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青山さん家 2  作者: 宇佐美 風音
12/21

青山さん家の慟哭

光が射す限り、闇はすぐそこで在り続ける。


しかし闇は光が無かろうとどこへだって存在を続ける、奴らが在るべき糧は何もない。あるべきして生きているのではなく、初めからそこに「あった」ものであるから。


それがどんな顔をしているのかは判りかねる問題ではあるけれど、俺には闇が我が物顔で腕を組み、当たり前のように踏ん反り返っているような、そんな想像が働いてならない。


悪態ともつかない、そこにあるだけで人の気を逆なですることに長けた、忌むべき影。黒、闇。


「答えろ、ひー坊」


星空の下、飲み込まれそうな闇の中、月明かりに照らされた木々よりも低い位置に居る俺と、明日香(あすか)さんが黒光りするそれを俺に向けたまま言う。


凛とした良く通るハスキーな声で俺を半ば責めるように問う。俺はこの状況で、決して目を逸らさぬよう五〜六メートル程の距離を保っていた。


彼女の持つそれは遠距離からなら何の脅威にも成り得ないけれど、近距離において当たりどころによっては殺傷能力の非常に高い。本当ならば俺はそれ……グロック17に対して、恐怖を覚えるべきなのだろう。それが正しい反応なのだろう。


だが残念ながら俺は逃げ出すことも、怖がることもせず、震えすらも飼い慣らして現状を受け入れながら、思考を巡らせていた。


あらゆる惨劇からも回避が出来る、魔法みたいな打開策を模索している。そして、打算にも思えるこの思考で俺は生き長らえて来たことから、無駄に自信だけは過剰に携えている。


だが、明日香さんが怒気を孕ませたのはそんな些細な点ではない。


「お前はあの紛争地に居たのか。死神と呼ばれ、その若さで……何百人の兵士を殺めたんだ」


眉根がピクリと痙攣してしまう。明日香さんも夜目が利くのか、強く唇を嚙み締める犬歯が薄っすらと覗き今の思いを露わにしていた。


「お前は……いや、お前が何百人といる住人を殺したんだな?」


閉口する俺の態度が、全てを物語っていたからだ。


「……そうか。だったら、やっぱりあの時会っていたのは……お前だったのか」


あの日から手放したことのないドッグタグを曝け出す。首で鎖と鎖が交わる金属音を小さく鳴らし、観念したように答えた。


「兵席番号って言うんですかね、これはでっち上げですけど……D1921は、間違いなく俺です」


「……そうか。じゃあ、もう確定なんだな」


「はい」


息を呑み、指先までかかったトリガーをいつ引かれてもおかしくない現段階で、白状した。


涯名(はてな)村を滅ぼしたのは、俺です」


自分の故郷を、自らの手で滅ぼした罪を自供した。





ことの発端に至るまでの期間はそう長くない。


時は仕事が早くに終わり、日和(ひより)の職場にあるレストランへ昼食を頂く約束をあっさり反故にした明日香さんに手を引かれ、街中を闊歩していたところまで遡る。


街はどこもかしこもクリスマスムード。雪に喜び勇むクレイジーボーイ&ガールが、寒さに負けず遊び倒し、井戸端会議に勤しむ主婦の方々も、微かに足を震わせ腕を摩り、それすらも話題のネタに変える。


かく言う俺も昨日までいまだにサンタクロースを信じて止まない嫁のために、プレゼント選びで四苦八苦していたのがもはや懐かしく思える程度には、現状が突飛な流れになっている。


パラパラと弱々しく降り出した雪に当たりながら、どこへ向かうかなんて分からないまま、俺は手を引かれていた。


「あの、明日香さん……」


「ん? 何だひー坊。と言うか、いい加減義姉さんと呼べって言ってるだろ」


「だから、それをしたら俺が日和に怒られちゃうじゃないですか……それで、今これはどこに向かってるんですか、それだけでも教えて下さいよ」


本当、日和は怒ると怖いんだからね。姉である明日香さんなら、その事情も分かっているはずだ。


我が嫁、自分を片付けられない青山(あおやま) 日和。旧姓 白鷺(しらさぎ) 日和の姉である明日香さんは、怒ると手が付けられない彼女のことを誰よりも知っているはずなのだ。


なのに二人きりで、手を繋いで、あまつさえ怒る要因である呼称を強制するのは止めて頂きたい。それとも、そうなることを望んでいるの?


サドなの?


佐渡島なの?


訳が分からないよ?


「秘密だ。なに、怪しい場所じゃないから安心しろよ。取って食いやしないさ」


だったら尚更教えてくれても良いじゃないか。不安で堪らないよ。


「多分」


ほら、不安要素増えた。


無理にでも日和の職場へ向かうべきだったろうか、この状況は惨状と化さないのだろうか、今となっては後悔にしかならない。


「しかしひー坊、身長伸びたよな。最後に会ったのはいつだったかな?」


「二年前ですけど……もうその時から身長は伸びちゃいないっすよ」


成長期は終わっているからな、高校時代からそこまで大きくないままだ。一七二センチだったかな、うろ覚えだけれど。


欲を言えばもっと伸びて欲しかったものだが、止まってしまったものに文句を言ったところで、それこそ後悔でしかない。


「そんなもんなのか、オレとしてはひー坊と同じ目線だから縮みたかったな、むしろな」


明日香さんは俺と微々たる差だ。小数点が混ざる程度の、誤差の範囲に留まる程のもの。


「もう女の子なんて歳じゃないし、我儘は言わんが……大きくて良いことなんて、実はそんなにねぇんだよな」


「……前から気になってたんですけど」


ふと、これは好機だと脳裏で何かが告げた。その思いを口にするのに、止まる術が無かった。


「明日香さんは、何者なんですか?」


途端、明日香さんは吹き出し街中で大笑いをかました。言葉の最中に何かギャグになるようなこと言ったかな、と反芻する俺に。


「あっはははは! いやー、すまんすまん! まさかひー坊にそんなこと聞かれるとは思わなかったからよ!」


「俺に?」


「あぁ……むしろな、オレからすればお前こそ何者なんだって聞きたいぜ?」


「しがないライトノベル作家ですよ。もっと言えば、フリーターです」


悪く言えば紐。ライトノベルの副収入が無ければ本当、情けない話しだが日和の収入で負んぶに抱っこだからな。


「そんな肩書きに興味はねぇのよ。筋骨隆々、他人の一挙手一投足に対して過剰に情報を得ようと彷徨わせる目……しがないライトノベル作家が持ってるにはあまりに惜しい癖ばかりだぞ?」


また筋肉か……これは好きで付いたもんじゃないのにな。後輩のノラにも言われたが、同じことを返してやろう。


「一時期鍛えなきゃならない場合があって、その名残ですって。今は鈍ってるだけの、ただの肉です」


「はっはは! もっともだな、だがオレの目は誤魔化せねぇぞ。ひー坊、お前のその目もまた特別な訓練を受けなきゃ出来ない使い方してるんだからな?」


どうしてそんなことが分かるのだろう、まるで記憶の奥底に閉じ込めた俺の過去に行われた「それ」と同じことをして来たような、経験者であるような口振りだ。


確かに洞察力と深視力には長けている節は当時見出されていたが、結局は下手の横好きに近い行為に過ぎない。決して本職には敵わない紛い物なのさ。


そんなものに着目したところで時間の無駄だぞ、明日香さんや。


「買い被り過ぎですよ。俺はどこにでもいる見た目は大人、頭脳は子供な馬鹿餓鬼です」


と言うか、結局。


「明日香さんは何者なんですか」


「それこそ分かるんじゃねぇか?」


分かってりゃこんなこと、聞きやしない。そう含めるために肩を竦めて大袈裟に溜息を吐いた。吐き出された二酸化炭素は、白かった。


「まぁ、そう遠くない内に気づくことさ。オレもまた、今となっては大したことないババァだ」


「明日香さんがババァなら、俺はさしずめジジィですやん」


「わっはははは! ごもっともだ! っと、着いたぜ、ひー坊!」


随分歩いたものだ、手を離され隣に立ってそこにある店舗の名を覗く。


「空に椅子を並べよう……なんちゅう店名だ」


「通称、空鍋」


「おいやめろ」


懐かしいヤンデレネタをぶっ込まれた。やったねたえちゃんに匹敵する黒い過去のネタだ。


何はともあれ、ダーツ盤に向かって少年少女が何故か椅子を持って今にも投げつけそうな姿で居る看板から察するに、うんわかんねぇ。


「ここ、夜はダーツバーになるんだが昼間は喫茶店になるオレの知り合いが経営してる店なんだわ、オススメだぞ?」


「何とも心がぴょんぴょんしそうな経営方針ですね……」


一瞬ラビットハウスに店名変えろやとも思ったが、店内は意外とまともだった。


壁際に大量の椅子が立ち上っては並べられてる以外は、木造の利点を生かした色合いにコーヒーの香りが漂うクラシカルな仕上がりだ。


テーブルは数える程度で、二人組席は四つ、六人組……所謂団体客用のテーブルは六つ点在している。あとは店の奥、ダーツ盤のあるカウンター席が六つ。


ゲーセンなんかでよく見る筐体形式のそれが三台あり、今しがた埋まった俺たちの座る席に水とグランドメニューが届けられる。


店員は裾の長い黒を基調としたメイド服を着ており、白いエプロンドレスとヘッドドレスが妙に目立っている。


「へぇ……店名がとんでもなく印象的なだけに、中は案外落ち着きますね」


聴いたことのないクラシックが店内を埋めており、グランドメニューにあるコーヒーの種類も豊富だ。


明日香さんが返事を返す前に、カウンターの向こうからこちらにやって来る初老の男。真っ直ぐ歩くその姿勢には、一片の狂いも隙もなかった。


「何だ、また来たのか」


少ししゃがれた声で問いかけられた明日香さんがニヤリと笑う。


「あぁ。今度はオレの家族を連れて来たぜ」


ほう、と。


目を細めて俺を見遣る。良く見るとオールバックにした白髪混じりの髪を避けて見える額には、短い傷跡がある。


途端。


胸元に手を突っ込み、素早い手つきが俺の顔を狙う。


警戒していた俺はその手首を掴むことで事無きを得たが、見れば手にはサバイバルナイフが握り締められていた。


「あっぶな……」


「ほう、あれを見切るか」


何達観してるのよ、気を抜いてたら俺今命を落としていたんだぞ。初見なのに何の恨みがあってこんな殺意丸出しの挨拶を繰り出すのさ。


明日香さんは明日香さんで高笑いしてるし。何、この店ではこれを防がなきゃ来店出来ない仕様なのん?


「いやぁスマンスマン、教官の悪い癖だ、気にしないでやってくれや!」


「一度同じシチュエーションで殺されかけてるんで、警戒心を持ってて正解でしたよ……」


後輩に殺されかけたあの時と、日和の泣き顔が脳裏を過る。もうあんな目には遭わないぞ、大切な嫁を悲しませるわけにはいかない。


と言うかしれっと何してるのこのおじちゃん。流石の俺も今のは苦言を呈さずにはいられんぞ。


「この方は、オレが現役の時世話になった教官殿だ。実は今朝方、ここに顔を出してたのさ」


笑いを堪えながらも紹介を受ける教官殿は、ペコリと頭を下げて、上げる時になってカウンターに向けて手にしていたナイフを滑らせるように投擲する。


バックヤードへ続く扉に突き刺さり、そこから銀髪のこれまたお美しいメイドさんがゆっくりと出て来る。


「ナイルズ、この二人にうちのオリジナルブレンドを」


「畏まりました」


そんなやり取りを経て、俺から目線を決して逸らさない教官殿は、年相応と言っては失礼だろうが……孫に微笑みかけるような優しい表情へと形を変えた。


「初めましてになるね、私はスヴェン・ダヴィンチボートだ。いきなり手荒な真似をしてすまないね、私なりに精一杯歓迎するよ」


どちらかと言えばあの世への歓迎を促しているような行動ではあったが、くしゃっとシワの寄った彼の笑みを見たら、もはや何も悪態をつく気は失せていた。


短く嘆息して、会釈を返す。


「ひーくんです。明日香さんは義理の姉ってことになります」


「ほう、何だ白鷺。お前のところの妹は結婚したのか」


「あぁ。愚妹を拾ってくれる飼い主がいることには驚いたが、めでたくな」


「……そうか、そうか」


どこか遠くを見つめるような目。


虚空を見据えるその姿は、娘の晴れ姿を拝み過去の光景を懐かしむような……そんな慈愛が感じ取れる、とても優しい瞳だった。


この人もまた、明日香さんの知り合いなのだから日和を知っているのだろう。恐らく、俺も知らない幼少の頃の日和を。


「それにしても、ひーくんとは……名前なのかい?」


そこ突っ込むかー、スルーしてくれて良かったのに。大して意味もないしさ。


むしろ俺からすれば、何の教官なんだってのが気になるぞ。


「こいつ初めて会った時から頑なにひーくんとしか名乗らねぇんだよ。お前も戸籍があるんだし、本名くらいあるんだろ?」


眉間にシワを寄せて問いかける明日香さんに、答えを待つダヴィンチボートさん。


「ひーくんであることにそれ以上も以下もないので何とも……天地がひっくり返ろうとも、俺はひーくんです」


そう。


ひーくんである以上もないし、ひーくん以下もない。誰が何と言おうと、俺はひーくんなんだ。


日和相手にだってその事実だけは覆らない。遮られることのない、俺の決意であり、覚悟なんだ。


「何はともあれ、男の決断があったみたいだな。ならこれ以上聞くのは野暮ってもんか」


閑話休題、そう言うように声音を変える。


「さて、好きなもん頼めよ! 折角だ、義姉さんが奢ってやる、たらふく食え!」


教官殿が微笑み、お言葉に甘えろと目で訴える。


それじゃあ明日香さんの恩恵に預かるとしよう。一先ずこの店自慢のハムサンドを注文して、はらをみたすこととするか。





それから。


興が乗った明日香さんに誘われてダーツを試みるが、どうやら俺にはダーツの才能はないらしく、かと思えば相手が経験者なのもあって敢え無く惨敗。


出来レースにも程がある試合を終えて、今度は俺の奢りで瓶詰めのこーらを煽る義理の姉に問う。


「ご馳走様でした。普通に美味しかったからまた来たいですね」


ハムサンドが美味かった。とにかく美味かった、挟んだ食パンからしてもちもちしてて、癖になりそうな食感に続いてトマトとハムが一層味を引き立てる料理の虜となっていた。


そんな俺たちは空鍋を後にして、元居た大通り目指して歩き出していた。


「そりゃ僥倖だ、教官もひー坊を気に入ってたし、また来いよ。きっとサービスしてくれるぜ」


だから何の教官なんだ。結局明日香さんが何者なのかも分からず終いだし、今更掘り下げたところで理解出来るか怪しいし。


何よりいつか分かると言われた以上、どこかにヒントはあるのだろう。ならば、あとは俺の逞しい妄想力に期待しよう。


と言うか、それしか選択肢はない。


「さてと……このまま帰りますか? きっと日和も仕事に戻ってることでしょうし、これ以上行くところもないですし」


空も暗くなって来ており、夜長な冬らしさを感じる。寒さも増して来て、ポケットに突っ込んだ手を出す勇気すらも刈り取られている俺としては、帰宅を推奨したい。


手袋はあったんだけどさ、日和に貸したらそのまま借りパクされてそのままなんだよね。ちなみにそれまで持っていたであろう日和の手袋は失くしたそうだ。


案外手袋って失くすよね、或いはマフラーも。俺も昔良くやらかしたよ。


「いや、もう一つ行きたいところがあるんだわ。付き合ってくれるか?」


「行きたいところ? どこかってのは聞いて良いですか?」


どうせ例の空鍋みたいに教えることを渋ると踏んでいたからか、素直に指を差されたのは意外だった。


その先は文房具店や小さな八百屋、いつも買い物に出て来るスーパーと踏切を越えた先。


高く聳える山だった。


「軽いバイキングでもしようぜ」


そう良い放ち、また俺の手を掴む明日香さんに釣られ、ズンズン進んで行く。


歩調も気持ち早いが、これは登っている最中に暗くなるからだろう。帰りのことも踏まえれば当然か。


それでもなおあの山に行きたい理由は定かじゃないし、それこそ聞いたところで無回答が待っている行動原理なのだろう、それっきり明日香さんが口を開くことはなかった。


この地域にある山は取り立てて伝承とかゴルフ場、ましてや神社があるわけでもなければ廃村があることもない。


ただの山、バイキングコースでもない獣道ばかりが立ち込めるその場所に、明日香さんは行きたいと言う。


何か思うところでもあるのか、心中を知るきっかけがない以上このまま進む他選択の余地はあるはずがない。


やがて踏切を越えた辺りで電車が通ることを知らせる耳障りなカンカンと言う音を鳴らして、車や人の立ち入りを禁ずるバーが降りていく。


その先を数分歩けばすぐに建設会社のプレハブ小屋らしきものが点在し、その横を抜ければ階段がある。


何段あるかなんて数えた試しはないが、このまま行けば山の中へ足を踏み入れることが出来るのは確かだ。


「冬の山は何というか、静かですね」


「虫の音もなく都会の喧騒も遠いここは、成る程確かに静かだな」


あまりにも静か過ぎて、心がざわつく。心音まで聞こえて来そうな静けさに、小枝や土を踏み抜く足音。


山には良い思い出と悪い思い出が、二律背反するようにある俺としては、冷静でいることが不思議に思える程だ。


言い知れぬ感情が土石流のように頭を襲い、手を引かれていなければ迷いなく立ち止まっていたことだろう。


「ところでひー坊」


だからなんだろうな。そんな頭目掛けてハンマーを振り抜くような言葉を投げかけられた俺は。



「涯名村って場所を知ってるか?」



明日香さんが繋ぐ手を振りほどいた。


相手への思いやりが欠片もない力で繋がりを断ち切った俺の数歩先を行く明日香さんは、ゆっくりと立ち止まる。


動悸が起こる身体を無理やり気持ちで縛り上げ、あくまで冷静であることに努める。その後ろ姿は、俺の知る義姉さんではないからだ。


誰一人として知らないはずの村を知り、問いかけた彼女の背中に対して、冴えた方法論も思い浮かばない。


パニックにならなかったのは、彼女が知人であったからだろう。見知らぬ誰かの発言ならば、思いがけず取り乱していたのは火を見るよりも明らかだった。


やがて胸付近をゴソゴソと漁り出し振り返る明日香さんに、降参を示す溜息を吐いた。


教官。


そう呼ばれた初老の彼のナイフ捌き、人を見るのではなく窺い知るような目つき、ここが伏線だったんだ。


だが不思議なのは、何故「同業者だった」彼女がこの村を知っているのかだ。


語り継がれることなく、それこそ静かに消えて無くなったあの村のことを、名前を、何故知っているんだろう。


もっとも、そんな答えも出ないのだろう。この空のような闇が、彼女の全てを包み込んでいたのだから。


判断材料があまりにも無さ過ぎた。その闇が、あまりに深い暗闇だったから。


光が射す限り、闇はすぐそこで在り続ける。


しかし闇は光が無かろうとどこへだって存在を続ける、奴らが在るべき糧は何もない。あるべきして生きているのではなく、初めからそこに「あった」ものであるから。


それがどんな顔をしているのかは判りかねる問題ではあるけれど、俺には闇が我が物顔で腕を組み、当たり前のように踏ん反り返っているような、そんな想像が働いてならない。


悪態ともつかない、そこにあるだけで人の気を逆なですることに長けた、忌むべき影。黒、闇。


「答えろ、ひー坊」


星空の下、飲み込まれそうな闇の中、月明かりに照らされた木々よりも低い位置に居る俺と、明日香さんが黒光りするそれを俺に向けたまま言う。


凛とした良く通るハスキーな声で俺を半ば責めるように問う。俺はこの状況で、決して目を逸らさぬよう五〜六メートル程の距離を保っていた。


彼女の持つそれは遠距離からなら何の脅威にも成り得ないけれど、近距離において当たりどころによっては殺傷能力の非常に高い。本当ならば俺はそれ……グロック17に対して、恐怖を覚えるべきなのだろう。それが正しい反応なのだろう。


だが残念ながら俺は逃げ出すことも、怖がることもせず、震えすらも飼い慣らして現状を受け入れながら、思考を巡らせていた。


あらゆる惨劇からも回避が出来る、魔法みたいな打開策を模索している。そして、打算にも思えるこの思考で俺は生き長らえて来たことから、無駄に自信だけは過剰に携えている。


だが、明日香さんが怒気を孕ませたのはそんな些細な点ではない。


「お前はあの紛争地に居たのか。死神と呼ばれ、その若さで……何百人の兵士を殺めたんだ」


眉根がピクリと痙攣してしまう。明日香さんも夜目が利くのか、強く唇を嚙み締める犬歯が薄っすらと覗き今の思いを露わにしていた。


「お前は……いや、お前が何百人といる住人を殺したんだな?」


閉口する俺の態度が、全てを物語っていたからだ。


「……そうか。だったら、やっぱりあの時会っていたのは……お前だったのか」


あの日から手放したことのないドッグタグを曝け出す。首で鎖と鎖が交わる金属音を小さく鳴らし、観念したように答えた。


「兵席番号って言うんですかね、これはでっち上げですけど……D1921は、間違いなく俺です」


「……そうか。じゃあ、もう確定なんだな」


「はい」


息を呑み、指先までかかったトリガーをいつ引かれてもおかしくない現段階で、白状した。


「涯名村を滅ぼしたのは、俺です」


自分の故郷を、自らの手で滅ぼした罪を自供した。


「どうしてそんなことを……戦地に居ただけでも驚きなのに、何故あの村すら滅ぼした」


「明日香さんには分かりませんよ。いや……明日香さんだからこそ、きっと分からないんですよ」


そう、彼女には一生分からない。


人の命を踏み躙り、尊厳すらも捩じ伏せたあの女の罪は、信じてもいない神や仏が許しても、俺が赦さない。


だから生涯に何の意味もない俺が、感情すらもかなぐり捨ててまで生きようとしたんだ。抗おうと、したんだ。


自由が欲しかったわけじゃない。そんなもの、手に入らないと分かっていたから。そんなもの、無いんだと思っていたから。


ゆえに俺は殺意に束縛を望み、「あの子」の自由を望んだ。


「俺からも質問です。明日香さんは俺の同業者……軍人だった、そうですね?」


「ご明察だ。もっと言えばフリーターだがな」


ならば、あの教官と呼ばれた彼は明日香さんを軍属として育て上げた恩師なのだ。


俺にとっての、生きる上で必要最低限の知識と常識。大切なことの何もかもを教えてくれた、命の恩人。


黒鷺(くろさぎ) 明日葉(あすは)さんが俺にとっての原点。空鍋のマスターである男性が明日香さんにとっての、原点。


だとしても。


「ただのフリーターが持つには、その手の物はあまりに物騒ですね」


どこまで行っても揺らぐことの無いその銃口に微笑みかける。人殺しみたいな笑みと評判の、その顔で。


今はもう俺に焦りの色はない、放たれる前にこちらが動けば問題は無い。だが、そのタイミングだけは掴めずにいる。


表情は崩さず、懐かしさすら覚える張り詰めた空気を醸し出す明日香さんは、もう昨日までの優しい顔を捨て去っている。


ここで俺を仕留めるのか、それともこれは……。


「単刀直入に問います。明日香さん、あなたの目的はなんですか。こんな穏やかじゃない状況まで作って、何を望んでいるんですか」


何かの交渉だとしても、どうしても脅しに近い現状だ。見出せるとは思えない真意を探るのは愚行なのも分かっている。


それでも俺は守りたい。ようやく手に入れた平和を、生きていることを素晴らしいと思えるこの時間を。


共に歩むことを誇らしいと感じる、この居場所を。


だけどそれを望むには……目の前の壁があまりに高過ぎる。


「こちらも単刀直入に言おう。回りくどいのは嫌いだ、だからこそ……」


義手の軋む音を聞く。持ちうる反射を総動員させて、いつでも動ける体制を整えて。


「愚妹と別れて欲しい」


時が止まったかのような言葉を耳にした。


「笑えませんね、ナンセンスな冗談ですわ」


「ハハハ……冗談に聞こえたなら謝ろう。そして、その上で重ねて言おう」


口の端が吊り上げられる。ここに来て初めての笑顔は再び現実を突き付けた。


言うのではなく、命じる形で。


「日和から離れろ。オレの妹と別れろ」


「……だから」


銃口と共に突き付けられた言葉に、頭の何かが切れる音を聞いた。


感情に身を任せ歩く。早歩きで詰め寄る中、彼女がグロック17を射出することはなく、容易に胸ぐらを掴めた。


距離の問題上、胸元にグロック17が押し付けられる。それすらも気にせずに。


「笑えないって言ってるでしょ」


俺が日和と別れる?


「そんなこと、天地がひっくり返っても有り得ないことだ」


「我が家の家訓は知ってるはずだ。ようやくお前の素性が分かった、ならば迷う必要はねぇだろ」


とにかく生きることを家訓にした白鷺家は、だから明日香さんが日和を突き放しているのだと理解出来る。


だが、それで俺が離れるわけにはいかない。俺は日和と共にある、彼女と共に居たい、自分を片付けられず不器用ながらも頑固で可愛い嫁を手放したく無い。


我儘だと言われても構わない、エゴだと罵られたって関係無い、日和だけは絶対に手放さない。


「俺たちの愛は永遠だ。例え明日香さんでも、それだけは覆らないし、終わらせやしない」


交戦の合図とも取れる俺の発言に、キツく目元だけを強くする彼女。


「自惚れるなよ餓鬼。安い約束で妹まで束縛するな」


殺人考察のみを原点にして来た俺の胸に突き刺さる明日香さんの殺意を帯びたそれは、言霊並みの威力を感じる。


だが従うわけにはいかない。彼女との日々を、守るんだ。俺の愛する人との時間を、護るんだ。


俺が君を護る理由、それは……日和が日和であることのみ。俺は日和だから好きになったんだ。


「それとな、ひー坊」


付け足す明日香さんは、左手で殴打を放つ。掴んだ胸ぐらは離さずに、義手による強襲に耐える。


口の中でじわりと広がる鉄の味をそのままに、射抜くように睨む。


「これはお願いじゃない、命令だ。拒否権の存在しない強制だ。お前が断ると言うのなら、全力で有言を実行してやる」


「……俺はあんたと青春したくてここに居るんじゃない。そんな馬鹿げた未来を捻じ曲げるために立っているんだ」


どれだけの劣勢だろうと超えてきた、向かい風の中立ち向かって来た。


「俺たちの未来を、あんたが勝手に決めるな」


目指すべき未来のために、俺は日和との物語を紡ぎ続ける。


だけどそんな決意を嘲笑うように明日香さんは口元を弦月形に歪める。馬鹿にして、嗤うように笑う。


「その発言は些か遅いな、ひー坊」


その言葉の真意を探るために走る沈黙。やがてそれは確信に変わり、声を荒げた。


「日和に何をした!」


冷静さなんてもはやそこには無い。自分でも初めてに思えるくらい怒気を含ませたその言葉に、何の返答も示さない彼女。


日和と出勤してからだいぶ経つ、明日香さんが何かしらの手段を講じていたところでどうにも出来ない。そんな消失感にも似た怒りを、ただ吐き散らした。


もっとも、生きることを原点にしている白鷺家の中で「殺害」なんて選択肢はあり得ない、恐らく良くて確保……悪くて拉致が施されている。


ここまでの時間を勿体無く思ったところでもう遅い。そう、明日香さんの言う通り。


「何もかも遅いんだよ、ひー坊。オレたちは罪を重ね過ぎた。純朴な天使の羽根を、これ以上汚しちゃならない」


相手が女性だろうと関係なかった、ここまで静観を守っていた俺は感情に身を任せて拳を奮う。当然、左手で銃口を抑えて無理やり標的である自分から逸らす。


ところが、掴んでいるがゆえの抵抗がなく、空を切るような軽い挙動でそれは逸らされた。まるで、俺が掴んだのを境に……持ち主が手を離したかのような、そんな身軽さ。


「……え?」


疑問も束の間、視界が反転する。息もつかせぬ軽業で空中に身を投げ出す俺は、そう遠く無い未来で背中を土壌に叩きつけた。


一瞬だけ呼吸を忘れ、痛みに打ち震える背中をそのままに跨るのは紛れも無い明日香さんだ。


ようやく思考がまとまったのは、二台目の拳銃であるワルサーP99が俺の胸元に当てがわれた頃だった。


驚いたなんてものじゃない、グロック17を犠牲にして三船十段の空気投げからのマウントポジション、現役でもないのに衰えを知らない技術には慄く他ない。


さらには用意していたもう一丁、ワルサーP99は、使用者の持ち方に合わせられるグリップが使われている、ゆえにすぐに取り出すための動作には最適な一品と来たものだ。


だが、挫けるにはまだ早い。


「日和に指一本でも触れてみろ、例え明日香さんでもタダじゃおかないぞ!」


自分よりも大切な家族が狙われたんだ、ここで諦めるわけにはいかない。


「ひー坊、いい加減気づけ。我が愚妹ながら、あの子は高嶺の華だったんだと諦めて抵抗はやめろ。オレ個人としても、これ以上お前を傷つけるのは御免だ」


「言葉と行動が一致してねぇよ……良いからとっとと降りろ、日和の下へ行く!」


「駄目だ」


「これはお願いじゃない、命令だ! 退け!」


「駄目だと言っている」


「命令だと言っている!」


「聞け、ひー坊。お前の手では愚妹を連れていられない。無論オレもだ、我々はこの手を血で染め過ぎた。オレはもうあの子の頭を撫でてやることも、姉として声をかけることすら躊躇う始末だ。だからこのままお前が諦めてくれるのなら……オレも愚妹から、白鷺家から除籍されよう。約束する、この命令に則るならば……オレも同じ地獄に行ってやる」


「そんなの……そんなの勝手過ぎるだろ!」


もうやめてくれ。


これ以上俺から何を奪おうってんだ。


自由も知らず、束縛されることで生き続けて来た俺が見出した、たった一つの幸せを。


生きる糧を、略奪しないでくれ。


日和まで失ったら、元から伽藍だった人形のような俺の中に何が残るってんだ。


親友とのありふれた、それでいて輝かしい光景か?


幼馴染と生きた、綺麗でもなければ優しくもないこの世界か?


最愛の義妹との決して消えることのない思い出か?


どれか一つ欠けても俺じゃなくなるってのに、その上愛した日和との時間までも奪うってのか?


ふざけるな。


「ふざけてんじゃねぇぞ……!」


拳に力が篭る。爪が肉に食い込み、そんな手をちらりと見た後、俺と目を合わせる。


「勝手なのを承知の上で命令している。これ以上罪を重ねるのは、お互いのためにならない。だから……」


「ふざけるな! あんたとの地獄行きを選ぶくらいなら、俺は日和との明日に向かう!」


年上に対する敬いなんて知ったこっちゃない、今はとにかく時間が惜しい。だが、手を伸ばそうとする前腕を掴まれ、そのままもう片方の手も握る。


握力で骨すら折りかねないそれで頭の上まで伸ばされ、必然的に押し付けられた銃口が食い込み、顔が近くになる。


「……最後の命令だ。ひー坊、日和を諦めろ」


その顔は、これまで見せていた殺人を目的としたものではなかった。今まで俺に優しく当たってくれた、本当の姉のような顔そのものだった。


意地悪で言っているわけではない。全ては日和のためなのだ。


「……俺は……」


俺は日和と共にありたい、だから抗う。


「俺は、ただ……」


明日香さんは日和を守りたい、だから立ち塞がるんだ。


「ただ……」


お互い死に一番近しい場所にいたからこその、懇願なのだ。


「ずっと……ずっと、傍に居てくれた……」


分かっている、分かっているんだ、俺が日和に釣り合ってなんかいないのは。


「あの子、と……あの子と……」


尊敬と共に向けていたその子が、果てなく遠い理想卿であることなんて、痛いほど分かっていたさ。


「……居たいんだ……」


だけど……だけど、何より……。


「痛いんだ……」


心が日和を欲している。


「心が、痛いんだ……」


愛する想いが。


「俺は……俺は……!」


溢れ出る。


「俺は……ただ……!」


何故なら。


「……日和と一緒に、居たいんです……!」


俺が日和を愛していることに、偽りなんてないのだから。


絆とか、友情のままで良いと思っていた感情が、愛に変わったんだから……どうしようもないくらい、日和が好きなんだから……。


「もうこれ以上、俺から大切な人を……時間を……居場所を……奪わないでくれ……!」


視界が滲む。明日香さんの顔が、おもむろに薄くなる。


喜怒哀楽をあらん限りに示した今日の締めくくりは、哀しむことだった。


「どれだけの罪を重ねても……!」


嗚咽交じりに紡ぎ。


「償い切れない罰を背負ったとしても……!」


溢れ出した感情は。


「青く広がる空に……手を伸ばすことを、どうか……許して欲しい……!」


留まることを知らなかった。


やがて俺に、明日香さんは最後の問いを投げかけた。


構えていたワルサーを俺から外し、もはや抵抗の余地なしと判断した彼女は、手と距離を離した。


「ひー坊。いや……青山日和。お前の身に一体何があったんだ。どうしてこうなってしまったんだ」


解放された手で涙を拭い、月を背にしながら隣で俺を見下ろす明日香さんは。


「全て話せ、余すことなく。青山日和を構成して来たその過去を……」


問いかける。


だから俺は。


「お前の口から、教えてくれるか?」


神妙に頷いた。


一二年前のあの日を。


誰にも語らず、誰にも理解されない、非現実的な真実を。


ゆっくりと、語り始めた。

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