神巫ストーカー事件(2)
車は川俣地区の北、本流と支流が分かれるエリアに到着した。
滔々と流れる赤錆川のその横で、五重塔のような青い建物に、黒で大きく描かれた〈大青楼〉の文字がいやに目立つ。周囲の様子を見渡してみれば、妓楼、加えてビッグブルーが関わっているという割には、普通の家々が立ち並び、歓楽街のような様相は見えない。太陽はまだ高く、夜になれば変わってくるかもしれないが、飲食店がほとんど見えないことから、そう変わることもないだろう。
さて、目的地には建物の前に大きな鉄柵の門がある。
押し開くのかなと思っていたが、先輩は慣れたもので、近くのインターホンを押して何事かやりとりすると、ぎぎぎと音を立てて門が開いた。青い塔のような建物の入り口は、特に装飾の無い普通の自動ドアで、挨拶もなしに入っていく先輩に倣って無言で入り、蛍光灯に照らされたタイル張りの廊下をどんどん進む。
果たしてこの先に待ち受けるのはいかなる桃源郷か、はたまた恐いお兄さんたちかとどきどきしていたのだが、いざ廊下を抜けると、そこに待っていたのはにこやかな紳士と、明るい中庭だったのである。
「やあやあ、お待ちしていましたよ、宵雀の皆様。本日も何とぞ、うちの子をよろしくお願いいたします」
恭しく、しかし上品に頭を下げたその紳士は、年の頃四〇代後半といったところだろうか。髭はなく、細面。髪は短く刈上げた横分けで、青く染めてある。白地に黒のピンストライプが入ったスリーピースのスーツに、黒のワイシャツと臙脂のネクタイを纏っていて、この紳士の身のこなしに実に良く似合っていた。
ビッグブルーが関わっているともなれば、黒服の怖いお兄さんたちに囲まれるようなことも想像していただけに、にこやかな紳士が一人だけでいることには、随分と緊張が緩んでしまう。
「おや、平岩さん。そちらはもしかして、宵雀の若鳥たちですかな?」
一瞬、紳士の目に射抜かれた気がしたが、その細い目は変わらず柔和で、気のせいだったかもしれないと思わせる。
「まあ、そうだ」
先輩が僕たちに顔を近づけ、「ほれ、挨拶をしろ。ただし名前は名乗るなよ」と小声で言う。その意味は分からないが、先輩には何か考えがあるのだろうと、「初めまして」だとか「今日はよろしくお願いします」だとか、お辞儀をしながらそれらしい挨拶をした。すると紳士は一層にこやかな顔で言うのだ。
「やあ、若さはいい。実にいい。可能性を秘めていて、それだけで美しいものだ」
この人、絶対マフィアの関係者だと思うんだけど違うのかなと、そう思い始めたときに、用件を進めようと先輩が口を開いた。
「あー……、ミスター・ブルー。俺たちも忙しいんでね、早くご相談とやらに入りたいんだが」
「おやおや、平岩クリフさん。今の私はミスター・ブルーではありませんよ。ビッグブルーを束ねるボスなどという大層な肩書はなく、ここ〈大青楼〉のオーナーであり、一人の善良な帝都市民でもある青山太郎ではないですか」
今の私はって言った。〝今の私は〟って言った。
やっぱりこの人、マフィアの関係者じゃないか。
しかも、とびきりの関係者じゃないか。
やだなに恐い。
ちょっと大丈夫なんですかと、平岩先輩を見ると、特に表情も変わらず会話を続けていて、僕はひとまず安心するのだった。それはきっと隣のゴザルくんも同じはずなのだが、どうも彼の膝は小刻みに震えているような気がする。まあ、僕の膝も力が入らないんだけどね。
「はっ、どうだかな」
「そちらと事を構える気など毛頭ありませんし、何よりも明星隊長に睨まれたらと思うと、恐ろしくてたまりません。ふふふふふ。それはさておき、立ち話では疲れてしまいますから、あちらで座ってお話しましょう。うちの可愛い小鳥もお呼びしますから」
紳士――青山太郎はそう言って、明るい中庭を手のひらで誘った。
果たして中庭にイスの類いはあっただろうかと思いながら目を凝らしてみれば、光に溶け込むようにして真っ白な机と、それを囲むようにイスが六つあったのだ。僕たちは先輩に倣い、草花の意匠が施されたイスに腰掛ける。
青山は、いつの間にか彼の近くにいた背筋がしゃんと伸びた品のいい男性に「あかねちゃんを呼んで」と言ってから、僕らの正面のイスに腰を掛けた。
そのにこやかな顔と手入れの行き届いた髪、それから足を組んでいるものの横柄に見えないその姿勢は、品のいいどこかの上流階級の紳士にしか見えない。本当にこの人が悪名高いマフィアの親玉なのだろうか。確かに他の人と違う雰囲気はあるのだが――
「(ナナキ殿。この人、ほんのり神力が漂っているでござるよ)」
雰囲気が違う理由はゴザルくんが解説してくれた。霊力にもいくつか種類はあるが、神力というのは神様、神様の子孫、あるいは神様に仕えていた神官など、神に近しい人々に見られるものである。
そうなれば、神力のカリスマ性をもってマフィアを支配している人なのだろうか。
じっと見ていたら、さすがに目が合って照れくさくなっちゃったので、中庭に視線を移す。
中庭は一段低くなっていて土が入れてあり、ちょっとした花壇などもある。今の時期は何も植えられていないようだが、きっと春から秋にかけては、色とりどりの花で、この妓楼に彩りを添えるのだろう。真っ直ぐ上まで吹き抜けていることから、夜よりも真昼の方が見栄えがするに違いない。
そんなことを思っていたら、
「ここの中庭、いいでしょう。わざわざ藍鉄市から土を運び入れているんですよ。つい最近、買い付けましてね、春に向けて寝かせているところなんです」
などと青山さんから自慢されたので、「ええ、いいですね」と当たり障りなく答えておいた。藍鉄市と言えば、帝都からけっこう東にいったところにある大きな森がある町で、そこの土なら確かに質はいいのだろう。知らんけど。
その土がいい中庭の周りはどうなっているかと言えば、廊下がぐるりと囲んでいて、中庭と廊下の間は、デザイン化された草花や雲の装飾が施された欄干で区切られている。その廊下の向こうには、いくつか立派なドアが見えた。外側に向かっている通路もあるが、あれは階段なりエレベーターホールなりにつながっているのだろうと、観察していたとき、そこから一人の女性が現れた。