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青山さん家 2  作者: 宇佐美 風音
7/21

青山さん家の策謀

開放感のある空間で、心臓が締め付けられるような感覚を得ていた。


辺りには自分と同じ年代であろう子供が男女問わずわんさか居て、その誰もが体育座りをするか立ち上がり彷徨うゾンビのように歩き回り、死んだのではないかと言うほどに眠ったまま動かない子も点在した。


俺も当然その中の一人で、ここに居て一番苦痛に感じるその時まであまり時間がないことは狂った体内時計でもすぐに合点が行った。


誰もの瞳に光はなく、あるのはどうにもならない現実のみ。故に表情などはなく、死よりも苦しい時間だけが目まぐるしい毎日を求めてなくても彩っていく。


死にたいと思えたらどれだけ楽だっただろう。命を踏みにじり、後腐れなく息絶えられたらなんて……そういう選択もあったのに、ここにいる俺たちは誰もそんなことも分からずにただ呼吸だけを行っている。


もっとも、ただ一人を除いて。


何があろうと、生きることを諦めなかった少女を除いて。


俺たちは束縛されていた。





まず感じたのは、振動だった。


無意識に開かれた目に光が射し、あまりの眩しさに思わず閉じ直してしまうが、この振動こそ自分が生きている証拠であるのだと理解した時、今度こそ開眼した。


知らない天井だ、なんてふざける余裕も自分の置かれている状況をゆっくりと理解して行くに連れ失われて行く。


白く清潔感漂う天井に、頭にある圧迫感。自分が寝ている体制でいることを忘れ、体を捩って圧迫感の正体を探ろうとすると腹部に強烈な痛みが走った。


そうだ、俺は刺されたのだった。本来食器として用いられるナイフが、凶器となって俺を襲った記憶が蘇る。


「そうだ、日和(ひより)……!」


側に居たはずの日和の安否を圧迫感の正体よりも先に暴こうと上体を起こそうとして、再び激痛が体を通り抜ける。アホか俺は。


またぞろ痛みを覚えぬようゆっくりと自分が寝ていたらしいベッドに上体を戻して行く。微かにスプリングが軋み、ついぞ自分以外の声を聞いた。


「おろ? 目、覚めた雰囲気?」


耳になじみのあるその声に安心感を抱く。また刺されたらと頭の片隅にあった心配が消し飛んだよ。


小町(こまち)……日和はどこだ……」


続いて一番知りたい情報だ。けれど、そんな不安すらも払拭してくれる笑みを浮かべるのは、我が友にして快活の塊、そして何故か俺の頭に手を置く袴塚(はかまづか) 小町である。


「無事だよ。今はトッキーとウチ、ノラぴょんが交代でいつ起きても良いように看病してた雰囲気だよ」


「……そっか」


取り敢えず現状の把握に努めるべく、小町から聞いた事の次第をまとめた。


現在俺は自分を片付けられない癖に他人への世話に対して神がかり的な才能を発揮する嫁、日和の働く病院に入院中。


この病院で起きた殺傷未遂なため、面会時間をとうに過ぎてる午前一時でも小町がここに居るのは、特別な計らいなんだそうな。


その殺傷を起こした張本人、美作(みまさか) 一美(かずみ)は現在逃亡中。警察も介入し、良く調べてみればどうやら名前の方は偽名らしく、住まいも存在した形跡がないらしい。


一体彼女は何者なのか。確かに過去美作と言う苗字に聞き覚えはある、けれど彼女は記憶が正しければそのまま画家の道へ進み、今も絵を展示したりしていたはずだ。


連絡こそ取り合っていないが、この件はあくまでもしかしたらと言う線で一応記憶しておくことにする。


一方俺。


緊急手術の末傷は五針に相当し、中々に深かったものの胃などの臓器への進入までは許していなかった。ただ出血が酷かったらしく、今も点滴で血液を補充されていた。


刺さったのが腹部のせいもあり、上体を起こそうにも腹筋がまるで役に立ってくれないのでそれこそ未遂で終わってしまうため、恨めしく自らの傷を睨む他ない。


安全確保も含めて警官の巡回、並びに抜糸を終えるまで入院を余儀なくされたようだ。その間およそ一週間、傷の治り具合によっては早まる可能性もあるが、それでもこれだけの長さで拘束されるのかと思うとげんなりするね。


「皆は、何か言ってたか?」


「トッキーはひーくんを刺した人をぶっ殺すって言ってたよ。ノラぴょんは目の前で刺されたのを見たせいか、貧血で倒れて以来終始ぼんやりしてる雰囲気だねー」


院内だからか、それとも俺の容態による状況判断からかどこか小町も大人しく感じる。笑みだけは絶やさないが、溌剌と笑う高らかな声はそこにはない。


それにしても親友にしてプロのアーティストである 長瀞(ながとろ) 時也(ときや)よ、お前さり気なく猟奇的な発言してる自覚あるのか?


いやまぁ、嬉しいよ?


俺のために憤慨しての発言だろうし。だけどよもやそこまでとは……ってなるやん?


そしてその時也の後輩に当たる 野良子(のらこ)もね。しかし会う機会があるなら安心させてやれると良いな。


そうなると、早く元気にならなきゃな。


「んで、日和は?」


俺の心配の種、日和の現状が知りたい。そういう旨を伝えると、今度は毛色の違う笑みを浮かべられ、苦言を呈する。


何だそのねっとりとした嫌な笑顔は。男女で夫婦認定されてる二人をおちょくる奴みたいだぞ。


「ぴよりんは本当、愛されてるなー。もちろんひーくんも、ね」


言いながら俺を見てるようでどこか遠くを見つめる小町が後ろを見てるのだと察し、何事か事情を掴めずにいる俺は目を丸くせざるを得なかった。


小町の見遣る瞳の先にはもう一つ、俺が寝ているのと同じベッドがある。まっさらな布団から覗く眠り姫は、寝息も立てずにそこにいた。


丸まっているのだろう、掛け布団がやけにもっこりとなだらかな山を形成しており、時折身じろぎを見せるその子は……まさしく俺が探し求めていた人物だった。


「まさか、俺が眠ってる間ずっとここに居るのか?」


敢えて小町の方へ振り向かず、日和を見つめたまま問う。あー、これは駄目だ。


多分今俺は人に見せられないくらいぐしゃぐしゃな顔してるよ、うん。鏡なんて以ての外だわ。


鼻の奥がツンとし、自分の感情が抑制出来ない所にある。我ながら滅多に訪れない瞬間なためか、殊更誰にも見せられたものではない。


たまにくしゃっと顔を歪ませ、唸るように声を上げる。こいつことだ、夢の中でもきっと俺を気遣ってくれているのだろう。


日和はそういう子だ。自分のことより人のこと重視な自己犠牲の塊、人はこの子を優しい人と呼ぶ。


「そうだよー? 全く、ここまで来ると妬けちゃう雰囲気あるよ」


その呼ばれに狂いはなく、小町の賛同に思わず目頭を熱くする。


俺のために。


俺なんかのために、寝ても覚めてもずっと側に居てくれていたのだろう。


あぁ恥ずかしい、だけど嬉しい。何だこれ、本当。何これ、この嫁はどこまで……。


「小町、頼みがある」


「おやおや、ひーくんが頼みごとなんて珍しいね? ま! ウチに任せなよっと!」


意図を汲み取ってくれた小町はそっと俺の側に寄り添う。そのまま腕を自分の首に回して肩を借りて、俺たちはそっと眠る姫の枕元まで歩みを進めた。


歪んだ表情はやがて綻び、小さな笑みを見せる日和を見下ろす。綺麗な寝相だな、いつも仰向けで寝る子だから横で寝る姿は珍しくもあったが、それでも乱れることを知らない茶色の髪を空いた手で撫でる。


艶のある滑らかな髪ごと撫でた頭に、自分の持てる最大限の慈しみを付与する。


日和。俺はお前が好きで本当に良かった。


どれだけ迷惑がかかろうと、頭を抱えたくなりそうになっても、お前だけは絶対に変わらない。


いつだって自分を持ってる。俺にない物を沢山持ってる。


こんな時にさえ、傍らに居てくれて……ありがとう。


指を滑らせて頬を撫でる。人肌で人並みの体温を保つそこはとても柔らかく指が滑ってしまう程だ。


「……んう……」


やがて唸り声と共にゆっくりと瞼が開かれて行く。所在無げな半目をそのままに、布団から手が伸びて行き離そうとした俺の手を掴む。


布団に入れていたからか、それとも体温なのか日和の手は安心する温かさを保っている。


起こしてしまった罪悪感が半分、起きて今ここに俺が居ることを伝えたくて起こした俺が半分いる心中を抱え。


「おはよう、日和」


挨拶を落とす。そうしてようやく目をしっかり開き顔だけを上げて俺を見遣る。


きょとんとした顔で見つめられる俺は、泣きそうになったのを抑えたせいで赤い目を悟られないように目を閉じて笑いかける。


犯罪者のようだと名高いひーくん発の笑顔ではあるが、これが彼女にとって安堵するに足り得るものであることを願い。


図らずも彼女はスローモーションに上体を起こして行き。


「ていっ」


「いだあああああああああああああああああああああ!」


腹部の傷目掛けて右ストレートを決めやがる。


予想外の激痛から逃れるように、時間も支えてくれていた小町も関係無しに飛び上がり跪く。


本当ならばもがき回りそうな程に痛いのだが、ただでさえこうしてる最中痛いのに動いたらますます酷いことになるためどうにもならない痛みが治まることを祈りながら傷を抑えて座り込む。


と言うか、えっ、この子ったら何しやがるでごぜーますか?


確かに心配かけたけど、この仕打ちはあんまりじゃありませんのこと?


「ひ、日和てめっ……何しやがんだ……!」


なんて言葉を遮るようなタイミングで日和に包まれた。抱擁された俺は殴られた時よりも激しい衝撃に襲われ、思わず黙る。


首に回った腕の力が強い。それでいてどことなく震えてる日和は、叫び出したくなる思いを溜め込むように言う。


「ひーくんはお馬鹿さん」


「……そうだな」


「ひーくんのおたんこなす」


「だろうな」


「ひーくんの……ひーくんの、困ったさん」


「……心配かけて、ごめんな」


「……良かった」


ぽつりと。


小声でそんなことを言う日和に、今も鈍痛が止まないまま抱擁で返す。


「目を覚ましてくれて……良かった……」


「……ただいま、日和」


首に回る腕の力が一層強まり、ついぞ日和は嗚咽を漏らし始めた。


決してその顔を見せることなく、肩に顎を乗せたまま。



「ひっく……うぁあ……あ、あああ……うわあああああああああああああああああああん! ひーくんのおばかあああああああああああああああああああ!」



子供のように泣きじゃくる。


何もかもをかなぐり捨てて、ただただ感情の赴くまま、日和は大声で泣き叫んだ。


俺も首に回していた手を日和の頭に乗せて、そっと撫でてやりながら渇いた頬を伝うぬるい雫を合図にするように……唇を噛み締めた。


「ごめん、日和……ごめんな……」


震える声で謝る。寒いわけでもないのに歯がかちかちと鳴り抑制していた感情を露わにして行く。


「お前が無事で……心から、安心した」


「うわああああああああああああああああああああああああああああん! ばかあああああああああああああああああああ! ひーくんのばかあああああああああああああああああああ!」


ずっと不安だったんだ。


そんな不安を振り払いたくて、側に寄り添い続けた幼気な少女を強く抱きしめ。


こんな不安を取り払うように撫でてやる。


人は彼女を、優しい人だと言う。


だが俺はそんな定義は違うと答えるだろう。


この子は誰よりも純粋なのだ。


だから俺が凶刃の前に伏したのを間近で見ていた日和が、ここまでの不安を抱えていた。


誰よりも素直で誰もを平等に見る日和が、唯一別格として扱ってくれる俺に対して、ただ純粋なまでに涙してくれる。


これ以上の喜びが果たしてあるのだろうか。


心底思う。


生きてて、良かったと。


「生きてて、良かったよおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! うああああああああああああああああああああああああああああああああああん!」


そしてこれからも生きよう。


愛すべき嫁のために。





「僕は別に心配などしていなかったがね、まぁそれでも貴様が目を覚まさなければ時間の出来た時の対処に困るからな、そんな懸案事項を解消するべくこうしているのは良い行いだと思うぞ。あぁ良い、何も言わなくて良い。僕には分かっている、貴様が思う全てを把握出来る。何せ嫌でも付き合いだけは長いからな、あぁ分かっているさ、分かりすぎて僕自身自分が怖いとすら思うね。薄ら寒くなって来ただろう? 僕もそうさ、そう思う」


「呼吸がしんどくなるくらい抱きしめながらそんなツンデレ全開されてもな……」


それから日和を本格的に宥め、泣き疲れたのか再び寝入る嫁に合わせて小町と看病の交代時間ということで現れた時也に某少佐並みの熱い抱擁を受けた。


持っていた荷物や果物をぼとぼととリノリウムに落とすのもそのままに、時也は早口に長台詞をマシンガンよろしく散弾させる。


再三言っていることだが、我が親友時也は声も容姿も女性のそれに限りなく近い。男と分かっていてもこれはドギマギしてまうやろってもんよ。


「と、取り敢えず真面目に苦しくなって来たからさ……俺は無事、心配かけて悪かったから今だけ離れよう、時也」


「馬鹿を言うな。心配などしていない、いつまで寝ているんだとは思っても、決してお前が大事に至るとは断じて思っていない」


時也さん、冗談抜きに傷が……傷が痛いっす……。


「断じてだ!」


「ぐおおおおおおお! てめぇ! わざとかあああああぬうううううう!」


抱擁に力が加わり、同時に傷への圧迫感も強まる。良いことも悪いことも綯交ぜな現状を素直に喜べない俺に救いの手を……。


「まぁまぁトッキー、ひーくん良い加減顔青ざめて来たし、それくらいにする雰囲気見せよう?」


「くっ……致し方ない」


でかした小町、駄菓子屋を営んでいるのに今度駄菓子奢ってやる。


期せずしてようやく離れた時也の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。まぁ悪い奴ではないんだよな、生涯も共に過ごすであろう親友だし。


それに、俺ももし時也がこんな目に遭っていたら同じことをしたように思う。


「約束しろ、もうこんな思いはさせるな。僕らの許可なく死ぬことは許さん」


「……その許可、いつか下りる日が来るのか?」


わざとらしく笑みを貼り付けながら問う。無論時也は笑いながら言う。


「聞くまでもなかろう。そして……」


時也の視線が動く。その先には目を赤く腫らした日和が眠っていたので、その先をわざわざ時也に言わせることなく紡いだ。


「分かってる。もう日和は悲しませない」


「ふん、分かれば良い。もう僕から言うことはない」


笑いを堪える小町の横を過ぎていき、先程まで看病してくれていたパイプ椅子に踏ん反り返る時也。


そこではたと思い出した小町が手を鳴らし、扉へ向けて小走りとなるのを引き止める。


「何だ、どうしたんだ?」


「先生に一応起きたこと報告して来るよ! 一緒に談話室でノラぴょんに電話しようと思った雰囲気だよ!」


「先生に関してはナースコールで良かろう。だが、ノラにだけは電話しておけ、奴も貴様同様心配していたからな」


あくまでお前は心配していなかったと言い張るか、強情と言うか強がりと言うか。


そんな俺を他所に時也が側のナースコールをプッシュ。看護師に俺が起きた旨を伝え、今行くと言う答えを聞く。


その間小町は携帯片手に病室を飛び出し談話室へ向かう。


「そう言えば」


時也の視線がキッとキツくなる。何よ突然。


彼は鋭い視線を保ちながら言う。


「ノラのこと、貴様は知っていたのか。何故言わなかった」


そのことか。まぁノラの家族事情で立て込んでたのもあり、唐突な同居生活も相まって報告が遅れてしまっていたな。


「俺も再会が唐突だったのもあってさ……けど、遠からず連絡させてやるべきだったとも思う、すまん」


傷のせいで頭を下げられないけれど、語調で謝意を示す。


それらの事情を鑑みてくれた時也は腕を組んで「まぁ良い」と了承してくれる。


「ノラの住まいは僕が何とかする。マネージャーに奴のプロダクションを訪ねてもらい、話しは通してもらってる」


「と言うと、ノラのこと知ってるのか」


家族の件。


ノラの母が行方不明であり、住んでいた家がなくなっていたあの事実を彼は知っていた。


「そのことだが、どうやら進展があったようだぞ。ノラの母は、それまで暮らしていた旦那の借金に追われていたそうだ。そのことを、一切ノラに話せぬまま行方をくらませた……と言う次第だ」


言い方は悪いが、見た目はとても富裕層のそれみたいな生活をしていたように思う。自室に出来るだろって広さのスタジオや体力作りに必須なトレーニングルーム、あとはプライベート用とノラだけでも三つの部屋を持っていた。


しかしその裏では切迫した家庭事情を抱えていたのか、それともノラが有名になるためあらゆる手を尽くしていたのか。


聞く限りではそれ以前の話しのようだが、そう言えば確かにノラの父親は見たことないし話題にも上がった試しがない。


ノラが意図的に避けていたものだと思っていたのだが、その様子だと出会った頃には恐らく離婚していたのかもしれない。


なんて……人様の家庭模様を勝手に想像するのは失礼だよな。あとはノラが話す勇気があるようなら、そこに賭けて置こう。


もし話してくれるようなら、その時は出来得る限りの全力を以って支援しよう。


密かな決意を固めた頃、病室の扉が開く。小町かと思ったが、担当の人なのかナースを連れて眼鏡を掛けた白髪混じりの白衣を纏う男性が訪問した。


まず診療を始める前に、ナース共々頭を下げられた。俺なんかよりも年上の方から謝罪を受けることなんて滅多にない機会なのもあり、手で止めてくれと制す。


謝罪が聞きたいのではない、俺のような奴を生み出さないようその対策に時間を費やして欲しい旨を伝え、身体の具合を診てもらう。


その間いつの間にか戻っていた小町が時也を連れて退室。診療のために気を遣ったのかも知れない。


出血多量ではあったものの顔色も安定してて傷も問題はないらしい。ただし、発熱しているようで平熱である三六.五度を上回る三七.八度をマークしており、水分を多分に摂取して寝ることを勧められる。


こうして診察も終わり、再度頭を下げる先生方が出て行くのに合わせて時也と小町が戻って来る。


「ひーくん、熱あるの?」


まぁ聞こえてましたよねー。扉一枚しか隔ててないし、実はこの小町さん耳が良いからねー。


「そうみたいだな。まぁ傷のせいで発熱してるだけだと思うし、大丈夫だろ」


交通事故後翌日から体が痛み出すようなものだろう。


「大丈夫なわけなかろう。熱で退院が伸びることも充分有り得るんだ、今ノラがここに向かってるらしいし、話しをしたらすぐに寝ることだ」


体に障るぞ、とまで言われる。


そうは言っても時也、ぶっちゃけ昔の経験から高熱くらいは慣れてるんだわ。


もっと言えばこれよりもっと高い体温の中体を通常時と何ら変わらず体を動かせるまであるぞ。


なんて……本人は決して認めないだろうが心配をかけているので、口が裂けても言えないが。


「分かった分かった、これ以上悪化しないよう心掛けるよ」


両手を挙げて怪しむ時也に降参のポーズを取る。もう当時とは環境が雲泥の差で違うわけだし、安静に出来るうちはそうするに越したことはないか。


刺されてから二日も寝ていたらしいし、これ以上不安要素を浮上させる理由がない。


「まぁ幸い? 傷も大丈夫なようだし、抜糸と体調が回復すれば退院出来るし、早く帰りたいって気持ちが今は強いよ」


我が家が恋しいと思うことが、仕事の退勤時以外であるとは考えもしなかったのが正直なところだ。


日常生活に戻るためにも、今も眠る姫のためにも一刻も早く完調を目指さなければ。


「美作一美について、早急な解決も望みたいところだな」


時也の言う通り、このままのさばらせておくにはあまりに危険な存在だ。


美作一美。彼女は一体何を思って俺を刺したのか、わざわざ喫茶店の従業員に成りすますまでの警戒心を露わにしながら、何がそこまで駆り立てたのか。


誰でも良かったのか、それとも……俺だから殺そうとその凶器を突き立てたのか。


いずれにしても真意は本人にしか分からない。


「そうだな……二次災害も考えると、早く逮捕されることを願うまでだ」


またいつ、誰が俺のような凄惨な目に遭うか分かったものじゃない。ましてや日和にまで危害が及ばないとは限らんからな。


もしも日和に手を出そうものなら……。


「ひ、ひーくん」


小町の声にふと我に返る。気付けば時也も声の主も目を見開いて俺に注目していた。


「どうしたのひーくん、笑顔がいつもより怖いよ……?」


「全くだ。貴様はただでさえ危険な笑顔を持っている、だと言うのに何だその笑みは……」


まるで。


「美作一美を、迎え撃とうとしているようじゃないか」


的確ではある。だが……そんな時代は終わったのだ。


終焉を迎え、こうして平和な日常を手に出来たのだ、一体俺は何を考えているんだ。


「まさか。改めて良く無事でいられたなって思ったらさ、思わず笑っちまったよ」


日和に向かう凶刃があるのなら、死を以って償わせようなんて……いらぬ考えだよな。


そんな空気を壊すが如く、部屋にノックの音が響く。小町が戸惑いながらも入室を許可してくれたので、扉は開かれた。


おずおずと姿を見せたのは当然、西表(いりおもて) 野良子……ノラだった。


「ノラ、良く来てくれた」


声を聞いてほっと一息といったところか、豊満な胸を撫で下ろしノラはくしゃと笑う。


「青山先輩……良かった、本当に……」


「本当に?」


俺は反芻する。時也たちが見ていたであろうものとは毛色が違う笑顔で、ノラの返答を待つ。


「こんな時に嘘吐いてどうするんすか、あたしはあなたにまた会えて……嬉しいんすよ」


扉を超えて真っ直ぐベッドまで駆け寄る。そのまま点滴の刺さった左手を優しく握る。


壊れ物に触れるような力に、白くすべすべとした手のひらが重なる。


「本当に……」


手の甲に額を押し付けるように顔を覆うノラに、辺りはまたぞろしんみりムード。


慣れない環境下に俺は内心ドギマギしながら右手で頭を撫でる。良く考えたら、この中で一番冷静だったのは小町だよな、すげぇなこいつ。


ともかくこの涙を誘うような空気を何とかせねばと思い。


やがて俺は撫でる手を止めて、問うた。



「それで、次はいつ俺を殺す手段を講じるんだ?」



当然ノラの肩がぴくりと震える。


今も硬直状態が続き、微笑ましい親のような心境で俺たちを見つめていたであろう時也と小町の表情が驚愕に満ちた。


「美作さんが電話越しで俺と接触した日にお前が帰国したのは、偶然だったか?」


「……先、輩?」


「良くそんな顔が出来るな。むしろ尊敬するよ」


手に押し付けていた顔を上げるノラに言ってやる。不審点はいくつかあったが、中でもずば抜けて怪しかったのはこれだろう。


「肉親が行方不明なのに警察へ行きたがらないのは何でだった?」


そして、これはあくまで推察だが……ノラは再会して焼肉を食べたあの日から、すでに俺を殺す算段を……伏線を立てていた。


周りの情景に決して目を向けさせず、自分の迅速な行動、話したがりな性分を使った視野の矯正。


耳も目も口もノラに向けていなければ、きっと俺も日和も美作さんが従業員に成りすましたことにも気づけたはずだ。


もっと言えば、と言うかこれがほぼ確信だけれど。


自分よりも他人を絶対尊重の意思が強い日和が、俺が刺され眠り続けるここまで反応出来ずに居たことだ。


自分のことよりも他人を愛し、俺はそんな日和を信じている。だからこそ、日和にとってこの事件は不意打ちだったのだ。


そしてこの不意打ちが成功に変わるとすれば、日和並みに信用に足る人物が……言葉は悪いけれど、裏切らなければ成り立たない。


簡潔に言って、俺はノラに嵌められて美作さんに殺されかけたのだ。


「貴様、いくらなんでもそれは……」


「俺だってこんな言いがかりじみたことしたくないよ。けど、あまりに繋がり過ぎるんだよ。もっとも……」


時也の困惑に濡れた発言を遮り、ノラへ視線を投げる。


そう、もっともノラがこの推察に対してどんな反応を示すかだ。


杞憂に終わればそれでいい、俺の考え過ぎとして処理される些末な問題となる。


けれどそれはあくまで俺にとっての問題だ。ここまで言い切ったのだ、蔑まされる覚悟だって出来てる。それだけ最低な推論だから。


だが本当の問題は、再び目線をベッドに落としてしまったノラだ。肩を震わせ、握る手はあまりにか弱く、頼りない。


この病室において、一番あってはならない答えを示しているのはノラであり。


こんな結末を迎えて欲しかったと誰よりも願うのは、俺なのだ。


ノラにはもう、いつも見せてくれた気遣いに長けた迅速な行動はなかった。


そこに居るのはそう……罪を自白する犯人の姿だった。


「だって……しょうが、ないじゃないっすか……叶わない願いを……夢を見て、何がいけないんすか……」


ぽろぽろと溢れ落ちるノラの独白に、日和以外の全員が耳を傾けた。


「叶わない……そう分かっていながら手を伸ばすことの、何がいけないんすか……!」


「……悪く、ねぇよ」


それ自体は悪くない。ノラの願いは分からず終いだけれど、誰だって望みは持つ。


時也はプロとして羽ばたくことを望み、その願いを果たした。


小町は夢の重さに誰よりも自覚を持ち、身を引いた。


日和は恵まれた才能を捨てて、自分の思いにどこまでも忠実だった。


そして俺は……特異な出生に一度は生を諦めかけながらも、こうして生きている。生き続けている。


俺にとって、それが願いだったから。


誰かにとっての不遇は、ハンデでも何でもない。願いに向かって行く上で立ちはだかる溝なんだ。


叶わないはずの場所を、どれだけ深く大きな溝でも飛び越えて、目指していたから。


それでもめげずに手を伸ばしたからこそ、今があるんだ。過去を踏んで今を勝ち得て……未来に進もうとしているんだ。


「ここにいた美作さんは、美作 二三(ふみ)……学生時代、俺の後輩でいてお前の学友だった子、そうだな?」


シーツに大粒の涙を溢しながら、彼女は頷いた。自首とも取れる相槌に、小町が息を飲み時也が腕を組んで目を閉じた。


これで繋がった。ノラと美作さんは共同戦線を用いて俺に刃を向けた。


「美作さんが今どこにいるのかも、分かってるんだよな」


「……はい」


掠れそうな声で言う。大きな溜息を吐いた時、タイミングが良いのか悪いのか日和が寝ぼけ眼で起床。


場の空気を読んだのか、珍しくちょっかいを出さない。それともいつも通りまだ寝ぼけているのか、どちらにせよこの子の寝起きは悪い。


「なぁノラよ。どうしてこうなったんだ、お前の……お前たちの望みとは、何だったんだ」


ついぞ俺は核心に触れる。遅かれ早かれこれは解決させなければならない問題だ、迂遠にしたところでいつかは聞かなければならないことだから。


俺は問うた。ノラは答えた。


「……好きな人を……取られた、から……」


顔を上げて、その張本人目掛けて視線を向けて。


その視線の先を追ったのであろう小町と時也と俺は、あまりに素っ頓狂で呆気ないくらいに間抜けな言葉を発した。


「「「……えっ」」」


ノラの視線の先、そこへ俺たちも集中した。いや……正確には、集中された。


まさかノラは……「俺」を日和に取られた、と……?



「青山先輩に……日和先輩を、取られたから……!」


「「「えっそっちかー!!!」」」



またハモる俺たちは、まさかの腰が抜けるような展開にズコーっと倒れそうになる。俺に至っては傷口が痛くなって来たもん。


そうか、そういうことか……。


話しをまとめよう、主に俺の冷静さを保つために。何事か要領を掴めていない日和のためも追加で。


美作さんとノラは二人とも学生時代同じ学年のよしみで仲が良かった、しかしそのどちらも日和に対して性別を超えた愛情を秘めていたと。


そしてあろうことか恋愛対象を俺みたいな馬の骨が日和を掻っ攫ったのが原因で、今日までノラの海外レコーディングが終わるまで美作さんは形を潜め、帰国寸前で接触。


そこからはお互いの気持ちが変わらなかったこともあり、俺と電話で話した時に繋がるってわけか。


ノラの情報を足して得たまとめに項垂れる俺と時也。何故か小町が赤い頬を両手で押さえてご満悦なのも含めてげんなりだよ。


「あたしにとって、日和先輩は天使なんす……天使先輩って呼んで良いですか……!」


「私は天使じゃないわ」


意識してないんだろうけど、結果的に某天使みたいな台詞になってるぞ日和。


「えぇっとつまりこれは……日和が答えてやれば良いんじゃないか?」


俺は巻き込まれた、と言っては語弊があるだろうが、それでも当事者であるのには違いない。


だから道を示した。日和のためにも、ノラのためにも。


「何を」


小首を傾げ、実は終始眉間にシワを寄せていた日和は問う。


「お前が、ノラに対しての気持ちに、だよ。要はさ、日和のことが性別の垣根を越えてノラは好きなんだ」


だから、あまりに言葉にし難いこの現状を解決してほしい。最初こそ驚きはしたが、同性でもノラと美作さんは日和を好いていたんだ。


その思いに驚きこそすれ、不快に思うことはない。


人を好きになることが恥ずかしい、なんて言う奴の方が恥ずかしい。


人を好きになることに、それ以上も以下もない。


人を好きになることを、どれだけ歳を重ねたところで……誰が笑えるだろうか。


「ノラ」


変わらぬ表情のままベッドから降りて行く。スリッパを履いて俺の側にいるノラの手を握って腰を落とし、目線を合わせる。


このまま静寂を迎えそうな病室に、今度は日和の言葉が刺さる。


「人を好きになると、どうなるか分かる?」


「…………」


生唾を飲み首を振る。


なおも優しくノラに語りかける日和は続けた。


「ここがね、苦しくなるの」


胸を押さえて、ノラを握る手に力が篭ったように思う。


「私たちは苦しいと生きてるって実感するの。恋って多分、苦しいものだと思うの」


なのにね、と続ける日和にノラは夢中だった。


「見える世界が変わるの。何もかもが色づいて、すっごく綺麗に見えるの。色も、温度も、音も……全てが見違えるの。だけど、ノラはひーくんのそんな世界を壊そうとした。同じ気持ちを抱えているはずなのに」


ひーくんと……俺と同じ、好きって気持ちを持っているはずなのに。


ノラはその苦しみを、奪おうとした。それがノラと俺たちの相違。


気持ちのすれ違い。


思い違い。


「ノラの気持ちはきっと、恋じゃない。だから私はその気持ちに応えられない」


魚のように口をぱくぱくさせて、何か言いたげだったノラを遮るように頭を下げる瞬間の日和は、どこか辛そうだった。


「ごめんなさい」


「……はい」


こうして。


命を懸けた長年の恋慕が一つ、終わりを迎えた。


恋をすることは生きることと同じだ。それは当たり前のことかも知れない。


けれど、もしもそれが当たり前ならば……いや、これはやぶ蛇だろう。


その恋に失敗した者は、死ぬことと同義ではないかなんて、少なくとも俺には言えない。


誰であれ、俺としても日和を譲るつもりはない。


日和が俺を選んでくれたように、俺も日和を選び続ける。


例えそれが……可愛い後輩が相手でも、だ。





それからは劇的に環境が変化したと言って良いのか、言葉が難しいけれど。


案の定熱が上がったのを隠して退院しようとした所、ひーくん検定一〇段保有者である日和にバレてしまい、三日程日常へ帰る時間が延びてしまった。


人の世話に関してなら右に出る者のいない、ましてや俺を知り尽くした日和を出し抜こうなんて邪にも限度がある愚考を阻まれつつも、予定日から三日後何とか解熱した俺は退院へと持ち込んだ。


久々の我が家に帰れば、ノラの書き置きが残ってるだけでいつもの生活スペースがあるのみ。


そしてその書き置きに、さしもの日和すらもげんなりさせた。


『あたしたち、二人で罪を償ってから結ばれます』


ノラと美作さんのツーショット写真が、今もテーブルに鎮座されたまま硬直してしまう俺たち。


やがてその写真を書き置きごと日和の荷物で山となった魔窟へと投げ込み、無かったこととした。


時也はその後頭痛に苛まれながらも、新たなライブツアーへの打ち合わせへ向かった。


どんな心境でもプロ意識だけは忘れない彼を素直に尊敬するのと共に、何というか心配かけた挙句この結末をどう伝えたものかと思案投首する日々が続きそうだとどこかで思った。


小町はいつも通りの平常運転、時折暇になると我が家へ遊びに来ては騒いで帰って行く。どこまでも真っ直ぐなこの子を羨ましく感じたのはここだけの話しだ。


さて、渦中の美作さんだが、実は彼女ずっとこの町から離れた廃ビルに隠れ潜んでいたところを、ノラの自供によって暴かれて御用。


今は判決待ちであり、そしてノラの母親もまた行方不明なまま。


「……だけど」


今回の事件をきっかけに、ノラのデビューはお蔵入り。不祥事に肩入れしたのだから当然だと時也は言うけれど、長い歳月をかけて手にしたプロ入りのチャンスを捨てたこと。


それだけが俺には解せない。ノラにとって、日和は自分の夢を捨ててでも得たかった人物なのだろうか。


人生を懸けて追いかけた道よりも大切な人、か。


「ひーくん」


抜糸も終わり、どこかふわっとした違和感のある傷口を摩りながらソファーにもたれていると、俺の思考を途切る声が聞こえる。


見れば右隣に日和がいる、変わらぬ無表情で俺を見上げている。その瞳と声に吸い込まれるように、俺は彼女を抱き締めた。


「どうしたの?」


「いや、まぁなんだ」


正直完全に無意識だった。何故だか彼女を抱き締めていたのだが、まさか本当に吸い込まれたのか?


手塚ゾーンかな?


「悪い、なん……」


謝りながら離れる寸前、首まで回した手を掴まれて逃亡不能となる。握る手は決して強くはない、非力な日和なのだから当然かも知れないけれど。


その分だけ今回の事件で日和の心は強いこと改めて知った。


誰にも物怖じしない、強くて弱い俺の嫁は言う。


「お帰り、ひーくん」


「うん、ただいま日和」


「離れないで」


「ずっと一緒に決まってるだろ」


「お腹空いたね」


「そう言えば病院食ばかりで健康的な体になっちまったし、たまにはがっつり食べたいな」


「お外で食べる?」


「……いや」


今日はどうしたことだろう、家から出たくなかった。もっと言えば、この状況を覆したくなかった。


「飯は食べる、俺が作るから」


「でもひーくん、病み上がりよ?」


「肉炒めるくらいで済ませるから良いよ。だから、もう少し……その、このままで」


「……甘えん坊ね、ひーくん」


「そうかも知れない。俺は自分が思ってる以上に甘えたがりだ」


延々と。


俺たちは互いの存在を確かめるようにきつく抱き締め合う。


「俺さ、相手がノラでも誰でも……日和を渡したくない」


「私は誰にもなびかないわ」


俺から離れる。腕で巻く力がなくなったのを名残惜しく思ってしまったのが通じたのか、体温を帯びた手を肩に置かれた。


一人分もない程の距離に日和の顔があった。頬を朱に染め、だけど目線だけは外さないで。


「何があろうと、私はひーくんが好きだから」


俺も同意見だと示す相槌を交わし。


今度は誰の邪魔も介さず、どちらともなくそっと唇を重ねた。


こうしてノラと美作さんによる事件は幕を閉じた。


もっとも。


美作さんは『自らの意思』で殺人未遂に手を染めたわけではないと言う、圧倒的な破壊力を秘めた真実に気づくのはもう少し、先の話しなのだが。

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