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8 夢の前奏曲《プレリュード》 ☆挿絵あり

 日曜日。

 今日は華音の家でテスト勉強する約束になっていた。

 僕は洗面所の鏡を見ながら、服装のチェックをする。


 表向き恋人なんだから、彼氏らしく見える服装にするべきか。

 ジャケットのほうがよかったかな。

 ……いや、彼氏らしい服装ってなんだ。なにやってんだ僕。



 玄関で靴紐を結んでいると、母さんが大きめの保冷バッグを持ってきた。


「響司。たまご焼き作ったから、持っていきなさい。彼女の家に初めて行くのに手ぶらなんてだめよー」

「あ、ありがとう」


 

「ちょっと前に華音ちゃん用にたまご焼き渡したでしょ? あのとき、返してくれた器、丁寧に洗ってあって、お礼のお手紙も添えてあったの。もう、すっごくいい子ね」

「華音らしいな」


 普段から律儀な子だなと思っていたけれど、とことん気配り屋だ。


「今度うちに呼びなさい。母さん全力で応援するから! かわいいお嫁さんにたまご焼きのレシピを伝授するのが夢なのよー!」

「あ、はは……いってきまーす」


 いつのまにか母さんの中で華音が嫁に昇格している。

 実は恋人のフリをしているだけです、なんてどんどん言いづらくなっている。



 華音から聞いた住所をナビアプリに入れて、ルートをたどる。


「あ、響司くんだ。おはよー」


 葉月に声をかけられた。

 僕も見覚えがある、中学時代のクラスメイト草凪(くさなぎ)マコトと一緒だった。


「わー、当馬くん、卒業式以来だね。なつかしい。また伸びたんじゃない?」


 草凪は相変わらずのようだ。

 ひっそりと教室の隅にいるような人間にも、当たり前のように話しかけてくる。

 そういうところ、沢と気が合いそうだ。


「もし暇なら当馬くんも一緒に行かない? 中学んときのクラスメイト何人かで集まろって話してたんだ。当馬くんいたらみんなも喜ぶだろうし」


「いや、今日はこれから彼女の家でテスト勉強するから、またの機会にさそって」


 

 別の高校に行った元同級生にまで、この嘘を貫いていいか一瞬迷ったけれど、笑顔を作って別れた。



 華音の家は江ノ電の稲村ヶ崎駅から北にしばらく歩いた住宅街にあった。


 ごく普通の日本家屋だ。

 阿部という表札を確認してから、チャイムに手を伸ばす。


 手のひらは汗でべとべとしてるし、いやに心臓の音がうるさい。

 ただチャイムを押すだけなのに、コンクールで舞台に立つときみたいに緊張している自分がなんかおかしい。


「はーい!」


 小さな男の子の声がして、玄関の戸が開く。

 サンタに会ったのかってくらい嬉しそうに笑うレオが出てきた。


「あ! きょーくんだ! おねーちゃーん!」


 僕が何か言う前に、レオは中にかけ戻っていく。


 あれ? 僕のこと知ってる?

 もしかして待ち受けを見せたのか?


 考えている間に、レオがエプロン姿の華音を引っ張って戻ってきた。


 いつもは結んでいる髪を後ろに流していて、華音が動くたびにサラサラと流れる。

 初めて会った日も思ったけれど、すごくきれいな髪だな。


 ゆったりしたオフショルダーのロングシャツに、ショートパンツスタイル。


 オフショルダーだから鎖骨のあたりが見える。

 ……ちょっと目のやり場に困る。


「キョウジ、いらっしゃい。ほら、レオ。キョウジに『はじめまして』するよ」


 レオは華音によく似た笑い方で、おじぎする。


「あのね、ぼくね、レオっていうの」

「僕は響司。よろしくね、レオ」

「ん!」


 僕が脱いだ靴を揃えている間に、レオがスリッパを出してくれていた。


「ありがとう、レオ。おてつだいできるの、えらいな」

「えへへ。おへや、こっちだよ」


 レオに手を引かれてリビングに入る。

 テレビの前のローテーブルにはもう、華音の教科書やノートがおいてある。


「いまコーヒーいれる、座って待ってて」

「わかった。そうだ、これ食べて。母さんが華音にって」


 ようやくたまご焼きの存在を思い出して、華音に保冷バッグごと渡す。


Dankeダンケ! Mamaママたちもいちど食べてみたいって言ってたから、うれしいよ!」


 華音は奥に行って、トレーを持って戻ってきた。

 ブラックコーヒーを二つと、子ども用カップひとつ。それからお供にマフィン。


「おさとうとミルクあるよ?」

「ありがとう。ブラックのままでいただくよ」


 レオは僕の隣にちょこんとすわって、両手でカップをつかんで、ミルクに息を吹きかけている。


 マフィンはほうれん草とチーズ、かぼちゃが練りこまれていて美味しそうだ。

 レオは敵でも見るようにそれをにらんでいる。


「食べないの?」


 聞いてみるとレオはこくりとうなずいて、ホットミルクにだけ口をつける。


 華音はそんなレオを見て肩を落とす。


「めーよ、レオ。おやさいも食べないと、おおきくなれない」

「なれなくていいもん」


 むくれるレオの隣で、僕は手を合わせてマフィンをいただく。


「いただきます。いい香りだな。華音、これ手作り? すごくおいしい」


Dankeダンケ。そう、けさ、Mamaママとつくったよ」

「そっか。こんなにおいしいマフィンを毎日食べられるなんて、しあわせだねレオは」


「……ぼく、おやさいきらいなのに。ねーねとママ、いじわるでおやさいいれるんだ」


 言いながら、レオはフォークでマフィンをころがす。


 野菜を入れるのは華音とお母さんの愛情ゆえなのだけど、意地悪として受け取ってるわけだ。

 もちろん、華音はムッとしている。


「おやさい食べると大きくなれるからだよ。僕も家でMama(ママ)のつくるごはんたくさん食べてるから、こんなに大きくなったんだ」


「きょーくんがおおきいのは、おやさいたべてるから?」

「うん。おやさい以外も全部食べてるよ。おのこししない子のほうが大きくなれるんだから。レオはおおきくならなくていいから、マフィンいらないんだよね。僕がもらってもいい?」


 レオがつつきまわしているマフィンを指してきくと、レオは首を左右に振った。


「ぼくたべる。おっきくなるもん!」


 そう言って、大きく口を開けてマフィンにかぶりついた。


 華音は目を丸くしている。


「おぬしやるな」

「とのさまかな」


 大河ドラマを見ているからだろうか。

 華音の言い回しは、ときどき武士みたいになってちょっと面白い。



「わからないとこあったら、おしえてね。あたし、英語ならおしえられる」

「そうだね。わからなくなったらたのむよ」


 先生に前もって言われている試験範囲のページを開く。

 とくに会話もなく、静かにノートに要点をまとめていると、レオがテーブルにぬいぐるみをならべはじめた。


「あのね、きょーくん。このこはぴーたん。このこはしーちゃん」


 カピバラのぬいぐるみとシマエナガのぬいぐるみが、こてんところがる。


「レオにはおともだちがたくさんいるんだね」

「みんな、ぼくがいないとねれないの」


 たぶん逆だろう。

 思っても指摘しちゃいけない。一挙一動かわいらしくて、口角があがるのをこらえる。


「いっしょにねてあげてるんだ。やさしいね、レオ」

「うん!」



 レオは隣の部屋に行って、こんどはおもちゃのグランドピアノを運んできた。

 華音は僕の隣で頭を抱えている。


「レオ。キョウジのじゃまするの、だめよ。おべんきょ中よ」

「むー。でも、きょーくんはじゃまって、いってないもん。ね、きょーくんピアノのひとなんでしょ。おしえて!」


 お姉ちゃんと弟の真逆の意見にはさまれた。


「僕に気を使わなくていいよ、華音。音学教室に小さい生徒がたくさんいるから、僕、話し相手になるの慣れてるんだ」


 レオの頭をなでて、ピアノの鍵盤に指をのせる。 


 パッヘルベルのカノン。


 鍵盤の数が多くないから、右手のパートだけで弾く。


 明るくて、春の日差しの中をスキップしたくなるような、心おどる曲。


 小学生の時、コンクールで初めて金賞をもらった曲だ。


 華音は目を瞬かせて僕を見る。

 レオがぬいぐるみたちを抱えて、曲にあわせてはなうたを歌い出す。


 弾き終えると、ふたりぶんの拍手がひびいた。


「きょーくんすごいね!」

「楽しんでもらえてよかった」


 しばらくすると、はしゃぎ疲れたのかレオはクッションのうえでまるくなって寝息をたてはじめた。


 華音はひざかけを出して、レオにかける。


「レオが、うるさくてごめん」

「うるさくないよ。レオと話すの楽しいから」

「やさしいね、キョウジは」


 華音はレオの髪をゆっくりとなでる。


「こどものころから、って、いってたね。ピアノはじめたきっかけ、あった?」


「……僕がレオくらいのころ、母さんがピアノのソロコンサートにつれていってくれたんだ。そのとき聴いた曲がすごく、胸に残って」


 目を閉じると、あの日のホールの光景を今でも思い出せる。


「そのピアニストはドイツの人で、僕はドイツ語を知らないし、作曲した人だって、何百年も昔の、異国の人だって母さんにきいて驚いた」


 ただ感動した。

 僕もあんなふうになりたい。

 嘘偽りない、僕の夢。

 ひとつひとつ思い返して、かみしめるように声に出す。

 

「だから僕も、言葉の通じない相手にも、音楽を伝えられるピアニストになりたいって思った」


 なんて、昔からの夢だけど、夢みすぎかな。言っていて恥ずかしくなってきた。


 静かに聞いていた華音は、花が開くようにふんわりと微笑んだ。


「キョウジなら、できるよ」



挿絵(By みてみん)

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