青山さん家の迷宮
同じく神無月。
高校時代の愛すべき後輩、西表 野良子、通称ノラとの再会の翌日を語る前に話さねばならないことがある。
特筆すべきはノラの処遇、要点をまとめれば寝床についてだ。
ノラは二階建ての防音室付き住居に住まっている。何度かお邪魔した試しがあり、母親とも面識があった。
快い先輩としての印象が強いらしく、音楽科の先輩であり親友である、長瀞 時也と同等の評価を得ている。
彼経由で知り合い家にまで来るのを許された俺としては、一体何がお母様をそこまで駆り立たせたのか、実のところ今でも定かではない。
けれど少なくとも嫌悪を持たれていた風潮はなく、むしろ好意的に接して頂いた記憶がある。
普通科に身を置き、ひっそりと物書きに耽っていた文学少年とは違い、将来を有望視された少年少女の側に居たに過ぎない俺ではあるけれど、ここに来て問題が発生した。
「あ……あたしの家が、無いんですけど……!」
その言葉に撥ねられるように走り出す。過去の記憶を頼りにノラ宅を目指すものの、そこには空き地となりただ一言、白い板に青い文字で「売り地」と書かれた看板があるだけだった。
家を間違えたわけではないらしく、当の本人であるノラも俺の後ろに着いて不安気な表情でいるのが何よりの証拠だ。
待っているはずの母も、ノラが衣食住を行った全ての場所が綺麗さっぱり消え失せていたこれこそが、現実だった。リアルであり、虚無だった。
「どうなってんだ、これ」
ポツリと口から零れたそれを拾うことなく、ノラがスマホを耳に当てがう姿を見やる。
「駄目です、実家も連絡つかないっす」
となれば、考えたくはないけれど……。
夜逃げ。
そんな不吉な言葉が脳裏にこびりついてしまう。だがそれを払拭するべく首を振り、ノラへ答える。
「とにかく、警察に事情を話そう。母親の行方を……何としても探らなきゃ」
こういう場合、何が最善かなんてのは判断が難しい。だけど、まず思い浮かべた案を立て続けに試していくことに間違いはないだろう。
「だとしても、あたしの家がないのも事実ですし……」
沈む声と顔で我に返る。何を焦っている、落ち着け俺。
そうだ、それも問題だ。ここに来て家があると思っていたんだ、行く宛を失ったノラの処遇も考えねば。
自らの意識を落ち着けるべく深呼吸でワンテンポ置く。
「ホテルを取るか……つっても、金かかるよな」
資金供給元である母が居ないとなれば、これ以上の無駄遣いは避けねばならない。ノラはまだプロでもなければ仕事もないフリー状態だ。
ホテル生活がどれだけ続くかも分からず、かと言って資金繰りをしてやれる程我が家にも余裕がない。
普通に生活して行く分には事足りる、だがホテル代を捻出し続ける程経済が潤沢してるわけでもない。
こういう時に役立たずなのは痛いな。
「……あ、あのう」
思案投げ首してる俺に下から声がかかる。見れば、ノラが視線を彷徨わせていて焦点が合ってないようだ。
「もし良かったらって言うか、迷惑でなければって言う前提でお願いするんすけど、その……」
何だ煮え切らない。まさか現状の打開策があると言うのか?
「知恵を借りたい。思いついたのなら教えてくれ」
それが引き金となったのか、銃口から飛び出す弾丸のように前のめりとなり、やがてそれは頭を下げるという形に収まり。
「良かったら、先輩の家に……不肖ノラめを泊めてやってはくれませんか……!」
掠れながらも吐き出された願いは、些か予想もつかないような、けれどそれでいて少し考えれば提供出来たような内容だった。
きょとんとせざるを得ない俺はただ頭を下げる後輩に。
「……なんやて」
大阪弁で驚愕を露わにした。
※
それから翌日。
ソファーで眠ったせいか身体のあちこちがバキバキと鳴る。ただ、我が嫁程寝相が悪いわけではなかったのが幸いして、思ってた以上に普通の寝起きだった。
あの後、二つ返事でノラを家に案内した。既に姿のなかった 美作さんのいなくなった自宅にいた 日和にことの事情を語る。
メチャクチャ名前を叫んでノラに抱きつかれながらもそれを軽く流し、嫌な顔一つなく迎え入れてくれた。
日和は小町からのボディタッチに慣れてるせいでこうして抱きつかれてもあまり激しい反応を見せないけれど、そもそも自分のことを片付けられないこの子がそこまで気持ちに整理を付けることがない。
だが男性から抱きつかれたなんて話しを聞くようになったら、そいつとは乱闘騒ぎを起こすしかない。俺の嫁に何してやがんだって話しよね。
閑話休題。
ソファーから起き上がって真っ直ぐキッチンへ向かう。今日も日和は仕事ではあるが、あいつは眠くなるからと言う理由で朝飯を抜く。
なので今からキッチンに立ってクッキングパパするのは、昼の弁当のためだ。一緒に住んでる以上、日和の栄養管理も当然俺がせねばならないのもあり、いつも最初に起きて行うのが料理の下準備だったりする。
フライパンをコンロにセッティングして、使うであろう調理器具を並べたところで洗面所へ向かう。顔を洗い歯を磨いて、戻る最中エプロンを着込む。
ちなみにエプロンは日和チョイスだ。緑を基調としており、胸元には「凡庸」と書かれたそれにはさしもの俺もセンスを疑ったけれど、折角選んでくれたのでってことで今も着けている。
本当ならスウェットも脱いで着替えるべきなのかも知れないが、今日はバイトもなく原稿執筆のために机にしか向かわないので着替えない。
余談だが、料理は出来ないにしろ日和にもエプロンがある。お揃いの色に胸元には「躊躇」と書かれたそれを見る度、やはり日和のセンスは理解しがたい。
さて、では作りますか。
いつも通り、冷食不在のあったか弁当を、な……!
「おはよーございまーすー……」
なんて気合いを入れつつ弁当作りに勤しむ中、寝室から日和以外の声が飛んだ。
明らかに起き抜けであろう、間延びして覇気のない声は、どこか彷徨うように歩き回り、最終的にソファーの肘立て部分にぶつかりそのまま身を投げた。
何このゾンビ、アクロバットな座り方をするもんだと思うが、うつ伏せのままソファーから起き上がる気配がない……かに見えたが、背筋を鍛えるように腕を使い上体だけを起こす。
「なんすかこのソファー、超座り心地良くないっすか」
と目を輝かせながら言う。何故か寝間着として使ってる俺のワイシャツから谷間が見えてしまい思わず目線を逸らしながら、「IK○Aで買ったソファーだ」説明を付属する。
何かとIKE○に信頼を置いている日和だから、この家の家具のほとんどがI○EA製品である。一度理由を聞いてみたが、「私がひーくんを好きなのと同じ理由」と赤面しながら口にしてそれ以来だ。
そこで思ったのは「俺って……家具と同類なんだ……」と言う考えもしなかった悩みだった。俺クッションにでも転職しようかなとも思ったね。
前日のうちに下ごしらえしていた唐揚げを油にかけながら、ふと背後に気配を感じる。俺は戦闘民族ではないので気で人の有無は分からないけれど、唐揚げに混じって別の匂いがふわりと漂ったのでそう感じたに過ぎない。
首を捻れば案の定寝癖が背筋のようにぴーんと立ったノラが居た。
「へー、先輩料理出来るんすね。何か意外かも」
ふむふむと頷きながら色を変える衣を見つめる。そう言えばノラは日和の事情を知らないんだったな。
日和が料理を出来ないから覚えざるを得なかったのだが、いつの間にか生活の一部として身に付いてしまっている。
我ながら怖いよ。何を言うでもなく朝のルーチンワークになってるんだからさ。
「だろうな。時也にも言われたよ、米を洗剤で研ぐんじゃないかとかさ。ひでぇもんだよ」
「どっかのアニメでも言ってましたが、台所に立つ男はモテるらしいですよ」
「エヴ○か」
「エ○ァっす」
まぁ当然モテるためではなく、日和のために覚えるしかなかったのだが。
余談だが、○ヴァネタを日和が真顔で「命は風呂の洗濯よ」とか言ってたことあったな。逆だ逆、命で風呂洗濯とか落ち着く暇もねぇのかよって話しだわ。
「昨日は白鷺せんぱ……日和先輩とお話ししてました」
夜遅くまで寝室の電気が点いてたのはそういうことか。一度トイレに向かう際起きたのだが、その頃ノラと日和の眠る寝室から光が漏れていたので、その理由が解明された。
「青山先輩、妹さんがいらしたそう」
「なぁノラ。そろそろ日和を起こして来てくれないか? いい加減遅刻させることになっちまうからさ」
「え? でも妹さんのこと……」
「その話しは、無事日和を起こせたらだ。あいつの寝起きの悪さは歴史に名を残すまであるぞ」
俺なんて一度噛みつかれたことがあるからな。顎の力さえない日和の噛みつき攻撃は猫の甘噛みにさえ匹敵しないので、大した脅威ではないけれど。
それでも寝付きが良い代わりに寝起きがすこぶる悪いので、実は毎朝苦労してる。その点休日ともなれば俺と遊びたいらしく早起きするのだが。
日曜日に至ってはいまだにニチアサタイムを満喫する系女子なので、きっかり五時には目を覚ましテレビの前にスタンバイしている。
共に寝てる以上隣でごそごそとされればそりゃ起きるので、俺もそのままニチアサタイムに付き合わされることもしばしば。
だから最近じゃ起きても寝たふりをすることが増えたよね、日曜日は完全休養と決めているだけに、寝られる時に寝ていたい所存である。
「ちぇ、分かりましたよ」
口を「3」にして尖らせつつも再び寝室へと消えたノラは、数秒後日和に噛まれて絶叫が木霊した。
※
「……行ってきます」
「おう、いってらっしゃい。気を付けて帰って来いよ?」
「白さ……日和先輩、行ってらっしゃいです」
ノラと共に見送られた日和は今日も出勤する。眠たげでぽわぽわとした表情のまま向ける背中は、どこか哀愁を秘めたサラリーマンにさえ見えた。
まぁ幸い明日はお互い休みなわけだし、お詫びってわけじゃないが構ってやるか。しょーがねーなー日和のやつ、いや本当しょーがねーなー。
悲壮感漂う我が嫁を見送り、横で腕を天高く伸ばすノラは。
「さーてと」
伸ばした手を下げるついでに腰へ置き、淀みない静かな語調のままこう言い放った。
「二度寝すっか」
「こらこらこらこら」
踵を返して、腕を振るうスピードがタイガーウッズのスイングに匹敵する速さで家に戻ろうとするお馬鹿さんの頭を鷲掴む。
ここで何故二度寝と言う選択肢をチョイスしたのかが謎で仕方ない。お前にはやるべきことがあるはずだぞ。
「何すか先輩。あたしは時差ボケで眠気にレイプされて傷心なんすよ、なので寝かせて下さい後生ですんで」
こんなところで大事な後生を賭けるな。あと普通に女の子がレイプとか言わないの。
「お前の親のことがあるだろ。このまま警察行って捜索願出すぞ」
「……あー、そうですね。まずはそれからですよね」
「お前、今の今までどうしてうちに泊まってたか忘れてただろ」
疑いの眼差しから逃げるように手をぶんぶん振って否定の姿勢でいるノラは言う。
「そんなわけないじゃないっすか。天上天下母親の安否を心配してるのはあたし一人ですよ? そんなあたしが現状を把握出来てない程落ちぶれてるように見られるのは、些か失敬ってやつですよ。全く、ぷんぷんですよいやはや。青山先輩ったら、ぷんぷんですよ」
突然の饒舌芸に一歩引いてしまうけれど、まぁ誤魔化してるのはバレバレ愉快だわな。魔法以上の愉快で最後とか言語崩壊してるし。
「取り敢えず着替えて警察署行くぞ。やれることは何でもやっとかないとな」
ことの詳細、引いては家庭内事情とかを話せるのは家族であるノラだけだ。俺一人が行ったところで先輩と言う関係性しか持たない以上、付き添いくらいしか役には立たないのだ。
何より留学する前にこうなる前兆とかがもしかすればあったのかも知れない、少しでも早く見つかればと願うばかりだ。
「その前に青山先輩、妹ちゃんのお話しをですね……」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。まずは肉親の安否確認が先だろ、話しはそれからだ」
「えー……」
明らかにふてくされた顔で不満を露わにするが、俺間違ったこと言ってないよね?
まぁ確かにさっきまでの段階では話したくない気持ちが強くてわざと脱線させたけれど、今回に限ってはノラの事情が優先だろう。
頑なになる理由が思い浮かばない。昨日覗かせた血の失せた青い顔はどこへ行ったと言うのだろう。
「分かった。じゃあとにかく警察署に行こう、その後に絶対妹のことを話してやる。約束だ」
これでどうだと言わんばかりに提案する。思わず嘆息しつつになってしまったが、そもそも根本からしておかしいのだから許して頂きたいものだ。
「まぁそうですよね、あたしの母が優先っすよね。そいでは着替えます」
途端、真剣な顔つきで家屋に戻って行くノラの背中は、どこか頼りなげだった。
良く考えてみればノラは混乱してるのかも知れない。突然肉親と住んでいた家が消失したのだ、何事もないように生活出来てる方がおかしいのかも知れん。
だがな、だからと言って肉親を軽んじて良い理由にはなり得んのだよ。俺がかつて目を離してしまい冒した過ちも相待って、殊更大袈裟に主張させて貰う。
家族は大事にしろ。俺のようになりたくなければ。
※
捜索願ってのは本来親族や配偶者、とかく血縁関係にある者にしか行えない届け出だ。
それ以外は恋人でも友人であっても届け出が受理されることはないそうだ。
ゆえに俺は本当にただの付き添いとなり、ノラ一人での手続きとなりそこで起きた一時間を耳にした。
母の本籍や氏名、職業や人相を事細かに伝える。そうしてノラの母は特異家出人という分類にカテゴライズされ、警察による職務質問が街中や住居のあった付近で始まる。
もしもその照会に該当する者が居れば真っ先に依頼人のノラに連絡が向かう。そう言った手筈となり、俺たちは警察署を後にする。
残るはノラに連絡が来るのを待つだけとなり、当の本人はぐったりとした表情を引っさげて俺の右に居た。
「探してと言って『はい分かりました』って二つ返事で済むとは思ってなかったっすけど、あれ程までに詳細を求められるとは思わなかったっすよ……」
「何事も情報だ。もし間違えたら警察がやっかまれるしな、ちゃんと探すのなら情報量は多いに越したことはない」
俺的に驚きなのが、お前の母ちゃんが元ウェイトリフティング選手だったことだよ。だから昔見た時結構なゴツさがあったんだなと理解したわ。
「ウェイトリフティングと言えば、青山先輩もだいぶ体型スマートなのに筋肉付いてましたよね。何かスポーツやってたんすか?」
「うんにゃ。スポーツはやってなかったぞ」
スポーツはな。今も衰えることなく残ってる筋肉は過去の名残なだけで、使う場面なんてバイトでの資材搬入作業くらいのもんだ。
「青山先輩知らないんすか、うちの母は先輩の筋肉褒めてたんすよ。正確な鍛え方をしてなきゃ付かない筋肉だったって」
ふふんと鼻を鳴らしながらそんなことを言うが、これどうして筋肉トークになってるのん。
「確かにいっ時鍛えなきゃならん時期があって鍛えてはいたが、本場で活躍してた人に褒められる程ではないと思うぞ」
「いえ! 先輩の筋肉はあたしから見ても惚れ惚れするまであるっすよ!」
この筋肉トークもうやめない?
いつまで続くの?
と言うかそんなに筋肉あるように見えるかね、今でこそ長袖を着てるから分かりづらいけれど、一般的に見えるが。
「はてさて、これからの青山先輩のスケジュールはどうなってるんすか?」
ようやく話題転換し、ノラが手を後ろに回して覗き込んで来る。そう言えば何も決めてなかったな。
帰って原稿を進めるのも手だが、妹について話すと約束してしまったからな、どこか落ち着けるところでも探すとするかね。
「飯でも食って帰るか。何かリクエストあるか?」
問うとノラは腕を組んで唸りながら思案を巡らせている。コンビニ行って来るくらいの気軽な気持ちで聞いたのだが、どうやらだいぶ迷っているらしくついに立ち止まってしまった。
何かあるだろ、簡単に麺とか米食いたいとかさ。最悪つい最近行ったファミレスとかでも良いのだが……っと、待てよ?
「ここなら、あの場所が近いかも知れんな……」
俺も数歩先で立ち止まり、手を鳴らす。疑問を抱いたらしいノラは隣まで追いつき脇腹を肘でつつき始める。
「なんすかなんすか、青山先輩がエスコートしてくれるんすか?」
エスコートなんて立派なもんじゃないが、オススメの店がこの近隣にあるのは事実だ。
「あそこに建ってる建物があるだろ?」
「どれどれ」
「俺の股間に建物は建ってない」
目線を下げて人の局部をまじまじと見つめるノラよ、頼むから俺が指差した先に目を移してくれ。
どうして街の往来で後輩に股間を見つめられてるのだろう、何このシュールな光景。日和ですらやらんぞこんな下ネタ。
「この屹立した建物に何があるんすか?」
「そっちは絶賛着席中だから。指の先を見てくれはせんかい?」
でなければこの差した指で貴様の眼球を刺さなければならなくなるぞ。
「冗談はさて置いて……ご注文は病院ですか?」
「是非病院をうさぎに変換したくなる文字列ではあるが、そこで合ってる」
「病院飯でも食べるんすか?」
怪訝な面持ちで問われるものの、あながち間違いでない。
「あの病院にはレストランとパン屋があるんだが、そのレストランがとかく美味しくてな。それにここの従業員の関係者なら割引が適用されるサービス付きだ」
「心の踊るお誘いではありますが、残念ながらあたしたちにはその割引システムは無縁じゃないっすか?」
それが適用されるとしたら、この子はどんな反応をするのだろうか。
そんな楽しみを胸に秘めながら、犯罪者の呼び声が高い笑みを浮かべる。
「そう言えばノラは知らなかったな」
我が嫁の職業を。
「あの病院は、日和の職場なんだ」
※
「こんなでっかい病院で日和先輩は働いてるんすね……!」
早速院内に足を踏み入れて、辺りを見回してノラが呟く。
それもそのはず、この大学病院はここらじゃ一番大きいのもあって設備はもちろん従業員にも困らず残業もないホワイト企業なのだ。
准看護師の資格を持つ日和がここで働いてるのを良い事に、実は稀にここへ親友の 時也、幼馴染の 小町を誘って食べに来る機会があった。
そして日和の名を借りて安く美味い飯にありつくことが何度かあったので、近くを通ったことも起因しノラを誘った次第である。
レストランジュリア。通称JBと呼ばれたそれはどこのグリザイアだよと思わせるようなこともなく、そこらで経営されてるファミレスと何ら変わらないテーブルにソファが設置されている。
クラシックを基調としたBGMを垂れ流し、中には水色に白いラインの走る病院服なるものを来た青年と母親らしき者が居たり、ナース服を着た従業員も座ってコーヒーとモーニングセットであるスクランブルエッグを摘まんでいた。
恐らく夜勤明けなのだろう、月一でうちの日和も呼び出されるそれを終えて帰る前に、ここで腹を満たす者も居ると聞いている。
さらにはここジュリアの料理は時也のお気に入りらしく、連れ立って以来お忍びで足を運ぶ機会が何度かある程だとか。
余談だが、その度に日和が煽りに来るとのこと。
「日和の休憩まで三〇分くらいあるし、どうせだから何か摘みながら待とうぜ」
摘むと言っても、日和の弁当と一緒にメインを食べたいと口にしたノラの提案によりコーヒーを二杯注文。
丁寧に受け答えしてくれる従業員を送り出し、ノラはついぞ例の質問を投げかけた。
「では青山先輩。妹ちゃんのお話しおば!」
爛々と目を輝かせ手をわきわきと唸らせるノラだが、さして面白い話しがあるわけではないのであまり過大に期待されても困る。
こいつを抱腹絶倒させられる話しはないにしても、まぁ少し話してやれば宥める役目も担ってくれるだろう。今はただそれを願い続ける。
はてさて、妹のことね。日和が知っているのは名前と血が繋がってなくて、どことなく雰囲気が日和に似ていることくらいだろう。
後半だけ切り取れば妹に恋心を抱いていた節を匂わせるだけに、あまり口にしたくない内容となるのでそこは避けよう。
「逆に聞くけど、妹の何を知りたいんだ」
俺と妹の 雛に関しては家族となった流れからしておかしいのだが、そこを除けばどのようなことを聞きたいかが判然としないからな。
「そうですね……では、どんな子だったかを教えて下さい」
「どんな子、ねぇ……人見知りの激しい奴なせいか表情の変化に乏しい分知り合い相手にはとことん饒舌だったな。だから周りからは比較的大人しい子として評価されてたと思うぞ」
思い返してみれば、雛が唯一饒舌を発揮出来たのは俺を含めて時也と小町、そして個人的な知り合い二人だったはずだ。
お互い育った環境が悪かっただけに、最悪俺も雛のような子になっていてもおかしくなかったとだけ言っておこう。
「ふむふむ、そう考えると青山先輩の友人方は人見知りを恐れるどころか惹きつけそうっすね」
何かしらの合点がいったのか、腕を組んでうんうん頷くノラの発言と同時に注文していたコーヒーが運ばれた。
テーブルに二つのカップと伝票が置かれたところで俺と自分の下にコーヒーを移動するこの手際の良さ、本当に良く出来た子だよノラは。
「時也もあれで人見知りなんだけどな。だから飯時なんかは俺と小町の間に混ざって食べてたよ」
人に弱みを見せないからあまりそうは思われてないしな、事実ノラが驚愕に満ちた表情を形作ったし。
「どひぇー……そうだったんすね」
どひぇーってお前、中々素では出ない声だぞそれ。
「まぁ今回時也はさておき、雛はあらゆる面で才能に恵まれていたよ。勉学を始めとした芸術部門なら一通りこなせていたからな」
運動に関してはついぞその片鱗を見せることがなかったけれど、それ以外であいつの不可能なことがあった記憶がない。
我ながら良く出来た義妹だったな。
「一度お会いしてみたいのですが、人見知りでしたらそれは叶わぬ願いですかね」
「まぁ、それ以前に他界してるからな。墓までなら案内出来るが……まぁお前の器量なら受け入れられたと思うぞ」
積極的に自分を知ろうとする人を拒む分、何気なく自分を受け入れてくれる人に懐く子だっただけに、ノラのように気遣いに長けた後輩なら打ち解けられることだろう。
「他界されていたのは日和先輩から聞いてました、だからこそ悔しいです……海外レコーディングに行く前に知り合えて居れば……!」
俺の妹に会いたいがために海外レコーディングキャンセルとかアホでしょうが。
とにかく、これがノラの知りたがった雛の情報だ。他に何か知りたいことはないかと追加注文すれば何かしらは引っ張り出して来るだろうが、俺としてはこれ以上雛の話しをするのに肯定的ではない。
そもそもそこまで話したい事情ではないし、このまま表面的な詰問で終わってくれることを祈るばかりだ。
「まぁ、そんなところだな」
なので俺から話しを打ち切るようにそう連ねた。悲しい気持ちになるからではない、彼女のことを忘れたことなど片時もないのだから当然だ。
理由はある。だが話せない。こんなところで話せる内容ではないというだけだ。
「にしても、どうしてそこまで義妹のことを知りたがったんだ?」
「いやまぁ、単純にあたしが一人っ子だからですよ。あたしみたいなのがお姉ちゃんが欲しい妹が欲しいと言ったところで、姉や兄、妹や弟がいる人からすれば意見が違うじゃ無いっすか、そこで青山先輩からすればどう判断してたのかなーとか言う愚考に至ったわけです」
成る程な、確かに「妹なんて持たない方が良いぞ」とか、「姉なんてロクなことがないぞ」と言われてもこちとらとしては居ないからそういう気持ちすら共有出来ないなんてのは、昔からありがちな論争だろう。
少なくとも雛は俺にとって全てだった。人生に置いてなくてはならない存在であり、彼女が居なければ今こうしてノラと食事なんて出来なかったし、日和とも出逢えなかった。
今となっては日和が俺の全てなだけに、どこか甘いところがあるのかも知れない。その結果ただでさえ自分を片付けられないのにさらに俺に甘えるようになったのは火を見るよりも明らかなこと。
それでもどこか憎めないこの子のためなら、例え世界を敵に回すことさえ厭わない。
どんな方法を用いてでも彼女のために在り続けることだろう。
多分俺自身信じられない強さで彼女に依存しているのかも知れない、そう思うとどこか自虐的な笑みを浮かべてしまう。
「先輩、笑うと犯罪者みたいっすね」
気がつけば物凄い怪訝な面持ちでそんなことを言われる。失敬な、昔時也にも同じようなことを言われたが、それこそぷんぷんだ。
手でなぞるように四角い壁らしきものを比喩しながら「バーリア、青山先輩のみを通さないバーリア」とか言われ続けており全くもって遺憾だ。
「あながち間違ってないがやめろ」
「えっ、青山先輩人殺しなんすか」
「そいつはお前次第だな」
今度は意図的に口の端を吊り上げて見せる。遠回しにそれ以上言ったら最悪のケースが起きるぞと優しく注意してやってるのさ。
案の定ノラは顔を引きつらせながら「と、ところで」と極端に話題の矛先を変えてみせた。分かればよろしい。
「青山先輩と日和先輩の馴れ初めって、どんな感じだったんすか?」
昨日の飯時にも同じようなことを聞いてたな、質問を返す形で終えてしまったように思うし、それくらいなら答えても別に構わないか。
「普通に学生時代に知り合ってたかな。その頃には気になる存在だったし、本人曰く顔合わせをした段階から好きだったとは言ってたよ」
俺もこれが一目惚れだと気づくのにそれなりの時間をかけてたように思う。共通点もあったし、仲間意識とか抱いてたのかも知れない。
もっとも、自分を片付けられないと知ったのは結婚してからだけれど……新婚当初は混乱しか生まれなかったな。
今となっては良い思い出だよ。馴れ初めと言うか慣れって怖い。
「うーん、しかし青山先輩がいちゃこらしてる姿ってのがあんまりにも想像し難いですね」
腕組みしつつそんな失礼なことを申される。まぁ俺だって男の端くれ、好きになって愛した相手といちゃこらしないわけじゃない。ただ、人前でそう言った姿を見せたくないというだけのこと。
それにいちゃこらしなくても、日和との何気ない平和な生活、食事中に話す仕事の話しや寝る前にベッドで語る思い出。
他愛ないことでも喜怒哀楽を共に出来るってのは夫婦の特権だろう。
「日和はどこでも甘えて来るからな、その内お前の想像出来ない姿とやらも拝めるんじゃないか?」
と。
そこで携帯のディスプレイを見遣る。もう昼時……日和の休憩時間だ。
「そろそろ時間だな。日和が来る頃だろう」
携帯を仕舞いながらノラに言ってやると、どこか形容し難い表情で居た。
「何だよ、どうした?」
「いやー……青山先輩は幸せ者だなって思いまして」
どういうことだよ。
そんな疑問が口から放たれることはついぞなかった。
背後から両手が伸び、それらが首に纏わりつき頬にぷにっとした何かが合わさり体がビクリと震えた。
「愛しのひーくん、みーっけ」
そんな反応も一瞬、耳元からとても聞き慣れた声が届きすぐにスリスリと頰ずりする嫁の頭を優しく撫でてやる。
「お疲れ日和。いつの間にここ来てたんだよ」
一層首に巻きつく腕に力が篭る。これ以上は窒息に至るレベルまで来ているが、俺は知っている。これが日和の全力であることを。
ゴリラも鼻で笑ってしまうような握力の無さ、フライパンすら重いと言ってしまう非力が売りの日和の腕力である、危惧するようなことは起きないと分かっていれば可愛いものだ。
「病棟の人が赤髪の人とひーくんを見たって言ってたから、ダッシュで来た」
おぉ、見られてたのか。まぁそりゃそうか、ここは日和の職場でありいくらか面識のある方々だって居る。
それにしてもノラはやはり目立つな、再会した時もだいぶ視線を惹きつけてたし。これが後のプロアーティストだぜと流布して回ったらどうなることやら。
「日和先輩、お疲れ様っす。良ければお昼をご一緒しませんか」
メニュー片手にニカッと笑う。それを拒む日和ではなかった。側の席に置いてたお手製弁当の巾着を持ち、俺の隣に座る。
「お前の同僚はここに来ないのか?」
美作さんと言ったか、てっきりその人も連れて来るもんだと思っていたが。
「ひーくん、発情期なの?」
ここに来てから大変失礼なことばかり言われてる気がするが、決してウッドエレメントではないだろう。怒って良いところまである。怒らないけど。
「ホワイ」
「ひーくんはすぐ女の尻を追いかける。女好きの旦那を持つと嫁が苦労するわ」
やれやれ、と言ったように手を広げてお手上げのポーズ。それに感化されてノラも同じ体制を取る。
何だろう、今すぐこの二人を叩きたい。
「日和先輩のお心、お察しします。あたしも色目を使われてかないませんよいやはや」
「誰が女好きか。いつ使ったんだよ色目なんざ。好き勝手言いやがってからに……そう言うお前らはどうなんだ」
「私はひーくんオンリーマイレールガンだから」
「あたしもそれで」
「だったら俺も日和オンリーマイレールガンだろうが。と言うか何その比喩、オンリーマイレールガンにそんな効力あったのん?」
「オンヒークンレールガン」
上手いこと言ったつもりか、一周回って意味不明だわ。
「ひーくん、仕事は良いの?」
日和の興味が俺のスケジュールに切り替わる。脈絡の無さで言えばあながち溌剌お転婆ガールの小町に匹敵するな、変な所で腕を上げやがってからに。
「おかげさまで順調だよ。日和はどうだ?」
「オンリーマイレールガン牧場」
世界一好奇心の躍る牧場だが、このサムズアップと機微ながらも眉がつり上がった所を見ると、日和の方も問題はないようだ。
ふと眼前におり俺の分のパスタを注文してたさり気ないノラへ日和は顔を向ける。釣られるように俺も前を見た。
「ノラはどう」
「んん、あたしはいつでも絶好調ですよ。どの道デビュー曲完成の知らせが届かない限りは暇な身ですし、その間青山先輩たちに構って貰っても良いかな?」
「もちろんさー」
某ハンバーガー店のとある人の物真似だろうが、いかんせん感情が込められていないためにどこか間抜けに見えてしまう。
そこは素直にいいともで良いんでないかな、俺と感性が違い過ぎて理解するのに時間を要しそうだ。
ノリとは言えタメ口を利いてしまったことを悔やんでいるのか、苦笑で日和に対応するノラ。
変わらず鼻を鳴らしながらどこか誇らしげでいる日和とのツーショットは、些か手に余るものだった。
そのせいか今度は俺からノラへ話題を提供せねばという脅迫じみた観念が生まれてしまう。
「取り敢えず、帰りは生活雑貨を揃えておかないとな。またしばらくはウチに居る必要があるし」
苦笑いを消し、真面目な顔で頭を掻く。
「そうなんすよね。でも本当、邪魔だったり意にそぐわなかったら追い出して良いんすからね、迷惑かけてるのには変わりないんですし……」
「何言ってんだ、追い出すわけないだろ。なぁ、日和」
タコさんウィンナーに興味の大半を占めていた日和が、一瞬で瞳に満ちた煌びやかな光を消す。
スイッチのオンオフうめぇなこいつ。
「お世話になるわ」
「それノラのセリフだから」
いやまぁ、あながち間違ってないけどさお前の場合。世話してる側からすれば間違ってないけどさ……。
言っておくがノラも当然日和の世話の巻き添えにするからな、散々俺を馬鹿にした報いをはらさでおくべきか。
楽しみだなぁ、自分以外の誰かが日和のフリースタイルを目の当たりにしてどこまで自分を保っていられるか、ぶっちゃけ興味あったし良い機会だろう。
学生時代日和と同じく芸術科に居た時也と小町はその悪癖を知っていただけに、ノラの反応にオラワクワクすっぞ。
「にしても青山先輩、本当に日和先輩でいっぱいいっぱいなんですね。何をするにも日和先輩に同意を求めたり話しかけたり……」
やめろ、その何かを感じ取ったような……どこかいじめっ子じみたニヤけ面で口元を隠すな。
「……うるせぇな」
薄めた目で見つめられながら日和を端に見ながら反論する。ここで変に強く否定すれば最悪日和が泣き噦る、それこそ悪癖の一つが露見してしまう。
あぁなると俺でさえも日和が止まらなくなるし、こんな公共の場でそんな風にさせたくない。
「ひーくんは私が大好きだから」
それを否定する気はないが、何度も言うようだが赤面しながらテーブルに頭を打ち付けるくらい恥ずかしいならやめておけば良いのにな。もはや青山日和のお家芸みたいになってるぞ、それ。
まぁそんな日和だからこそ……俺は好きになったのかもな。
誰にでもあけすけと対応出来て、その癖頑固で一度決めたことは梃子でも動かない。
なのに好きなことに対して一途になることに羞恥を感じて、だけどそれが本心で……。
「……そうだな」
中身は違えど、日和は俺で、俺は日和で……似通った俺たちはそうして惹かれ合ったのだろう。
青山日和を愛してる。
この気持ちは変わらない。
この子が変わらないから。
俺も変わらない。
だから俺たちは……結婚したんだ。
永遠の愛を、証明するために。
「うへぇ、妬けちゃいますねぇ。全く、青山先輩は見せつけてくれますね」
だけど見られただろう?
お前が想像出来ないと言った姿が、さ。
「けど何故でしょう、このリア充めっ! って感じが、お二人からはしないんですよね。負の感情を中和しちゃうような、不思議な関係に見えます」
ありがたいお言葉だな。
と、そこへようやく注文してくれてたパスタを乗せたトレーと共に店員がやって来る。
やっとか、正直日和の弁当が減って行くのを見て空腹を自覚してしまいそろそろしんどかった頃だぞ。
待ちわびたパスタがノラの前、俺の前という順に置かれて行く。その後フォークが入った食器入れをテーブルの隅っこへ置いた辺りで、ノラが相変わらずの手際でお互いのフォークを取り出し、持ち手の部分を俺に向ける。
「ありがとう、ノラ」
謝意を見せながらフォークを受け取りながら、俺はふとした疑問を抱いた。
それもそのはずだ。店員が食器入れを置く手を、いまだに離していないからだ。
「あれ」
隣から声。聞いたことのない高さで発した日和のそれは、明らかに予想外であることを示していて。
「一美?」
日和が続けて口にした名前を耳にして、俺の目線が上がる。
その先に居た店員の、まるで家畜を見下すような冷ややかな目つきと一緒に……胸に掲げた名札が映し出されて。
『……私、青山さんの同僚の 美作と申します』
脳裏には昨日日和の携帯で取り合った電話の内容が走り去り。
食器入れからパスタを注文した客にはおよそ必要とされないナイフを逆手に掴み取り、「美作」と銘打たれた名札を下げた「店員」に……。
「……あ?」
迷うことなく胸部目掛けてそのナイフを突き立てられた。
迅速に広がる痛みに溺れる。
消え行く意識が記憶していた最後の光景は、日和に被害が及ばぬよう突き飛ばした俺の腕だけだった。




