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第01話 偏屈荘の御主人さま (1)

 夕日が斜めに身体を照らす。オレンジ色の中に伸びる自分の影を見つめながら、ミアは坂道を登っていた。

 右手には、一枚の紙。それをくしゃりと広げて、ミアはもう一度住所と地図を確認する。


 奉公先の主人が亡くなったのが一月前。勤め先と住み込み先を同時に亡くしてしまったミアだが、彼女を可愛がっていた主人は病床の最中に次の奉公先を見つけてくれていた。

 身寄りのない自分には充分すぎるほどの持参金と新たな職場。旦那様と呼び親しんできたかつての主に、ミアは心の中で最大限の礼を唱える。


 旦那様の顔に泥を塗るようなことがあってはならない。その思いから、ミアはぐっと拳を握りしめた。


 今年で齢十六になるミアは、尻尾を揺らしながら荷物を背負い坂を登る。もうすぐ、目的地の住所にたどり着くはずだ。


「どんな人なのかな……。こ、怖くない人だったらいいな」


 ぽつりと、それでも口から弱音が漏れた。これから先は、一人きりだ。いつも助けてくれていた先輩もいない。

 急に不安になって、ミアはぎゅっと目を瞑った。大丈夫だと自分に言い聞かせて、一歩一歩を踏みしめる。


 坂の終わりが見える頃、目の前には一件の洋館がミアを出迎えていた。

 その大きな屋敷に、ミアはあんぐりと口を開ける。


 大きさでいうならば、前の奉公先のお屋敷といい勝負だ。旦那様の話では、このお屋敷にはメイドが居ないらしい。そんなことありえるのかと、ミアはその豪華な門をただただ眺めた。


 普通なら、五・六人のメイドは居るはずのお屋敷だ。「風変わりだが、いい人だよ」と旦那様に言われたことを思い出して、ミアはごくりと唾を飲み込む。ここで一人で働くのかと、ミアの額に汗が流れた。


「……が、頑張らないと」


 己を鼓舞するために、ぎゅっと拳を握り込む。ミアは、新たな主人になる人の話を、ゆっくりと頭の中で思い出した。


 曰く、変わり者であるらしい。曰く、天才であるらしい。

 数年前、ふらりと街にやってきて、瞬く間に一代にして財を築き上げた。


 街を見渡せば、その人の発明品が至る所に置かれている。

 目に見えないものも、神懸かり的な発想で開発する。

 彼の作り上げるものは、魔法のようだと人々は言う。



 人々は、そんな彼を「魔法使い」と呼んだ。



 ふるりと、ミアの身体が震える。そんな人の下で働くのかと、ミアは泣きそうな目で屋敷を見上げた。

 それでも、自分に取れる選択肢は他にない。ご主人様のことを信じて、ミアはこんこんと門のチャイムをノックした。


「あれ? す、すみませーんっ!!」


 結構強く叩いたつもりだが、反応がない。メイドが居ないのなら、それも仕方ないことかと、ミアは大声で屋敷に向かって声を張り上げた。

 しかし、声は小さく反響しながら屋敷の庭に吸い込まれる。


「あれ……おかしいな。今日の夕方に約束してたのに」


 慌てて手紙を確認する。しかし、やはり約束の時間に間違いはなかった。どうしようと、ミアは困ったように尻尾を垂らす。

 宿の予定もないため、このままでは今夜は野宿になってしまう。それは流石に無理だと、ミアはすがるようにもう一度声を上げた。


「すみませーんっ!! 誰か居ませんかー!?」


 けれど声は空しく響きわたり、一人きりの世界へ消えていく。ミアは、不安さで押しつぶされそうになって胸の辺りを握りしめた。


 涙が滲んだミアの背後に、砂利を踏みしめる音が聞こえる。背中から聞こえたその音に、ミアは驚いたように振り返った。


「ん? なんだね君は……って、ああ。君がミアくんか」


 いかにも偏屈そうな声。そしてその中の自分の名前に、ミアはじんわりと目頭を熱くさせる。

 黒髪に、これまた偏屈そうな表情。聞かされていた、特徴的な丸耳のエルフ。

 この人で間違いないと、ミアは深々とお辞儀をした。


「み、ミアですっ! きょ、今日から奉公させて頂きますっ! よ、よろしくお願いしますっ!!」


 緊張で堅くなっているミアをじとりと見下ろしながら、男は鍵を取り出した。

 見慣れない鍵だ。ピカピカと綺麗で、妙に形が複雑な。よく見ると、門には色とりどりのロープのようなものが何本も巻き付いていた。


 そのひとつを引っ張り、先に付けられた鍵穴に男は鍵を差し込んでいく。どうやらあれらは門の鍵のようだ。


 挨拶を無視して門の鍵を開け始める男に、ミアは恐る恐る顔を上げた。


「どうした? 話はヴォルフォンの爺様から聞いている」

「あ、はいっ」


 ガチャガチャと鍵の音が響き、男は鬱陶しそうに眉を寄せた。

 ひとつ鍵を開け、また別の鍵を手元に引っ張る。毎回こんなにいくつもの鍵を開け閉めしているのだろうか。

 それにしても噂通り、偏屈そのものな雰囲気だ。ただ、いきなり追い返されることはなさそうだと、ミアはホッと胸をなで下ろす。


「爺様には世話になってな。ちょうどメイドが欲しかったから引き受けた」

「そ、そうだったんですか。ありがとうございます」


 ミアは新たなご主人様を興味深げに見上げた。

 全くミアのことを見ていない。さして興味などないように、男は淡々と玄関の鍵を睨みつける。


 天才。魔法使い。そんな呼ばれ方をされている人物だ。変わり者で当たり前だろう。

 ミアは男の偏屈そうな表情にごくりと唾を飲み込んだ。


「あ、あの。……だ、旦那さま」

「僕は君の旦那ではない」


 何気なく話しかけようとして、びくりとミアの身体が固まった。やってしまったと鼓動を跳ねさせるミアに、男の視線がミアを捉える。


「怒ったわけじゃあない。僕は独身で、君も嫁入り前だ。言葉は選びたまえ」

「す、すみませんっ」


 表情も声も淡々としているが、有無を言わさぬ迫力がある。見た目からして、二十代後半だろうか。ミアは、確かに軽率だったとしゅんと肩を落とした。

 そんなミアを見て、男は一瞬だけ考え込む。そして、おもむろに口を開いた。


「新堂偏也だ。好きなように呼べばいい。なんなら呼び捨ててくれて構わない」

「よ、呼び捨てですかっ? い、いえしかし……」


 自分の主人のことを、呼び捨てになんか出来るはずがない。ミアは、「じゃあ、ヘンヤさんで」と恐る恐る顔を上げる。それに偏也が頷いたののを確認して、ミアは少しだけ頬を赤らめた。


「よし。入ろうか」


 がちゃりと、最後の鍵が開け放たれる。金属製の重々しい音を立てて、偏也は門を押し開いた。

 ミアも、頭を下げて屋敷への一歩目をついて行く。


(……うわぁ)


 門から入ってすぐの庭園。そこをまじまじと見つめて、ミアは心の中で声を出した。

 前を無言で進んでいく偏也に気づかれないように、ミアは汗を流しながら庭園を見渡していった。


 一言で言えば、荒れ放題だ。

 花壇も、噴水も、地面も、何もかもが雑草が生い茂るジャングルになっている。

 さっき門からちらりと覗いたときも思ったことだが、中に入ると想像以上である。虫がぶんぶんと飛び回り、どう見てもお金持ちの家には見えない。


「すまないな。荒れ放題だろう? 最初はこれでも頑張っていたのだが」

「ふにゃっ!? い、いえっ。大丈夫ですっ!」


 突然かけられた言葉に、ミアは驚いて声を裏返す。まさか心を読まれたのかと、ミアはびくびくと偏也の背中を見つめた。


「ここが、今日から君が働く家だ」


 背後のミアを無視して、偏也は玄関の扉を開け放つ。そうして、ミアを中へと招き入れた。


「……わぁっ」


 屋敷に入った瞬間、ミアの口から先程とは違う声が口から出てくる。「どうぞ」と言われ、その豪華な内装にミアはわくわくとしながら一歩中に踏み出した。


「むっ、待ちたまえっ!」

「は、はいぃっ!!」


 どうぞと言われたのにと、ミアはびくりと背筋を伸ばす。半泣きで振り返るミアに、偏也は目の前で靴を脱いだ。


「家に入るときは、靴を脱ぐんだ。いいね?」

「えっ? く、靴をですかっ?」


 偏也の命令に、ミアは慌てて靴に手をかける。聞いたこともないマナーだが、主人が脱いでいるのだ。早く脱がなければと、ミアは急いで靴を脱いで、偏也の靴の横に揃えて置いた。


「こうしておくと、家の中が汚れないだろう?」

「はぁ……まぁ、確かに」


 当然のように言う偏也に、ミアはひとまず頷いておく。掃除は自分の仕事なのだから、気にする必要もないのにとミアは偏也の後に付いて歩いた。

 もしかしたら、潔癖性なのかもしれない。時折いる面倒くさい雇い主の話を思い出して、しかし庭の惨状からミアははてと首を傾げる。


「ここがリビングだ」

「うっ」


 偏也が扉を開け放つ。その瞬間、考え事をしていたミアの思考は一つに纏まった。


(……絶対に、潔癖性じゃないっ!)


 リビングは散々な有様だった。

 ダイニングもあるだろうに、なぜか積み重ねられた汚れた皿。なぜかソファーに丸められている布団。


 それと、訳が分からないものの数々。


 その縦横無尽の散らかりように、くらりとミアの身体が揺れる。

 綺麗好きのミアには、ちょっと耐えられない光景だった。


「君が来ると分かっていたからね。ちょっと掃除したんだ」

「そっ!? ……そ、それはありがとうございます」


 コートをばさりと椅子に掛ける偏也を見ながら、ミアはひくつく頬を懸命に止める。これは仕事しがいがありそうだと、ミアは挫けそうな心に渇を入れた。

 

「君が来たから一安心だ。よろしく頼む、ミアくん」


 初めて聞く偏也の安堵の声に、あっやっぱり自分一人でやるんだと、ミアは目の前の戦場をじぃっと見つめ続けるのだった。

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