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バケツをひっくり返したような雨。
とは多分こういう天気のことを言うんだろうと、他人事のように考えていた。
彼のことが、大好きだった。
5歳の頃、隣に引っ越してきた彼と初めて会った時からだから、片想い期間はもう彼是12年になるだろうか。高校2年生にしてそれはいくらなんでも重過ぎるだろう、と自分の中の冷静な部分は呆れた顔でぼやくけれど、どうやったってこの気持ちは捨てられなかった。
しかし臆病者の私は想いを告げられないまま、高校に入学して1年。彼が時折、“あの子”に柔らかな視線を送っているのに気付いた。気付いてしまった。けれど認めてしまうのが怖くて、事実から顔を背けて、視界から追いやって、そうして必死に幼馴染というポジションにしがみついていた。
そんな臆病な卑怯者に、罰が当たったのかもしれない。
(俺、あの子に、告白、しようと思って)
(そっか。私、応援してる!)
無理矢理作った笑顔は、白々しく映らなかっただろうか。
はにかむような彼の表情。ありがとう、と優しく響く言葉。
そうして、彼の背中を見送る時になってやっと思い出した。
――私は、ギャルゲーの登場人物なんだって。
泣いてはいない、ような気がする。
顔も含め全身ずぶ濡れだから、自分でも確証は持てないけれど。
そもそも私に涙なんて流せるのだろうか。そう考えたら、引きつるような笑いが漏れた。
何しろ、私はゲームの中に作られたキャラクターなのだ。しかも攻略対象ではなく、システム面などでプレイヤーの補助をするサブキャラ。もしゲームの売れ行きが好調で、かつユーザーからの要望が多ければ続編でエンディングが追加されるかもしれない、という程度のポジション。
何故そこまで内部事情に詳しいのかと言えば、私がシステム側に近いキャラクターであるためだろう。このゲームは、主人公である“彼”の告白が成就した瞬間がエンディング、そこで物語は幕引きとなるが、その前にメタ的な記憶が戻ってしまったのもおそらくはそのせいだ。
額に貼りつく前髪から、雨の滴が頬に伝う。
夏の通り雨とはいえ、手足の先の感覚が鈍くなってきている。
どうせ全てがプログラムと思えば、寒さも冷たさも感じないはずなのに。
「……辛いなあ」
ぽつりと小さく転げ落ちた声に応えるように、唐突に雨が止んだ。
「――大丈夫か?」
正確には、私のいる場所に雨が降らなくなった、だったけれど。
驚いて顔を上げると、大きなタータンチェックの傘と、その傘を差し掛けてくれている、知らない男性。モブキャラの人、だろうか。それにしてはなんというか、凝ったキャラデザをしているような。
呆然と見上げていたら、何を思ったのか、彼は腰を屈めるようにして、ベンチに座り込む私に視線を合わせてきた。
「具合が悪いのか?」
尋ねられて、首を捻る。
エンディング前にメタ記憶が戻っている時点で、何かしらのバグに侵されているとも考えられる。ただ、だからといってプログラムへの攻撃だとか、そんなことしようとも思えない。むしろ何をするのも億劫で、ここで静かにエンディングを待っていたい。そんな気分。
それともこれが一般的に具合が悪いという状態なのだろうか。
おそらくはメタ記憶など持っていない目の前の親切な彼に、迷いながらも小さく頷く。
すると、何故か彼も私に倣うように頷いた。
「そうか。なら来るといい。立てるか?」
「え…?」
やはりバグだろうか。彼の言葉の意味が頭に入ってこない。
どうして、なら、で、立てるか?、になったのだろう。
ぼんやりその顔を見つめ返していると、彼は突然「失礼」と言って私の肩に腕を回してきた。そのまま彼に抱きかかえられるようにして、立ち上がる。
「ゆっくりでいい。すぐそこに車を待たせてある」
言いながら、覗き込んできた彼の労わるような優しい笑顔が、ひどく印象的だった。