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五月晴れ・参


 一際強い風が吹くと、葉の鳴る音も大きくなった。冷涼な風も、今はのんびりと感じている暇はない。

 

「やぁぁぁぁ!」


 まず仕掛けてきたのは、三人の中でも一番年少の侍であった。一人が刀を振りかぶると、残る二人もそれに続く。


(へっ、なってねぇなあ)


 刀を使うまでもない。惣十郎は軽く体を捻る。

 最初に向かってきた侍の足を軽く払ってやると、男は砂利に足をとられて転倒した。


「あああああーッ!」


 続いて刀を振るう侍を打刀で受けながら、間髪入れずにそれに続く三人目に対しては、蹴りを入れて引き離す。後退する三人目を視界に捉えると、そのまま片手で鍔迫(つばぜ)り合いに持ち込んだ。


「くッ!」


 持ち込んだ、と言っても、決着は転瞬(てんしゅん)にしてついた。惣十郎はよろめく三人目の手首を、自身の柄で打つ。


「ッ!」


 男は刀を落とし、手首を押さえる。しばらくは刀を握れまい。


「さて――どうする? まだ続けるかい?」


 惣十郎は、じりじりと自分を囲む侍たちに向かって、わざと挑発するように言った。

 本音を言えば、彼らのような雑魚(ざこ)には興味がない。向かってくれば返り討ちにするし、尻尾を巻いて逃げ帰ったとしても、それはそれで構わなかった。


 惣十郎の挑発に、侍たちの顔が一気に歪む。しかし、分が悪いと判断したのであろう。最初の時のように、考えなしに仕掛けてくることはなかった。


(退屈だな)


 機を窺って仕掛けて来ない連中を相手にしてやるほど、惣十郎は気長ではない。


「その半纏(はんてん)――松平能登守様んとこの連中だな? これは松平様のご命令かい?」

『なッ!?』


 惣十郎の指摘に、侍は傍目にも分かるほどの動揺を見せた。にやにやした顔でその動揺ぶりを見ていた惣十郎は、確信する。


「どうやら、当たりみたいだな」


 惣十郎はにやりとする。分かり易い連中で助かる、と思った。


「くそッ! 引くぞ!」


 一人の声により、三人は一斉に刀を仕舞う。惣十郎に叶うはずもないと思い始めていた連中である。その動きは早かった。


 去り際に、「覚えていろ」とばかりに睨まれるも、惣十郎はどこ吹く風である。どうせ次に(まみ)えることがあるとしても、忘れているに決まっている。元より記憶に留めておこうとも思わないのだから、猶更(なおさら)だ。惣十郎はこういった手合いを多く相手にしてきた経験があるが、これまでに一度として連中を覚えていた(ためし)がなかった。



 侍たちが去っていったのを見届けると、惣十郎はやや離れた場所で佇む女に目を向けた。


「さて、と」


 女はもはや、惣十郎に刃を向ける気はないようであった。今の立ち回りを見ていれば、惣十郎の実力は分かる。刺し違える覚悟で臨んだとしても、女の刃が彼に届くとは到底考えられない。しかも惣十郎の見たところ、女には剣術の心得がある。彼の腕が分からぬわけがなかろう。

 それでも女は胸元に短刀を寄せ、いつでも迎え撃つ覚悟をしていた。隙のない構えに、惣十郎は感心する。この女、やはり只者ではない。


「どういうことか、説明してもらおうじゃねぇか」


 しかしながら、未だ女は口を開こうとしなかった。なおも答えようとしない女に対し、惣十郎は大仰に両手を広げて言う。


「おいおい、そっちの事情に巻き込んどいてよ、そりゃあないんじゃねぇか」


 「巻き込まれた」というよりかは、自ら相手をしたと言った方が正しい。だが、女はどうやら真面目な性格なようだ。惣十郎の言葉に表情を硬くし、ややあって考えるような素振りをする。

 惣十郎はそれを、辛抱強く待った。



二月(ふたつき)前、父が亡くなりました」


 惣十郎が天を仰いで雲塊(うんかい)に目を留めていると、女は唐突に言った。


「父は高崎藩の剣術指南役を仰せつかっておりましたが、馬廻うままわり役としてお殿様の傍近くに(はべ)ることも多く、お殿様の覚えも目出度(めでた)い人でした。その父が、二月前のある日――藩内で何者かに襲われたのです」


 女はそのときのことを思い出したのか、一度言葉を区切り、目を伏せた。


藩校(はんこう)での指南を終え、家に戻る途中でした。師範は別の方が務められているのですが、時折ああして招かれることもありました。その日も、若い方々を相手に、日が暮れるまで稽古をつけていたそうです。一緒に稽古をしていた方の話では、藩校では別段変わったことはなかった、と。ですが……その、帰り道で」


 再び、女は間を置いた。

 心を落ち着かせるように息を吸い、続ける。


「わたくしがその場を通りかかったときには、既に相手の姿はなく……父は死の淵におりました。その父が言ったのです。酷く腕の立つ浪人風の男に襲われた、と」


 声が震えていた。

 話を始めたときの、抑揚のない口調はすっかりと消え、感情が滲み出ている。必死に抑えていたものが溢れてしまった――そんな状態であった。


「そして息を引き取る寸前に、その人物の名を呼んだのです」


 そこで、くっと目を見開き、真っ直ぐに惣十郎を見つめた。先ほど浮かべた憎悪の目――しかしそれに混じって、困惑がみえる。この目の前の男を、本当に仇として捉えて良いのか。そんな惑いであろう。


 そこまで聞くと、さすがに惣十郎も理解した。つまり、


「永井惣十郎、か」

「はい」


 ――やはりか。惣十郎は鼻を鳴らす。

 彼にしてみれば、いい迷惑である。女の話を聞く限り、全く身に覚えがない。そもそも彼はここ三月(みつき)江戸を離れておらず、彼女の父親を殺害するのは不可能であった。


「確かに俺の名は永井惣十郎だ。だがな、そいつは俺じゃねぇ。人違いだろうよ」

「……あくまでも知らぬ、と」

「ああ。俺はずっと江戸に居てな。高崎には行っちゃぁいねぇ。信じられねぇってんならな――そうだな。俺は深川(ふかがわ)の長屋に住んでんだがね、そこの連中にでも訊いてみな。俺が何日も長屋を空けちゃいなかったことが分かるだろうよ」


 そこまで言うと、女は押し黙った。疑惑の眼差しは消えつつある。惣十郎の言葉が(まこと)であるか、考えあぐねているようであった。


(考えなしのお嬢さんってわけじゃなさそうだな)


 話の通じる相手のようだと、惣十郎は判断した。となると、もう少し事情を聞いてみても良いかもしれない。


「親父さんの名は」

「……脇坂庄右衛門(わきさかしょうえもん)と申します」

「脇坂……?」


 記憶を辿るも、その姓には聞き覚えがない。


「いや――知らなねぇな。親父さん、江戸に来たことは?」

「江戸参勤の折には、お殿様に付き従って、こちらに参っておりましたが……」

「江戸参勤ねぇ」


 惣十郎は考える。とすると、あるいは江戸のどこかで遭遇していたかもしれない。自分が高崎藩に行ったことがない以上、過去に会っていたとすれば、その場所は江戸であろう。しかし、


(やっぱり覚えがねぇな。それに……)


 気になることがある。


「で、どうして俺が江戸にいるって分かったんでぃ?」

「それは……」


 女は言い淀み、僅かに視線を落とす。どうやら口にするのが躊躇われることのようだと、惣十郎は判断した。


(言いたくねぇってか。なら――)


 惣十郎は考えを巡らした。女の口を割らせる、最も有効的な台詞を。


「おいおい、こっちは身に覚えがないのに、命を狙われる羽目になってんだぜ。人違いかもしれねぇってのによぉ。親父さんを襲った奴は、確かに『永井惣十郎』を名乗ったかもしれねぇけどな、それが俺だとは限らねぇだろ? 一方的に下手人(げしゅにん)扱いされたんじゃあ、納得いかねぇ。黙ってやられるわけにゃいかねぇな」


 短い間ではあるが、女の性格はおおよそ把握していた。だからこそ、どのように言えば、彼女から答えが引き出せるかも理解している。


 惣十郎の見たところ、女は真面目な人間のようである。そのぶん盲目的になりやすいが、さりとて冷静さを欠いた行動ばかりを取っているわけではない。道理はきっちりと通す類の人間のように思えた。

 とすると、こういった物言いは効果的であろう。惣十郎は最後の一押しと、決定的な言葉を口にする。


「だからよ――おまえさんに、俺の居所を教えた奴のことを、聞かせちゃくれねぇかい」


 はっと、女は顔を上げた。

 乱れた髪が、風によって頬にかかる。それを手で払いながら、女は惣十郎を見つめた。


「いつ、誰に聞いたんでぃ?」


 惣十郎が促すと、女は小声で、「一月(ひとつき)前に……」と語り始めた。



 話によると、庄右衛門が殺害されてから数日後、藩校に見知らぬ男がやって来たそうだ。男は庄右衛門の旧友を名乗り、会いに来たという。しかし藩の者が事件のことを伝えると、そのまま帰っていったらしい。


「ですがその者が、一月前に再び藩校に現れたのです」


 聞けば、庄右衛門が殺害されたと知り、密かにその下手人を探していたという。そして、その男は有力な情報をもたらした。


 下手人・永井惣十郎は江戸にいる、と。



 女の話を聞き終えた惣十郎は、鼻を鳴らす。どうもきな臭い。


「妙な話じゃねぇか。その男、怪しいってもんじゃないぜ。話がうますぎるとは思わなかったのかい?」

「それは……」

「だいたいおまえさん、その怪しげな男とは会ったのかい?」

「いいえ……私は、一度も」


 女の答えに、惣十郎はふうと息を吐く。


「何度も言うように、俺は親父さんをやっちゃあいねぇ。そりゃ別人だ。たまたまそいつと俺の名が同じだったのか、それとも俺の名を(かた)る奴がやったのかは分かんねぇが……俺は親父さんの仇じゃねぇってことは確かだ」


 女は惣十郎の言葉に、静かに耳を傾けていた。おそらく、もう理解し始めているのであろう。

 しかし感情の方はそう容易くはないようで、いまだ表情は硬い。己を納得させるように、一つ一つ惣十郎の言うことを咀嚼(そしゃく)していく。


 惣十郎が、「おそらく、おまえさんを襲おうとした連中とも無関係じゃないだろうよ」と付け加えると、女の瞳が揺れた。一番気になっていたことだったのであろう。


 先ほどの一件がなければ、惣十郎に向けられる疑いの念が消えるのは、相当遅かったはずである。あの襲撃があったからこそ、女の中に別の疑念が生まれた。

 すなわち、仇である惣十郎を討とうとしている自分が、何故襲われねばならないのか。そして何故、仇は自分を助けたりなどするのか。

 結果として、それらの疑問は、惣十郎が仇ではないかもしれないという可能性を導き出すに至ったのである。


 では、真実はどこにあるのか――目を細め、考え込む女。そこに、惣十郎の陽気な声が掛かる。


「まぁそれは、これから調べりゃ済むこった」

「え?」

「とりあえずこの件、関わらせてもらうぜ」


 目を見開いて固まる女に、惣十郎はそう告げた。



【用語】

・高崎藩…上野国群馬郡。

・馬廻役…大名の日常の警護などを務める役職。

・藩校…江戸時代、諸藩が子弟を教育するために設けた学校。高崎藩では、宝暦10年(1760)に「遊芸館」が設置された。

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