麦わら帽子の下で(1)
あれから一週間。
あれっていうのはあれですよ、あれ。ほら、あれですって、あれ、あれ、なんだっけ?
そうそう、それです。五代草太郎陸軍一技曹の身柄を、憲兵から宵雀が強引に奪ったあれです。
あのときは立てた作戦が見事にはまって、陸軍とも摩擦が起きずに済んだんだけど、逆にうまくいっていなかったらと思うと、今でも背筋を冷たいものが走る。
ところで五代草太郎氏の協力によって、何か新しいことが分かったのかというと、結局、彼にも例の精神干渉の痕跡が僅かに残されていたことが分かった。予想通りの結果だが、確定させることが大事なので、また一歩、捜査が前進したのである。ついでにというか、今回もう一つ明らかになったことといえば、別の事件とのつながりである。
以前、クイナ失踪事件で同じように精神干渉を受けていた赤烏重工のエンジニア・水田修一と、五代には面識があることが分かった。兵器工場を持つ赤烏重工のエンジニアと、陸軍のエンジニアに面識があるのは当たり前じゃないかと、そう思う向きもあるだろうが、二人の面識ができたのは五代が陸軍に異動する前、クイナ陸上型を開発していた時期だった。つまり、堂島綴博士とも面識があるということになる。
ていうか、一連の面識があるという情報は博士がニャンコ隊長に話したんだけどね。
黒幕が自分から疑われるようなことをわざわざ言わないと思うので、綴さん黒幕説はとりあえず保留になった。綴さん黒幕説を提起したのも保留にしたのも、もちろん、僕の脳みその中での話だ。誰にも話していない。
そんなことがありつつも、今日も火輪の町は表面的には至って平和で、僕はゴザルくんとともに通常のパトロール任務に繰り出したのだった。
「ナナキ殿、今日のパトロールコースでござるが」
「うん、そうだね」
僕たちが緩慢にして、眼光鋭く歩いているこの道は、今年二月に〈純喫茶ぶるぅぅーむぅーん〉を……いや、ぶるーむぅぅーんだったっけ?
まあ、必殺メロンクリームソーダなどという物騒な名前のメロンクリームソーダを出す喫茶店に遭遇した地域で、つまり、門内の旧市街を僕たちは歩いているのだ。
そして当然のように、のんきに声をかけられた。
「やっほおー、ナナキくん、ゴザルくん、こっちだよ。お久しぶりぶりー。せっかくだから、お兄さんと一緒にお喋りしようじゃないか」
麦わら帽子、よれよれの白シャツ、カーキ色の短パンに群青色のゴム長靴。そして肌つやの悪い痩せた顔に無精ひげと、目線を隠すようなもじゃもじゃヘアー。
奴だ。コードネーム〈おじお兄さん〉こと堂島錠が、再び僕らの前に姿を現したのだ。
彼の正体はおおよそ予想が付いている。ここで出てきてくれたことは好都合だ。今日はその正体を暴いてやる。
「おじお兄さん、こんにちは。僕も会いたいと思っていたところなんですよ」
腕で大きくバッテンを作っているゴザルくんを無視し、僕は仕舞屋の広い軒下でボロの椅子に座る堂島錠に近づいていった。
そして、いざ声を出そうと息を吸い込むも、先制したのは堂島錠である。
「ナナキくんもゴザルくんも元気そうで何よりだ。これも若さって奴かな? あははははー」
「ええ、お陰様で」
「……」
ゴザルくんは警戒している。僕は、いきなり踏み込むのも悪手かなと思い直して、日常会話に乗ることにした。
「そちらも変わりがないようで」
「いやあ、まあ、年だからあちこちガタが来てるんだけどね、お兄さんと公言してる手前、元気に振る舞うしかないんだよねー」
僕はうまく表情を作れているだろうか。おじお兄さんがリラックスしてボロを出してくれるように持って行けるだろうか。
「ほい」
まだ真顔のゴザルくんが、軒下の隅から椅子を持ってきてくれて、僕はありがたくそこに腰掛ける。しかし、ゴザルくんは座らずに、僕の斜め後ろに陣取った。僕に何かあったらきっとゴザルくんが助けてくれることだろう。
何せ相手は鬼の力を持っているのだから。
証拠があるわけではないが、この霊力は感じたことがある。夜行さんから。だから、彼――堂島錠という偽名を名乗る何者かが、鬼の力を持っていることを、僕はほぼ確信していた。
「ハクラモール立てこもり事件のとき、おじお兄さん、現場で野次馬してましたよね?」
「やだなあ、バレちゃった? 恥ずかしいなあ。ああいう騒動があると見に行かずにはいられない性格でね、友達から教えてもらって、すぐに見に行ってしまったんだよ。ナナキくんとゴザルくんも現場で見たような気がするんだけど、やっぱりいたのかい?」
「ええ、まあ」
彼の目はよく見えないが、口元から上機嫌であることがよく分かる。人と話せることがそんなに嬉しいのだろうか。それとも――
「あの事件でも、君たちは大活躍だったっていうじゃないか。君たちのことを前から知ってる俺っちとしては鼻高々だよぉー」
直後、彼の表情が途端に冷えたかと思うと、想像していなかった言葉が飛び出した。
「ところで、君、自分の出生の秘密とか、知りたくない?」
「……」
「はあ?」
不快感を口から出したのはゴザルくんだ。僕は口から何も出していない。呼吸をすることも忘れてしまったほどだ。
聞きたい。
ずっと、本当の両親のことを知りたいと思っていたし、今でももちろんそうだ。
「ナナキ殿、冷静に考えるでござる」
緊張感をはらんだゴザルくんの声が、なぜか遠くに聞こえた。
育ての親や姉にはもちろん感謝している。血のつながっていない僕に、深い愛情を注いでくれたのだから。
「たまたま知り合った赤の他人のおじお兄さんが、ナナキ殿の出生の秘密を知っているはずがないでござろう」
でも、僕は知りたい。
でも、ゴザルくんの意見ももっともで、尊重もしなければならない。
「詳しく話を聞こうじゃないか」
そんな具合にどっちつかずで迷った挙げ句に、知りたい気持ちが疑念をはねのけて、偉そうに返事をしてしまったのだ。
僕は知りたい。自分が誰であるのかを。自分がいったい何であるのかを。
「うんうん、その気持ち、よく分かるよお。ここは俺っちが手取り足取り教えてあげようじゃないか」
つい先ほどまで真面目くさった顔をしていたくせに、堂島錠の顔はすぐに喜色を浮かべ始めた。




