夢の島(9)
背筋が一瞬で凍る。あんなものに握りしめられてしまえば、生身の人間などあっという間にミンチになってしまう。
もしかしたら、これは隊長のものかもしれない。しかし、隊長のものだとする根拠がない。今にも僕を握り潰さんと指を広げ、こっちへ向かってくるはずがない。
福太郎と福助の鳴き声がチュンチュンと聞こえてきた。今頃、僕の頭上で一生懸命に旋回して、縁起を解いている最中なのだろう。だからといって、黒い腕は待ってくれない。
視界の隅で、相変らず堂島啓は三人を相手に勝つでも負けるでもなく、華麗に立ち回っている。
こっちは見ていない。だというのに、黒い腕はこちらに向かってくる。
何かがおかしい。違和感が募る。黒い腕はどんどん近づいてくる。チュンチュンと鳴き声が聞こえる。いや、術者が黒い腕を視認している必要はないのだ。だから、違和感は別のものだ。
視界の端で、黒い腕が見えた。それは二本あった。
宙に浮いた黒い腕が、どんどん僕に近づいてきて、それはついに僕の体を捕らえた。
体が悲鳴を上げる。チュンチュンと鳴き声が聞こえてきて、僕は早く逃げればいいのにと思った。声が出ない。人間の体というものは存外に丈夫なもので、つまり僕は今のところミンチになっていないのだ。
僕の異変に気付いた平岩先輩とゴザルくんが駆けだした。
もう、視界もぼやけてきた。
チュンチュンクエーと鳴き声が聞こえてきた。
ウィーンガシャン、ウィーンガシャンと機械の音が聞こえてきた。
一瞬世界が暗転する。
かと思えば、暗黒の世界は凄まじい轟音や震動とともに終わりを迎えた。
擬音なら「バリバリバリ、ドッゴーン」という感じだろうか。
ともかく、大広間を破壊しながら、何かが降ってきたのである。
いったい何が?
クイナ陸上型が。
予期せぬ巨大な衝撃に、みんなが衝撃を受けて呆然とする中、クイナに乗る女性が声を張り上げた。
「ナナキくん、大丈夫!?」
上坂さんだ。上坂さんなら僕がピンチのときにやると思ってた。色々な意味で。
ついでに、クイナ陸上型に冗談で取り付けられていた音波兵器も声を張り上げる。
「クエーーー! クエエーーー!」
ハウリング無限大のその声は、呆然としていた一同を更に苦しめるには十分で、僕なんかは死にかけていたのに、もっと他に方法あったよねって思ってしまう。ともかく聴覚がやばい。
「あ、体が動く」
しかし、気付けば黒い腕は消え去り、痺れも消えていた。
ふらふらしたところを、平岩先輩とゴザルくんが肩を貸して支えてくれる。
「そうだ、堂島啓は……」
奴は耳を押さえていた。取り押さえる絶好のチャンスだが、近くにいた三人もやはり耳を押さえていて動けない。上坂さん、やりすぎだよ。御殿も壊れちゃったし。
「いいぞ、リッカちゃん! さすがはワタクシが見込んだ国民的美少女だ!」
え、なにこの聞き慣れたマッドサイエンティストの声は。
いた。クイナ陸上型にもう一人、白衣姿の女性が乗っていた。少し離れたところからでも分かる、あのお肌のプルツヤ加減。堂島綴博士で間違いない。
「行け! そのまま我が弟をひねり潰してしまえ!」
「らじゃー」
そんな物騒なことを言っている博士と、自らに近づいてこようとするクイナにようやく気付いたのか、堂島啓が心底嫌そうな顔をした。そして人差し指と中指を並べてクイナを指して、奴は呟く。
「壊れろ」
「は?」
「え?」
刹那、クイナが停止して、僕は思わず声を出す。見れば堂島啓の肩には、僕の福良雀とよく似た小さな鳥がとまっていた。
「動け、動け」
「これはいったいどうしたということだ? ワタクシのクイナが言葉一つで止まるわけがないのに」
クイナが停止したということは、音波兵器も停止したということだ。もはや耳を塞ぐ必要のなくなった三人が、堂島啓への攻撃を再開する。そうしながら、長官からはイケボで指示が飛ぶのだ。
「ナナキくん、今だ!」
「ナナキ、今だにゃ!」
「ナナキ、やってしまえ」
「やっちまいな!」
長官だけじゃなく、みんなから声がかかった。
何をすればいいのか。それはすぐに頭に浮かび、僕はためらうことなくそれを口にする。奴がこちらに向けて術を飛ばそうとしているが、そんなことは知ったことではない。今がチャンスなのだ。
「福太郎と福助。言祝鳥・唐鶸の契約を奪って僕につなげ」
「違う! そうじゃない!」
クロードさんが、ついさっきまでの僕のように青い顔をして否定したが、僕にはこれが最善であるとしか思えなかった。
奴が放とうとした術は、発動した直後に長官の局所五芒結界で消滅。
福太郎と福助は、いつにないスピードで唐鶸に近づき、お互いにチュンチュン鳴いた。直後に唐鶸が消え、ついに堂島啓は力なく畳の上に座り込んだのだ。
あとは公務執行妨害罪か不法侵入罪あたりで逮捕・拘束するだけだ。
ニャンコ隊長とクロードさんが挟み込むように奴に近づき、手錠をかける。
奴はまだうつむいていて、立ち上がる気配はない。隊長とクロードさんも無理に立ち上がらせようとは思っていないみたいだった。
だが、そんな堂島啓にもの凄いスピードで近づく影があった。
「こんのアホんだらあああああ!」
うん、博士だ。博士だね。博士しかいないね。
堂島綴博士が、座り込んでうつむいてる堂島啓目がけて低空ドロップキックを食らわせたのである。再び呆然として動けない一同をよそに、博士は弟である堂島啓の胸ぐらを掴んで無理矢理立ち上がらせた上に、まずは平手打ちを三発。その後、また大声を張り上げる。
「啓! お前、こんなに世間様に迷惑をかけやがって! お姉ちゃんはお前をそんな風に育てた覚えはないぞ!」
「ね、姉ちゃん」
「ほら、ごめんなさいしろ。すぐにしろ。ここにいる全員にしろ。お姉ちゃん、悪いことをしたらすぐ謝れって教えただろ!」
「……え?」
「言い訳すんなあー!」
そこで殴るんかい。
なんか混沌としてきたぞ。もともと奴は混沌を望んでいたから、これでいいのか?
ニャンコ隊長もクロードさんも、そして長官さえも、このやりとりを止めようとしていない。兄弟喧嘩ということで、気の済むまでやらせる算段なのかもしれない。
いいぞ、もっとやれと思いつつ、しかし、世の中の姉というものはやはり弟に対してこういうものなのだろうかとも、やはり思い、必要以上に今の僕はハラハラしている気がする。もしかしたら、兄弟喧嘩など見たくないとすら思っているのかもしれないが、今の僕も畳の上に座り込んで、なかなか立ち上がれない状況だ。しばらくはこのまま姉弟ドラマを見物していようじゃないか。
そういえば、大広間を派手に壊しちゃったのって、誰が責任を取るんだろう?
まさか、上坂さん一人には押しつけないよね?
大広間に空いた穴から夜空を見上げて、僕が他人事のようにそんなことを考えていたそのとき、麦わら帽子のニオイがした。何かが流れ込んでくる感覚とともに視界がぐらりと歪み、僕の視界は徐々に闇に包まれていった。
堂島啓は、きっと怖くて寂しかったんだなと思いながら。




