5 心の不協和音 side華音 ☆挿絵あり
「日直は、問題集を集めて職員室に持ってくるように」
六時間目終業のあいさつのあと、国語の先生がそう言って教室をあとにした。
今日の日直は、あたしともう一人、石田くん。石田くんはさっさとかばんを肩にかけると「っしゃ終わり、部活部活!」と言って走っていってしまった。
え、これあたしがひとりで運ぶの? 一冊でもぶあついのに、三十冊はさすがに重いよ。
ほかのクラスメイトも「え、あいつ日直だよな?」とかおをしかめている。
石田くんはふだんから、そうじもさぼりがち。呼び戻してもケンカになるのは明らか。
…………ひとりではこぶしかない。
かくごをきめて問題集の山を抱える。
廊下に出たところで、後ろから声がかかった。
「あれ、華音ちゃん!? なんでひとりでそんなにたくさん持ってるの!?」
視線だけでふり返ると、葉月さんだった。
さっと手を伸ばして、上半分をもってくれた。
「これ、職員室までかな? 手伝うよ」
「Danke」
たのまなくても手伝ってくれるなんて。
こんなにいい子だもん。
あたしじゃ勝てない。
サワが好きになるのも、とうぜん。
なにをいえばいいかわからなくて、歩き出す。
ふと、ピアノの音が聞こえてきた。
ベートーヴェンのピアノソナタ、悲愴。第二楽章。
こもれびのような、心もあたたかくなってくる優しい音色だ。
「ベートーヴェン、だれが弾いてるのかな……きれいなおと」
あたしがつぶやくと、葉月さんは立ち止まって窓の外、音楽室の方を向く。
「響司くんだ」
「どうして、わかるの?」
「わかるよ。いつもお父さんのレッスンで練習してるし。コンクールの課題曲なの」
「そうなんだ。キョウジらしい音」
「…………そうだね。優しくて、あたたかくて、おだやかで、繊細」
葉月さんは窓の方を見たまま、聞いてくる。
「日曜は当馬くんって呼んでいたのに、ほんの数日でずいぶん仲良くなったんだね。ふたりでお弁当食べてるみたいだし」
「恋人に、なったから。おかずこうかんして、たまご焼きおいしいっていったら、今日あたし用にべつのうつわにいれて、持ってきてくれた。キョウジのmamaも、やさしいひとね」
うその恋人になってから、あたしとキョウジは昼休みと放課後を一緒にすごしている。
葉月さんとサワの仲を邪魔をしないように、本当の気持ちに、勘づかれてしまわないように。
でも、恋人の演技ぬきに、キョウジはやさしい。
あたしの言葉を笑わない。
あたしが日本語でなんて言えばいいか考えるのに時間がかかっても、じっと答えを待ってくれる。
ゆっくり、となりをあるいてくれる、あたたかい人だ。
「……っ、美味しいよね、響司くんのお母さんのたまご焼き。私もよくお願いしてわけてもらってるんだよ」
どうしてかな。
一瞬、葉月さんが怒っているように見えた。
それからゆっくりと、ピアノソナタを聞きながら歩き出す。
ちんもくが、なんだかきまずい。
何も悪いことしてないのに、せめられているような気になる。
「キョウジのせんせ、葉月さんのPapaなんだよね」
「うん。私も小学生の時までは習ってたよ。響司くんと、どっちがさきにピアニストになれるか、なんて勝負してた」
テキストを読み上げるロボットみたいな、たんたんとした言い方だ。
葉月さんはためいきをひとつついて、つぶやく。
「これはひとりごとだけど」
ちんもくのあと、つづける。
「響司くんの演奏、私は素直に聞けないの。最初に響司くんが入賞した日、『私のほうが先にピアノをはじめたのに、なんで、私は一次選考で落ちて、響司くんが賞を取れるの、私のほうが』って、思っちゃったの。響司くんの音を聞くたび、自分のこと嫌いになるの」
あたしには、泣きたくなるようなきれいな音色に聞こえる。
葉月さんにとっては、そうじゃない。
あたしの知らない時間が、そこにある。
「おじいちゃんおばあちゃんは、私のピアノを上手だねってほめてくれたけど、贔屓目でしかなかったんだなってわかっちゃった。だってお父さんはずっと、今のままじゃ駄目だよって言ってたから」
下を向いて、声は低くしずんでいく。
「今でも、響司くんが入賞しても、おめでとうより先にくやしい、ずるいって気持ちが先に来て、おめでとうを言えないの」
たくさん、気持ちを吐き出したあと、葉月さんは聞こえないくらい小さい声で何か言った。
「……あんなうそ、つかなきゃよかった」
いまにも、泣き出しそうな顔だった。
どう声をかければいいかわからない。
……ううん、声をかけちゃいけないんだ。
これは、ひとりごとだから。
あたしは壁みたいなもの。
聞こえていても、聞かなかったことにする。
それからあたしたちは、ただただ無言で歩いた。
たどりついた職員室の前に、サワがいた。
バスケ部の先生となにか話している。
邪魔しちゃ悪いから、先生とサワにかるく頭だけさげて職員室に入った。
「センセ。国語のテキスト」
「おう、ごくろうだったな。……ん? 吉田は三組じゃなかったか?」
一応気づいてくれたんだ。
「石田くん、日直なのにあそびいった。そしたら葉月さん手伝ってくれた」
「……それは悪かったな。態度を改めるよう、一組の木下先生に言って注意してもらうから」
「うん、成敗してくれ」
「せ、せいばいなんて難しい言葉知ってるな」
ん? なんか間違えた?
先生がびみょうな顔で笑った。
無事に国語の先生にテキストを届け終わった。
葉月さんにお礼を言う。
「Danke。葉月さん。手伝ってくれて、たすかったヨ」
「あはは。お礼なんていいよー。私、たいしたことしてないもん」
いいこだな。
職員室を出ると、サワがまだそこにいた。
先生との話は終わったみたい。
「阿部、葉月ちゃん。このあと暇? コバ先に実力テストまでは部活休みって言われちゃってさー。響司もさそってバーガー屋行かね?」
あ。これぜったい、あたしとキョウジはいないほうがいい。
ほんとは好きな人と二人きりで行きたいだろうし。
嘘の恋人設定がさっそく役に立ったよ。
「サワ。あたし、このあとキョウジと勉強する予定。だから、ごはんは、葉月さんと二人でいくといいよ」
キョウジと二人で勉強の予定はうそじゃない。
好きな人と放課後デート、喜ぶと思ったのに……葉月さんの答えは意外だった。
「ごめんね、テストのときは、遊びに行くのひかえろってお父さんに言われてるの。かわりに、教室で、四人で勉強しよ。ね、華音ちゃんもそれならいいでしょ?」
もともとキョウジと勉強する予定だったから、問題ない、けど……。
あたしとキョウジを呼ばなくても。
仲良くするサワと葉月さんが横にいる中で勉強するなんて、いたたまれないよ。
「お、そうだな。ひとりだとやる気でないけど、葉月ちゃんたちがいるならわかんねーとこも聞けるし。それじゃ、響司呼びに行こうぜ」
「うん、そうしよ!」
音楽室に向けて走り出す葉月さんとサワ。
その背中に、「お前ら、廊下を走るな!!」と先生の声が飛ぶ。
せっかく二人きりになれるチャンスをつくったのに。
あたしなら、好きな人と二人でいれるのうれしいのにな。
——どうして葉月さんは、そうしないんだろう。
考えたところで、あたしは葉月さんじゃないから正解にたどり着けない。
キョウジに会うために、あたしも音楽室に続く階段の方へ歩き出した。




