お客様は神様です事件(1)
父さん、母さん、姉さん、お元気ですか?
僕は前回、ほぼ全裸で走り回ったり、綺麗な女の子に撲殺されましたが、お陰様で元気でやってます。基本的に、寮の自動販売機に入っている無料の食事で、日々の栄養を補給していますが、最近、本署のすぐ近くにおいしい定食屋さんを見つけました。父さんはきっと気に入るから、こっちに来たら、連れて行ってあげたいと思っています。
「おっちゃん、カツ丼定食」
「あいよ」
白暦二一一二年二月六日の深夜十一時、二十四時間制でいうと二十三時、僕の姿は星読本署の西側、少々入り組んだ住宅街の一角にある〈大衆食堂古江〉に在った。
八時から十六時の勤務が終わり、今は二十四時間の非番である。
いつもの無料のご飯もそれなりにおいしくはあるのだが、たまには栄養バランスを無視して食べたいものを食べたくなるのが、男の子というものなのである。
よって、今の僕はお年頃の男の子の煮えたぎる欲望に素直に従い、〈大衆食堂古江〉に来たというわけだ。
通常のパトロールのときに偶然見つけたこの店は、焼き魚定食、生姜焼き定食、レバニラ定食、野菜炒め定食などなど、町の定食屋の必須メニューが一通り揃っていて、お値段は高くも安くもない。高くも安くもないが、全体的に量がちょうど良くて、味付けも僕の味覚にちょうどよくて、そして注文してから料理が出てくるまでの時間もちょうど良い。
でも、一番ちょうど良いのは、カツ丼定食のメインであるカツだ。
世間では分厚い肉とトロットロの半熟卵とじがもてはやされているが、あんなものは僕から言わせれば邪道である。僕が好きなカツ丼のカツは、僕の口にちょうど良い厚さで、そして時間が経っても、カツの衣のサクサク感を損ねない程度に固められた、ちょうど良い感じの卵とじなのである。
このお店はそれをよく分かってらっしゃるのだ。ちなみに、何回か通っているのに、古江の読み方は未だに知らない。多分、「ふるえ」で合っていると思うけど、ちょうど良いカツ丼でつながっている僕とおっちゃんの間には、正式な呼び名など不要である。ついでに言うと、おっちゃんの名前も知らない。
あ、そうそう、僕が深夜にここにいることから、すでにお分かりのことと思うが、この定食屋は深夜もやっている。昼の十二時に店を開けて、夜の十二時に閉めるのだ。この営業時間も、不規則になりがちな僕にはちょうど良いのである。
そんな深夜の〈大衆食堂古江〉の店内は、七席あるカウンター席に僕、そして二カ所ある四人掛けの席の、その一つに残業終わりのサラリーマンらしき、くたびれたスーツの中年男性がいる。
そのくたびれた中年男性は、僕が入店したときには生姜焼き定食と瓶ビールに手を付けていた。
店内は静かだ。カツ丼定食が出てくるまでの間、厨房の料理の音と、離れた席に座る中年男性が立てる音だけが、僕の耳に飛び込んでくる。
そして僕がセルフサービスの水に口を付けたとき、入口のガラス戸が開く音がした。店内の時計はまだ十一時五分。ラストオーダーなど気にする時間ではない。
ガラガラとガラス戸が閉められた後、新しい客の足音は一度入り口で止まり、カウンター席に近づいてきたか思うと、重そうな音を立てて僕の隣に腰かけた。
僕は思わず隣の客を見た。
これだけ席が空いているのに、わざわざ僕の隣を選んだのだから、何かあると警戒したのだ。
だが、隣に座ったのは犯罪者などではなく、がっちりとした体格の女性だった。宵雀と同じ制服の、しかし、色違いを纏っている。ズボンは涅色、上着は柑子色、そして纏う法被は千歳緑。色を分かりやすく言うと、黒いズボンにオレンジ色の上着で法被は緑色である。髪の毛は黒のポニーテールで、顔つきもどちらかと言えばがっちりしているように思える。
そして注目すべきは、法被の肩から腕にかけて入っている二本の白いライン。
つまり、隣に腰かけた女性は、星読の対テロリスト専門部隊〈竹猫〉の、その隊長ということである。
俄然、緊張が高まる。やべえ、名前、ど忘れしてる。誰だったっけ、誰だったっけ。竹猫の隊長さんって、名前なんだったっけ?
「お前、あれだろ。一月七日に人質にされてた訓練生だな」
先制されてしまった。名前も思い出せていないのに。しかし、相手は上役だ。名前を思い出すまでだんまりなどという真似はできないのである。おまけに竹猫の隊長といえば、星読四隊の隊長の中でも一、二を争う実力者だという。ちなみに実力者の三番手は要人警護部隊・鉄甲の馬込隊長、四番手が警察と一緒に行動することが多い機動部隊・岩竜のミドルトン隊長らしい。さらにちなむと、ミドルトン隊長は、なぜか宵雀を見下している嫌なやつなのだ。四番手の癖に。
「はい、小官は宵雀所属のナナキ・ウィークエンドであります」
「リサんとこのナナキか。そういやそんな名前だったな。アタイは竹猫の庵原虎緒だ。よろしくな」
「恐縮であります」
よし、名前ゲット。これで一安心だ。
「で、お前、なに頼んだんだ?」
「カツ丼定食であります」
「お、いいね。おっちゃん、アタイもカツ丼定食ね。大盛りで」
「あいよ」
庵原さんが元気よく右手を挙げて、カツ丼定食を注文する。
この人の声は女性にしては太いけど、〝雑味〟がなくて心地がいい。喋り方も同様で、つまり、まったく澱みがなくて嫌味もない。
「えっと、庵原隊長は、うちの明星隊長と仲がいいんですか?」
「おう、そうだな。星読って女が少ないだろ? だから同期のリサとは、自然と仲良くなったな。ところでさ、お前、運がいいよな」
はて、運がいい。
運がいいとはなんだろう。
年明け早々、テロリストには捕まるし、最初に担当した事件でも、被害者を保護することはできたが犯人は未だ不明、つい最近は服もプライドも盗まれて、挙句の果てに変態撲殺パンチで吹き飛ばされた。
運がいい。運、運ってなんだ?
「あー、お前、なんか難しいことを考えてんな。アタイが運がいいって思ってんのは、外地開発反対同盟の連中から無傷で救出されたり、あれだ、言祝鳥と契約できたことを言ってるんだぜ?」




