17 奇天烈《カプリッチオ》なランチタイム ☆挿絵あり
体育祭の代休日。
コンクール地区予選目前ということもあって、レッスン室の空気はいつもより張りつめていた。
「まだ強い。もう少し肩の力を抜いて」
大地先生の低い声が飛ぶ。
「はい」
言われた通りに弾き直す。
悲愴第二楽章は平和を願う、やすらぎの音色。
ピアノやピアニッシモで弾く部分が多い。
力加減を間違えないよう、指先に神経を集中させる。
「もう一度はじめから弾いて」
「はい!」
指示された通りに、弾き直す。
——そのとき。
かすかに、何か嫌な臭いがした。
気のせい?
けど、演奏を続けるうちに、それはどんどんとはっきりしてくる。
「……焦げ臭い?」
僕が顔を上げるのとほぼ同時に、大地先生も眉をひそめる。
「……なんだ、この臭い。葉月のやつなにをしているんだ?」
大地先生はレッスン室の扉を開ける。
廊下に出た瞬間、焦げ臭さは一気に強くなった。
「葉月!」
大地先生が早足にキッチンへ向かう。
僕も後を追った。
キッチンでは、葉月がコンロの前で右往左往していた。
コンロの上の鍋は真っ黒くなっている。
「なにしてるんだ、葉月」
「ひぁあ、お父さん、響司くん! これは、違うの!」
葉月は慌てて鍋をシンクに放り込んで、水をかける。
ブシュー! という音とともに鍋から白い煙があがる。
そして、こちらを見てぎこちなく笑った。
「その、ちょっと……料理、しようかなって」
「ふだん皿洗いすら手伝わないのに、どういう風の吹き回しだい?」
「うっ……」
大地先生はため息をついて葉月に問いかける。
「で、これは何?」
「…………いもの煮っころがし」
「この炭が?」
黒い塊を見下ろして、大地先生は容赦なく言い切る。
少しの沈黙のあと、葉月が目を泳がせながらつぶやいた。
「……友だちがね、お昼にパンしかたべてないから」
「何?」
「……なんか、持っていこうかなって……」
その言葉に、大地先生の動きが一瞬止まる。
それから、呆れたように肩を落とした。
「こんな炭を食べたら、お友だちが腹を壊すだろ」
「ひどっ! 私なりにがんばったのに!」
「事実だ。葉月はこの炭を食べられるかい?」
「うう……むり、だけど」
葉月はむっとした顔で唇を尖らせる。
「ちゃんとレシピどおりにやったはずなのに」
「レシピには、鍋を消し炭にしろなんて書いてない」
親子のやり取りを見ながら、僕は少しだけ笑う。
素直じゃないな、葉月。
大地先生は小さくため息をついて、もとの色がわからなくなった鍋を持ち上げる。
「いいかい葉月。ピアノと同じだ。やるなら基礎からだ。火加減できないうちは煮物なんて作れない。まずはお母さんに頼んで基礎を勉強するんだ」
「はい……」
「どうしても何か持っていきたいなら、塩を振ったキュウリを切ってつめておくといい」
「…………うん」
しゅんとした様子で、葉月はまな板を取り出した。
「すまなかったね、響司くん。レッスンを続けよう」
「あ、はい」
ピアノの前に戻りながら、さっきの光景を思い出す。
冷凍食品をつめるでなく、お母さんに作ってもらうでもなく、自分で作るなんて。
葉月、そんなに沢のこと好きなんだな。
翌日の昼休み。
沢に誘われて、四人で昼食をとることになった。
せっかく付き合い始めたんだから、二人で食べればいいのに。
押しが強いのか弱いのかわからない。
勉強会のときのように、教室で向かい合わせに机をつける。
華音は僕の隣に座り、きれいに包まれたサンドイッチのつつみを開く。
僕も弁当箱のふたを外す。
向かいの席では、沢が牛乳と、値引きシールのついたカレーパンを取り出す。
いつも思うけど、足りるのかな。
葉月は自分の弁当とは別に、大きめのコンテナ型保存容器を出した。
「おかずつくったの。たくさんあるから、みんな食べて」
葉月がコンテナのフタを開ける。
中身は、一面の緑。
フタが浮くくらい、ぎっちぎちにキュウリだけが詰めてあった。
ほんの一瞬、全員に沈黙が落ちる。
次の瞬間。
「ぶ、あははははは! なにこれウケ狙い? すっげぇー!」
沢が腹を抱えて笑い出した。
「これキュウリ何本分? こんな弁当初めて見たんだけど!」
笑いすぎて、目に涙まで浮かべている。
「……うるさいな。うちにはキュウリがあり余ってるの」
葉月はほほをふくらませてそっぽを向く。
実際、毎年この時期になると大地先生がおすそ分けだと言ってたくさんキュウリをくれる。
奥さんの実家が農家らしい。
「沢。葉月は昨日、鍋を黒焦げにして大地先生に怒られてたんだよ。『火を使う料理はお前にはまだ早い。キュウリでも詰めとけ!』って」
「フォローになってねーだろそれ! 鍋黒焦げってマンガみたいなことホントにあるのか」
「ちょ! ばらさないでよ響司くん!」
沢がさらに笑い声をあげる。
華音はキュウリ弁当をじっと見て、にこっと笑った。
「お野菜は体にいい。よかったね、サワ」
「キュウリオンリーだぞ!? 俺はカッパか!」
間髪入れずにツッコミが飛ぶ。
「そんな気ぃ使わなくていいって言ったのに。まあいいや……くれるってんならもらう。響司と阿部は?」
「僕は母さんの弁当で十分だから」
「あたしも、おなかいっぱい。キュウリは、サワが食べるといいよ」
文句を言いつつも、沢はキュウリをつまんでほおばった。
葉月は笑い転げる沢を横目でにらみながら、ウインナーやミートボールが入った弁当を食べ始める。
「あ! ちょいまて。俺にはキュウリ出しといて、自分は何食ってんだよ」
「ミートボール」
「なんでだよ!」
沢の笑い声がしばらく続き、葉月のローキックが炸裂する。
リベンジを誓った葉月によって、キュウリ弁当は週末まで続いた。




