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妖は何を志ざす。

「ええと……酒屋さんは」


 とある平和な昼下がり。

 賑やかな人里の通りを歩く、一匹の鬼がいた。

 鬼の名は、志妖。

 妖怪の山に住む数少ない鬼の一匹であり、その姿からは想像出来ない、途方もなく長い時間を生きている妖怪でもある。

 同じ鬼であり、志妖が主人として敬っている魅王桃鬼と同じ一本角。

 性格は鬼としては珍しく非常に温厚かつ冷静で、滅多なことでは怒らないし襲い掛かったりしない。人間と接する時もそれは変わらず、故に彼女を恐れる人間は少ない。

 しかし、だからといって彼女に喧嘩を売るような真似をする人間(妖怪)は少ない。彼女自身の強さが化け物じみているからである。

 本人は「私が化け物なら、桃鬼様やミコトさんは一体何者なんでしょう」と言うが、他から見れば三人とも五十歩百歩、全員化け物には変わりはないのだが。

 そんな彼女にも、ここ最近悩み事があった。

 それは………………。


「あうっ」


 元気に走り回っていた子供が、志妖にぶつかって転んでしまう。

 志妖はそれを見て、慌てて子供に手を差し延べるのだが……。


「うわあ〜〜〜〜!!」

「あっ……」


 志妖を見た子供は、転んだ痛みも忘れたように凄い勢いで走り出し、とある建物の中に消えていってしまう。

 それを見た他の子供達も、志妖の姿を見ると慌てて同じ建物の中に消えていった。


「な、なんだ、どうしたんだお前達」


 立ちすくむ志妖の耳に、建物の中から聞こえる声が。

 声の主は、建物――寺子屋から飛び出し、志妖の姿を見て一気に脱力していた。


「また君か……」

「すみません……」


 そう。

 彼女の最近出来た悩み事。

 それは。


 ……なぜか、致命的なまでに子供に嫌われていることだった。










「ただ今戻りました」

「あぁ、お疲れ様」


 妖怪の山のとある洞窟。そこが志妖、そして桃鬼の住む場所である。志妖は身の丈の半分はある酒樽を二つ、地面に置くとふらふらと洞窟の奥へ姿を消した。


「あれ?志妖、しよう〜?」

「元気無いね。何かあったのかな」


 志妖を呼ぶ桃鬼の後ろ、洞窟の壁に腰掛けて数匹の猫にねこじゃらしを振っていた男がそう言った。頭にある耳をピクリと動かしている。

 彼の名はミコト。本人は基本的に長生きなだけの妖獣だとしか言わないが、実は志妖以上、桃鬼に次いで長く生きている猫の妖獣である。人里に残されている文献の中に記された『伝説の妖獣』とは、紛れも無く彼のことだが、普通に人里に出入りするので伝説とは言い難い。

 彼は、一匹の猫を膝の上に乗せて桃鬼に聞く。


「むぅ……なんだか悩んでいるみたいだね。桃鬼、何か知らない?」

「調べたのかい?」

「調べたというか、入ってきたというか」

 ポリポリと頭を掻くミコト。

 彼の能力『感情を操る程度の能力』は、文字通り相手の感情を操ることが出来る。が、感情を操る為には、まず相手の感情を取り込んで理解しなければならない。しなければならないと言っても、少し強めな感情なら基本黙っていても彼に勝手に入ってくる。

 先程は志妖の感情を取り込んで、どんな精神状態か理解した、というわけだ。


「悩みねぇ……。あの娘はあまりそういうのを表情に出さないからねぇ」

「確かに」


 よっこいせ、と酒樽を傍らに置いて座り直す桃鬼。

 中から酒を桶で掬い、瓢箪に入れていく。

 桶に少し残った酒を口に入れ、桃鬼は外を眺めている。


「ミコト」

「わかってるよ」

「悪いね。アタシがなんとかしてやりたいんだが、アタシ相手だと志妖はどうしても畏まるから」

「何、志妖には助けられてるからね。じゃあ行ってくるよ」


 胸に猫を抱え、ミコトは洞窟を飛び出していく。

 その様子を、桃鬼はただ眺めているのだった。


「それにしても、悩み……ねぇ」










「到着、と」


 気まぐれで弾幕に乗ってきたミコトは、なんの躊躇いもなく飛び降りて軽やかに着地した。周りの人間が驚いているのを見て、舌を出してごまかしてみる。


「なんだ、ミコトじゃないか」

「慧音。ちょうどよかった」


 ミコトに声をかけたのは、寺子屋の先生で半獣でもある上白沢慧音だ。買い物の最中だったのか、脇にかかえた籠の中には様々な食材が入っている。


「ちょうどよかった? 何がだ」

「いや、少しばかり聞きたいことがあってね」

「……? そうか。なら私の家に行こう。立ち話も何だからな」

「ありがたい」










「で、話とは?」


 ミコトにお茶をすすめ、自分のぶんのお茶を入れながら慧音はそう聞いた。

ミコトは、湯気が立っているお茶をしばらく見つめ、慧音がお茶を入れ終わったところで口を開く。


「志妖のことなんだけど」

「志妖? あぁ、鬼のことか。彼女なら今日も人里に来ていたが、どうかしたか?」

「おぉ、好都合だ。志妖の奴、何か悩んでる様子なんだけれど……。何か知らないかな」

「悩んでいる? ……ふむ。私が彼女と顔を会わすのは、決まって寺子屋の子供達が彼女から逃げてくる時なんだが、もしかしてそれのことか」

「子供達が?」


 うむ、と頷いた慧音。お茶を一口含んだ彼女は、一息ついてまた話し始める。


「どういうわけか、彼女は子供に致命的なまでに避けられていてな。酷い時は逃げていく程だ」

「ふうん……。志妖が何かしたのかな」

「いや、そういうわけでもないらしい。事実、彼女が人を傷付けた話は全く聞かないしな」


 それはそうだ、とミコトは頷いた。

 志妖は好き勝手に暴れる妖怪ではない。鬼にしては珍しく、争いごとが嫌いな平和主義者なのだ。というより、志妖が暴れたら人里の一つや二つ簡単に吹き飛んでしまう。


「ならなんで……」

「私が思うに、彼女の表情のせいではないかな」

「表情?」

「あぁ。私達や大人の人間は、彼女の性格を知っているから怖くはない。だが、子供達は違う。彼女は普段無表情の仏頂面だろう? それが怖いのではないのかな」


 あぁ……と納得した様子で頷くミコト。

 確かに志妖はあまり感情を顔に出さない。驚いても喜んでも怒っても悲しんでも、表情の変化は微々たるもの。

 勿論感極まれば表情も変わるが、多少のことでは見た目には現れないのが志妖という妖怪なのだ。


「なるほど……。志妖の悩みは十中八九それだろうな。わかった、ありがとう慧音」

「そうか? 役に立てたのならよかった」

「うん。このお茶を飲んだら行かせてもらうとしよう」


 そう言ったミコトは、未だ湯気が昇っているお茶をほんの少しだけ啜って、また机に置く。


「…………まだしばらくいるつもりか?」

「猫舌なもので……」










 その頃志妖は、


「おいで。ほら、あなたも。大丈夫……怖くないから」


 洞窟の外、森の中で動物達と触れ合っていた。

 切り株に腰掛けた彼女の右肩に小さなリスがペタリと座って、伸ばした左腕には三羽の小鳥。足元には狼が尻尾をパタリ、パタリと動かしながら伏せている。


「あなた達は私が怖くないんだよね……。けど、人間の子供達は……」


 はぁ、と珍しい溜め息をつく志妖。左腕を降ろすと小鳥は一度飛び立ったが、またすぐに戻って垂れた頭に乗っていた。

 と、その時。


「…………?」


 小鳥は一斉に飛び立ち、リスは志妖から飛び降りて一目散に森の中へ消えていく。狼は立ち上がると、ある方向へ向かってグルグルと唸り始めた。


「誰ですか?」

「……ハラ、ヘッタ」

「そうですか。それで?」

「ソノケモノ、ヨコセ、ヨコセ!」


 現れたのは、身体が大きな蜘蛛らしき妖怪だった。

 その姿を見た狼は、耳を垂れて少しずつ後退りをしていく。


「残念ですけど、この子は渡せません。人里にでもいって人間を驚かせてくればどうでしょう」

「イヤダネ。ニクガクイタイ」

「……どうしても、ですか」


 志妖は思う。自分にこれだけ向かってくる妖怪は久しぶりだ。

 果たしてこの妖怪は、自分のことを知っていてなお、そんなことを言っているのか、と。


「ヨコセ、ヨコセ!!」


 蜘蛛妖怪が、脚の一本を振り上げて狼へと振り下ろす。

 が、


「ア…………?」

「言ったはずですが……。この子は、渡せないと」


 振り下ろしたはずのその脚は、根本から消えていた。

 ワンテンポ遅れて蜘蛛妖怪の絶叫が辺りに響き渡る。


「今ならまだ追いはしません。だから……」

「アアアアア゛!!」


 錯乱しているのか、蜘蛛妖怪は志妖の言葉を聞きもせずに彼女に襲いかかった。

 狼を抱き抱え、攻撃を避けていく。


「……恨むなら、自分を恨んでくださいね」


 攻撃の合間。その一瞬で志妖は大きく距離をとる。

 そして、右足を高々と真上に振り上げ――


「さようなら」


 ――振り落としたそれから生まれた半月状の波動が、蜘蛛妖怪の身体を真っ二つに切り裂いた。


 狼を地面に下ろし、慌てて逃げていくその姿をただ見つめる。

 しばし狼が去ったその方向を眺めた後、志妖は踵を返して洞窟へ向かうのだった。










「お帰り。志妖」

「桃鬼様。お出かけですか?」


 帰った志妖を出迎えた桃鬼は、ちょうど洞窟から出ていく所だった。


「あぁ。ミコトが洞窟にいてくれるというからね。たまには私も人里に行ってみようかと」

「そうですか。いつ頃お帰りに?」

「さて、いつになるだろうか。ハッハッハ!」


 快活な笑い声を上げながら、答えになっていない返事を残して桃鬼は飛んでいった。

 まぁこんなことは日常茶飯事だ、と特に疑問も抱かず、志妖は洞窟の中へと足を踏み入れる。


「と、いうことは……」


 と、そこで彼女は数歩進んだ所で立ち止まった。

 そして考える。



 たった今、この洞窟の主人は出掛けていった。

 代わりに洞窟に居るのは、尊敬していて、しかしあまり話すことができないあのお方。

 そして、入れ違いで洞窟に帰ってきた自分。


「…………これは、チャンス?」


 若干顔を赤らめた志妖は、少しだけ緩んだ表情で、止めた足をもう一度踏み出した。




「お帰り、志妖」

「はい。ただ今帰りました」

「固いなぁ。お帰り、って言われたら、ただいまでいいんだよ? ほら、もう一回!」

「あ、え?……た、ただいま、です」

「です、が余計だけどよくできました」


 お帰り、と笑顔で言う目の前の猫に、志妖は照れ笑いを微かに浮かべた。

 そのまま歩みを進め、ミコトをちらりと横目で見てから、彼から少し離れた場所に腰掛けた。

 が。


「にゃっ」

「きゃっ……」


 猫の姿に変化したミコトが、志妖の膝の上に跳び乗っていた。思わぬ事態に、さすがの志妖も驚きを隠せない。

 だが、灰猫はそんな志妖をよそに気持ち良さげにゴロゴロしている。二又の尻尾が志妖の足をサワサワと撫でるように動いていた。


「ミ、ミコトさん?」

「いや、よくよく考えたら志妖の膝に乗ったことがないなぁ……と。嫌だったらどきますが」

「い、いいえ。ミコトさんが良ければ私は構いません」

「……そう? なら、甘えさせていただきます」


 少しだけ身体を浮かせたミコトは、しかしまたすぐに身体の力を抜いた。

 若干オドオドしながらも、その姿を見て笑顔を零す志妖。やがてその手は自然とミコトの身体を撫でていた。


「ねぇ、志妖?」


 しばらくそのまま大人しくしていたミコトだったが、不意に身体を起こして志妖の顔を見た。

 灰色の瞳が自分に向けられたことに少しだけ驚いた志妖。


「は、はい?」


 ピタッと止まった志妖の手から抜け出し、人型に戻ったミコトはすぐ横に腰を下ろした。

 そして、志妖の顔をまじまじと見つめ、


「ひゃっ……」


 その手がふわりと、志妖の髪に触れていた。いきなりのことに志妖の頬は真っ赤に染まり、しかしそれを悟られまいと俯く。が、


「失礼」


 そんな一言が志妖の耳に届くと同時、ミコトは彼女の肩に手を当て抱き寄せた。

 抵抗なく志妖の身体はミコトの腕の中に収まり、気が付けば志妖の頭はミコトの膝の上。俗に言うひざ枕の状態になっていた。


「今度は志妖の番。たまには甘えるのもいいもんだよ?」

「…………?」


 ミコトの言葉の意味がわからず、志妖はミコトの膝の上で首を動かし彼の表情を見た。

 会話が繋がってない、と言おうとして、けれどその笑顔を見てしまえばもう何も言えない。

 そっと額に添えられたミコトの手は、志妖に心地好い温もりを与えて。


「……『遠慮』は、無しね」


 ミコトがそう言った直後、志妖の中、何かの蓋が開いていた。


「おっと」

「…………」


 ギュッ、とミコトの身体が抱きしめられる。

 身体を起こした志妖は、真っ赤な表情をしているにも関わらず、ただ素直に彼の身体を抱きしめていた。ミコトはそれを咎めるわけでもなし、自分の肩に乗せられた志妖の頭を優しく撫でる。


「志妖。普段の君に足りないのものはなんだと思う?」

「足りない、もの?」

「そ。今の志妖にあって、さっきまでの志妖にはなかったもの。わかる?」

「…………わかりません」


 そう言いながら、志妖はさらにギュッとミコトを抱きしめた。


 本当は、いつだってこうしたかった、と志妖は考える。

 遥か昔、自分の気持ちに気が付いた時から、ずっと。

 隣にいれば胸が高鳴り、離れていれば心は焦がれ。

 ただただ想いだけが募り、しかしそれを行動に移せない、素直じゃない自分に呆れる毎日。


「あ……」

「わかった?」

「はい。……なんとなく、ですが」

「ん。それを言葉に」

「……素直な心、ですか?」


 正解、と耳元で囁かれ、志妖の身体がビクッと震えた。


「志妖は昔から自分を出すのが苦手だったからね。それは今でも同じみたいだから、ちょっとばかり操らせてもらったんだ。志妖が『素直』になれるように、ね」


 こうなるのは予想外だったけど、と頬をポリポリ掻きながら呟くミコト。少し顔が赤くなっているのだが、志妖はそれに気付かない。


「ま、なんでこんなことしたのかってことだけど。……もう少し素直になれば、志妖の悩み事も簡単に解決するんじゃないかと思ってさ」

「……誰から聞きました?」

「某寺子屋の某先生」

「う……。あの方にはいつも迷惑を……」


 体勢そのまま、志妖は小さくなった声でそう呟いた。

 少し身体を離し、ミコトと顔を向き合わせる。


「でも、どうすればいいのでしょう……」

「うん? 簡単さ。思ったことを素直に表に出せばいい。それが言葉か、表情か、はたまた行動として現れるか。それだけだよ」


 今みたいにね。と悪戯っぽい笑みを浮かべるミコト。

 すでに顔の赤みは引いている辺り、自らの感情を操っていると思われる。


 志妖はそんなミコトの言葉を聞いて、恥ずかしさを紛らす為に顔を手で覆い――――


「「!!」」


 同時に、二人は洞窟の外へと顔を向けた。

 志妖が立ち上がり、ミコトが一瞬で洞窟の外へと跳びだす。


「これは……」

「なんて強大な妖気……! しかも、これは人里からだ!!」

「行きましょう!」

「あぁ。僕は先に行ってる。志妖も早くね」

「はい!」


 ビシッ、と木の葉を撒き散らしながら、ミコトは森の中へと消えていく。

 志妖も地面を蹴り、空へと飛び上がる。


「子供達が……!!」


 額に汗を滲ませながら、志妖は全力で飛んだ。










 人里の上空に辿り着いた志妖は、迷わず地面へと降り立った。

 辺りには強力な結界が張られており、それがミコトによるものだと理解。空から侵入するのは難しく、しかし地上に一部分だけ力が弱い場所があるのを見付け、志妖はそこから侵入した。

 その先にいたのは、


「子供達を離せ!人里では人間を襲ってはいけないとわかっているだろう!」

「卑怯者め。子供を盾にするなんて恥ずかしくないのか」


 人里の守護者と、灰色の妖獣の後ろ姿。そして、


「ヴルザイ! ハヤグアノオニヲヅレテゴイ!!」

「うう、あぁ……」


 身体の中心に真っ赤な一本線を入れた蜘蛛妖怪と、恐怖に顔を引き攣らせている子供達の姿があった。

 蜘蛛妖怪を見て目を細めた志妖は、小走りでミコトに駆け寄る。


「ミコトさん」

「志妖……。来てみたらこの有様さ。あの妖気はコイツのものだったみたいだ」

「そうみたいですね。……しかし、おかしいです。あの妖怪は、私が先程殺したはずなのですが」

「なんだって?」


 志妖の言葉に、思わず振り向くミコト。それに志妖は頷きで返し、二人の隣に並んだ。


「子供達を離しなさい。いろいろと聞きたいことはありますが、先ずはそれから」

「オマエッ! オマエダ! オ゛レヲマップダヅニシヤガッデ! ゴロズ、ゴロジテヤルッ!」

「…………」


 蜘蛛妖怪は志妖の言葉を遮り、耳に残る濁った声で叫んでいた。

 志妖は口を閉じ、その視線を蜘蛛妖怪ではなく、その前にいる子供達に向けた。

 十人程いる子供達は、すでに数人気を失ってしまっている。

 かろうじて意識を保っている子供達も涙で顔が濡れ、その恐怖で表情がくしゃくしゃに歪んでいた。

 それを見た、志妖は。


「……わかりました。私が目的なら好きにして構いません。だから子供達を……」

「志妖……?」

「なにを……!」


 志妖の言葉に目を見開いた二人を手で制し、息を吐いて足を踏み出す志妖。


「さぁ、子供達を」


 言いながら歩みを進め、蜘蛛妖怪の足元までいって志妖は立ち止まった。それを見た蜘蛛妖怪は、なんとも嬉しそうにその表情を歪める。口からボタボタと液体がこぼれ落ちて、


「ッ!!」


 ビシッ、と志妖の頬から鮮血が飛び散る。思わず顔をしかめる志妖だが、またすぐに無表情に戻って口を開いた。


「早く子供達を離しなさい」

「ギャギャギャギャッ!! ダァレガソンナコトイッタ!?」

「!?」


 急に笑い出した蜘蛛妖怪に驚いた志妖。その瞬間、志妖の身体は妖怪が吐き出した蜘蛛の糸で拘束されていた。同時に反対の頬からも血が噴き出す。


「志妖ッ!」


 反射的に飛び掛かろうとしたミコトだったが、その瞬間蜘蛛の脚が子供の頭に突き付けられる。それを見た慧音がミコトを捕まえて、その体勢のままギリギリと歯を食いしばった。


「卑怯者め……!」

「ギャギャギャギャギャギャギャギャッ!!!!」


 目をつぶっていた志妖の身体に、ドドドドッ! と蜘蛛の脚が突き刺さった。










 何度も何度も、抜いては刺されが繰り返される。

 その度に赤色が地面に染みをつくり、しかし志妖は倒れずに言い続けた。波動を操れるようになってからもほとんど大きな声を出すことが無かった志妖だったが、少しずつその声は大きくなっていく。


 ――子供達に手を出すな。


 ――私はどうなっても構わないから。


 ドシュッ、と突き刺さっていた脚が抜かれ、グラリと志妖の身体が揺らぐ。


「ゾロソロゴロジテヤルッ! マップダツニシテヤロウ!! ギャギャギャギャ!!」



 狂ったように笑う蜘蛛妖怪は、愉悦の笑みとともに一本の脚を振り上げた。ボタボタとこぼれ落ちる涎が志妖の身体に当たり、しかし志妖はそれに反応すらしない。

 それをしばらく満足げに眺めた蜘蛛妖怪は、口が裂けたような笑みを顔に張り付けて――


「ギャギャギャギャッ!!!!」


 ――その脚を、志妖目掛けて振り落とした。










「…………ア゛?」










 ――振り落とした、はずだったのだが。


「汚い脚だねぇ」

「!!?」


 いきなり聞こえてきた声に、何が起きたのかもわからないまま蜘蛛妖怪は振り返った。

 そこには。


「アンタ……もう日の目は拝めないと思うんだね」


 グシャッと手に持っていた脚を握り潰し、周りの家がギシギシと軋む程の妖力を発する鬼の姿があった。

 その姿を見たミコトは、思わずここら一帯を覆っていた結界を解除した。あのままだと桃鬼の妖力が中に篭り、下手をすれば子供達が死んでしまうかもしれなかったからだ。


「ミコトッ!」

「わかってますともっ!」

「ナッ!?」


 視線を戻した蜘蛛妖怪。しかし、そこにもう人質は存在しない。

 少し離れた場所、ミコトが志妖を含む全員を救出していた。


「大丈夫か、志妖」


 言いながらミコトは志妖を捕らえている糸を切り捨てた。同時に能力を使用、生命力を分け与えて傷を塞いでいく。


 おおかた傷が塞がったところで、志妖とミコトは立ち上がった。


「ア、アァアアア゛!!」

「五月蝿いねぇ。存在が不愉快だ」


 自暴自棄になって二人に襲い掛かる蜘蛛妖怪。が、いきなり蜘蛛のすべての脚がグチャリと潰れていた。背後には、髪を掻き上げる桃鬼の姿。


「ガァッ……」


 次の瞬間、蜘蛛妖怪の身体に薄桃色の花が咲いていた。


「本当なら僕が消し飛ばしたいところだけど」


 その間に懐に潜り込んでいたミコトが、その身体を掴んで全力で跳躍。さらに空中で蜘蛛妖怪を蹴り上げて、その反動で地面へと急降下。

 不自然なまでに軽やかに着地したその隣には、珍しく怒りを現わにした志妖が立っていて。



「……子供達を人質に取った貴方には、もう容赦しません」


 両手で作ったその円を、ゆっくりと口元へと近付けていく。


「今回は」

「ヤ、ヤメロ! ヤ゛メデクレェェエ゛ェェ!!」




 ――塵も残さず、消してあげます。





「ガァ……ギャアァアアア゛アアァ!!」




 次の瞬間、全てを破壊する滅びの咆哮が蜘蛛妖怪を消し飛ばした。










「ん? あれは……」


 しばらく蜘蛛妖怪が散った空を見上げていたミコトだったが、そこに何かひらひらと舞うモノを見付ける。

 ゆっくりと落ちてきたそれを手に受け止め、これは、と小さく呟いた。


「これ、紫のリボン……なるほど、あの蜘蛛の妖力はこれのせいだったか」


 言いながらとりあえず右手首に付けておくミコト。

 本来このリボンはミコトが身につけているものだが、結界から解放された拍子に式になる為の術が解けてしまっていた為に、一旦紫に預けていたのだ。

 こうして身につければわかるもの。どうやら初期化したらしく、式の術も構成ささっていなければ封印の術も付与されていない。ミコトと紫の妖力が篭っている以外は普通のリボンだ。


「紫が落としたのをあの妖怪が拾った、ってところかな」


 紫ならわざとの可能性もあるけれど、と改めてミコトは空を仰ぐ。雲が吹き飛んだその空は、驚く程に真っ青だ。


 視線を落とし、ミコトは志妖の姿を捜す。傷は塞いだが、万が一もあるかもしれない。

 何ならもう一度命を分け与えるつもりで、見付けた志妖に声をかけようとして、


「……取り込み中、かな?」


 その様子を見たミコトは、尻尾をふらりと揺らして呟いていた。






「ほら。この方がお前達を助けてくれたんだぞ」


 慧音がそう言って、十人の子供達の後ろに回る。

 子供達は、目の前に立つ鬼の姿をおっかなびっくりと言った様子でしばらく見つめ。


「…………」


 それを見た志妖は、ほんの少し悲しげな笑顔を子供達に向けた。

 踵を返し、しばらく地面を見つめる。

 ほんの少しだけ唇を噛み締め、振り切るように顔を上げ、


「それでいいの?」

「っ!」


 その先にいたミコトが、志妖を見つめていた。

 ミコトが発した言葉は、その一言のみ。しかし、その一言には沢山の意味が込められているのを志妖は知っている。

 だが、志妖にはどうすればいいのかわからなかった。

 何をすればいいのか、それすらも思いつかずにただ立ち尽くす。逃げ出したくなるような、後悔すら感じられるこの時間の流れ。



「…………っ」


 そして、それに耐え切れなくなった志妖が、地面を蹴って逃げ出そうとした瞬間。




 キュッ、と。

 下手をすれば気づかないくらいの小さな力で、その手が握られていた。


「っ!?」


 驚いて振り向いた志妖。

 そこには、無垢な表情で彼女を見上げる女の子の姿。その手は、志妖の左手をしっかりと握りしめていて。

 志妖が言葉を発するより先に、女の子は笑顔でこう言った。


「……ありがとう」


 その一言が聞こえたミコトは、嬉しそうに表情を緩めてその風景に背中を向けた。


 ――一軒落着、かな。


 そう呟いた彼の背後。子供に囲まれ、嬉しそうに涙を流す志妖の姿があった。










「や」

「あ、ミコトさん」


 あれから三日。何の気無しに洞窟を訪れたミコトを、いつも通りに志妖が出迎えた。

 身体を傾けて洞窟の奥を見て、ミコトは首を傾げる。


「桃鬼は?」

「萃香と特訓らしきものを」

「あぁ……」


 湖の妖気はそれか、とカクンとうなだれるミコト。

 テクテクと歩き、桃鬼作の変に柔らかい木の椅子に腰掛ける。

 壊れそうで壊れない不思議な感触を楽しんでいると、不意に背後からフワリとした香りがミコトを包んだ。なんだ、と思った時にはもう遅く。志妖の腕が、ミコトの首に絡み付いていた。

 思わず固まったミコトは、視線だけを慌ただしく動かして口を開く。


「……志妖?」

「なんでしょうか」

「こちらこそなんでしょうか」


 微妙に変な言葉遣いになっているミコトを無視するかのように、志妖はさらに身体を密着させる。


「ミコトさん、私に言いましたよね。『思ったことを素直に表に出せばいい』って。……私は、それを実行しているだけです」


 言って、愛しげにミコトの髪を梳く志妖。

 ミコトはそんな志妖の想いを文字通り身体で感じ、ただただ身を任せるばかりであった。







「これからは素直にいかせていただきます」

「桃鬼の前では」

「素直にいかせていただきます」

「……マジで?」

「マジです」



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