夢の島(8)
「咆吼せよ、天狼!」
その声に反応して、青星が青白いオーラを纏う。その光は、つい先ほどまでと比べるまでもなく、大きい。
それでようやく気付いたのか、堂島啓がこちらを一瞥した。
僕は雷杖を構え、隊長とは別の角度から奴に迫る。
ドタドタと御殿の入り口の方から、数人の足音が聞こえてきた。
隊長が斬りかかるが、奴はまるで素人のような大げさな動きで躱し、そしてこっちへ来た。こっちとはこっちで、あっちでもそっちでもなく、こっちの僕を目がけて飛ぶように走ってきた。その向こう側には長官がいて、奴の狙いは明白だった。
麦わら帽子の下から、以前とはまったく違う鋭い眼光を僕に浴びせて、奴は一瞬で僕の目の前に現れる。
僕は奴目がけて雷杖を水平に振るう。
一瞬、奴の姿が消えた。当たった手応えもない。どこだ?
素早く一歩退きながら探す。見つけた。
奴は地を這うような姿勢で、すぐ近くにいたのだ。
僕は即座に雷杖を体の前に持ってきたが、時すでに遅し。
「雷撃、アーンド、送念」
電気がビリビリと体を駆け巡り、次には何かがヌルリと入り込んでくる。物理的にではなく、感覚的に何かが一つ、二つと入り込んできて、それは気持ち悪くはないが、心地いいものでもなかった。
痺れて畳に倒れ込んだ僕の視界の中で、堂島啓は隊長や長官との戦いに戻っていく。
「ナナキ、大丈夫か!?」
クロードさんの声が聞こえてきたが、まったく反応ができなくて情けなくなる。
「(ナナキ、落ち着いて聞け。堂島啓はお前に念話の楔を打ち込んだ。つまりこれからテレパシーでお前に何かを話すということだ。それを察知した小生は、すぐにお前の精神に念話の楔と盗聴術と打ち込もうとしたが、こっちの念話の楔はだめだったみたいだな。この調子だと、お前がやられることはない。安心して休んでいろ)」
そうしてクロードさんはお札を構えて、堂島啓との戦いに加わっていった。
うん、「盗聴術を打ち込んだ」って言ってる。確実に盗聴されてる。
ナナキ・ウィークエンド二〇歳。麦わら帽子の中年男性に一方的にテレパシーを送られそうになっている上に、イケオジ上司に盗聴されてます。なんだろう、恥ずかしい。ところでクロードさんの盗聴術ってどんなんだろうな。多分、一方通行だよなあ。
などと思っていたところ、麦わら帽子の堂島啓というか、汚ジサンから念話が飛んできた。
『やあ、ナナキ・ウィークエンドくん久しぶりだなあ。俺っちは今、君の心に直接語りかけているんだけど、こんなところで会えるなんて、君との運命を感じざるを得ないよ』
やめて、汚ジサン。運命を感じないで。どうせなら綺麗なおじさまが良かったのに。
『何か失礼なことを考えているような気がするけど、いつものことだから、俺っち、気にしないよ(泣) ナンチャッテ』
くっそ、まさか念話でおじさん構文だと!?
どうなっているんだ!
『君の心の声はこっちには聞こえないから、どうでもいいんだけどね(汗) ところで、こないだの件は考えてくれたかな? 俺っちに協力してほしいという件だけど』
こんなことを僕に流し込みつつ、奴は三人と互角に渡り合っていた。三人と互角にというか、ポジショニングが巧みで、常に三人のうち一人とは相手にしないように動き回っている。動き回りながら、ときに無詠唱で、ときに形代やお札を使って術を放っているのだから、敵ながら恐れ入る。その様子は一見のらりくらりとしているが、やっていることはかなり高度だ。長官を局所五芒結界だけに専念させていることと、そもそも三人が御殿を破壊しないように気を配っているのが、一番大きな要因だと思うけど。
それにしても既視感。蔵田孫六郎のときも僕はほとんど動けなくて、今回も同じような展開になっていて悔しい。
だが、大広間の入り口付近からは、平岩先輩や本物のゴザルくんの声も聞こえてきて、着々と奴の逮捕の瞬間は迫ってきている。
しばらく間を置き、再び奴から念話が飛んできた。
『あ、君の心の声は聞こえないんだった。お兄さん、うっかりだぜえ。まあ、なんで君の協力が必要かって言うとさ、俺っち、つまらないんだよね。世の中は至って平和で、騒動が起こっても警察や君たちがすぐに解決してしまう。本当はさ、この世界はもっと混沌としてていいはずなんだ。そっちの方が面白いし、この世界が夢ってことは昨日の俺っちも今の俺っちも明日の俺っちも、連続していないってことなんだよねえ。一人の気まぐれで、俺っちという卑小な存在は、あっという間に現れたり消えたり、或いは氏名、職業、年齢、住所が変わってしまう。自分でも気付かないうちに、記憶すら組み替えられて。不安定で混沌としているんだ、すべてが。で、その混沌の最たるものとして、この不確定で不連続な夢の世界の破壊というわけなんだよ。どうなっちゃうんだろうね。もしかしたら、みんなみんな存在しなかったことになっちゃうかもしれない。何が起こるか分からないと思うと、とてもゾクゾクするんだ。君もそうだろう?』
言い返したい。言ってやりたい。僕は、ずっと続いている。連続している。僕は昨日から現れて、そして無事に今日を生き延びられれば、明日へとつながるんだ。
僕を育ててくれた義理の両親であるナナキ夫妻はどうなる?
弟に構いたがっている姉のナナキ・フライデーはどうなる?
宵雀のみんなはどうなる、星読のみんなはどうなる、軍部警察の人たちはどうなる、火輪市民はどうなる、藍鉄市民はどうなる、擘浦市民はどうなる、この白葦の島に住まう人たちはどうなる。みんなみんな繋がりを、無数の縁起の中で生きているのに、それが気まぐれで変わるだって?
この世界が奴の言うような、そんな馬鹿げたものであってたまるものか。
畳敷きの大広間、視界の中で堂島啓はヌルリとしたぬるぬるステップで、隊長の青星を避けている。隊長の隙を埋めるように、クロードさんが形代を放ち、見たここもない、小さな爆発を起こす術を使っているが、けれどそれも、踊るように躱されていた。
福太郎と福助が、小刻みに首をかしげて僕を見ているが、僕の体はまだ痺れていて動かない。
「イライラするにゃー! 大人しく捕まれ!」
ニャンコ隊長の雰囲気が変わった。雰囲気というか霊力だが、いつもの赤と青とほんの少し黒が混ざった感じのものが、ほぼ黒一色になったのである。となれば、次は――
「唸れ、黒の腕!」
先日と詠唱が少し異なるが、宙に現れたのはやはり大きな黒い腕だった。それは堂島啓の背後に現れるや否や、背後から奴を掴みにかかる。
そのときの奴は、少し笑っているように見えた。
「退けろ、陰の腕」
すると、またしても黒く大きな腕が現れて、そいつは黒の腕と力比べを始めてしまった。
黒腕の暴力を見たことがある身としては、隊長が出した瞬間は勝ったと思ったのだが、こうなれば、また膠着状態に戻ってしまう。本来なら三人を一度に相手にしている上に、もうすっかりおじさんの堂島啓が体力切れになりそうなものだが、奴のステップは相変らず軽い。
そして僕の体はまだ動かない。でも、口は動くようになった。もしかしたら声も出せるかもしれない。
「あいうえおかきくけこ。竹藪焼けた。青巻がき赤巻きき黄まっがみ」
よし、大丈夫。早口言葉を言えないのもいつも通りだから問題ない。
「福太郎、福助、僕と雷撃アンド送念の縁起をほどいて――」
言いかけて僕は目を疑った。
早口言葉に気をとられていた間に、黒い腕がこちらに向かって来ていたのだ。




