青山さん家の予兆
今もサンタクロースは実在する、トイストー○ーは実話だと信じて止まない童心の塊にして我が嫁、青山 日和は五人家族である。
漫画界の巨匠 白鷺 響、日和の父。
月九を始めとしたドラマ出演多数、女優であり歌手も務める白鷺 薫子、日和の母。
陸上で日の丸を背負って立つ白鷺 久嗣、日和の兄。
そのプロフィールの一切が秘密、謎と言うベールそのものである白鷺 明日香、日和の姉。
そして過去音楽学科に在籍しながらまさかのナースへと転身、自分を片付けられない妹であり、生涯のパートナー日和。
日和と明日香さんを除く三人が日本を代表しているとんでも一家である白鷺の家は、割と自由な家訓を下にしている。
「取り敢えず生きろ」
漠然としたそれに則った白鷺家は皆マイペースだ。日和を見ていればご存知だろうが、何せ挨拶に向かった際中々本題に入れない独自のペースで質疑応答が繰り返されていたのを思い返す。
俺の過去のことを始めとした、何故ひーくんなのか、風呂に入る時最初に何をするだとか、好きな寺は何ぞとか、生まれ変わるとしたらどんな動物になりたいとか、好きな女の子のタイプはとか、好きな女の子はいるのかとか。
あからさまに俺がここに来た理由を分かっていない質問が後方に混ざってたりと、とかく常時こんな話すべきこととはかけ離れた問答ばかりで一向に前へ進まない。
この親にして日和ありと言わしめる一家のマイペースさには、さながら日和が増えたらこうなるんだろうなという愉快な妄想の旅へと向かわざるを得ない。
是非とも一人だけであってくれと願う中、当の日和はそれはもう甘やかされて育ったのだと言う。両親も我が娘ながら可愛かったんだろうな、彼女の言葉に右往左往と対応していたと聞く。
結果、歯に衣着せぬ超絶マイペースへと姿を変え、あまつさえ本来生活に必要な常識すらも知らぬまま今に至るのだ。
育て着いてしまった道の先で、両親は俺と同棲するギリギリまで介護に近い生活リズムを保つこととなり、シスコンであった兄からは全てが正義と定義されていた。
流石に両親からどんな思いだったまでは聞くことが出来なかったけれど。
そんな成長をただ一人、許せぬ者が居た。
「んく……んくっ……んく……ぷっ、はぁー! かぁーっ! うんめぇ! 今宵の酒はいつにも増してうんめぇな!」
それがこの方、焼酎を瓶ごと呑み満面の笑みで旨味を見に染み渡らせる日和の姉、明日香さんである。
悪戯に伸びた茶色の長髪をまとめることもせず、タクシーの運転手を彷彿とさせる白い手袋を着けて、赤い毛糸の黒いジーンズを着て左腕をだらんと垂らしたその人は、急いで作ったししとうの煮浸しをつまみに酔っ払っていた。
その様子をダイニングテーブルの向かいで、嫁の日和と並んで目を点にして見つめている。
酒に強いと言い張り弱い日和とは同じ姉妹とは到底思えない程の呑みっぷりから、日和はこの姿を見て育ち酒に対して見栄を張っているのかと勝手に納得している中、呑んで酔っての一人大災害と化した明日香さんは瓶を置いてテーブルを叩く。
その表情は喜びから一転、怒りへと変わっていた。
「何だひー坊、呑まねぇのかぁ? オレに気にせず呑んでしまえ! そんでもって吐いてしまえ!」
いやね……確かに俺と日和の側にもロックの焼酎が注がれたグラスがあるよ。けどさ、それだけの呑みっぷりと三等分した煮浸しを独占してる姿を見るだけで、正直お腹いっぱいなところがあるぜ。
しかもからみ酒、飲み会なんかで新人社員の次から見る目を変えてしまいそうな変貌振りには、さしもの日和も押され気味だ。
「ありがたく頂きます。にしても明日香さん、凄い呑みっぷりですね……」
もはや凄いなんて言葉で比喩出来るのかさえ不明なまである明日香さんは、一層不機嫌な面で俺を睨む。
「だぁからいつも言ってんだろ、ひー坊! オレのことは親しみを込めて義姉さんと呼べっつの!」
「いやそんな安心院さんみたいなこと言われても……」
そう呼ぶと日和が怒るんだよ、とは言わず。
「何がブレーキになってんのか知らねぇけど、呼んでみろ、おら! 試しに! 先っぽと言わず全部挿入てやれ!」
誰にだよ、とも言わず。
「明日香さん、飲み過ぎですよ」
ちなみに明日香さん、今テーブルにあるので四本目ね。身内が皆アルコールに強いわけではないので、ここだけの話し酒ってこれだけ体内に摂取されるんだ、と引いた身の上でいる。
そんな歩く規格外は垂らしていた左腕を上げて、テーブルをバンバン叩く。通常聞くことのない、ドンドンって擬音じゃないんだぜ、ドカンドカンって音が鳴ってる。
腕に鉛でも仕込んでるのだろうか、案外セーターの袖で隠してる手首には某体術命の全身緑タイツな熱血馬鹿が装着してそうな重りとか、ありそうじゃない?
「わざとやってんのか! お前が義姉さんと呼ばねぇ限り、良いか、オレは殴るぞ! 愚妹を!」
何このはさみ打ち。取り敢えず日和殴るのは無しで。
参ったね、どうも。日和から結構本気の語調で義姉さんとは呼ぶな、なんて禁止令が出てるので言えないし、本人は日和を殴ってでも呼ばせたいと言う。
俺何か悪いことしたかしら。
まぁ何にせよ、日和への殴打も呼び名も置いといて。
「そう言えば日和、どうして俺に明日香さんが来ること黙ってたんだよ。よりにもよって、小町にだけ報告して」
話題転換と共に、俺の心に燻ってた疑問をこの機会に問おう。自称アルコールと相性の良い隣の嫁は、ちびちび呑んでいたグラスから口を離し、ただし決して目を合わせることなく。
「ひーくんが興奮するから」
ありもしない未来予想図を言い放つ。お前の中での俺が非常に気になって夜どころか朝も昼も眠れそうだけど、そんなことは関係ない。
「何だひー坊、オレで興奮すんのか?」
ほーら案の定引っかかっちゃいけないケダモノの耳に入ったじゃん。何か婀娜っぽい雰囲気出して、瓶の細いくびれに指を這わせてるじゃん。
いつもにこにこ瓶のあのほっそいところに這いよる指先をそのままに、すっかり出来上がって顔が赤い明日香さんは、目を細める。め、面妖なっ、
「そうか、こんなオレではあるが、女を感じさせてしまったのなら仕方ない……今夜のお相手を願おうか! あっはは!」
惜しい、ラストの豪快な笑い声さえなければ完全に雰囲気出てたのに。こういうところは日和と似通ってるな、変なところ似おってからに。
良いところで締まらない姉妹はさておき、変に期待されたことで日和がじとっとした瞳で俺を睨んでいる。どれだけ信用ないんだ、俺は。
「そういう冗談はよして下さい、ほら、明日香さんの妹が今にも生命の根絶を願わんばかりの目で睨んでるやん」
俺を。
「なぁに、愚妹極まれしこいつだ、多少の営みくらい気づくことはねぇって!」
日和じゃなくても、ここまで堂々と言われれば疑う余地しかないと断言して良いよ。まぁ当然、その誘いには乗らない。
「んん? と言うかお前ら、もうセックスはしてるんだよな?」
「少しは歯に絹着せる努力しましょうぜ」
何この下ネタ空間、凄く居心地悪い。日和も酔ってるわけじゃないのに顔が真っ赤っかだし。
「コメントは控えさせて……」
「してるわ」
おい黙れ日和。もうこれ以上嵐を巻き起こすな。譲れないよ誰も邪魔出来ないことじゃないんだ、答える義理もない。と言うか言うな、純粋に恥ずかしいから。
「セックス、ひーくんとしてるわ」
言いよった。
古河さん家の渚ちゃんばりの爆弾発言、しおったよこのお嫁さん。
顔上げて凛とした表情で頬を染めてるところ悪いけど、もう羞恥の証である震えが今にも行倒れそうな人みたいになってるからさ。
絶対明日香さんには言えないけど、こう見えて日和はそう言った行為に置いてはタフなのだ。ゆえに一度で終わらず、二度三度……放っておけば何ラウンドまでも続いてしまう。
早くに果ててしまうタイプではないにしろ、遅いというわけでもない俺はすぐにグロッキー、ゆえにそういう行為は月一くらいの割合で気合を入れて臨むこととなったのが暗黙の了解。
ただ一言、日和は凄いっすよ←結論
「なら問題ねぇな。オレが混ざっても」
「問題しかねぇよ」
あの日和がここまであからさまなタメ口だと!?
流石の俺も初見だぞ!
驚きしか巻き起こってねぇぞ!
普段淀みない綺麗な発声をする日和が、出もしないドスの効いた低音で言い放つ記念日になりそうだ……!
「んだよケチくせぇこと言うなよ愚妹。一回だけだから!」
「駄目よ」
「良いだろ! 減るもんでもあるまいし!」
「駄目よ」
「そこを何とか!」
「殺すわよ」
日和の口から明確な殺意だと!?
まさかこれが日和最大級の否定だとでも言うのか……生きて来てここまで衝撃的なことは中々ねぇぞ……。
いや本当、それなりの人生を歩んで来たから何事にも驚くことってのは滅多になかったけれど、日和だけは例外だわと相変わらず思わざるを得ないな……。
「ちぇっ……んだよ、別に良いじゃねぇか」
口を尖らせて悔しがる明日香さんだけどさ、どれだけ欲求不満なんだよ。
「しかしまぁ、ここまでのやり取りで改めて思ったけどよ、ひー坊」
と、これまで酒に溺れたりセックスを要求していた張本人とは思えないくらいに真面目な顔、声音で呼ばれる。
思わず背筋がピーンと伸びるけれど、構わず彼女は続けた。
「お前、本当に怒らないよな」
即座に日和の方へ目を向ける。やはり同じことを思ったのだろう、眉根がぴくりとヒクつく。
「何が起きようともクールっつーかさ、何でもありませんよみたいな顔を貫く。愚妹と挨拶に来た時も思ったが、感情表現に規制がかかったような、とにかく相変わらずそんな感じだよ」
無駄に鋭いな、白鷺の人は。でも、心中はいつだって穏やかじゃない、ちょっと顔に出にくいってだけだ。
「もっと自由に生きて良いんだ、楽になれ」
うん、良いこと言ってるんだろうけど、何故だろう……聞きようによってはさっさと死ねって聞こえる。
「善処します」
それでも俺を気遣っての発言だ、ありがたく頂戴しよう。
「さて、説教臭くなっちまったな。空気を入れ替えるために、ひー坊。ちょっとベッドで休むか!」
「殺すぞ」
日和が出荷されて行く豚を見る目で言い放つ、なんてことがあってから数時間が経過。
突発的な飲み会は終わりも唐突に告げられる。日を跨いだ時間帯であることを時計の針で知り、俺は七本目に足を踏み入れる明日香さんに言う。
「残念ですけど、俺はそろそろ寝ますね。日和も寝ちゃいましたし」
当然グラスに注がれた焼酎で消沈した日和は、俺の膝を枕にダイニングの椅子で足を畳んで寝息を立てている。
さらさらと指を抜ける茶髪を撫でてやりながら、頬を朱に染めたまま寝いる嫁を見やり言う。
「何だ、存外早寝なんだなひー坊は。夜はまだまだこれからだぞ」
勢いが全く落ちない明日香さんは、呑み足りないのだろう。アルコールがみるみるうちに喉を通り腹を満たしていく。酒は別腹なのかな。
「いえ、実は今日……じゃないな、昨日まで明日香さんが来るのを知らなかったので、バイトの休みを貰えてないんですよ」
ゆえにこれ以上呑んで就寝時間がズレてしまうと、明日のバイトに響いてしまうのだ。誠に勝手ながら、もう風呂に入って寝たいのが本音である。
ちなみに日和は帰ってすぐ、酒が入ることを知ってから風呂に叩き込んでいる。どうせ呑んだらただでさえ弱くて寝落ちするのだ、先に入れておけばいつでも寝かせられるからな。
「明日香さん、先にお風呂入ります?」
「いや、そういうことならオレは最後で良い。どの道オレの風呂は時間がかかるからな」
まぁそれだけ伸びた髪を下げていれば、自ずと時間は大幅にかかるのは見えて来るだろう。
「ではお先に頂きます」
「おう。なんなら一緒に入るか?」
悪戯っぽい笑みでそんな誘いをするけれど、自分から死地に飛び込む勇気はないね。
「魅力的なお誘いですけれど、遠慮しておきますよ」
後から日和が怖いし、多分日和がいなかったとしても同行を許可していなかっただろう。
だろうな、と言いたげな顔で後頭部を搔く明日香さんを最後に、俺は膝を枕にしている日和をお姫様抱っこで担ぐ。いつ持っても軽い奴だよ、お前は。
「最後に一つ、良いか」
寝室へ向かう足取りで扉を開いた所で、背後から声がかかる。いやに通るソプラノは、俺の動きを止めるには充分だった。
「愚妹のどこに惚れたんだ?」
良く時也、小町などの知人からされていた質問であり、挨拶に行った時にはされなかったそれ。
青山日和がまだ白鷺日和だった頃。俺が日和に惚れた部分、か。
「俺じゃないところ、ですかね」
「何だそりゃ」
振り返らずに保たれる会話。だけど成立していたので続行。
「色々な積み重ねはあったけど、俺が知らなかったことを知っていたから……手を伸ばしたら、日和はその手を取ってくれたんです」
その時から、あぁ、俺にはこの子しかいないなんて……思ったんだ。
束縛されることでしか生きていられなかった俺に、彼女のような生き方もあったのだと示してくれた。
生きる理由はたくさんの偶然や必然が枝分れして出来ているのだと、その生き様を持ってして知らせてくれた。
「俺、不器用だったんです。きっと……だから、それにも気づかないで、生きていたから」
最初は純粋に羨ましかった。好意と殺意のみを原動力にしていた、消し去ったはずの過去があったから。
どこまでも不器用で、不細工で、不安定で、歪な生。生産性のない毎日、汗も涙も枯らして、滴り落ちたそれらも潤いにすらならない砂礫で、死と隣り合わせの体と心がやがて敬意から好意へと変わった。
「神様なんてずっと昔から居ないなんてこと、知っていました。だけどこの子の生き方に触れて、見て聞いて……もし居たとしたら、最大限のお礼を言いたいです」
そんな俺の口元は、きっと笑っていた。
眼下にいる愛すべき女の子を見つめて、綻んでいることだろう。
「……そうか」
どこか納得したようでいる明日香さんを、ここでようやく見遣る。
どこまでも透き通る瞳で、どこか日和と似ている微笑で。
「安心した」
夜は更けていく。
※
毎週月曜日は日和と共に出勤する。
朝の時間が同じなのでいつの間にかどちらともなくルーティンワークになっているそれは、明日香さんがいても何ら変わりなく続く。
だからなのだろう、この日はいつも同じ起床時間となる。弁当を作って日和の身だしなみを整え、仕事の準備をしてやりながら家を出る。
けれど今日はまだ寝ぼけている日和を引きずって姿を現したダイニングには、先客がいた。
「よぉ、起きたか」
異質。
そう呼ぶに相応しい姿だった。
何を隠そう明日香さんには昨日まで普通にあったはずの左腕が丸ごと無くて、代わりに右手で腕を一本持っているのだから、そりゃ目を見開いてその状況を受け入れる他ない。
肩から先のない左腕。つまり右手に持つそれは、本来そこにあるべき左腕となるわけで……。
「明日香さん、それ……」
「ん? あぁ……こいつのことか」
言って右手にある腕を掲げる。鈍色に輝く肩口には、科学の授業なんかで見る導線を繋ぐクリップのようなそれが垂れる。まるで昨日の明日香さんが、ずっとそうしていたかのように。
「そう言えば初めて見るのか。オレ、左腕がねぇんだ、だからそれを補うための筋電義手さ」
さらりと言ってのけるその言葉から、昨夜自分の風呂は面倒だと言っていた理屈に合点がいった。
にかっと笑う明日香さんに対して言葉を失っている中、見慣れているのだろう、ようやく自分の足で立つ日和が目をこすりながら俺に抱き着く。
そっちの理屈は分からんが……。
「おい日和、明日香さん義手だったのか?」
「うん……うへへ……」
今日も絶好調に可愛いところ悪いが、まぁ……わざわざ口外することでもないし、聞いていないことで日和に問い詰める必要もないか。
「昔ちょっとやんちゃしてな、それからずっと世話になってるぜ」
「へぇー……」
相槌を打ちつつ、抱き着く日和をそのままに近寄って行く。冬真っ盛りでいくら暖房がついてるからと言っても、明らかに寒いと思われる肌着とホットパンツでいる明日香さん。
あと義姉さんと呼べ、なんて言いつつも俺はもうその義手に釘付けである。何だろう、俺の中にある少年の心がここで開かれたような、そんな雰囲気。
余程興味津々な表情でいたせいだろうか、ついぞ明日香さんは言った。
「何なら触ってみっか?」
「えっ良いんですか?」
「構わねぇよ。ちょっと待ってろ」
身を乗り出した俺に苦笑いしながら、慣れた手つきで肩に義手を装着していく。
「ちなみにそれ、肘まで刀になってたりは……」
「彼岸○か」
「彼○島です」
ひーくんは主人公最強系の漫画に滅法弱いのである。
○岸島最後の47日間での雰囲気がとても好み。
「その質問に対して、残念ながらノーと答える他ねぇ……なっと」
やがて装着が終わり、機械丸出しの義手に纏われた人工皮膚のしわを伸ばしていく。こうすることでぱっと見では義手使用者に見えないが、どうしても違和感が残るので手袋も付けているのだと言う。
滅多に見られない義手の装着に加え、そう言った裏事情まで聞けたのは貴重な体験だ。
機械鎧を知っている者としては、そのギャップに恐れ入る。改めて現実と非現実の差に脱帽だ。
やがて明日香さんは左腕を差し出し、パチッとウインクをする。触って良し、そう揶揄しているようにも見えた。
「お言葉に甘えて……」
敢えて手袋を付けない優しさを噛み締めつつ、いざ接触。
「うおっ……」
深く考えて触らなければ分からないようなザラザラとした触感。少し握ってみると、改めて生身ではないと知る硬さにゴツさ。
指を一本ずつ動かしてくれる。動く度にモーターの駆動音が聞こえ、何とも感慨深い体験をしているのだと痛感した。
「これ、それぞれの指がモーターで動いてるんですね……」
「指は特に繊細な動きがないと生活に支障が出るからな。あとは手首に肘に肩……普通の腕と大差ない動きは問題ねぇ」
ただ、筋電義手であるせいか反応はどうしても一拍遅れるらしい。しかし慣れるとこの遅れた動作にも対応出来るようになる。
肩を上げて肘を曲げながらそう付け足してくれる。やがて日和もはっきりと起きたのだろう、俺からまとわりつくのをやめて自力で立ち上がる。
「ひーくんが浮気してる……」
「義手触って浮気って……」
事情を知らない奴が見れば、成る程確かにセクハラにしか見えないだろう。
「こんな言い方が許されるかは分かりませんが……純粋に格好良いですね」
あっはは、なんて豪快に笑い頷く明日香さんはそっと目を細めて義手を眺める。
「こう言うのしてるとよ、人の見方が変わるんだ。目の色もな、最初は抵抗しかなかったさ。哀れむな、特別視するなってな。だが、慣れて見ると人と違う個性みたいなもんだと思えて来る。そう思えば……悪くはねぇのかもな」
義手ゆえの苦悩。こうなった経緯も知らないで勝手な目で見るな、多分俺が同じ立場ならそう考えていたことだろう。
だが彼女の言う通りこれは個性だ。人と違うことは悪いことじゃない。
少し前、後輩との一悶着でも思ったことだ。どう処理し、認めるかが重要なのであって、可哀想などと思ってはならない。
自分が一番理解していることを、現実を……改めて突きつける必要はないのだ。
「ところで急がなくて良いのか、ひー坊。オレとしてはこのまま営みに移行しても構わんのだが、いかんせんお前はこれから仕事だろう」
ふと我に帰る。いつまで俺は触っているんだ、明日香さんの言う通りこれから仕事だ。
営みはないにしても、準備は進めなければ。
「あ、いや、最後に一つ良いか?」
「何ですか」
「オレって聖杯戦争に呼ばれたらどのクラスになる?」
「今その質問必要ですか?」
残念ながら、知らんがなとしか言えません。
そんなわけでいい加減準備をしなければならない。いまも寝癖で爆発した頭を朝シャンで流し、梳かして誕生日にあげた髪ゴムでまとめ上げる。
プレゼントした当初は自分でやっていたのだが、気がついたら俺が結んでやってるの明らかにおかしくない?
なんて疑問を携え着替えを済ませ、さらりと朝食を作る。その傍ら日和と自分の分、さらには明日香さんの分の弁当を詰めて行く。どうやら明日香さん、午前中は外で用事を済ますとのことなので同じく弁当にしてやる。
食べ終えたらあとは捨てるだけにすべく、プラスチックのパックにご飯とおかずを詰めて特別製の弁当が完成し、色が気に入らないと言う理由で日和が使わなくなった弁当入れへインするお。
日和の鞄にも弁当箱を入れて、自分の弁当も敷き詰めて出勤準備完了。
「それでは、行って来ます。明日香さんもお気をつけて」
玄関先で日和と二人して立ち並ぶ。家から着替えもせず扉に寄りかかって手を振る明日香さんはどこか格好がついてた。
「おう、弁当ありがとな。頑張って来いよー」
しかしどこか気怠げな声でそれは杞憂に終わり、ふらつく日和の手を握り出勤する。
今日は早く寝かせようと心に決めて、昨日の日和変質者説を唱えたスーパーの前で日和を立たせる。
ここからお互い逆方向なのだ。
「日和の方は難しいと思うけれど、一応休みの件は伝えて置いてくれよ?」
流石に遠路はるばる来て下さった明日香さんを四六時中放っておくことも出来ないので、お互いに少しの間休みを貰う旨を伝えることとした。
俺の方はバイトだし人手も足りてるシフトなので、急用が入らぬ限りは問題ないはずだ。唐突なのが傷ではあるが、なにぶん明日香さんが来たのも唐突だったのでそこは許容して頂きたい、私情で申し訳ないけれど。
「ひーくん」
まどろみの中なのか、いつもよりも半開きになった目で俺を見つめる日和。
「何だどうした」
「行って来ますのちゅー」
「いつもしてなかっただろそれちょいちょいちょい本当に寄って来ちゃらめぇらめなのぉ」
完全に目を閉じてしなだれかかって来る日和にキスをせがまれ、肩を掴んでやり過ごす。やたらと甘えたがりなのは、明日香さんが居て構ってやれてないせいなのだろうか。
今度お互い時間作って本格的にデートでもしようかな、俺としても日和といちゃつきたい気持ちはあるし。
もっとも、日和は気持ちがストレートな分不器用なのでデートの時はあまりベタつかないのだが……良いんだ、手を繋いで街を歩くだけでも俺は幸せな馬鹿者なのだから。
何はともあれどうにか日和を出勤させることに成功し、道を曲がって姿が見えなくなるまで見届けた辺りでこちらも踵を返して職場へ向かう。
余談だけど、日和は「患者さんのために」と言う理由でなら迷子にならない模様。デートや共に出歩く時に迷子となるのは目的がないからであることを、結婚してすぐの頃に知った。
「それにしても……」
呟く声が白い吐息となって霧散して行く。思い起こすのは明日香さんの左腕、義手の件。
そうなった経緯を聞ける程親密な仲ではないので、多分理由までは知るに至らないのだろう。しかし良く思い返して見れば初見時も昨晩同様だらりと腕を垂らしていた。
あぁ言うのは幻肢痛などの痛みとも戦わなければならないと聞く。俺たちの知らないところで痛みを覚える日もあるのだろう。
格好が良いと言ってしまえば簡単だ。けれど、彼女にとってあの腕にはドラマがある。俺たちの知らないドラマが。
義手自体そう安いものではない。簡単に手に出来るものでもないのは知っている、だからこそ……そうまでして新しい腕を得たのは何故なのか。
真相は、闇の中へと落ちていくのみだった。
※
結論から言って、休みは案の定簡単に取れた。
しかも今日も午後から残していた仕事をこなしに社員が一人入ることとなり、俺は交代するように午前中一杯で職場を後にすることとなる。
突然手持ち無沙汰となってしまい困り果ててしまう。どこかで弁当食べて帰ろうかな、それとも家でもそもそと食べるかな……と言う辺りまで考えて思い当たる。
ノラと美作さんの事件以来来ていない、もっと言えば食べてすらいない日和の職場に点在するレストランジュリア。良い機会だしあそこへ行って日和と弁当をつつくか。
今から向かえば丁度日和の昼休みとぶつかる。休みの件も聞きたいところだし、行ってみるか。
当然店に来たのだから何か料理やらを注文しつつにしたいので、何を食べようかと胸躍らせていると。
「あれ……」
真っ直ぐに歩いて来る人並みの中、見覚えのある顔が見えた。今朝まで義手を見せてくれていた日和の姉、明日香さん本人であったのだから驚くしかない。
まさかこんなところに居ようとは、何て思うよりも直線な歩幅は明らかに俺を目指している。あれ、これ俺のことバレてる?
パーソナルスペースなんて何のその、ファミレスなんかでどんな気遣いも不要だと大声でのたまうように隣に座ろうとする勢いで、ついぞ俺にぶつかる。
「ひー坊! 今朝振りだな、元気にしてたか?」
胸板におっぱいを押し付けながら、指一本分もない顔との距離で近況を知ろうと躍起になる明日香さんから離れようと腕を前に出してクロスを形作る。
やべっ、どさくさに紛れて手がおっぱいに当たったやん。と言うか何これデジャブ。
初めて日和と出会った頃も同じようにタックルされたけど、何だろう……白鷺家には初対面にタックルを決めるアメフト仕込みの家訓でもあるのだろうか。
「け、今朝振りですね。見ての通り元気モリモリですよ」
「ハッハッハッ! モリモリなんて言う奴初めて見たぜ!」
高らかに笑い、快活に背中を叩く。それも義手である左手で叩くもんだから痛いの通り越して体に響き渡ってるぞ、これ。
「それよりお前、仕事はどうしたんだよ。まさかクビか? クビなのか、おぉん?」
ニャンちゅうみたいな唸り声を上げながら肩を組み、わざとらしい笑みを貼り付ける明日香さんから逃れようと腕で押しのける。やべっ、またおっぱいに当たったやん。ラッキー。
日和が居たら間違いなく極刑なラッキースケベはさておき、事情を話さねばなるまい。あと報告ね。
「今日は人が足りてたんで半日出勤になったんです。そんで、明日から少しですけどお休み頂きました」
離れようと試みる俺を嘲笑うように、明日香さんが腕に力を加えて近寄せる。
生身での腕力が異様に強く、パワーで押し負けつつある自分にまず驚く。筋力だけは常人よりかはあるつもりでいたが、世間は狭いなと痛感し、本当明日香さんは何者なんだろうと疑念が募った。
「おぉ、そうだったのか。悪かったなひー坊、オレの都合でシフト減らしちまってよ。お詫びに今晩抱いてやるよ!」
「またそんな冗談を……本当に日和に殺されちゃいますよ、明日香さん」
抵抗から観念し、両手を挙げて降参を示唆する。それを好機と言わんばかりに空いた義手で俺の頬をぺちぺちと叩く。
さらに体も寄せられ、女性らしい日和と同じシャンプーの匂いが鼻腔をくすぐった。
「問題ねぇよ、愚妹に負ける姉じゃねぇさ。それにオレ、自慢じゃねぇが大抵の奴には負ける気しねぇぞ!」
でしょうね、自慢こそしないけれどそれなりに鍛えてた俺が本気で抗っても耐え抜いた明日香さんなら、その辺のゴロツキが何人束になろうとも瞬殺だろう。
常勝無敗が信条なのではないかと勘違いしてしまいそうなまであるもん、明日香さんは。
けれど、それだけの筋力を俺なんぞに披露しないで頂きたいね。昔と変わらず痛いのは嫌いだからさ。
「ところで明日香さん、もう用事は済んだんですか?」
「ん? あぁ……つっても、用事と言うかは野暮用だな。大きなお世話っつーか、何というか」
珍しい、切符の良い明日香さんが言い淀むなんて。あんまり他言できない用事だったのか、踏み込むまでの関係性に至ってないのか。
結論は出ないけれど、とかく明日香さんの方も野暮用とやらを終えたようなので、折角だし誘ってみるか。
「今から日和の職場にあるレストランで一緒に食べられてない弁当を食べるつもりなんですけど、良かったら明日香さんもどうですか? 昨日はなんやかんやと日和とあまり話せてないようですし、それも兼ねてご飯でも」
うわっ、露骨に嫌な顔してる。ベストオブ露骨に嫌な顔だわ。
そんなに日和と共にってのが気に食わないのか、それとも俺と一緒であるのが嫌なのか。後者だったら全力で枕を涙で濡らす一日を過ごさねばなるまい。
しかし明日香さんの答えは意外なものだった。
「それならひー坊、オレに良い案があるぜ」
にかっと笑う、某一〇代目に五話寺……もとい獄寺くんが向けるそれだった。
「オレたち二人で飯を食おう、どうだ断然建設的だろう?」
なんと、明日香さんが俺との二人きりを所望したのだ。
どう返したものかと思考を巡らす直前、俺の返事も聞かずして手を掴みズンズンと歩き出す。
「ちょっ……どこ行くんですか、明日香さん。と言うかさり気なくそれ日和とのご飯を断ってませんか」
「細けぇことは良いんだよ、男ならしゃきっとしろ、男だろ!」
男であることを強調しないで下さい、それで喜ぶのは容姿、声共に女性に近い時也くらいのものだぞ。
「あれ、お前男だっけ?」
不安にならないで下さい、俺まで男だったよねって変な迷いが生じるからさ。
密かに時也の女に間違えられる感覚を共有しながら、明日香さんはなおも俺の手を取り歩き出す。
まるで買い物中迷子になった子供を連れて歩く母親のように。
「ま、何はともあれ後悔はさせんさ。良いところに連れて行ってやる」
言って、明日香さんの根気に負けを認めた俺は、静かに溜息を漏らした後空を見上げた。
今日は雪が降りそうだ。
昼間なのに暗く沈むような空模様を見上げて、思った。




