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五月晴れ・弐



 ――永井惣十郎、覚悟!



 澄んだ声であった。

 惣十郎はこんな状況でさえ、その声にはっとした。


 どんなに美人だろうと、女の容姿に心を乱されることはない。しかし彼女の声を聞いた瞬間、何かに身体を射抜かれた気がした。


「……人違いってわけじゃなさそうだな」


 辛うじて、そう呟く。


 最初の一撃を難なくかわされたことは、彼女にとって予想外の出来事だったのかもしれない。女は距離を測ろうと足をじりじりと動かすが、そこに迷いが含まれていた。

 一方、早くも平常心を取り戻した惣十郎は、女と距離を取りながら己の足場を確認する。


 笹の葉が風に揺れる。涼やかな音色が、二人の合間を潜り抜けていく。


(動かねぇか)


 女の頭の中では、これからの戦術が展開されているのであろう。惣十郎の方から仕掛けても良かったが、それではつまらない。向こうの出方を楽しむことにした。


 一時の膠着(こうちゃく)状態の間、惣十郎は改めて女を観察する。見れば、女の身なりはちゃんとしており、身元の確かな者のように思われた。

 しかも先ほどの、小太刀を振るった時の流れるような動き――。あれは一朝一夕に身に付くものではない。日頃から鍛錬を積んできた証である。かといって、その鍛錬が人を殺めるために行われたものでないことぐらい、惣十郎は分かっていた。

 女の剣術は、あくまでも己の身を守るためのもの。護身術である、と。

 そんな人間が、ろくに訳も話さずに他人に襲い掛かることがあろうか。


(確かめてみる必要があるな)


 女を(なだ)めて詳しい話を聴こうと、惣十郎は口を開く。ところが、


「やあッ!」


 今度は小太刀を振り上げる女。微かに、ひゅっという音がした。

 しかし次に聞こえたのは、先ほどよりもやや強い音。女の一撃が空を切ったのだ。


「おっと、今のは危なかったぜ」


 危なげなくかわしたくせに、惣十郎はそんなことを言う。それが気にくわなかったのか、女は眉根を寄せた。


「そんな顔しなさんな。せっかくの器量良しが台無し――」

「黙りなさいッ!」


 惣十郎に最後まで言わせず、女は再び小太刀を振るう。今度は持ち方を変えて左右に薙いだ。


「ッ!」


 だが、やはり惣十郎には届かない。

 後ろに跳んだ惣十郎を追いかけて、女は懐に跳び込む。着地と同時に再び振るった刀が、惣十郎の腕を掠めた。


「おっと」


 袂を見る。切れてはいなかった。


「へぇ。やるじゃねえか」


 あと一寸でも深く入られていたら、着物に傷がついていたかもしれない。予想以上に深く入られたことが、惣十郎に興味を持たせた。


「はぁッ、はあッ」


 荒く息を吐きながら、女は後退する。その表情は硬い。

 視線が惣十郎の腰に注がれた。途端、不満そうに歪められる顔。


「女子供には抜かねぇ主義でね」


 女の言わんとすることに気付いたのであろう。しかしその答えがまた、気にくわなかったらしい。今度こそと、女は勢いよく右足を踏み出した。


(――甘めぇ!)


 浅く入った女の右手首を掴み、その身を引き寄せる。


「くッ!」


 そのまま手首をねじり上げると、手から小太刀が滑り落ちた。閑静な竹林に、金属音が虚しく響く。


「っと。もう諦めなって」


 自由な方の手でなおも抵抗を試みようとする女に、惣十郎は言う。もう一方の手もまとめて後ろ手にしてやれば、女はやっと大人しくなった。


 悔しそうに顔を歪ませ、女は惣十郎を睨みつける。そこにははっきりと、憎悪が見て取れた。


「で。おまえさんは、何だってこんなことを?」


 女は答えない。


「俺は人様に恨まれるようなことは、何一つやっちゃいねぇんだが」


 冗談めかして言うも、彼女の表情は変わらなかった。

 つまらねえぇな、と惣十郎は内心ぼやく。綺麗な顔が全く崩れない。いっそのこと激昂でもしてくれれば、扱い易いのであるが。


(仕方ねぇな)


 このままでは埒が明かない。惣十郎は、女の手首を持つ手に力を入れ、彼女を引き寄せた。


「ぁッ……!」


 小さく漏れた声は、やや幼さを感じさせるものであった。ようやく女の凜乎(りんこ)とした態度を崩せたことに満足した惣十郎は、姿勢を低くして彼女の耳元へ口を近付けた。


「なぁ」


 そのまま、白磁のような肌に顔を寄せる。

 こうして近くで見ると、改めてその白さが感じられた。しかし病的な白さではなく、むしろほんのりと火照った頬が健康的で女らしい。


 女が僅かに震えた。

 しかし、それだけであった。


(へぇ)


 惣十郎は感心する。慌てふためくか、泣き出すか――いずれにせよ、女が酷く動揺する様を思い描いていたのである。

 年若い女であれば、この後自身の身に起こるであろう事を想像して、恐怖に駆られるのが普通の反応。しかし女は、内心はいざ知らず、外見上では耐えてみせている。それだけで、彼女が相当の覚悟で臨んでいたことが分かった。


(――いや)


 直後、惣十郎は己の考えを否定する。覚悟など、最初の一撃で嫌と言うほど感じたではないか。


(こいつは難儀だぜ)


 下手をしたら、舌を噛み切って自害しかねない。扱いを誤れば、後味の悪い結果が待ち受けていることであろう。


 惣十郎からしてみれば、一方的に襲撃をされたわけである。返り討ちにしたところで、お上からは何の咎を受けることもない。女が勝手に自害したところで、惣十郎の知ったことではないのである。

 それでも――。


(放っておくわけにはいかねぇか)


 どんな事情があるにしろ、突然の襲撃とは穏やかではない。作法に則った仇討を知らぬわけでもあるまいに、と惣十郎は思う。

 されど助太刀(すけだち)もない、女一人の仇討。例えば長年探してきた仇と運よく相(まみ)えたとき、ここで会ったが何年目、と仕掛けたのかもしれなかった。

 それは想像の範囲内でしかないが、女にそこまでさせる「わけ」とは何であろうか、と惣十郎は考えるのであった。そして、何故(なにゆえ)自分が狙われる羽目になったのであろうかということも。


 惣十郎がどうやって女から事情を聞き出してやろうかと考えあぐねていると、


「いたぞ!」


 掛け声とともに聞こえる、複数の足音。音のする方向へ目をやれば、三人の侍姿の男が走って来るのが見えた。


(へぇ)


 惣十郎は口元を緩めた。地面を蹴って一直線に向かってくる侍の目に映るもの――それが目の前の女にあることを確認して。


「あれは、おまえさんの客かい?」


 惣十郎の声に、驚きの色は含まれていない。それどころか、楽しげな響きがあった。


「ぞ、存じません!」


 対照的に、女には動揺――そして怯えの色が。己の腕の中で後ずさりをする女を見て、どうやら嘘ではないようだと、惣十郎は考えた。


「おまえさんから話を聞き出すには、奴らの相手をしなけりゃなんねえってことかい」

「……」

「ふん」


 答えない女の身体を自由にすると、惣十郎は走って来た侍と対峙した。


「何だ、貴様は!」


 さすがに、いきなり事を構えることはしないらしい。そのことは、惣十郎に一つの確信を与えた。


(やっぱりな……俺には用がないってことだ。てぇことは――)


 彼らの狙いは、この女。


 惣十郎は片方の口角を上げ、面白そうに答えた。


「俺かい? 俺は――そうだな。さしずめ、このお嬢さんの用心棒ってところかね。おまえさんみたいな悪党から守ってやるのが仕事さ」

「なにぃッ!」


 その一言で、侍たちの空気ががらりと変わった。激昂した一人が抜刀すると、続いて残りの二人も刀を抜く。

 予想とは違わぬ展開に、ますます惣十郎の機嫌は良くなる。信じられないといった風に惣十郎を見る女には目もくれず、打刀に手を掛けた。


 確実に騒動に巻き込まれてしまったことを自覚している彼であるが、それがどうした、と思う。


(騒動? 上等だ。退屈しのぎに付き合ってやる)


 惣十郎はふっと笑みを浮かべ、抜刀した。



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