彼と彼女の家庭の事情(1)
「こんにちは、上坂さん」
「奇遇ね、ナナキくん」
季節はもうすっかり夏で、夕立以外はさっぱり雨の気配がなくなった7月下旬のある日の午後のこと。
非番の僕は、例によって星読の独身寮・星風荘にいたが、何をする気にもなれず、コミュニケーションスペースに行けば、話し相手の一人や二人はいるかも知れないと思っていた。
ところが、日差しばかりが眩しいコミュニケーションスペースで待ち受けていたのは、僕のマドンナ(古代語)にして、配属初日に僕に眼光鋭く殺意を向けてきた上坂六花ただ一人だったのである。ちなみに上坂さん、同期の中では最強なので、機嫌を損ねれば、僕みたいな得体の知れない異能しか持っていない人間は、イチコロである。僕の心はすでに彼女にイチコロだが、体も穴だらけになってイチコロになれるポテンシャルも秘めている。
だが、僕にはそういう趣味はないし、愛した女性に殺されるのなら本望などという精神性も、あいにくと持ち合わせていなかった。一回くらい刺されたような気もするが、今のところ僕は無事で、そして彼女との仲は相変わらずである。相変わらずというのは、こちらの一方的な好意に対して、上坂六花さんはのらりくらりと、僕を刺すようなことを言って躱しているということだ。それでも配属初日よりは、だいぶ気安く会話ができるようにはなってきている。
「上坂さん、今日はここで何をしてるんだい?」
「呼吸をしてるのよ」
「呼吸以外は?」
「椅子に座ってぼんやりしてるの。見て分かるでしょう?」
ほらね。
間違っても、僕の頬を水滴が流れたりはしていない。僕は強い子。
そういうわけで、今日も上坂さんはいつも通りということだ。
上坂さんはいつも通りオレンジブラウンのショートボブで、目は切れ長で、鼻筋が通っていて、顔のパーツも(主に僕の)理想通りに配置されている。きつい仕事なのに、お肌の色艶もいい。
まるでモデルさんか芸能人みたいな見た目で、物騒なことを言ってくる。
こうして考えてみると、僕は彼女のいったいどこに憧れたのか? もしかして美貌だけか?
いいや、違うはずだ。僕はその類い希なる容姿以外にも、彼女に何か惹かれるものを見いだしたに違いない。あんまり自信はないけどね。
だから、今日こそ彼女からあの話を聞こう。今がその時だ。頑張れ、ナナキ・ウィークエンド。
「あのー、上坂さんにおかれましては、本日も大変にご機嫌麗しく、ついでに見目も麗しくてですね」
刺されるのが恐いから、卑屈になっているわけじゃないんだからね。
「この見目麗しいリッカに、なにか用事でもあるのかしら? 今日の私は機嫌がいいから、なんでも言ってちょうだい」
一人称が未だに自分の名前だという点は残念美人ポイントだけど、機嫌がいいならちょうどいい。これは、常々疑問に思っていたことを尋ねる、千載一遇のチャンスというものだ。こういうときに、僕のこと好き? などと浮かれたことは聞かない。至極、真面目なことを聞くのだ。今日はぶれない。
「宵雀入隊の挨拶のときに、どうして僕を見ながら、『近寄ったら、殺す』って言ったんだい?」
「ああ、そのこと」
彼女の口元が少し緩んだように見えた。いったい何を聞かれると思っていたのだろうか。
それから、ほんの少しだけ考えるように視線を逸らし、またすぐに目を合わせてくる。
「そうね。あなたなら……銀髪のあなたなら何か知っているかもしれないから、話してあげるわ。感謝することね」
「ありがとうございます」
彼女は少し口角を上げて、本当に機嫌が良さそうに、僕の質問に対する回答を語り始めた。機嫌良く語るようなものではないはずの、自分の過去を。
「あれは、リッカがまだ百年に一度の美少女と呼ばれていた十四年前のこと。そう、たしかあの日もさんさんと太陽が降り注ぐ暑い日だった。リッカ、そのときはまだ美男美女の両親とともに擘浦の少しいい家に住んでたのよ。ナナキくんは擘浦を知ってる?」
「ハクラモールを運営してる総合物流企業のハクラグループが、たしか擘浦で起業したんだよね? あとは大きな港があって、華那琉大陸との貿易の玄関口だったと思う」
「大変よくできました」
自分の生まれ育った町が知られていて嬉しかったのか、百年に一度の美少女ということを否定されなかったことが嬉しかったのか、彼女は目尻も下がって満足そうな表情である。だが、これではまだ、僕に殺意を向けていた理由がわからない。
「その擘浦の町で、何かが起きたと」
だから僕は話の先を促し、彼女は一拍おいて、話の先を紡ぎ出した。
「それが起こったのは何月何日のことだったのか。正確な日付は、もちろん調べれば分かるのでしょうけど、リッカにとっては過ぎ去ったもうどうでもいいことだから、調べる気にもならないのだけど、それはさっきも言ったとおり、さんさんと太陽が降り注ぐ暑い日の真夜中だった。もちろん、正確な時刻も覚えてないのだけど。もしかしたら昼間だったのかも知れないわね。でもそれもやっぱり、この話の要点ではないから、どうでもいいわ。
当時のリッカは両親から有り余る愛情を注がれていて、六歳にもなって川の字で寝ていたの。それでパッと目が覚めて、トイレに起きたのよ。ちなみに川の字で寝てたけど、トイレは一人でいけたのよ。偉いでしょ?」
「え? ああ、まあ、うん、そうですね」
そんなことを得意げな顔で言われても、そうですね、としか答えられない。果たして自分が六歳のときはどうだったかと言っても、どうにも記憶がはっきりとしないので、比較しようもなかった。
はっきりとしていることは、話があまり進んでいないということだが、上坂さんの鈴の鳴るような美声で貴重な子供時代のお話が聞けるのであれば、決して無駄な時間ではないだろう。
「それで……」
そこからが続かない。配属式の日に比べ、だいぶ柔らかくなった表情もいつも通り。だけど、何かを言おうとモニョモニョさせているその口からは、音が出てこない。
そこで会話を止めるのが、僕の目指す大人の男、つまりジェントルメンの作法とも思ったが、僕は待った。言いづらいことを、思い出したくないことを、本来なら語るはずではなかったことを、一生懸命に話そうとするその覚悟を、僕は受け止めようとしたのだろう。ところで、こんなにシリアスな展開で大丈夫なのだろうか。
「それでね、ナナキくん」
「うん」
彼女の形の良い唇から、途切れ途切れに言葉が出る。
「一階に降りたら、リビングの電気が付いてたの。起きたときに両親が見当たらなかったから、きっとリビングにいるんだと思って、パパ、ママって大きな声を出しながらドアを開けたらね、そしたらね」
また、声が途切れた。僕は「うん」と一度声を出した。少し視線を逸らしてじっと待つ。表情はやはりいつもと変わらない。だけど、僕には無理をしているように見えてしょうがない。
そうして彼女は小さく溜め息を吐いて、それからゆっくりと丁寧に言葉を送り出した。
「リビングに知らない男の人たちがいた。三人。みんな大きなナイフを持ってて、普通、強盗って顔を隠すものなのに、そいつらときたら何も隠していなかった。強盗が囲んでいたのは、縛られた両親だったわ。でも、両親がそのときどうしてたのかは、詳しくは知らない。
大きな声を出してしまったから、強盗の一人が気付いて、あっという間に近づいてきて、蹴り飛ばされて、転んだリッカの首を絞めながら、刺したのよ。大きなナイフで。それでね、そいつ、ナナキくんみたいに髪の毛が銀色の短髪だった。髪型も髪の毛の色もそっくりだった。でも、顔は見てないわ。もしかしたらショックで記憶が欠落したのかもしれないけれど。
それでね、それで……。でも、魂緒の儀のときに、あなたを見たらどうしても思い出しちゃって。その後オフィスで、間近に見たらそれはもう完全に思い込んでしまったのよ。ナナキくんがあのときの犯人だって」
「……」
「あのときの犯人を絶対に許さない。あいつを刺し殺す……いいえ、捕まえるまで、リッカの人生は始まらないの」
僕は何も言えずに、相づちを打つことだけに徹して、彼女の話を聞いていた。それは僕に殺意を抱いてもしょうがないわあ、という気分で。
銀髪はかなり珍しいのだ。僕の養父母も義理の姉も銀髪ではない。銀色に染めることもできるだろうけど、地の色は黒と茶である。実際、自分以外では銀髪を見たことがない。
それから彼女は――六歳のときに銀短髪の強盗犯に大きなナイフで刺された上坂六花は、目を閉じて深呼吸をして、またしっかりと僕と目を合わせて謝罪の意を表明した。
「普通に考えれば、リッカが六歳の頃の話なんだから、あの犯人がナナキくんであるわけがないのよね。殺意を向けたこと、何度も刺そうとしたことを謝るわ。ごめんなさい」
それから僕は、たいそうな返事をいくつか考えた挙げ句に、笑顔で短く「うん」と答えた。




