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青山さん家 2  作者: 宇佐美 風音
1/21

青山さん家は今日も眠る

目に見える物だけが真実ではない。

そこにあるべきものとの繋がりこそが真実なのだ。

八月の初日、夏まっしぐらなこの時期に俺の嫁は言った。


「頭洗って」


あまりの暑さに耐えかねて水風呂に入っていた嫁の日和ひよりは一糸纏わぬ姿で頭にシャンプーを塗りたくるだけ塗りたくって、それはもうビッショビショもビッショビショな状態で和室である俺の仕事部屋に侵入なさった。


驚愕の映像とショックで口を開くという動作そのものを忘れていたせいで静寂が訪れ、畳の上にシャンプーを垂らしながらも反応を待つ日和は小首を傾げる。俺が黙っているせいなのだろうが、原因は一〇〇人が一〇〇人お前だと答えるだろうというレベルに達しているからその反応は些かおかしい。


そうしてついぞ俺の無言から反応を見られないと判断するやいなや、嫁は休憩用に使っているゲームに手を伸ばす。無論濡れ手で。シャンプーをたらりと滴らせ。俺のゲームに。触れようとする……。


「やめい」


寸前、俺はようやく口を開きつつ手刀を嫁のぐしょ濡れの部分に叩き落とす。ちょっといやらしい表現になったのはわざとだ、気にするな。


それでも頭に「?」とクエスチョンマークを乗せて自分の行いのどこに突っ込みを入れられる場所があったのかを顔で問う。取りあえず言えることは早く服を着ろってことだ……いや、その前に頭なんとかしろ。


「何するの?」


「こっちのセリフだ、お前今濡れ手で何しようとした? というかその状況なんだ?」


「ゲーム」


「後半の方は盛大にシカトしたな?」


「ゲームしたわ」


「したかったんだろ?」


「したかったわ」


「濡れ手で?」


「優しくするから」


「強弱以前にその手と体を……いやもう良いや……」


会話を俺から途切り立ち上がり、バスタオルを取りに風呂場を目指す。特に理由もないはずの日和も後ろからひたひたと水を張り付けた足で歩く音が聞こえる。


俺の部屋は畳だから少しの間跡が残ってしまうけれども、居間を通過して風呂場まではフローリングだから拭けばなんとかなるし……別に良いか……。


「ひーくんは質問ばかりね」


「日和みたいに歩く破壊神を見ていれば疑問しか浮かばないよ」


「照れるわ」


「褒めてねぇよ」


「水風呂に入ってたのよ」


「はーい今更シカトした俺の質問に答えないでねー」


私は破壊神ですと言うプラカードを持ちながら街中を歩く日和の姿が思い至った。


はてさて、今こうしてバスタオルで拭かれ決して自分で拭く気配を見せない俺の嫁日和は自分を片付けられない女である。


服はおろか風呂も一人でまともに入れなかった子であり、何と言っても何事にも屈しないマイペースであることからこうして濡れ濡れでいることにも本気で気付かず人の部屋に侵入して来るような嫁なのである。


本人曰く辛うじて料理は出来るのだが、本人が極端なまでの小食であることからその余波が俺にも届き、さらに言えばそのセンスが独特過ぎて飯時になるとテーブルにはちくわオンリーとかカレー粉を割らずに置くなどと言ったメニューが立ち並ぶ。


ちなみに昨日の晩飯はめんつゆに豆腐を浸した何かだ。せめて醤油だったらどうにかなったのになぁと呟いたのを覚えている。


まぁそう言った奴である。そして服すら自分で着替えられないので俺が毎回着せている。なので男なのにブラのホックを付けたり外したりするのが得意だったりしちゃう、無駄な特技を獲得している。


「よしオッケー」


何とか夏らしい白のワンピースを着せてやり、後頭部の襟足を集めて束を作り先日誕生日プレゼントとしてあげたゴムで結ってやる。


そうして長髪を垂らしていた髪型からポニーテールへとジョブチェンジを果たした日和の完成である。


「ねいなますもつい」


「逆さから言った理由とか聞かないよ」


「ちっ」


あらやだこの子舌打ちしたザンス、そんな子に育てた覚えはないわよ!


何て言う夫婦と言うより親子に見えてしまいそうな俺たちの仲的に、あまりにも冗談に聞こえないネタを心中にて繰り広げ、居間に戻って壁にかけられた時計を見やる。


一二時を半分以上過ぎていたのでそろそろ昼飯の時間であることを悟り、日和をテーブルの傍にあるソファーにゴートゥソファーさせつつキッチンへ向かう。銀色に輝く両開き冷蔵庫を開けて中身を確認すると酒が数本に納豆が二つ、トースト用のとろけるチーズ五枚、ちくわ四本セットが六つ、漫画本が四冊。


色々とトチ狂ったものが入っているがこれに関しては日和にチョップしておくとして、これだと何も作れそうにないなぁ。今日の予定的に酒のつまみとしてピザを宅配するつもりだし、ここで出前を頼むのは小説家の卵でまだ経済的な部分が完全に安定しない俺にとってそれはしんどいものがある。


確かにバイトもしてはいるが、お金はあるに越したことはないしあり物で済ませるか。


何よりこの暑さでやる気を根こそぎ奪われているのは日和だけではないという至極簡単な理由ではあるけれども……。


「日和ー、取りあえずこの漫画本は冷蔵庫ではなく本棚に戻してねー」


居間にいるはずの日和に声をかける。しかし次に向かって来る言葉は遠くからではなく背後から聞こえた。


「面白さは鮮度が大事」


後ろから巻き付かれつつそんなことを言う。くっつかれるのは嬉しいと思う俺は確かにいる。まぁ……うん……二ビットくらいは嬉しい。


けれど今の季節は夏。誰もが暑い動きたくないと喚く灼熱の時期であるがために、ただ単純に日和的に不快な思いしか抱けない気がする。


マイペースで自分の世話を自分で出来ないだけで飽き足らず暑いのも寒いのも苦手という我が儘ガールなので、きっとその内「暑いわ」とかそれはそれはクールな物言いで口にしつつ離れることだろう。


「暑いわ」


「お前は本当に期待を裏切らないな」


冷蔵庫から取り出した漫画本を抱きしめ暑さを逃がすように離れて、ダイニングへ向かいよく駄菓子屋に売っていたスライムのように体をべたーっと伸ばす。


それに合わせて日和の腹の虫が鳴り響く。インフルエンザウィルスに侵されて三日後くらいにようやく体の怠さに気付く程度には、自分の体の異変を把握出来ない程の女なのでまぁ当然っちゃ当然の展開だろう。


「今日は俺がご飯作るよ、少し待っててね」


「エアコンヌ付けたい」


「駄目。あいつら来るまで扇風機で我慢しようね」


「暑いわ」


「俺も暑いよ」


「成程」


「分かってくれた?」


「うん」


「じゃあ待っててね、すぐに出来るから」


「エアコンヌ付けたい」


「日和が俺の言葉をちゃんと分かってないってことだけは分かったよ」





というわけで。


チーズinちくわ納豆の出来上がり。


作り方は単純明快、ちくわを縦半分に切ってその真ん中に空いた空洞に混ぜて置いた納豆を均等に流してその上へチーズを乗せる。


それをトースターに入れてチーズが溶けるまで数分間待つ。これで完成、経済的かつ早く何故かちくわに絶対的な信頼感を持っている日和によるちくわ攻めを受け流せるという、一石三鳥を可能とする画期的な料理だ。


ちなみにあまりに暇だった日和が「私は納豆の精霊」とか意味の分からない呪文を唱えながら混ぜようとしていた納豆を俺から引ったくり、かき回しつつパックの底を箸で貫くという荒療治を繰り広げたというイベントがあった。


とまぁこうして何とか時間をかけずに昼飯を準備出来たので茶碗にご飯を放り、日和の前にチーズinちくわ納豆を置いてやる。割り箸を準備してくれていたのはありがたいけれど、割るのに失敗したのかやたら大きいのとやたら短い箸がお互いの傍にあった。


「割り箸がこういう風になるのって片思いって言うらしいねぇ」


瞬間。


日和が手にしようとした割り箸が滑ったのか勢い良く宙を舞い、それはそれは綺麗な放物線を描いて隣の居間に音もなく落下する。


椅子に座ろうと落とした腰を浮かせ、何が起きたのかさっぱり理解出来ない俺は日和を見やる。世界があと一時間で消滅しますという死刑宣告に近い何かを言い渡されたような表情を形作っていた。


「かた、おもい……? おもわれ、て……ない……?」


おぉっと、この迷子の子供を見つけてしまったような心情にさせられる雰囲気……まさかこれは久しぶりに来るのか……?


来てしまうのだろうか……日和が抱える第二の事情が……。


「すてられ、る……おもわれてない……すてら、れ……」


皆さん、大至急耳栓をしてください。下手したら鼓膜が破れま



「うぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!!!! すてられるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!! ひーくんにポイされるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」



「時すでに遅しいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


せめて描写くらいさせなさいよ!


なんて思う俺の思いをよそに、日和は甲高い声を上げて大粒の涙を瞳から大量に垂れ流す。まるで遊んでいたおもちゃを取り上げられ挙句ごみ箱に捨てられた子供のように、それはもう壮絶な泣きじゃくり方だった。


青山さん家の事情その一が自分を片付けられないことならば、その二は十中八九これであろう。


これが日和の暴走形態……というか退行モード。元の精神年齢が少し低いせいで、少しでも悲しいことや俺との関係性に謎を抱いてしまうとこう言った出来事が発生する。


俺でさえ今回で三回目くらいだから頻度としては少なめではあるけれど、いくら希少価値があってもやはりこれは慣れない。なんせこれでもかと言うほどに声を張り上げて大泣きするから耳がいくつあっても足りない足りない……。


「落ち着け日和……」


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! ひーくんにすてられるんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! やだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! いっしょにいたいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」


「捨てないから……」


「いなくならないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!! すてないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!! いいこにするからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! ちゃんとするからぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


人の静止も聞かず俺の足元まで這いずり、嫁が足を引っ張って悲痛な叫びを見せる。何度でも言ってやれることだけれど、そもそもの原因は割り箸だ。良いか割り箸だからな、テストにだって出るからな。


だがまぁしかし、しかしだ。話題を振ったのは俺だし……結果的に見れば成程俺が悪い、のかな……うんきっと俺が悪い。割り箸には何の罪もない。確証とか丸っきりないけど。


俺は腰を落として日和の頭を撫でてやり、極力自分でも菩薩並に優しいと思える声音で語りかけてやる。


「大丈夫、俺が日和を捨てるわけないじゃない。俺には日和しかいないと思ってるし、出来れば日和にもそう思っててほしいって思ってるし」


くっせえええええええええ!


俺の言葉くっせえええええ!


顔には出てないけど多分今の俺の体恥ずかしさで真っ赤だぞ!


林檎もびっくりな赤さだぞ!


サーモグラフィーも裸足で踊り出す始末だぞ!


「うっぐ……ふぅ……ほんとー……?」


「当たり前だろ? むしろ本当に片思いだったら俺悲しすぎてこの世から消えてるよ」


死因はそうだな……一人ジャーマンスープレックス辺りで。


そして日和の泣き止もうと必死になりながら放った「ほんとー……?」が不謹慎ではあるが異常に可愛かったのは一生胸の内に秘めて置こう。


これが嫁効果というものだろうか……一々可愛く見えてしまうフィルターでもあるのかねぇ……。


「だから泣き止んで、な? 一緒にご飯食べよう?」


一番は悲しまないでほしいのだが、次点を述べるならやはりいい加減日和にご飯を食べてもらいたい。お腹が空いたら空いたで少しだけ退行してしまうからだ。


「……うん」


やっと俺の言葉が日和に届いたのか、うっすらと。本当に気付くか気付かないかのラインだが。


微笑んだ。


これまたレアなシーンが見られたな……青山さん家の事情その二よりもレア度高いぞこれ……。


あれだよ、普通の一般家屋の地中にまだ解明されていない新種の生物の化石が発掘されたこと並の珍しい組み合わせだよ。最後に見たのは三か月前ではあるけれど、その前まで遡れば三、四年前のことだもん。


そんな驚愕を隠しながら立たせてやり、日和の目頭に浮かぶ涙を指で拭う。そこにはもう笑顔はない、いつものクールな嫁に戻っていた。


なにぶん俺の身長が一七二センチ、日和が一六六センチと少し大きめなので目線にそこまで差がない。おまけにこの至近距離。胸が凄い勢いで早鐘を打つ。


これって……この展開って……まさか……。


「…………」


期待か何か分からない俺の予想がまさかの大当たり、日和が目を閉じてこちらに顔を近づけて来る。ラブコメだったらフィナーレを飾れるようなこの流れ、まさしく……マウストゥマウス。


確かに昔は何度かした記憶はある、けれど結婚して俺が原稿に追われるようになってからは明らかに頻度が減っていたのは確かだ。


ここは男の見せどころなのだろう、ここで恥ずかしがって避ければまた同じことのくり繰り返しだ。何より俺たちは夫婦、キスの一つや二つ恥じることなんてない。


と言う葛藤を胸中にて○・五秒で済ませ、俺も不恰好ながらもアヒルよりも控えめに突き出された日和の唇目がけて口を近づける。


見れば見る程暖かいピンク色で艶のある唇がみるみるうちに近づいて来る。そこまでを最後の光景として、俺はついぞ日和にならって目を閉じる。


そうして俺はいつ振りだろうか、日和の桃色な唇に自らの唇を――――


「やっほー! 元気してたかなーボーイ&ガール! 私、推参!」


合わせる寸前、思い切り玄関からダイニングを繋ぐ廊下で足音が鳴り、破壊音にも似た大きな音を立ててダイニングへの扉が開かれる。


そこからの俺と日和の動きの高速さったらないね。日和はすぐに俺が座るはずだった席に座り。


俺はその場に座り込んで座禅を組んだのだ。


「おぉ、もう来たのか。早いな」


目と口を開いて、黒いバッグにコンビニに寄ったのだろうか、何かを詰めた袋片手に腕を振る来客に声をかける。


「今物凄い速さで何かを誤魔化された気がするけど! 来たよー暇だったから五時間も早くに来ちゃったよー!」


何とも余計な……いや、心優しい気遣いをありがとう。俺はお前を絶対に許さない……いや、歓迎スルヨ!


「ありゃりゃ? 時也ときやはまだ来てない雰囲気ー?」


手のひらを額に宛がい、遠くを眺めるようなポーズで我が家を見渡す。そりゃあ五時間も早くに来ればいるのは家の住人くらいだろうよ。


「あいつ今日はレコーディングが終わってから来るって言ってたろ? だから集合時間を六時にしたんじゃねぇか」


「ありゃりゃ、そう言えばそんな話ししてた雰囲気だねぇ! いやー失敗失敗!」


言いながら自分の頭を軽く小突く。相変わらず一挙手一投足が大振りなやつだな。


それにしても参ったな、これだけ早く来たってやることなんてたかが知れてるぞ。ゲームなら確かに大型ハードがあるけれども、それを五時間もやるのかと聞かれれば是非とも避けたいと答える。


「ふっふっふー、ふふふのふー! ひーくん、ウチを温州みかんみたいに甘く美しくエロティックな女だと思ったら大間違いだよ!」


色々と脚色されているようだが、俺はお前との長い親友関係を築いて来て一度もエロティックだと思ったことはない。美人というよりかは可愛い寄りだしな。調子に乗るので口にはしないが。


何より日和を前にしてそんなこと言えばどうなることか……前も思ったことだが日和が怒ると本当に怖いんだからな、缶切りで頬を裂かれた方がまだマシだと思えるほどだ。


「じゃじゃーん! 人生ゲーム持って来ましたー!」


背負っていたリュックから取り出したるはボードゲームの王道人生ゲームだった。表面にでかでかと「所要時間なんと破竹八時間!」と言う売り文句が書かれている。


「あのね小町こまち。俺たちが潰すべき時間は五時間なの、三〇〇分なの一八〇〇〇秒なの。アラビア数字に変えれば5時間なの300分なの18000秒なの、分かる?」


「よく秒数まで出そうと思ったねー、まぁひーくんの言い分は分かるよ!」


「言ってごらん?」


「人生ゲームをやらなきゃ生きていけないってことだよね!」


「何一つとして俺の思いが通じてねぇ!」


「私もやるわ」


「おーぴよりんもやるか! よーしやろうやって赤ちゃんを産もう!」


「浮気する気はないわ」


「俺を置いて話しを進めるな!」


「なんだーひーくんもやりたいんじゃん! さぁやろうすぐやろう! あ、最初はひーくんからで良いよ!」


もう駄目だ……これ以上言っても暖簾のれんに腕押しだろう。


嘆息しつつすでに居間に人生ゲームの中身を開封してスタンバイしている二人の傍に座る。胡坐をかいた俺の上に日和が座る。うんもうおかしい。


「日和、見えない」


「私は見えるわ」


そりゃあお前の視界はオールグリーンだろう。


というか何だこの状況。お前はおじいちゃんに甘える孫か何かかって誰がじいちゃんだ!


「お、相変わらず仲良いねぇ! よーしじゃあウチもそこにあやかるー!」


言いながらお札や株券を準備していた小町までもが日和の膝に乗り、俺への比重は単純に倍加した。


「ぬおおおおおおお重いいいいいいいいいいい! 流石に二人は重いいいいいいいいいいい!」


「ひどいわ」


「ウチそんな太ってないもーん!」


「重いわ! 一人ならまだしも二人は重い!」


何て言うくんずほぐれつな展開を何とか振り払い、俺たちの人生ゲームが始まる。


……何か言い方が異常にかっこよくなったのだが、何故だ……。


「よっと」


一から一〇まである数字をルーレットで回す。いきなり一を引き当ててしまう辺り俺の運の底が知れる。


「えぇっとなになに……あなたが産まれる、出産祝いに二〇〇〇〇円もらうってそっからかよ!」


正真正銘本当の意味での人生ゲームが幕を開けた。





袴塚はかまづか小町は実家が隣同士の所謂腐れ縁と呼べる奴。


金髪という奇抜な髪型とは裏腹に天真爛漫、元気という文字はこいつのためにあるんじゃなかろうかと言えるほどにテンションが高い。


中学から陸上を生業として走り続け、高校入学二年目には女子で最速の女になった実力者だった。しかしその後のオーバーワークが祟り、膝を故障してしまって以来は走っていない。


今も陸上界では彼女の復活を心待ちにしているという噂も耳にしているが、怪我のことを知っているのが当時の顧問と俺たちだけなので、世間から見れば消えた弾丸だなんて呼ばれているらしい。


これは小町の奥底にあるアイデンティティに関わることなので言わなかっただけなのだが、結果部員からは彼女に「裏切り者」という理不尽レッテルを貼り学校での生活を普通に送ることさえ困難になるほどのイジメを受けることとなる。


言ってしまえば部員たちは虎の威を借る狐、小町の人気を使って自分たちも雑誌に取り上げられたりなど甘い蜜を吸いたかっただけの、俺から言わせてもらえれば「卑怯者」である。


最終的に不登校となってしまった彼女は自主退学を決意し、駄菓子屋を営んでいる実家を継いで今はそれなりの生活を送っている。


ただ「最後まで陸上選手として終わりたい」という思いを、自分たちの都合で裏切りだと言われていたことは今でも許せない。現実問題、怪我で絶たれた選手生命だが、それでも最後まで走り続けていたという形を前億一位という輝かしい成績で残したかっただけの願いすら踏みにじられたことが、俺は今でも許せなかった。


だけど一番許せないのは。


「もう終わりにしねぇか……」


「なーにを言ってるのひーくん! ぴよりんだってこんなにノリノリなのに!」


「飽きたわ」


「えーあんなに楽しそうにルーレット回してたのにー!?」


それに長い時間人生ゲームから逃れられないことだ……。


日和の肩を掴んで揺らす小町だが、それでも揺らがないのが日和クオリティだ、諦めろ。


いやね、あまりにも昔のことを思い出してしまいこっちまで憂鬱になりそうだったので自我を現実に引き戻して考えてみたら、今のこの状況も状況で許せないなと思ったのよ。


もうしばらく人生ゲームはやらなくて良いかな……というか見たくもないかな……。


何が悲しくて大人が三人も寄ってたかって人生ゲームにここまで望外な時間を浪費しなければならないのか、皆目見当もつかない。誰かわかる人がいたら糸電話で教えてくりゃれ。


ちなみに日和はルーレットを回すことだけが狙いだったらしく、開始五分で飽きて水風呂から上がって最初に手を付けようとしていたゲームを俺の部屋から持って来て遊びながらやっている。あれだ、自分が敵となって勇者を倒していくゲームやってる。


「そんなこと言ってー、自分が最下位だからって勝ちの目を見出せないからやめちゃう雰囲気なんじゃないのー?」


「精神的な意味でもう人生ゲームに負けてるからどちらにせよだよそれ」


夕方となり、そこそこ涼しげな風が網戸張りの窓から流れる。どうやらエアコンを我慢させる必要はなかったようだ、これならわざわざ付ける必要のない涼しさだし。


「もうしょうがないなー、次は最後までやってもらうからねー!」


「ほいほい」


「ほいは一回!」


「ほい」


「はいオッケー!」


ビシッと言う擬音が付与されていそうな程にキレのあるサムズアップをかます小町に、日和が一瞬目をやる。しかしすぐにゲームに視線を落とし再開する。


ちなみに日和はゲームがすこぶる下手だ。RPGはおろかアクションも謎解きも音ゲーも出来ない。ただ何故か育成ゲームは得意で、見たこともないような数値でそのゲームのキャラクターを育て上げていて驚愕していた覚えがある。


中途半端な特技ではあるが、何故そこまでキャラを強く出来てゲームは下手なのだろうか。いや俺もゲームが上手いわけではないが、あくまで休憩中に少ししかやらないのもあって全然進まないんだよね。


結果的に日和がこっそりとそのゲームをやり始めるってのが我が家のひっそりとしたセオリー。


と、そんな時だった。救いにも似たインターホンが鳴り響いたのは。


「お、ついに来たか」


立ち上がって玄関に向かいながらチラッと時計を見ると、一八時一五分を示していた。もう長いこと人生ゲームに興じていたことが見て取れる。もうしばらく人生ゲームはボードすら見たくないくらいだ。


取り敢えず冷蔵庫に張り付けていた宅配ピザのチラシを小町に預け、電話してデリバリってもらい手続きを済ませてもらっておく。


「頼んだ」


「ほいさ! どれ頼めば良いー?」


「何でもいいぞ……つっても日和はトマト嫌いだから、トマトの入ってないピザにだけは気を付けてくれるとありがたい」


「了解了解! よーし何頼もうっかなー!」


言いながらサイドボードに乗せている電話を掴んで、チラシを見ながら遠足のお菓子選び(三〇〇円まで)をしている子供のような無邪気さで選ぶ。


それを横目に玄関を目指して歩いて行く。そうしてまたぞろ鳴ったインターホンに返事をしつつ扉を開けてやる。


セミロングな赤髪をたなびかせ痩せ細った、パッと見女に見えなくも無いその容姿にはどこか懐かしさを覚えるのは何故だろうか。


「よう、久しぶりだな」


「そうだな、一、二年振りと言ったところか」


ほぼ女声なそのハイトーンボイスは健在のようで、やはり安心感みたいな心情に至る。


長瀞ながとろ時也。高校時代からの級友と。


袴塚小町。小さい頃からの腐れ縁と。


青山日和。同じく高校時代からの級友にして嫁と。


俺を含めた仲良し四人組が一堂に介した。





「というわけで!」


俺はビールを片手に振り上げ、口の端を吊り上げてビールを上にあげて座る時也と、いつもの満面の笑みを浮かべつつチューハイを掲げる小町と、いつも通りのクールビューティ日和もチューハイを片手に。


「我らが長瀞時也の全国ツアー走破を祝して!」


「乾杯!」

「かんぱーい! だにゃん!」

「乾杯」

「どすこい」


俺、小町、時也、日和はそれぞれ声を合わせて祝杯を捧げる。というか一人完璧に乾杯出来てなかった人いなかったか?


犯人は分かってるけれども。


「まぁそれにしても、まさかこの若さで全国ツアーを決めたかと思いきや全部ちゃんとやり切るなんてなぁ」


ビールを煽り、時也の所業に対する感想を述べる。同じくビールに口をつける時也は変わらず女みたいな高い声で返事をする。


「だが嬉しいことに全ての地域で満員御礼だったのだから、僕自身二つの意味で驚いている」


時也は俺たち三人同様アーティストや美術家などの、所謂芸術家を志す高校に通っていた。俺は小説部門、まぁ所謂文系専門の学科に属して小町は美術科、時也と日和はボーカルコース、つまりは歌手希望の生徒が集まる学科に進んでいる。


その内の時也は期待の星とまで呼ばれ、年に一度行われるアニメソングの全国大会で見事優勝を決めて人気小説アニメのオープニング曲を務め、それが最初のCDとなるきっかけとなったのにも関わらず数百万枚もの売り上げを挙げる快挙を成し遂げた。


それ以来世間で長瀞時也という名前を見ない日がないほどの有名歌手となり、今ではアニメソング以外にもCMソングも担当する程の高校生となった。


しかしそれから歌での仕事などが増えたせいか出席日数が足らなくなり、自主退学を決めてれっきとした歌手街道を突っ走って来た。


そんな去年、怒涛の全国ツアーを手にして各地を飛び待っており、昨日地元であるこの街に帰って来たのだ。


「トッキ―すっごいよねー! 私は結局実にならなかったけど、しっかりやることやっちゃってるんだもんねー!」


すでにチューハイを数口飲んだだけで顔が真っ赤な小町は叫ぶ。一応窓空いてるから極力静かにな。


「…………」


酒が入るとより一層喋らなくなる日和は黙々と時也の買って来たチーズケーキを食している。俺の分も食べてるから酔いつつもちゃっかりしている奴だ。


「ところで僕はまだしも、ひ……ひーくんたちはどうだったんだ?」


何故か口ごもった時也が俺たちのここまでの経緯を聞いて来る。


最初に反応を示したのはもうべろべろな小町だった。


「ウチずぅーっと店番だよーん! たまに来る子供たちが可愛いんだなぁこれがぁーあ!」


無駄に挙動の多い小町の動きや完全に酔っ払ったテンションには目も暮れず、時也はいつもの冷やかな目で彼女に声をかける。


「袴塚、お前たまには落ち着いてみたらどうだ。それだけ動いていたら疲れるだろう」


「そぉーんなことないおぉ! むしろこう、動くことで気分が上がるんあー!」


もはや語尾が安定していない。それでも腕を振って身振り手振りで自分を表し、チューハイを一気に飲む。そうして空となった缶を傍に置いていたごみ袋代わりのそれに突っ込み、自分の受け皿の傍にある新たなチューハイに手をかける。


プシュっと言う小気味良い音を立てると共にビールを一口煽って時也は言う。


「まぁ元気がないよりマシというものか、僕みたいに言葉少なな人間にはならないことだ」


「えぇー、トッキ―は喋る方だと思うけどなぁー!」


「僕はお前たち相手でないとこうして饒舌にはなれない、前に出演したラジオでは危うく放送事故になりそうなほどの無言を見せつけてしまったからな」


「ありゃりゃ、何か意外だなー! 本気と書いてマジと読むくらい不思議な雰囲気だなー!」


「それはそれで不思議だが、まぁ事実だ。人見知りするわけではないのだがな、何をどう喋れば良いのか分からない辺りまだまだこの業界には慣れていないようだ」


このまま二人だけの世界になるかと思いきや、「いやまぁ、取り敢えず元気だったのなら良い」と言って時也が締めくくってしまう。


今度は俺の方に目が行き、質問の矛先が変わったことを悟る。


「俺は相変わらずだよ。締切に追われたことはまだないけれども、そこそこ楽しく過ごしてたかな」


「僕が回っていた地域の本屋の方でもお前の本が取り上げられていたのを見たぞ、どうやら人気は出ているようじゃないか」


「おぉ、わざわざチェックしてくれたのか?」


お互い同時にビールに口を付ける。日和がフォークにチーズケーキを一口分にして俺の頬に押し付けて来たので、それを口に含む。


うむ、美味い。


「四巻までの発売合計がすでに一〇〇万部を突破しているらしいじゃないか」


「何とも嬉しいことにな。小説家になるまでは見向きもされてなかった時代があるから、何か今でも実感湧かないのが正直なところかな……」


長いこと書くことが好きで、自分でサイトを建設して自作小説を更新していた時期が懐かしいよ。


あの頃はアクセスカウンターを設けるまでもなく知名度なんてものはなかったし、自分の小説タイトルで検索して少しでも噂されてないかなとか思っていた時もあった。


しかし今では時也が言うように本屋で取り上げられているくらいにはそれなりの売り上げになっているようで、実感は無いにしろ嬉しいという気持ちは持てるようになった。本当に読者にも関わってくれている方々にも最大級の感謝を送りたい。


「アニメ化したら是非呼んでくれ、歌わせてもらいたい」


「嬉しいな、まだそういう話題は聞かないけれども、実は良い話しは来てるんだよな」


最後の一口だったのか、時也はビールを一気に煽って口を苦味で満たす。俺も残り少ないかったので飲み干す。それに合わせて日和が思い出したようにチューハイを飲んで新しいのに手を出す。


俺が開けて一口含んで置いたビールを取って飲み、顔を歪めて舌を出す。やはりビールはまだまだ先の話しになりそうだ。


「良い話しってなんらのー?」


小町が俺と時也の話題に入る。俺は二人を交互に見て、親指を立てて宣言する。


「俺の小説が何と! ドラマCD化することになりました!」


「「おぉー」」


二人が口を揃えて感嘆する。遅れて拍手が起こったので自然に口の端が吊り上がる。


日和には言っていたのだが、俺の小説がドラマCDになるという企画が秘密裡に決まったのだ。


その日は珍しく日和がテンション高めかつ饒舌になり、二人でプチパーティーを開いたりしてた。何故か餃子で。


「凄いじゃないか」


「こうなるとアニメ化も秒読みな雰囲気だねー!」


「そうなったら嬉しいだろうなぁ……」


自分で作ったものに色んな人たちが集まって一つのエンターテイメントとして形作られる、それはきっと作者としては凄く嬉しいことなんだろう。


昔は好きだった作品がアニメ化するのは正直好きではなかった。陰でひっそりと楽しんでいたかったタチなので、そう言ったメディアに形を変えられるのは自分の作品でもないのにどこか嫌な思いがあった。


だけどいざその立場になるとこうまで心変わりするとは思わなかった。立場や見方が変わるだけでこんなにも違うんだなと実感する。


こうして俺の話題は終わり、口直しにピザをちまちま食べる日和に話しが向く。


「白鷺はどうなんだ?」


名前を呼ばれ、スロー再生でもしているのかと言うほどにゆっくり顔を上げて時也を見やり、小さく言う。


「私は青山」


「おっとすまない。そう言えばそうだったな……」


「色々と紛らわしくてすまないな」


俺が付け足す。構わんと短く切り、日和が質問に答える。


「変わらない」


「しらさ……青山はナースだったか」


「そう」


「仕事は順調か?」


「そう」


「仕事以外で何かあったか?」


「そう」


「一+一は?」


「そう」


「成程人の話しを聞いてないな?」


「そう」


ここまでのやり取りを終えて、無表情のまま時也が俺の方を向き、親指で日和を差して言う。


「叩いて良いか?」


「悪気はないんだ……許してやってくれ……」


多分酔いが回って頭が働かないんだ、そのせいで明確な言葉選びが出来なくなっちゃってるのだろう。


酒が弱いにも関わらず自分で酒好きを公言しているのが不思議だ。


そして目がいつも以上におぼろげで、今にも寝てしまいそうな程にボーッとしている。


「日和、眠いか?」


「眠いの」


「酔ってるか?」


「酔ってない」


酔ってる人は皆そう言うんだよ。


「取り敢えず風呂に入ってって……駄目か……」


最初日和は一人で風呂に入れなかったのに、今ではちゃんと入れるようになったのだ。なったのだがしかし、そのあとが問題だ。


自分で服を着れない以前に体を拭くことすら出来ないからな、小町や時也のいる手前全裸で出て来られても色々と問題がある。


何が悲しくて友人に嫁の全裸を見せねばならんのか。それ以前に日和は羞恥心を母の子宮に置いて来てしまっているから恥ずかしくはないのだろうが。


「はいはーい! ウチぴよりんと一緒にお風呂にインするよー!」


すると手を挙げて小町が自己主張する。それは頼もしいけれども、誰かと一緒となるとさらに片付けられない性質が際立ってしまうんだよなぁ……酔っているから尚更小町に身を委ねてしまいそうだ。


しかしまぁ酔っているとはいえ結構面倒見の良い小町なら頼っても大丈夫だろうか……。


小町は四人姉弟の長女だから弟や妹たちの世話をずっとしていたこともあり、日和のような子供(または子供っぽい人)の面倒は良く見てくれることだろう。


「じゃあ任せて良いか? こいつ体拭くことも出来ないから出来ればそこも頼む、日和の服は洗面所に置いてあるから頼む」


「オッケー、貨物船に乗ったつもりで任せてよ!」


それ任せて良いのか微妙なラインだな、だけど任せておこう。


そうして小町は若干ふらふらと夢見心地な日和を連れて風呂へ消えて行く。残された俺と時也で改めて乾杯し、お互いにビールをがぶ飲み。


「それにしても本当にお疲れ様だな」


「滅多に出来ない経験だったからな、移動や喉の維持は大変だったがそれなりに充実していたよ」


「まぁ普通生きてて全国ツアーなんて出来ないもんなぁ」


貴重な経験ではあるよな。


そんな時、時也が突然神妙な面持ちになりながら視線を落とす。何事かと思ったらふと顔を上げて俺の方に向き直る。


「……青山は相変わらずなんだな」


それは。


それは日和のことを知っている俺と時也にしか出来ない話しのスタートだった。


「……前にカラオケ行ったんだ、その時は普通に歌ってたんだけど……」


「前にも言ったことだが」


俺の言葉を遮り、先ほどまでとは毛色の違った口調で言う。


「白鷺日和は僕が見て来た中では相当な歌唱力の持ち主だ。正直今でも彼女の答えには納得出来ていない」


俺たちの通う高校で一番有名だったのは、すでにプロと肩を並べられるレベルの力を持っていた時也だった。けれどその本人は頑なに違うと言っていたのだ。


その理由が、同じクラスであった当初の日和なのである。


絶対に勝てないと思う相手はと聞くと、即答で日和だと答えるほどに萎縮してしまう。


けれど当人は芸術学科に身を置きながらもナースを目指し、そのまま就職まで決めることが出来たのだ。それに対して今もなおもったいないと言っているのが時也だ。


「あのウィスパーは強烈だった。今も勝てるとは思わないし僕よりももっと上に行ける程だと思っている」


本当にプロとなり、つい最近全国ツアーを達成した時也にここまで言わせる日和は本気で凄かったのだろう、素人である俺でも日和は上手いと思うくらいなのだから。


「ひーくん、お前はどう思う?」


ここで俺の意見を取り入れようと質問を投げかけられる。


それをキャッチした俺は迷わず一度は思ったことのある思いの丈を投げ返した。


「夢は見るもんだ。だけど願いは叶えるものだ、だから日和が思った願いが今こうして形になっているのならそれで良いんだと思う」


夢は好きだからやるもんだ。


願いは好きだからなるもんだ。


そこははき違えちゃならない。趣味を仕事にすれば、それは途端に色を変えるように趣をなくす。


趣味を仕事にすれば今度はそれが重圧となる。


だからこそ単純ではあるが、日和は歌うことを夢にして願いをナースにしたんだ。だったら願いを叶えた彼女はあながち間違ってはいないのだろう。


「趣味は楽しむもんだ。才能があろうとなかろうと、好きなら好きで良いように、何かするのもしなきゃならない限り好きにすれば良いんじゃないかな」


だから俺はそう言い切った。それ以上は何も言わない。これ以上は何もないから。


「……そうか」


時也はもうそれ以上言うことなく少し温くなっているであろうビールを飲む。俺も釣られて含む。


微妙な空気になってしまったけれど、それでも息苦しくならないのは何故だろう。


「叶えたいことを叶えられるようするという考えも、悪くはないな」


それはきっと、時也だからだ。もちろんこの立ち位置が小町か日和のどちらかだったとしても、きっと窒息してしまいそうな雰囲気にはならないんだろう。


どこかの合唱曲ではないけれども。


……友達は良いもんだ。





それからは小町と日和が風呂から戻って来た途端に二人とも睡魔にKOされてしまい、すぐに寝転がったかと思いきやご就寝。


時也と話した結果俺たちも寝ようということになり、時也に小町を、俺は日和をベッドに運ぶ。ちなみに時也は小町の足を掴んでずるずると引きずる形でベッドに運んでいた。


俺は一応お姫様抱っこで運んでやった。日和はもっと太るべきだと思った、身長の割に軽いせいで少し不安になってしまった。


「ひーくんの言い分は分かった。青山に関してはこれ以上何も言うつもりはない」


俺と日和がいつも寝ている部屋を出た時、時也が口を開く。


「だけどまだ一つ気になっていることがある」


「ん?」


日和以外で気になっていることって何だ?


小説の売り上げとか?


いやそんないやらしい質問をするような奴ではないか……。


なんてふざけていると。


「××××」


時也が言う気になっていることを耳にして、自分でもびっくりなくらいに目を見開いて下を見ている友人に、何も返す言葉が浮かばなかった。


あまりにも唐突に言われたということもあり、俺も時也も何も言えずにただ黙ることしか出来なかった。


「……まぁ何だ、少し気になっただけだ。じゃあ僕はソファーを借りて良いか?」


「……え? あ、あぁどこでも良いぜ?」


そんな短い会話を行い、目線をそのままに俺の前を歩いて行き。


「お休み、今日はありがとう」


「お休み、今日までお疲れ様」


寝る前の挨拶を交わし、時也は真っ直ぐ二人掛けソファーに向かって体を預けて目を閉じた。


俺も傍にある三人掛けのソファーに寝転がり電気の明滅を操作出来る、時也の言葉を脳内で反芻する。


『ひーくんは何故ひーくんなんだ?』


どこぞの物語にも同じような質問があるが、きっと俺の呼び名に由来する問答なのだろう。


問答とは言え答えてはいないのだが……。


まぁそりゃあ気になるよな、俺は誰にも本名を晒していないのだからな。


唯一分かっているのは青山という名前だけ。下の名前は教えてない。


俺が名前を教えないのにはちゃんと理由がある。日和のおかげというか何というか、とにもかくにも日和が関係していることは事実だ。


もうここまで言えば分かる人にはすぐ分かる。日和が関係しており、かつ俺がひーくんと呼ばれる理由。


そう、俺の名前は青山日和。そして日和の名前も青山日和。


だけど名前が被っているというだけの理由でひーくんという名前を広めるよう努めたわけではない。いや、確かに世間一般で言えば被っているからと言えば頷けることだろう。


しかしそこは譲れない、譲ってはならない思いがある。だからこそ俺は今日明日も生きとし生ける限り、ひーくんで居続ける。それが俺の使命であり、約束でもあった。


俺は忘れてはいけないんだ。ひーくんという名前に秘められた思いを。


だから今日も俺はひーくんだ。どこまでもいつまでも。


俺は、ひーくんだ。


「……まぁ、良いか」


いつか皆にも……いや、小町と時也には話そう。


今は口を開く勇気がないけれど、それでもいつかは話そうと思う。


その日がいつになるのか、強くなれる時は来るのか。そんなことを考えながら。


青山家は今日も眠る。

どうも、お久しぶりの宇佐美 風音です。

まさかの続編です、ぷぷっぴどぅです。

今回は青山さん家を取り巻く皆さんを織り交ぜての展開になりました、ここで言うのもなんですが時也の設定はこういった一次元だと伝わりにくいこと風の如しですね。

そんなことをマックシェイク片手に思いつつも、楽しんでいただけたらなと思います。

それではまた機会がありましたらお会いしましょう。

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