」

「紅茶とっ!?」


 偏也の話を聞き、ミアの目が輝いた。偏也に紅茶を煎れることは多いが、向こうでは紅茶は高級品の代名詞だ。砂糖と一緒で、貴金属並の財産と取り引きされる。


 当然、屋敷の中にある紅茶や砂糖はこっちで偏也が購入したものなのだが、ミアには知る術もない。

 滅多にない機会だと、ミアがメニューをペシペシと叩いた。


「決めましたっ! 私は『コオヒイ』にしますっ!」

「そっか……まぁ君がそう言うなら。ホットコーヒーひとつ。あ、僕はマンゴーフラッペチーノください」


 あそこまで言い張っているのだ、水を差すのも野暮だろう。期間限定のフルーツドリンクを注文しながら、偏也はふむとショーケースを眺めるのだった。



 ◆  ◆  ◆



「……大丈夫か?」


 数分後、そこにはしかめっ面で目を瞑っているミアがいた。

 なんともいえない表情だ。梅干しの様とでもいうのだろうか。コーヒーをひとくち飲んで固まってしまった。


「に、にぎゃいでふ」


 それだけ言うのが精一杯のようで、思わず偏也はぷっと噴き出す。

 コーヒーの存在すら知らなかった異世界の少女が、いきなりブラックだ。無理で当然だと偏也は笑った。


「ははは、ちょっと大人の味だったな」

「そ、そういう問題じゃないれふ」


 ぷるぷると震えるミアを眺めながら偏也はマンゴードリンクを口に運ぶ。大きめのストローを伝わって、冷たいフラッペチーノが流れ込んできた。


「お、美味いな」


 ただのマンゴーフローズンではない。ホイップクリームと、僅かにヨーグルトドリンクの様相。マンゴーラッシー的な雰囲気だ。

 強烈な甘さだが、フローズンドリンク特有の冷たさでそこまで甘ったるく感じない。


「これ一杯でカツ丼くらいはありそうだな」


 この手のドリンクのカロリーは気にしてはいけない。美味いものは総じてそんなものだと、偏也は背もたれに体重を預ける。

 そのとき、じぃっと見つめてくる視線に気がついた。


 ミアが泣き出しそうな表情で偏也を見つめてきている。ぎゅっと握られたカップの中身は全然減っていない。あまりにも悲痛な顔に、偏也はストローを口から外した。


「……ミアくんも飲むかい?」


 偏也の提案に、ミアはこくりと頷くのだった。



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