僕たちの僕たちを取り戻せ事件(3)
「ナナキ、ゴシャール、お前たち、そんな恰好でいったいなにをしている?」
声をかけてきたのはクロードさんだった。この人は門内に住んでいて、独身寮には住んでいないから、ここで見るのは初めてである。ちなみにゴシャールとはゴザルくんのことである。僕もたまに忘れてしまうが、正式名称はバルタザール・ゴシャールくんで、自己紹介のときにもそう名乗っている。
さて、上官に聞かれれば、正直に答えるほかないのだが、こちらが口を開く前に、話題を変えられた。
「まあ、いい。お前らこの辺で小生の言祝鳥を見かけなかったか?」
「……副長の言祝鳥は、どのような外見なのでしょうか?」
僕はクロードさんの言祝鳥について全く知らない。知らないということは答えられないということだ。ゴザルくんもすぐに答えなかったから、彼も知らない可能性が高い。だとすれば、聞くしかない。
「お前たちは知らないんだったな。説明が難しいが、こう、色が黒くてもやもやしている」
それだ!
僕のハートに、新たな燃料が追加された。あれがクロードさんの言祝鳥だというのなら、ますます捕まえなければならないというものだ。
僕はゴザルくんと頷き合い、クロードさんに一連の出来事を説明した。
「なるほど、迷惑をかけてすまなかった。あれは今、小生のコントロールがきかない状態になってしまっているのだ。お前たちみたいな被害者がこれ以上でないように、早く捕まえねばな。そのためにも、ナナキ、ゴシャール、上坂には是非、協力して欲しい」
「ん? 上坂?」
上坂さんはさっき離れていったはずなのに、どこにいるのだろうと思ったら、なんとクロードさんの後ろから姿を現した。
「ここに入ったときに最初に会って、声をかけた」
「……はぁ、面倒くさい」
ちょっと上坂さん、上官の命令……いや、お願いか? どっちにしても、面倒くさいとか言っちゃいけませんて。
でも、それを聞いたクロードさん、上坂さんの目をじっと見つめてこう言った。
「この事態の打開には、上坂、お前が必要だ。力を貸して欲しい!」
「教官……、リッカ頑張ります!」
なにこれ。僕はいったい何を見せられているの。
ここ感動するところじゃないから、ゴザルくんも涙ぐまないでよ。
「お前ら、行くぞ! なんとしてでもホシを捕まえて、市民を守るんだ!」
いや、それクロードさんのキャラじゃないでしょ。
「教官! 標的は我々から距離を取る傾向にあります。ここは四人でバラバラに動いて、やつを追い込みましょう!」
ゴザルくんも語尾とかどうした? どこかに忘れてきちゃったの? あと、クロードさん、副長だから。
それはともかくとして、それから四人で作戦を練り、クロードさんの言祝鳥を追い込むことにした。
作戦といっても大したものではない。この独身寮の出入口は一つ。お勝手口と非常口もあるが、そこは通らないだろうと思い込んで無視することにした。その出入口を背にして、男性陣三人がそれぞれの階に分かれ、黒いもやもやした飛行物体――仮にゴーストワンと呼称――を徐々に追い込むことにしたのだ。これなら階段があっても万全である。
上坂さんは何をするかと言えば、クロードさんから「トドメはお前に任せた!」と言われていた。トドメって、大丈夫なのと思ったのだが、それを察したクロードさんがイケボで説明してくれたことには、実体があるわけではないから問題ないのだという。そして、トドメを刺せば、クロードさんが予想している原因を打ち払えるというのである。
やがて作戦が決行された。
僕は三階、クロードさんが二階、ゴザルくんは一階の、出入口に最も近い階段付近に陣取る。ゴーストワンを目撃したら、出入口の反対方向に追いやり、「よし!」と大声を出してそれぞれに伝える、古典的な勢子の役だ。
トドメを刺す待子役の上坂さんは、何故か僕と一緒に三階にいた。目つきが恐いから理由は聞けない。
少しして、下から「よし!」と声がした。これはゴザルくんの声だ。
僕は中ほどの階段の手前まで廊下を移動する。ゴザルくんも中ほどの階段の手前まで廊下を移動して、クロードさんだけは中ほどの階段を塞ぐ位置まで移動しているはずだ。
こうすることで、徐々にエリアを狭くしていき、一階か三階の隅に追いやるのだ。
今度はクロードさんの声で「よし!」と聞こえてきた。僕が見かけていないから、ゴーストワンは、一階に戻ったに違いない。じきに「よし!」とゴザルくんの声が聞こえてきたから、確実だ。
となれば、中ほどの階段から三階に上がってくることはない。僕はまた廊下を移動して奥の階段ホールまで移動して、慎重に階段を降りていく。たまに後ろを見ると、上坂さんもちゃんとついてきているから作戦は順調だ。
三階と二階の間の踊り場にいたとき、またゴザルくんの声で「よし!」と聞こえてきた。一階でゴーストワンに近づいたのだ。そうなればじきにクロードさんから「よし!」と聞こえてくるだろうと思っていたが、どうも聞こえてこない。二階まで降りきったところで、廊下を眺めると、クロードさんはゆっくり歩いていたようで、まだ階段ホールからは遠いところにいた。だが、それならゴーストワンはどこに行ったのか。あの飛行速度なら、もう二階にいてもおかしくないはずだが――
そのとき、クロードさんが僕を指さして何か声を出した。いや、僕ではなく、階段ホールか。慌てて振り返ると、なんと顔のすぐそばにやつがいたのだ。黒いもやもやのゴーストワン(仮)が。
やつもよそ見をしていたのか、慌てふためいたように飛んで、階段を降りていく。
「……逃がさない」
ぼそりとした上坂さんの声が聞こえてきたかと思うと、彼女は段をすっ飛ばして降りていった。
僕も慌てて追いかける。一階の隅で待っていたのは、腰タオルにスニーカーのゴザルくんと、上坂さんの背中だった。
「おいで、もっくん」
そう言った彼女の周りに現れたのは、雀のような一羽の小鳥。暗褐色の体に、くちばしから目にかけて走っている黒いライン。
なるほど、百舌鳥だからもっくんか、などと呑気に思っていた時期もありましたが、異能が発動された瞬間、そんな呑気さは消し飛んだ。
「刺し殺せ、贄の棘」
突き出した右人差し指の、その先から何本もの細い枝が、もの凄いスピードで伸びてゆく。彼女の言葉を借りるならば棘のような枝が。
それはあっという間に、ゴーストワンだけを囲み、一刺し、また一刺しとゆっくりと突き刺していった。
うん、恐い。
スプラッタホラーかな?
もちろん言祝鳥のゴーストワンには、血も肉もないから、グロい光景にはならないんだけども。
そうして三本目が貫通した直後、ゴーストワンは消え去った。浮いていた僕たちの服も、床に落ちていく。
「よくやってくれた。感謝する」
クロードさんの謝意に、何だか面映ゆい気持ちになりながら、それでも最後に聞いてみた。
「結局、副長の言祝鳥は、なんなのですか?」
「小生の言祝鳥は〈以津真天〉。異能は……お前たちには話しても問題ないか。異能は、幻聴・幻視・幻味・幻臭・体感幻覚。広範囲にリアリティのある幻を展開することができるという、とても恐ろしいものだ。自分で言うのも憚られるがな」
「〈以津真天〉が消失したということは、展開されていた幻も消えたということで、それってつまり――」
「拙者たちの拙者くんたちが戻ってきたということでござるな!」
ゴザルくんが腰に巻いたバスタオルに隙間を作って、慎重に中を見る。
僕も腰に巻いたバスタオルに慎重に隙間を作って、恐る恐る中を見る。
「あったー!」
「あったでござる!」
それは確かにあった。生まれてこの方、ずっと生きてきた相棒ともいえる存在が、そこに確かにぶら下がっていたのだ。
ゴザルくんは喜びのあまり、僕の手を取ってステップを踏み始めた。今の喜びを表現したい、同じ被害者の僕と分かち合いたい、そんな気持ちが見てとれるステップだった。
だが、このときの僕たちは忘れていたのだ。すぐそばにうら若き独身女性の上坂さんがいたことを。
「上坂さん、ありが――」
思い出して、慌てて彼女に体を向け、お礼を言いかけたところで、不意に腰の圧迫感がなくなった。
上坂さんの端正な顔が、みるみるうちに歪んでいく。
僕は現状を確認するために下を見た。
ない、バスタオルがない。これはまずい、早く体勢を立て直さなければと、そう思ったときにはすでに手遅れだった。
「変態撲殺パーンチ!」
その日、最後に見たのは、自分の鼻血が鮮やかに宙に舞う光景だった。




