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青山さん家 2  作者: 宇佐美 風音
6/21

青山さん家が出来るまで②

秋も深まり、冬がアップを始めたらしく時折首筋を冷たい風が通り過ぎて行く一一月の放課後。


そろそろ寮の各部屋に点在するヒーターを起動するタイミングがやって来たのだろうかと頭を悩ませながら、それは突然俺たちを襲った。


「いぇーいひーくん、ピースピース」


寮の自室に帰った俺とルームメイトの長瀞(ながとろ)時也(ときや)は、扉を開けた途端両手でピースサインを形作る義妹の無感動な表情と姿を目に映した。


背中を覆い隠すような長さに白髪、寝不足なのかと聞きたくなるような半分垂れた瞳で見つめられる俺たちは、さながら感情を失ったヌマ○ローのような顔で起立していたことだろう。


何故棟すら違う女子寮から男子寮の、それも兄の部屋に居てそんなダブルピースを見せつけているのか、もはや問う気にもならない。


我が義妹ながら中々どうして妙ちきりんな行動を起こしたものだと思い至りながら、その無音が一〇秒程経過したところで。


「……もぉー! うんとかすんとか言ったらどうなのさ!」


台風が巻き起こった。


我々の共同スペースにて正に寝転がりクルクルと回る回って行く、あいやいや。


血の繋がらない酷くどこぞの干物妹(ひもうと)を彷彿とさせるような我儘っぷりを披露している妹、青山 (ひな)は彼女を中心とした風を巻き起こさんと尚も回り続ける。


しかし備え付けの勉強机とは別に部屋の中心にて作業台として機能してくれていた折り畳み式のテーブルに足を強打した辺りで、その嵐は声も上げずに途端に沈黙を示した。


「僕たちに何をしろと言うんだ」


ついぞ雛以外の、時也の女性と聞き間違えてしまう高くハスキーで呆れ果てた声がぽつりと落ちる。彼女……もとい、彼の言う通りだ、果たして俺たちは何をどうするのが正解だったのか、完全に沈黙したパターン青の行動からは察することが出来なかった。


あ、ちなみにパターン青の理由は使徒と揶揄したからではなく、制服であるスカートから青いおパンティーが見えたからだからね、勘違いしないでよね(棒)。


「ひ、ひーくんも時也くんも分かってないよ……」


ヒクヒクと震えながら腕で体を支えながら立ち上がっていくその姿は、さながら一〇カウントを目前にして立ち上がったボクサーのようだ。


なんて比喩を用いているとぴしりと背筋を伸ばして俺目掛けて指を差し、言い放たれた。


「そんなんだから二人共、いまだに彼女が出来ないのよ!」


ガラガラドッシャーン。


なんて落雷のような効果音が鳴ることも無く、どこまでも感情を失くした面持ちを保つ俺たち。


ではあったのだが、俺は靴を脱いで入室。そのまま雛の両肩を強く掴み上げ、我ながら稀にしか見せない真剣な表情で口を開いた。


「好きだ。俺と付き合ってくれ」


雛の顔が紅に染まり、獲物を狙う肉食獣よりも鋭い視線でキッと睨み上げられ、肘を突き立て俺の鳩尾目掛けて叩き込まれた。


「気持ち悪いっ!」


「だゔぃんちっ!?」


突然の報復を受けた俺は、後世に残りそうな声を上げて倒れ込んだ。その様をおはようからお休みまで目にしてしまった時也が、すかさず腹部を両手で隠しながらカクカクと小刻みに震えていたのが見える。


「な、ななななななななななななななななななななんなのよ! いき、いきききいきなりそんなことほほほほほそそ!」


動揺し過ぎだろ、言語崩壊も良いところだ。もはや「さて今私は何回『な』と言ったでしょう」とか、そんな暇潰しみたいな問題が出来上がるまであるぞ。


痛みで軋む上体を起こし、後ろから時也が肩を貸してくれた。礼を言いつつ力を借りて立ち上がると「返却期限は守れよ」と抜かしおる。お前はTS○TAYAか。


このまま返却期限を記載したレシートか念書辺りを手渡されそうなので、とかく雛を優先して言葉を捻出する。


「帰って早々予想外なことを始めたお前に言われたくはないな……」


俺としてはいつまで経っても彼女が出来ないのよと言われたことにカチンと来て、雛を相手に告白紛いの言葉を送ってあわよくばぐっへっへと言う算段で居たのだが……。


そうは問屋が卸さない雛は胸ぐらを掴んで前後に揺らしつつ、感情の赴くまま怒鳴り散らす。


「このシスコンこのシスコンこのシスコンこのシスコンこのシスコンこのシスコン!」


「馬鹿野郎、シスコンの何が悪い。俺は雛が大好きだぞ」


「うなあああああああうるさあああああああい!」


今度は頭突きを加えて来たのでさしもの俺でも三半規管的にも肉体的にも限界を迎えそうだ。


しかし酷い奴だな雛よ。昔は大好きだと言えば子供らしくくしゃっとした笑顔を、風呂セットに必須なアヒルの人形よろしく浮かべてくれたのに。


これが思春期ってやつなのか、世知辛いぜいやはや。


「イチャついてる所申し訳ないが」


あ、時也居たんだ。と言うかお前いつの間に離れてやがった、そんなに巻き込まれるのが嫌だったのかこの野郎。


共に前後に揺られてれば良いものの。この時代のように揺られていれば良いものを。


「そこの方は雛の知り合いなのか?」


なんて茶番を心中にて繰り広げている中、いつまでも冷静な時也が紡いだ。


手で差す先には、どこか控えめにもじもじとした黒いショートヘアと顔を下げて立ち尽くす女生徒の姿が。


頬は紅潮し、あぁここまでの流れを完全に乗り過ごしたのか、はたまた何をするとも出来ずただ立っていることしかできなかったせいなのか、どこか目も挙動不審だった。


「あぁそうそう。危うく本題を忘却の海に投げうち溺死させちゃうところだったよ」


名残惜しい反面ようやく痛みから解放された俺から離れ、雛は後ろから彼女の両肩を握り耳元に顔を寄せた。


「君には何が見える」


「敵は何だと思うとか言わなくて良いからね」


予想だにしないエルヴィン団長のログインに、赤面しながら焦りの色の濃い瞳で雛が見つめられる。


思わずそんなフォローをしてはみたものの、案の定そのまま捕らえた巨人が狩られることもなければ壁外調査に出向くこともなく、ここに来て第一声を放った。


「あ、あのう……私、芸術科の美作(みまさか)と言います……」


聞けば中等部芸術科所属の二年、美作 二三(ふみ)と名乗る雛の数少ない友人とのことだ。


本来我が校特有の学科専門授業は午後からの二時間を利用し、学年問わず参加資格がある。


楽器によるプロ支援も取り行っていることから、ついこの間まで声楽学科だった時也の専門授業も音楽科としてまとめられ、普通科である俺としてはしっちゃかめっちゃかなシステムだったので深くは知らないのだが、少なくとも同じ芸術科の小町(こまち)を除いた芸術科の生徒と話すのは初めてだ。


「ふむ。紹介が遅れてすまない、長瀞だ」


再び俺の隣に立って、声の可愛さとは裏腹に格好良い自己紹介を果たす時也に続く。


「俺は……」


「こっちはひーくん。前に話した義兄に当たるシスコン」


「要らぬ誤解を生む発言はやめような」


「んでひーくん。この子が前に言ってた、会わせたい人だよ」


人の注意に行き場のないスルーパスを決め、中指と薬指を畳んでラッパーのように美作さんとやらを強調するべく指し示す。


しかしなぁ、片や芸術科に身を置く年下の女生徒。片や普通科で取り立てて目立つこともなく、強いて言えば物書きであるくらいしか取り柄らしい取り柄のない俺に、雛は何故会わせたいと思ったのだろうか。


何か俺の知らない接点でもあるのだろうか。もしかして絵を描きながら文章も嗜んでいるとか?


器用だなおい。爪の垢を煎じてしまいたい欲に駆られるってもんだ。


「実は、私の学科で好きな題材で絵を描けと言う課題が出されまして……」


あー、そう言うの困るよね。晩御飯で何が良いか聞いて何でも良いとか答えられる類の課題だわ。


人間何でも良いって言葉程信用ならんものもない。大抵それに通ずる案を出しても叩き潰されるのがオチだし。


「そこで、ひーくんの小説を題材に描きたいから詳しく話しを聞きたいんだってさ」


ここに来て雛が言葉を紡ぐのか。なんてのはさて置いて……俺の小説、ねぇ。


つまり自作のサイトで投稿してる小説を指しているのだろう。と言うか、そこ以外で俺は今のところ書いてないし、授業中や休み時間に思うがままに書いてる比較的自由度の高い、規律なんてないまま思うように書いてる駄文なのだが……なに、そんな小説が好きなのかこの子は。


妙に背中がむず痒いな、読者を目の前にする日がまさか来ようとは思わなかった。しかも同じ学内で。


「何だ貴様、知らないのか。ひーくんの小説は我々専門学科生徒のほとんどが読んでいるぞ」


無論僕もその例に外れない。付け足された言葉ごと衝撃の事実として脳を揺るがす。


マジかよ、知らないところでそこまで知れ渡っていたなんて。宣伝なんてほとんどしない、あっても身内にしか教えていないのにどうしてそこまでの人数が読んでいるのだろう。


「詳細を教えろ」


「なに、簡単なことだ。とある人物に初めて感情表現をさせたのがきっかけでな、そうして僕らの間で知れ渡り今に至るんだ」


おっと、ここに来てさらなる第三者。そしてそいつは良く見つけ出したな、褒めてつかわす。


ともあれ書いてる側としては読者が居るのはありがたい。面と向かって言われるのは流石に意表を突かれたけれど、喜ばしい事実には揺らぎがない。


「それで……そのとある人物ってのは、時也の顔見知りなのか?」


真っ先に名前を出さず敢えて「とある人物」と比喩したのは、時也が口にしたくないだけなのか。


はたまた俺が知れば何かしらの害があるのかと思ったが、苦虫を噛み潰したような顔でいる時也を見る限りどうやら前者のようだ。


「ま、別に良いけどさ」


「貴様の考えてることが真実ではない。僕としても、彼女には一目置いているんだ」


彼女、とな?


今の所俺の小説を見つけ出した奴は女であることしか分かってないが、まぁそれは本当に良いんだ。


俺が昔のことをひた隠しにするのと同じで、話したくないことは無理に聴き出したくない。もっとも、俺の場合大抵信じて貰えないだろうという考えからなのだが。


「何はともあれ、俺の小説について聞きたいらしいけど、もし良かったらプロットあげようか?」


「よろしいのですか?」


うおっ、やたら食い気味だな。まぁ別に企業が著作権を得ているわけでないし、問題なかろう。


独断で教科書やらを雑に並べている机の上部から、紙の束が詰まったクリアファイルを取り出す。


この中には俺が更新してる小説の上部のみを記したプロットがある。キャラクター紹介用の説明文、世界観やコンセプト、ターゲットなんかも明確に記している。


「ちなみに、ストーリーに関わる文はここにはない。流石に書いてる側としてもネタバレは避けたいからさ、そこは勘弁な」


「それでも充分です、あとは私なりに解釈して描いてみますので、もし完成したら、その……」


ちらりと、上目遣い気味にこちらを見遣る。こっちとしても願ったりかなったりだ。


「是非見てみたい。どんな風に受け止めてくれてるのか、作者として非常に気になる課題だ」


一次元を二次元で表現するなんて、当人では中々ありつける機会ではないからな。どうしたって別の人の手が居るのが定石だ。


自分で書いた文章を自分で絵として描く。そんな器用な真似はそうそう出来ない。やりたくても、そんな簡単なことではない。


この世の中は、どれだけ本気で将来を求めても届かない場所ってのがある。そこに辿り着かせてくれるという申し出を却下出来得る理由、少なくとも俺には持ち得ない。


「ありがとうございます、人伝てとは言え、お願いしてみて正解でした!」


ここ一番のハキハキした声に、思わず口元が綻ぶ。こんなことで手伝えるのなら嬉しい限りだ。


「「ひーくんは笑うと犯罪者みたいだな(だよね)」」


「よーしお前ら表出ろ、首と言う首を切り落としてやる」


美作さんを除くニ名を痛めつける決意を固めた。





あれから俺と美作さんは雛の計らいで連絡先を交換した。プロットを読んでて説明が必須な場合があったら困るだろう、とのことだ。


まぁ俺としても時也たち以外のアドレスと番号で使い道をあまり見出せていない携帯を扱う良い機会でもあるし、なんて思いながら了承した日から時間が経過。


翌日の昼休憩となった今、時也と小町の下へ合流して腹を満たす算段のある俺は教室を弁当片手に抜け出した。


制服の内ポケットにある携帯が会いたくて会いたくて震える……なんてことはなく、普通にマナーモードが起動した携帯に着信が走る。


バイブレーションの間隔で電話かメールかを判断してるため、ゆっくりと間を置くそれはメールだと知る。


廊下ですれ違う現国担当教諭に頭を下げつつ、階段に差し掛かり携帯を開く。


言わずもがなメール着信だったそこには、美作二三の名前。早速メールか、字が汚くて読めないとかだったらショックだな。


『美作 二三

件名:私です

本文:突然すみません、お聞きしたいことがあったので、皆さんのお昼にご一緒させてもらってます』


メールや電話なんていつでも突然だろう。なんてことは、捻くれた言い方なのだろう。


それでも美作さんが時也たちと落ち合ってるということを知れた。あいつらが良いと言うのであれば俺も文句はない、飯の場は人が多いに越したことはないしな。


今行く、とだけ返信して一階に降り立つ。我が一年生の教室は三階建て校舎の三階に位置する。音楽科や美術科である生徒は所謂特別棟と呼ばれる隣の校舎にあり、一階の渡り廊下で結ばれている。


今から向かう食堂へは、この渡り廊下の真ん中にある別ルートを通ることとなり、その道行く先には体育館と武道館もある。食堂はその体育館からちょっと逸れた廊下を渡った先にあるのだ。


途中の渡り廊下にある自販機に寄ってコーヒーを購入。食堂には自販機はなく水だけだからな、欲は言うべきじゃないんだろうが、やはり俺の中ではコーヒーは必須アイテムなのでお供としていつも買っている。


至福の微糖と弁当を片手に見たことはあっても名前を知らない生徒たちを横目に、渡り廊下へ着いた頃には涼しいを通り越して寒気を催す風がなびいた。


夏でなくなったことで額に蔓延るじんわりとした汗がない分、気持ち良さの欠片もないただただ冷たいだけの風に顔をしかめつつ、進んでいた足が不意に止まる。


まるでそこにあるかの如く風を受けてベンチに座る少女がいた。


体育館へ向かう廊下の反対側。枯れ始めた植木を背にしたベンチで携帯を見つめるその少女に……俺の視線は奪われた。


茶色いショートヘアに画面を見てるせいか細められた瞳。これ以上陽に当たれば溶けて消えてしまいそうな肌の白さ、全てが規格外であり……希薄に見えた存在感だが、視認することで目を離せそうにない魅力のが詰まっていた。


こういう子を絵になる、なんて表現するんだろう。彼女を中心に映るその光景全てが絵画のようだった。


思わず溺れてしまうような錯覚に陥る。


こんな感覚自体初めての経験なだけに、自分でも酷く動揺しているのが分かる。


やがて少女が思い出したように一度瞬きをした後、俺と目を合わせる。青みがかった瞳は日本人特有の色を持っていなかった。


そのまま立ち上がり顔色一つ変えることなく、ローファーとコンクリートが接地した時に発せられる擦れるような音もなくこちらを目指す。


まずい、見つめてしまっていたことがバレたのだろうか。どの道やっていることは堂々としたピーピングトム、抗いようもなく俺に責任がある。


「あ……っと」


思いがけない行動に声を出そうにも、喉は渇いた大地に浸透する一粒の水滴のように落ちて霧散した。


なおも進撃を続ける少女はやがて……眼前ですら止まらずそのままぶつかった。


「ちょっ……と待て待とう待ちなさい待ちましょう」


今出せるだけの制止を強制することでようやくその動きをやめ、二歩分程離れてくれた。


今時某掃除機ですら壁にぶつかることなく仕事をこなすと言うのに、この子ったら止まることを知らないが如く進むんですもの。進撃の女人かっつの。


いや、この場合女型の巨人と比喩するのか?


「えっと……色々問いたいことはあるけど、取り敢えず何事?」


そんなどうでもいいモノローグはさておき、この子だこの子。何、君台風なの。遮られることを知らない無垢な天災台風なの?


依然として表情に変化はなく、下ろした腕には白い携帯が握られている。ボタンを良く見れば数字やあかさたなが大きめで。


つーかこれ所謂『RAKURAKU☆Phone』じゃねぇの?


「……あなたは」


らくらくフォンを手にする女生徒がついに重い口を開いたので息を呑む。


それもそのはず、たった四文字なのにその全ての音が無駄なく抑揚があるのにすらりと……もっと言えば、一直線で透き通っていたのだ。


意識して出したものでないとしたら、魅力的な美声としか言えない。


そしてそんな声で紡がれた言葉に思わず。


「自由と束縛、どちらを望むの?」


ヒー○・オスロかな?


なんて……口に出してしまいそうになった。


いやだってさ、俺たち初対面だよ?


そこへ突然自由でいることに怯え束縛を求めた某主人公であるかを問われるなんてさ、思いも寄らないじゃない?


別に迷路の中ただ一人で空を見てるわけでもあるまいし。


「いや、どちらでもないけど……」


絞り出すように返答するが、彼女は首を横に振る。ゆっくりと、それでいて確実な否定の証。


何が否定に値したのかは、先程まで視線を釘付けていた携帯の画面に記されていた。


押し付けるように差し出された携帯を手にして、そこにある文字の羅列に見覚えを感じた。


「束縛されることを選んだ彼は、何故自由を諦めたの?」


俺が書いた小説と少女の無垢な青白い瞳を交互に見遣る。昼時に読むような内容ではない我が作品、「アスタリスク」。


平和な家庭に産まれた少年が幸せに包まれた一〇歳の誕生日に、誘拐されたことにより奴隷生活を余儀なくされるこの自作品。彼女もまた美作さんや時也同様読者の一人であったわけだ。


「あんた、これ……」


掠れた声に合わせて俺の手にあった彼女の携帯を取り、射抜くように真っ直ぐな目線を向けられる。見上げられた俺の瞳から、何かを探るようなそれに変わる。


俺にはこの目の正体が分かる。人が人を品定めする時の目だ。俺がもっとも忌み嫌い、忘却の彼方へ葬ったつもりでいた記憶の片鱗に今も残り続ける、悪夢のような数年間。


「あなたが、ひーくんね」


静かに俺の名を暴く彼女に抱いた最初の感情が、まさか恐怖だったなんて。


誰も思いはしなかっただろう。


ペンネームと俺の名であるひーくんは完全に一致しない、なのに作品の特色とその他諸々から作者を見つけ出す彼女は、背筋を凍てつかせるのに相応しい存在だった。


「……って冷たっ! 冷たい冷たい冷たい! えっ何これ冷たっ!」


と言うか事実冷たかった。


いつの間にか背後に回っていた少女が、弁当と共に持っていたコーヒー缶を服の隙間に突っ込んでいた。


ワイシャツと肌着をしっかり片手で握り締め、露出しているであろう肌に缶が当たる。この時期にこの仕打ちは些か辛いものがあるぞこの野郎。


「何すんだこんにゃろう」


尚も服の中で進行を続ける缶を取り出し、振り返りながら理由を求める。


「返事がないから」


「あぁ……」


もっともな理由だった。ここまで彼女の問いかけに一切答えていない自分への攻撃のつもりだったのだろう。それにしてはやり方が姑息だが、まぁこちらに非があるので黙っていよう。


……いや待て。良く思い返してみたら最初の質問に返事してたじゃねぇか。何だこれ興味本位かわざとか或いはわざとなのか?


「ただのひーくんかと思ったわ」


「屍と俺をイコールで結ばないで」


生きてるからね、俺。最初以外返答こそなかれ、ちゃんと立って息をしてたからね、俺。


だからただの屍みたいに人を扱わないでくれ。悪かったとは思ってるから。


「えっと、それじゃあ答えを出せば良いわけね? 確か、束縛されることを選んだ主人公が自由を諦めた理由だったか?」


「空に吐いた唾がいつまで経っても落ちて来ないからおかしいなと思って視線を下げたら人が埋まりそうな程の深いクレーターが出来てましたそれは何故、よ」


「質問違うわそんなに長くなかったんだから普通途中で気づくだろってことよりそれらを全て一息で済ますお前の技量にびっくりだよ」


一気に言葉を発せられたのでこちらも一息でツッコミをくれてやった。


何この子ハナっから普通に会話する気なかったってこと?


「冗談よ」


「ったく、脅かすなよな……」


「何故男性は胸をおっぱいと言うことで興奮するの、よ」


「あーもう良いです俺が悪かった。ちゃんと答えるから、だから会話のキャッチボールしような」


どうでも良いが、おっぱいと言う方が何かいやらしくて興奮する。ソースは俺、後は知らん。


「……どうして?」


このどうしては、きっと束縛云々についてだろう。そうであって欲しい、出会い頭から晩年の夫婦のようなすれ違いしか起きてないのだから。


小首を傾げる彼女に向けて、渡り廊下のど真ん中で小説の内容を説明する俺は、さぞ邪魔であろう。


しかし、端に寄ろうと思って身じろぎをするとね、この子が退路を断つわけよ。つまり動けないわけよ。逃げないからせめて中央に居るのはやめない?


「諦める他なかったんだよ」


「何故」


「分からなかったからね、自由を手に入れる方法が。分かるのは束縛されること、縛られること。そこに行き着くのに大した時間は必要なかったってだけのこと」


手を伸ばして届くのは母親の手のひらじゃないんだ。手を引くのは望まずして側に居る悪党のみ。


逃げ場もなく頼る術もない中で、自由を求める方法なんて考えたところで時間の無駄、寿命を自ら縮める愚行にしかなり得ない。


縛られることしか知らなかったんだ。自由を求めても良かったなんて、考えもしなかった。彼の生きる世界は、そう言う殺伐とした狭い鳥籠だった。それだけのこと。


「助かりたいとは、救われたいとは思わなかったの?」


「言っただろ、彼は分からなかったんだ。助かりたいだとか、救われたいと思っても良いなんて。正確に言えば、考える余裕も無かったんだけどね」


文章にもある通り、最初こそ戸惑ったけれど、そこから逃げ出そうなんて考えられなかった。捕まったが最後、彼はその鳥籠から抜け出す術を無くしたのだ。


少なくとも反抗しなければ死ぬことはない。彼は生きたかったから。


だから死に近付く楽観的な自由よりも、生き長らえる絶望的な束縛を選んだ。


「んで、あなたがひーくんねって問いについてだが……そうなるな。俺がひーくんだ」


天上天下俺はひーくんである。それ以上もそれ以下もない、名前なんてない。


遠い過去に捨てて来た。思い出すだけでも手首を掻っ切りたくなる衝動に駆られさえする、忌まわしき記憶。


言ってしまえば蓋なのだ。臭いものには蓋をしろ、ひーくんはそうして生まれたようなものだ。


「サイン下さい」


「俺、著名人じゃないからさ」


サインなんか書ける程の文豪になった覚えはない。ネットの片隅で恥をかいてるような奴だ、そんな奴のサインになんの価値もない。


「いつか大物作家になる」


「それは予言か?」


「面白い」


「えぇっと、それは内容が?」


「奴隷になった当初の彼が特に」


「ありがとう」


「ひーくんは何でも知ってるのね」


「何でもは知らないよ、知ってることだけ」


何このやり取り。帰って良いかしら。


白鷺(しらさぎ)


「話題が転々とするなぁ……」


「白鷺なのよ」


それはこの子の名前が?


「白鷺、さんで良いのかな?」


「呼ぶ時は 日和(ひより)


「ことみちゃんみたいなノリで言われても」


平仮名三つでことみちゃんってか。と言うかもしこれがこの子の名前なら驚きだ。


先程思い出しかけてまたひーくんで蓋をした本名に近いのだから、肩がヒクついたじゃないか。幸い名前だけで苗字は違うのが救いか。


「私は 智代(ともよ)派よ」


「悪いが俺は (なぎさ)派だ」


だから何なのさこの会話。


不毛にも程がある。お互いにとって生産性のある会話が成り立っているのかさえ不思議に思うレベルだ。


と言う辺りで食堂での待ち合わせを思い出す俺は最高にクズだ。すっかり白鷺さん……いや、呼ぶ時は日和だったか、この子に翻弄されていた。


これ以上待たせるのも忍びない、合流せねば。


「取り敢えず、俺そろそろ行かなきゃだからさ。またな」


このループにも思える現状を打破出来ると理解したからだろう、そうして無理にその場を後にしようと手を振って踵を返す直前、袖を掴まれた。


あまりに非力な握力に勢い余って引き剥がしてしまいそうになるが、寸前で止めることに成功した。


首だけを捻ってその犯人を見遣る。俺より小さな日和は、変わらぬ無感動な表情で見つめていた。


「……何か?」


あまりに不自然だったのだろうか、それとも俺の態度が癪に障ったのかは計り知れない。


けれどどうにも彼女が悪意を持って止めたようには思えなかったのは、この短時間で日和に毒された証拠なのだろうか。


「明日もここに居る」


「え?」


それはつまり、明日も来いと?


「またね、ひーくん」


あまりに突飛で勝手な出会いに約束。自由気ままなこの子に振り回された時間は、昼休みを丸々潰す程濃密で濃厚。


実りがあったかと問われれば首を横に振ってしまうような内容の数々。


けれど何故だろう、俺は彼女との会話に疲れこそすれ嫌悪を見せることは無かった。


どこか心地良さにも似た、羨望の眼差しを向けてしまいそうな女の子との出会い。


過去の自分がこうであったらと思わざるを得ない。


自分に無いものを持つ、不思議で儚くて……誰よりも自由な彼女との時間はやがて、掛け替えのない物へと変わるのは。


「……機会があれば、な」


そう遠くない先の話しである。


こうして彼女との時間は今度こそ終わった。急ぎ教室へ戻る最中、とかく約束を反故してしまった時也たちの怒りを収めるに相応しい言い訳を用意することに邁進しようと思った。





「ひーくんは手が早いな。よもや彼女とエンカウントするとは」


放課後。音楽科での授業を終えて時也と帰寮したところ、昼間の件について時也へ打診していた。


お詫びの印に購入しておいたコーヒー缶を煽りながら、テーブルを挟んで向かい合う彼は口を開いた。


「じゃあお前、白鷺日和を知ってたわけか」


昨日時也が言葉を濁した人物こそが、俺の昼休みを掻っ攫ったキャッツアイの正体だったようだ。


そんな彼は缶をテーブルに置きつつ続けた。


「知ってるも何も、恐らく僕らの学科で知らない者は居ない。それだけ彼女は逸脱した存在だと言うことだ」


「えっちょっと何待ってよ、白鷺日和ってつまり音楽科なの?」


「話した、と言うのなら彼女の声を聴いたのだろう? 聴く者を魅了するウィスパーは僕からすれば脅威の逸材だ」


確かに思わず聴き入ってしまい、数秒程会話が成り立たなかったけれど……まさかそこまでの有名人だったとは思わないだろう。


学科が違うからか、それとも俺がこういった噂話に疎いせいなのか、どちらにせよ時也が好敵手と言うか言葉を濁した理由に何となくの合点がいった。


あの声は何だか眠くなると言うか、落ち着くし耳を余すことなく魅了している。それがこれで地声なのだから、歌声を聴いたら一体どうなることやら。


「専門用語ですまないが、彼女は類い稀なる1/fゆらぎの声を持っている。川のせせらぎや電車の揺れるあの心地に良く似た、通称ピンクノイズとも呼ばれるものを持っている」


「つまり、日常生活で聞くような……安心する声、か」


それならば安易に納得出来る。あのぽやっとしたふわふわな声は、それが原因なのか。


「無論、僕らにはあの声は到底真似出来ないし、地声からしてピンクノイズであるのだからスタートからして逸脱している」


けったいな話しだがな、と苦笑いを浮かべる時也の顔を見たのは初めてだ。それだけ彼女は学科で浮く程の声であり、実力を兼ね備えているのだろう。


時也の歌声はカラオケや年に一度の発表会で聴いたことがある。正直プロとしてテレビに出ていてもおかしくないと、素人ながらに思える自力をもっている。


そんな彼にここまでの反応をさせる白鷺日和と言う少女の歌声は、あの声から放たれる歌は……一体どんなものなのだろうか。


「とは言え、彼女自身歌に対して真剣じゃない節があるため、別の意味で浮いているとも言えるのが現実だ」


「真剣じゃないって……音楽科に所属してる以上、声楽かアーティストとかそういうのを志望してないのか?」


過去、数人とは言え国外でも活躍の幅を広げるまで頭角を現して、プロの道を突き進んだ人は居る。


それも留学制度、選抜による海外レコーディング枠など、選りすぐりの機材を集めた施設を誇るこの学園でならプロダクション入りすらも手に出来るチャンスがある。


あとはそれを掴めるか、そこは本人次第とは言えこれだけの材料を揃える学園の音楽科に在籍しながら、プロを目指さないと言うのだろうか。


……今度聞いてみようかな。


「は?」


「何だ突然。喧嘩腰とは穏やかじゃないな」


いや、思わず走った愚考に対してだ。機会があれば会っても良いが、どうしてわざわざそんなことを聞くためにあの中庭へ行かねばならんのだ。


「それこそ、は? だろ」


「もっとも、僕は君とだけは喧嘩したくないがね」


腕を組んで踏ん反り返る時也が嘆息も交えた辺りで、俺はわざとらしく笑う。


「勝てないから、か?」


「そうだ」


即答。何だ、意外だな。


時也なら売り言葉に買い言葉、受けて立つと思ったものだが……。


「喧嘩する程仲が良いとは言うが、僕はそもそも喧嘩に発展するような仲なら付き合いなんてしないからな」


……本当、女声寄りの声で格好良いこと言うよな、時也は。


思わず作り笑顔が崩れてしまうが、時也の言う通りだ。喧嘩しなくても仲が良い奴は居る。


人と人なんだ、意見や心の衝突はいつだって訪れる。けれど、そこから必ずしも喧嘩に勃発するわけではないし、そうする必要性があるわけでもない。


通じないのなら、通じ合えば良いのだ。


押し付けるのではなく、受け入れて貰えば良い。方法なんてそれこそ、人の数だけ存在する。


「お前のそういうところ。好きだわ、俺」


今度は自然に漏れた笑みで思ったことを口にする。


それに釣られたのか、彼もまたニヒルに笑う。


「間違っても惚れるなよ、親友」


「どうかな、キスくらいはしちゃいそうな程度には惚れそうだぜ」


何せ、容姿すらも女性のそれに近しいのだから、初見は皆騙されることだろうからな。


その中の一人が俺なのだから笑えない。男だと知った時の俺と来たら……。


「お前が女ならなぁ……」


なんて、つい。


そう、ついぽろりと心に留めておくべき本音が笑顔と共に漏れてしまい、しまったと思った頃にはもう遅い。


時也の額に青筋が走るのを俺は見逃さなかった。煽ろうとしてたコーヒーをテーブルに置いて、我ながらわざとらしいなと思いながらも気のせいだと感じて貰うべく立ち上がる。


出てもいない宿題を終わらせようと口を開く俺の肩を、テーブル越しに掴まれる。


まずい。


いや何がまずいって、時也の顔がまともに見られないくらいにはまずい。と言うか見たくない、ナマハゲを直視してる方が絶対マシだもん。


「そうか……そうかそうか、貴様はそんなに僕とキスがしたいか……」


違います。なんて……使う気の更々無い敬語が口から落ちちゃいそう。怖いんだもん、時也が。


だって見てよこれ、肩を掴んでる手にありえんティーなまでの力が込められてて、逃げ出すなんてクソな選択肢を選ぼうものなら口を三つになるくらいに割くぞと言わんばかりだもん。もんもん。


「良いだろう……そこまで言うなら完膚なきまでにキスをしてやろう」


「完膚なきまでって……そういう時に使うものじゃありんせんよ……時也はん……」


肩を掴む手が時也の方へ引っ張るのを全身で拒否する。


そしてついに痺れを切らした時也が引っ張りながらテーブルを踏み台に、俺の下へ飛び出す。


「のわっ! 馬鹿っ何やってんだ!」


「馬鹿は貴様だ! 性懲りもなく僕を女扱いして! 今日と言う今日は、その体に罰を与えねば僕の気が済まん!」


もうしっちゃかめっちゃかな現状だ。時也に跨られ顔を近づかれる俺が今度は肩を掴んで引き剥がそうと懸命に足掻く。


腕力には自信のあるつもりでいたが、今日の時也は一味も二味も違う。冗談でもマウストゥマウスを止めようとしない気持ちが強いせいか、段々と顔が迫って来る。


駄目だってこれ、本当駄目だって時也。


マジでファーストキスを男に譲ってしまいかねないって、真面目に本気でガチでマジで!


「時也! いやさ時也さん! 俺が悪かったから! だから退けて話し合おう、話せば分かる! と言うか離せ!」


自他共に認めるクールガイことひーくんが、珍しく声を張る。それでも時也は止めません。


「貴様の要求の! 全てを! 断固許否する!」


何でだよお前、散々言ってるけど本当女に見えるし声だって正に女声なんだから、これでキスなんてしたらただ不純なだけの同性交遊じゃねぇかよ。


さしもの俺もそんな趣味は御座らん。と言うかどうせするなら雛とが良い。


なんて噂をしていたら、女神は俺に微笑んだ。


「さぁひーくん、昼休みの約束すっぽかした言い訳を聞きに来たよ」


がちゃりと部屋の扉が開き、そこで今の惨状を目の当たりにした雛と後ろから覗き込む美作さん。


だが、状況が状況だけに思わずフリーズしたまま動かなくなってしまい、それこそ屍のようだった。


「ちょいと雛さんや! この破廉恥な女もどきの暴走を止めてくれ!」


「その必要はない! 今日と言う今日は許さんぞ、人が真面目な話しをしていたのにこの男が茶化すのが悪い! 早急にこいつの唇を奪ってやる!」


やめて!


誤解しか生まない発言やめて!


「ひ……ひーくん……!」


ひゃーとか言いつつ顔を手で覆う美作さんと怒りに肩を震わせ顔を珠に染める雛。そして美作さん、隠してるようでちゃんと指の間から目が見えてるからね。


やがて雛は、激昂を露わにする。


「ひーくんの不潔! ホモくんって呼んでやる!」


そう言い残し、雛は動揺したままの美作さんを連れて部屋を去ってしまう。


えっと言うか嘘、まさかこのまま置いてけぼり?


おいおいおいおい……冗談


「スキありだ!」


「ちょっ! マジで待っんちゅうんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!」


だろおおおおおおおおおおお!


……今回のオチ。


俺は今日、ファーストキスを時也に捧げた。

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