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浴室  作者: 出雲はつ
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3

浅くまどろんでいると、バイクの排気音がすぐ近くで止んだのが分かった。しばらくすると階段のぎいときしむ音が聞こえる。


ただいま、と声のした後、鍵や荷物を置く音や水音やが聞こえ、依子はまた眠りの世界に戻る。と、首筋に生温かいものを感じる。やぁだ、と薄目を開けると目の前に透のいたずらっぽい顔が浮かぶ。同時に胸に手を感じる。


明日も早いのに、口を尖らせても透の手はだんだん深くなる。そこここを這い回る手や指の温度が、最初はくすぐったかったのに徐々に快感に変わる。とうとう手は太腿の奥に進入し、そうすると声の温度が変わったのが自分でも分かる。煙草の匂いのする透のTシャツに深く顔をうずめる。ヨリ、いい?透の声が意地悪に聞く。依子は赤くなって他所を向く。


いっしょになること。透の息と動き、すべてのベクトルが一緒になること。わたしの寂しさが、透のさみしさが、2人が合わさることで今だけはなくなる気がするの。一緒に、高まって、境界なんて、ぜんぶ取っ払ってしまって、隙間という隙間を、埋め尽くして。


ヨリ、と呼ぶ声が、その低音が、好きだ。こんなにも分かりやすく自分を目指して発される、情動。矛先は、わたしだけ。わたし一人。ぜんぶ受け止めるから、もっともっと呼んで。依子は遠い意識のなかでぼんやり、でも切実に思う。


透は薄い闇のなかで煙草を吸っている。そうしながら弛緩した私の手を愛しそうにいじる。指を曲げたり伸ばしたり楽しそうだ。温かいなぁと目を閉じると、また白い睡魔がやってくる。おやすみ、と透が額にキスをした。


けたたましく目覚ましが鳴って依子は嫌々と体を起こす。思ったとおり半裸だ。横ではおなじく半裸の透が寝息を立てている。額に一条落ちた黒髪をかき上げる。音を立てずにベッドから抜け出す。


トントンと葱を刻みながら、ぼんやりと幸せを思う。自分ひとりなら朝食を作るなんて優雅なことはしていない。透がいればこそだ。ダシを加えた卵を四角い玉子焼き用フライパンに流し、ざっと煮立てた鍋になめこを入れる。炊き上がったご飯を自分用だけ茶碗にとり、玉子焼きと味噌汁も盛る。めざましテレビを小さいボリュームで見ながら頂きますと手を合わせる。


化粧をして、サムライウーマンをひと吹きするとそろそろ外出だ。テレビを消してバッグを持つと透が起きてきた。いってくるね、と依子が声をかけるとトイレに向かう。今日の卵焼きはおいしいよ、とその背中に声をかけ玄関へ向かう。靴を履いていると用をすませた透が玄関に見送りに出てきて、おでこにチュっとして、この匂い好き、と呟く。手洗ったのと指摘するとぼんやりと苦笑するので、依子はもういいやいってきますとドアをしめる。後ろでかちゃりと鍵がかかる。


今日も暑くなりそうだ。草むしりは明日にしよう、と隣のバイクのせいで引き出しにくい自転車に苦戦しながら依子は思う。






うらうらとした土曜日の夜、いつもの喫茶店でブラックを飲む透の前にずいと依子はチラシを差し出す。バンドメンバー(ギター)募集。レディオヘッドなどのコピー及びオリジナルをやっているバンドです、本気でデビューしようと思って活動しています。チラシには下手なギターの絵が描かれている。


声かけてみるだけ、してみたら?

依子は俺の葛藤を他所にそんなことを言う。透がいま所属しているバンドは2組。ただ1方は、ライブハウスで何回か見て格好良いなと思って加入したら、ボーカルの女の子を巡った人間関係が面倒くさいうえに持っていった曲も却下された。もう1方も、俺が加入した当初の路線が変更されて、音楽性に違和感を覚え始めているのも事実だ。


だけど、どちらも地元のハコの人気的には中堅クラス。手堅いしそこそこなのに、新天地にわざわざ移動する必要性が感じられない。


ビートルズの軽快なメロディを背に依子はオレンジジュースのストローを離して、眉をひそめる。私も何度か見させてもらったけど、確かにどっちもいいと思う。目線を落としたまま依子は言う。でも、とつなげる。でも、所詮地元のハコで中堅クラスでしょ?透はこれからどうしたいの?音楽は趣味なんだったらそれで十分だけど、これで生きていくんならトップにならないとまずいよね?


依子の口調は、淡々としているがだからこそ痛い。そこで満足しているんじゃなくて、本気でデビューを考えている仲間と、ちゃんと切磋琢磨して行動したら?依子の糾弾は厳しい。こんな叛乱は正直初めてだ。


今のバンドだって、十分デビューは狙えると思うよ。俺はぼそぼそと声を発する。依子は早速反応する。本当?地元のハコでやっと中堅クラスなのに?依子はさらに加速する。実際デビューできてるひとたちって、どの位の実力があればデビューできるもんなの?そういうの透は知ってる?「かもしれない」って可能性だけで語るのは簡単だけどそれじゃ現実にはならないじゃない?


頭が痛くなってきた。いつも仲良くやってたじゃないか。何で急に俺を糾弾するんだ?拒絶するんだ?なんかまずいことをしたか?こんな時の俺はたぶん鉄面皮をつけたように冷たい。依子は言い過ぎた、という顔をしているがそれだけ俺を貶めて何を言っている。


出ようか、と依子はいう。無言で透は携帯と煙草をポケットにしまう。外に出ると夜気がひんやり体を包む。こんな時、寒がりな依子の手を必ず繋いでいた。ただし今回ばかりはNGだ。

喫茶店脇の公園に入る。生い茂った緑の樹木を電灯がしんしんと透かしている。

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