僕たちの僕たちを取り戻せ事件(2)
これは一大事だ。一大事も一大事だ。特殊警察たる星読の独身寮に、妖怪らしき泥棒が現れたのだから。
僕は急いでバスタオルを手に取って腰に巻く。
靴は……盗まれてないな。制服の厳ついハーフブーツではなく、すぐ履けるスニーカーを選んで、猛然と泥棒を追いかけた。もやもやした飛行物体は幸いにしてまだ見える。
廊下の突き当りに向かって飛んでいるようだ。
そのとき、別の部屋から同じように腰にバスタオルを巻いた男が現れた。
廊下に出るなり、開口一番、男は叫ぶ。
「どろぼーう! 拙者の服を返せでござる!」
ゴザルくんだった。どこからどうみてもゴザルくんだった。彼と横並びに走り、廊下の突き当りを目指す飛行物体を追いかける。よくよく見れば、飛行物体と一緒に飛んでいる服は、四人分あるようだ。僕とゴザルくんの二セット分で間違いないだろう。
「ゴザルくんも、服を盗まれたのかい?」
「ナナキ殿も、服を盗まれたのでござるか?」
「よし、じゃあ、二人でさっさとあれを捕まえよっか」
「ござるな!」
そうしてバスタオルとスニーカーだけを身に着けた男二人が、独身寮の廊下を爆走し始めた。
しかしこの〈星風荘〉という名の独身寮。
三階建てでそれなりに部屋数があり、階段ホールも、玄関付近、真ん中、そして奥の三カ所ある。
そのせいで、もやもや着替え泥棒はとても速いわけではないのだが、あっちへこっちへと動き回ることができて、巧みに僕たちの手を躱し続ける。
そしてこの独身寮。男性も女性も、同じ建物内に居住していて、エリアはある程度分かれているものの、エリアの間に壁や仕切りなどはない。部屋にオートロックがかかる上、入寮しているのも特殊警察・星読の隊員なのだから、変なことはしないし、できないだろうという理由によるものらしい。
そうであるから、追いかけているうちにうら若き独身女性とすれ違うこともあるのだ、ということを僕はすっかり失念していた。だから、バスタオル一枚で廊下を全力ダッシュできたのだが――
やがて、僕らの視界に飛び込んできたのは、コミュニケーションスペースでくつろぐ一人の美しい女性。
オレンジブラウンのおかっぱ頭に、均整の取れた切れ長の目。
上坂さんだった。ダークピンクのパーカーに群青色のハーフパンツを履いた上坂六花さんだった。
ちょうど黒いもやもやの飛行物体を見失っていた僕らは、彼女に見覚えがないか聞いてしまったのだ。自分たちがどんな恰好をしているのかも忘れて。
そして悲鳴が上がった。
「きゃー」
「きゃーでござるー」
バスタオルが落ちたのだ。腰に巻いていたバスタオルが。それも、うら若き独身女性の前で。だから、僕らは思わず悲鳴を上げてしまった。慌てて両手で前を隠して、なんとか取り繕おうとする。
その永遠とも思える時間、彼女はじっと僕たちの体を見ていた。
やめて、そんなにじっと見ないで、恥ずかしいから。
きっと上坂さんも恥ずかしいに違いないと思っていたのだが、しかし、彼女の口から出た言葉に、僕は自分の耳を疑うことになる。
「それ、隠す意味あるの?」
隠す意味あるの?
隠 す 意 味 あ る の ?
隠 す 意 味 あ る の ?
それはやまびこのように、僕の頭の中を駆け巡る。
え? それってどういう意味ですか? お見苦しいから隠しているんですけど、お見苦しいとも思えないほど、っていうことですか?
うう、なんたる恥辱。こんな辱めを受ける日がこようとは。穴があったら飛び込んでしまいたい。
だが、僕はふと閃いた。
もしかして、ゴザルくんのことを言っているのではないだろうかと。やはりショックを受けたようで、固まっているゴザルくんの体をじっと見る。
あれ? なにかおかしいぞ……
「ナ、ナナキ殿、恥ずかしいからそんなに見ないでほしいでござるよ。それ以上見つめられたら、拙者……」
ゴザルくんが変なことを言っているのはこの際スルーだ。
僕はともかく、この違和感の正体を突き止めなければならない。
はてさて、僕はいったい何をおかしいと思ったのか。
あ、なるほど。分かっちゃったかも。違和感の正体も、彼女――上坂さんがどうして「隠す意味あるの?」と言ったのかも。
そしていったん深呼吸して冷静になってから、むっちゃ驚いた。びっくりした。びっくりして叫ぶように言ってしまった。だって、そんなことになってるなんて思わないじゃん。
「きゃぁー! ゴザルくん、ゴザルくん、大変だ、大変だよ。ゴザルくんのゴザルくんが行方不明だ!」
「うあああああ! 本当でござる、何でござるか、何でござるか、拙者の拙者がきれいさっぱりなくなっているでござる! うあああああ! ナナキ殿、大変でござる、大変なことが起こっているでござる。ナナキ殿のナナキくんも行方不明になっているでござるよぉぉ!」
「きゃぁー!」
「うあああああ!」
「きゃぁー!」
「うあああああ!」
「ばかばかしい……」
慌てふためく僕たちに愛想をつかした上坂さんが、コミュニケーションスペースから去っていく。全裸で騒ぐ僕らを残して。
「ハァハァハァ……ナナキ殿」
「ハァハァハァ……なんだい、ゴザルくん」
「これもきっと、あの謎の飛行物体の仕業なのではござらぬか?」
「奇遇だね、ゴザルくん。僕も丁度そう思っていたところだよ」
「これは是が非でも捕まえなければならないでござるな。拙者たちの拙者くんたちのために」
「そうだね、僕たちの僕くんたちのために」
そのとき、視界の端にあれが映った。あの黒いもやもやした飛行物体と僕らの服が。
「いくぜ!」
「おう!」
バスタオルは、腰に縛り直した。今度はずっときつく結んだから、そうそう落ちることはないはずだ。
けれど、僕たちの決意を妨げたのは予想外の人だった。




