大徳大々福々大福帳(5)
長官室は、星読本署よりも少し高い陰陽寮本庁舎の、その最上階ではなく中ほどの階にあった。向かい合わせに三基ずつ、計六基のエレベーターがあるホールから通路に出て、案内板の矢印の通りに右に曲がると、左手に重厚な両開きのドアが見えてくる。
ちなみに現在のニャンコ隊長、いつものヨレヨレのジャージでもなければ宵雀の制服でもなく、一般警察のような、あるいは軍服にも見えるようなカチッとしたスーツを着ていて、なんとなく頼もしい。もう一つちなむと、僕はいつもの宵雀の制服である。
カチッとしたニャンコ隊長が焦げ茶色の重厚なドアをノックをすると、中からは「入りたまえ」と声がした。そのまま隊長が金メッキのドアハンドルを握り、手前に引けばそこはもう長官室である。
ワンフロアぶち抜きの広々としていて全面ガラス張りのキラキラとしたスペースには――などという景色を妄想していたのだが、実際は広く見積もっても二十四畳くらい。想像と比べると遙かに狭いし、いかにもお役所の部屋といった地味で簡素な風情の部屋だった。
机と椅子はとても立派なもので、さらに言えば、そこに腰掛けてこちらをじっと見据えている男性は、この空間には似つかわしくない、リッチな雰囲気を漂わせている。
その男性こそ、陰陽寮長官の蒲原星辰で間違いない。違う人がこんなに堂々と座っていたら困っちゃう。
ロマンスグレーの髪の毛をおしゃれに七三分けにして、一目で仕立てが良いと分かるチャコールグレーのスーツをまとった蒲原星辰は、僕たちを見て一瞬目を細めた。そして次には手振りを交えて、立派な来客用のソファーセットに「どうか腰をかけてくれたまえ」と誘導する。
僕はギクシャクとソファーに腰掛けたが、ふわふわすぎて、座った感触すら分からない。そこへ行くとニャンコ隊長は堂々としたもので、真面目な顔でキビキビとソファーに腰掛けた後は、ジャケットの内ポケットから小さい袋菓子を取り出して、開封しようとしたものの諦めて、また内ポケットに戻したりしていた。ここが長官室で、長官の目の前だというのに、服装以外が日常すぎて、ちょっと引くわ。
だが、ロマンスグレーのイケオジも、それについてとやかく言うこともなければ、顔をしかめることもない。そればかりか、爽やかに微笑んでいるではないか。そして、対面のソファ-に腰掛けて、話を切り出す。
「いやあ、リサちゃん、久しぶりだねえ。前にあったときはこんなにちっちゃかったのに、もうすっかり大人になってて、おじさんびっくりしちゃったよ」
「ちょっと星辰さん。部下の前でそういうことを言うと、アタシの威厳が損なわれるからやめてにゃ」
威厳。はて、威厳とは……
「それに、十五年前の宵雀隊創設のときにも会ってるにゃ」
「そういえばそうだったね。ともかく私はリサちゃんに久しぶりに会えたからとても嬉しいのさ。……とまあ、久闊を叙するのはこれくらいにしよう。私もリサちゃんも多忙だから、用件を済ませようじゃないか」
そこまで話したら、さすがに長官の顔は少し真面目になり、僕をチラリと見る。でも、その表情はどちらかと言えば柔らかい。
「さて、リサちゃん。蔵田孫六郎と面会したというのは本当かね?」
「本当だにゃ」
「それはどうして?」
「立会人から報告を受けていないのにゃ?」
「もちろん報告は来ているが、当事者から聞きたいのだよ」
「分かったにゃ。ナナキ、長官に細大漏らさず報告するにゃ」
「は、はい」
このままソファーの上で漬物石になろうかと思っていたが、そうもいかなかった。そうでなければ、何のために僕が連れてこられたのかも分からないが。
「君がナナキ・ウィークエンドくんか」
「はい。宵雀隊所属、ナナキ・ウィークエンドであります」
「噂は聞いているよ。君自身についても色々と聞きたいことはあるが、しかし今は、蔵田孫六郎の話を聞かせてくれたまえ」
「はい」
僕は大徳大福狸たちの相談のことと、蔵田孫六郎との面会を思い出しながら、ともかく細大漏らさず伝えるように心がけた。恐らく五分もかからなかっただろうが、しゃべり終わる頃には口の中の水分が、すべて蒸発してしまったような感覚だった。
「――それは興味深い。大福帳は私の方で手配しよう。それからリサちゃん」
「内通者の件にゃ」
「こちらでも気にかけておくとしよう。陰陽寮内部にも、彼らの活動を支援している職員がいるかもしれないからね」
後日、というかその二日後。新品の大福帳が陰陽寮から届き、その日のうちに大徳大福狸たちに引き渡すことができた。もちろん、前の大福帳がお客神様に変化していて、こちらで討伐したことも伝えたが、それについても笑顔で「それはしょうがない。ありがとう」と言ってくれたものだった。
今回の大福帳に関して、長官の解説によれば丹王大権現の神力だけを込めたとのことで、お客神様に変化することはもうないだろう。
長官と隊長たちは、どうやら別のことを気にかけているようだが、神格を持つ化け狸たちの落とし物はこうして決着を迎え、町は徐々に平静を取り戻していくかに見えた。




