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言い過ぎてしまったという感も、なくもない。でも、透の最近の様子からして、きっと悩んでいるのだろうと思っていた。プライドの高いひとだから、それを表に出すなんてしないけど。
一生このままでいいのかな。わたし自身が常々感じている。看護婦の資格を取るべきだったかもしれない。わたしは一生、医療事務っていう仕事をしていくのか。誰にでもできるような仕事を。
だけど、透には才能がある。バンドを転々とするかれは、全てスカウトで移動をしている。つまり腕があるということなんだろうと単純に思う。わたしには音楽のことはよく分からないけど。
依子は思う。もっとちゃんと、成功する道を、満足できる道をつかんでほしい。寒いなちょっと、と呟きながら夜の公園を歩く。
突如、透の足取りが変わる。不審に思って眉を上げると、鉄面皮をはりつけたまま透は走り出した。そっちは、プールだ。
割合大きい市の公園の、一角には運動場や体育館がある。透が向かう先は、プールだ。もうとっくに閉館だよ、そう思いながら依子は従う。
ガチャガチャ、と言わせながら透は事務室と思しきドアを揺らす。開かないようだ。そりゃそうだろう。1つずつ、ドアを、窓をかれはチェックする。何をしているんだ。そう思いながら依子は遠巻きに眺める。
と、大開の窓が並ぶなか、唯一スライド式の小さな窓にチャレンジしていた徹が窓をすりぬけた。成功したようだ。依子もかけよって、続く。
透は何をしているのだろうか。この向こうはすぐにもプールだ。何を考えているんだろう。そう思う間に、バシャン、と音がした。入口をくぐると、透がプールに大の字に浸かっていた。最初は優雅に浮いて、そして徐々に沈んでいく。もう、と思いながら依子も続く。むん、と塩素の匂いが強くなる。
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何で塩素が入っていると、水の粘度が増す気がするんだろう。透は水面に浮きながらぼんやりと考える。だけど水の中は落ち着く。固形よりも、絡む依子の体よりもより密接で。だんだんに体を深くすると、まとわりつくものの密度がぐんと上がった気がする。丁寧に取り囲まれている、そんな気がする。
一旦大きく息を吸い、空気を肺に大きくためる。そして頭も水の中に沈めていく。音が、変わる。じじじと水の世界の音がする。しばらく体はそのまま放置で、浸潤されるのを待つ。汗腺という汗腺に、細かい穴という穴に、水がじんわりと入ってくる。境界など、奪ってしまえ。俺など、すべてなくなってしまえ。境界など無視して俺をそのまま受け入れてくれる世界。ぼこぼこと息を吐くとそれが泡になって消える。肺に残っている空気ももう無い。このまま沈んでいようか、そんなことを思う。
ゆらりとただよう白を見たように思った。次の瞬間ざぁっと雑多な音が聞こえる。俺の体を水の中で抱えて、依子が心配そうな顔をしていた。
ねぇ、たまにはここに来よう。俺の手を掴んで、依子は泣きそうな顔で話しかける。
だいじょうぶ、一緒についてくるから。絶対ついてくるから。水なのか涙なのかわからないもので顔を濡らした依子。だけどね、と彼女は重ねる。だけど、ちゃんと成功に近づく道を選んで。必死な表情で依子は伝える。いいんだよ、やってみても違うかもしれないし、傷つくかもしれない。でもね、わたしが一緒にいるから。
何を言っているんだろう、と思う。でも、同時に、彼女は正しい、と心の中で何かが言っている。
わたしも看護婦目指すから、と今度は本当にしゃくりあげながら言う依子の顔は、これもまた何のことか良く分からなかったのだけど、月の白い光が差すゆらめく水面でとにかく物凄くうつくしくみえた。
了