神巫ストーカー事件(1)
「ナナキ、ゴザル、行くぞ」
「はい、平岩先輩!」
「承知! でござる」
父さん、母さん、姉さん、お元気ですか?
僕は今、大人の世界に足を踏み入れようとしています。もう、ドッキドキですよ。むっふー。
遡ること一時間ほど前、朝のちょっとした訓練から戻った直後に、僕は明星隊長から呼び出された。ちなみに明星隊長の席はオフィスの奥の別室のようになっているところにあって、一般隊員の席とは文字通り壁があるし、ドアもある。
それはそれとして、いったいなんの用事かとドキドキしながら隊長室に入ってみると、すでに平岩先輩とゴザルくんが待っていた。
「にゃー。クロちゃんがいないと面倒くさいにゃー」
「隊長、お呼びでしょうか!」
もう入隊してから三週間と少々が経っているが、明星隊長とはほとんど顔を合わせたことがなく、にゃーにゃー言うネコ科の隊長に僕はめっぽう緊張していた。ネコではないんだけど。ちゃんと人間なんだけど。
僕が挨拶すると、大きな机のわずかな隙間に突っ伏して手をバタバタとしていた隊長は、むくりと起き上がる。そして真面目な顔を一瞬だけ作って言うのだ。
「ナナキ。君はゴザルとともに平岩に同行し、〈大青楼〉からの相談に乗ってくれにゃ」
「了解ですにゃ!」
「任せたにゃ! あ、平岩の指示に従うようにねー。それじゃー、頑張ってねー」
「はい!」
そんなこんなで、本署の格納庫から年代物のセダンタイプの車を引っ張り出し、ゴザルくんの運転で〈大青楼〉というところに向かっているというわけなのである。しかし、僕はともかく、ゴザルくんは背が高いから、どうも車内が狭く感じる。しかもゴザルくんはガタイがいいから、窮屈そうに見えて仕方がない。
そういうこともあって、僕は後部座席で平岩先輩の左隣に座っているのだ。念のために言っておくが、別にゴザルくんが暑苦しいからじゃないよ?
平岩先輩――平岩クリフ先輩は僕たちよりも五年か六年先輩で、僕たちによく仕事を教えてくれるのだが、基本的に口数は少ない。ついでに、口が悪くて、皮肉屋めいたところもある。身長は僕より少し高いくらいだが、陰気で不健康そうな顔に反して、髪の毛はゆるふわ七三ウェーブのツーブロックで、アッシュブルーに染めているし、なんかよく分からないアクセサリーも付けている。
最初はこの人、本当に警察関係者なのかなと思ったけど、パトロール等に同行した際には真面目にやっていたし、副長のクロードさんから書類の催促をされているところもみたことはないので、たぶん、真っ当な人なんだろう。
ただし、どうして星読に入隊したんですかと聞いたときに、気に入らない奴を殴れるから、と真顔で答えたことは忘れてない。
「ところで先輩、今、向かってる〈大青楼〉ってなんですか?」
「あー、〈大青楼〉っていうのは妓楼だな」
「ぎろー?」
「なんだお前、そんなことも知らないのか。やれやれだな。まあ、平たく言やあ、綺麗なおねーさんと朝まで楽しく遊ぶところだ」
ああ、思い出したぞ。妓楼。そうだ、妓楼だ。妓楼と言えば――
「妓楼って、今は違法ですよね」
昔は街道の大きな宿場町には必ずあったというが、今は法律で禁止されているはずだ。それなのに、取り締まる側が相談に乗りに行くというのはどういうことだ。
「そんなことはない。今でも特定の妓楼は、星読の許可を条件に営業を許されている」
その言葉を聞くや否や、僕の脳裏におねーさんたちに囲まれた自分の姿が浮かび上がり、鼻の下がぐいーんと伸びた。
「今からそこに行くんですが、行けるんですか、行ってもいいんですか」
「市民からの相談だから、そりゃあなあ……。だがよ、〈大青楼〉はビッグブルーの親玉が運営してるって聞いたらどうだ?」
「まじですか!」
「本気でござるか!」
ゴザルくんも気になって運転席で聞いてたんだな。
それはさておき、ビッグブルーである。海や山の伝説の何かに付けられそうな名前だが、ここ帝都では全然違う意味を持つ。
マフィアである。端的に言って、マフィアである。控えめに言って、武装している暴力的な組織のあれだ。帝都市民が選ぶ関わりたくない人ベストテンに堂々殿堂入りしているそれなのだ。毎年、何人か必ず逮捕者がいるあの組織の名前だ。
呆然としている僕たちに、先輩は説明を続ける。
「そうは言ってもな、奴ら尻尾しか出しやがらねえ。捕まるのは尻尾ばかりで、上の方はのうのうと普通の……普通のかどうかは分からんが、表面的には合法かつ穏当な商売をしているから、ビッグブルーの一員かもしれない人間からでも、相談には乗らなくちゃいけないという、実に人情溢れた判断というわけだ。まあ、しかし、〈大青楼〉からの相談というのは、構成員じゃない従業員に関係しているものだからな、市民のための星読としては、断り切れないんだよなあ。ま、そういうことでお前ら」
「はい」
「ござる」
「そんなしけた顔すんな。普通に暮らしてたらなかなか拝めない、昼間のおねーさんたちを存分に堪能できると思って、頑張りゃあいいんじゃねえか? ……お、そろそろ着くな」