僕たちの僕たちを取り戻せ事件(1)
父さん、母さん、姉さん、最近めっきり冷えてきましたが、お元気ですか? お腹など出して、お風邪を召したりしていませんでしょうか?
僕は今、お腹丸出しで、元気に走り回っています。
白暦2112年2月4日。
昼間の僕は本署の建物の裏手にある屋外訓練場で、対陰陽師事件を想定した特別訓練を受けていた。
「かーつ!」
「どわあ!」
「甘いわ!」
「ひえぇぇぇ!」
とまあ、その訓練の様子は短い悲鳴で表せるような、散々な内容だったことは間違いない。
何せ相手は政府認定一級陰陽師・蔵田孫六郎先生である。老師である。仙人みたいな白いあごひげを生やしていたりするのである。仙人みたいな顔でスポーティなジャージとサンダルを着こなしているのである。詳しい実績は存じ上げないが、一級という時点でレジェンドである。
帝都に三人しかいないようなレジェンドに、ひよっこの僕が敵うはずもない。
ゴザルくんと二人がかりでも無理な相談だ。ていうか、実際二人がかりだし、ゴザルくんも何度も吹き飛ばされている。吹き飛ばされるたびに、いちいち「ごーざーるー」とか叫んでいるので、案外、楽しんでいるのかも知れない。
誰だよ、この人を犯人役にしたの。近づけば吹き飛ばされるし、離れれば変な人形が襲ってくるし、変な雷も撃ってくるし、死角ゼロか、無敵か、ラスボスか!
「やっほー、蔵田のじいさん、調子はどうかにゃー?」
来た、このレジェンドを犯人役に指名しちゃった人が。
「おおーう。リサちゃん、久し振りだのう。佐々木の小僧としか話をしておらんからの、会えて嬉しいぞ」
「ここだ!」
よそ見を狙って繰り出した、全力の甲式雷戈の横凪ぎも、しかし、向こうが上手。クリティカルヒットしたはずの雷戈は、そのまま蔵田さんがいたところをすり抜けて空を切る。ついでに、謎の術で吹き飛ばされた。
ちなみに雷戈というは、星読隊員が暴徒制圧の際に使用する制式長柄武器である。
長さは一六〇センチメートル。その先っちょは直角に折れていて、そこに触れた相手に霊的な電気ショックを与えて、気絶させるという仕組みになっている。それ以外にちょっとしたギミックもあるのだが、それは未だ使いこなせていないため、一般人を相手に使うのは危険すぎる。もっとも、蔵田さんを一般人や民間人の括りに入れていいかどうか疑問だし、電気ショックを与えたところでピンピンしている可能性すらあるが。
まあ、そんなわけで、我らがニャンコ隊長とお知り合いでもあることから、ニャンコ隊長が犯人役にねじ込んだというわけなのである。
もちろん、絶対無敵老師を犯人役に据えたニャンコ隊長にも言い分はある。
『あほみたいに強い人間を相手にしたら、普通の陰陽師なんてザコに思えるにゃ』
とのことだ。うん、それは分からなくはない。分からなくはないけれど、手も足も出ない訓練に意味はあるのだろうか? いや、ない(断言)。
ちなみに、クロードさんと平岩先輩については、言祝鳥の異能の方向性が今回の訓練に合わないと不参加。ララちゃんは言わずもがな、現場で犯人と向き合うには向いていないので、やはり不参加。ついでに上坂さんも言祝鳥の異能が危険だからと、不参加になっている。なお、上坂さんの異能によって危険になるのは僕とゴザルくんらしい。いったいぜんたい、クロードさん、平岩先輩、そして上坂さんの異能はなんだっていうのだろう。
「二人は見込みがあるかにゃ?」
「うむ。なかなかいいと思うぞ」
寒空の中で汗だくになりながら行なった訓練で、最後に聞いた蔵田さんの言葉は、やはり社交辞令にしか聞こえない。
「あらがとーござざました」
「あり、ござり」
やっとのことで解放された僕たちは、もうこれ以上ないくらいにくたくたで、口もうまく回らないような有様だった。ゴザルくんなんか、いつものござるも言えやしない。
「お疲れ様にゃ。寮に帰って早く休むにゃ」
いつもはオフィスの隊長室にこもっているくせに、こういうときに優しくしてくれるのが心にしみるぜ。今お酒を買ってこいって言われたら、三秒で買ってきてしまうかもしれない。
冗談はさておいて、僕とゴザルくんはフラフラしながら寮の自室に戻ると、示し合わせたように同じ時間にシャワーを浴び始めたようだ。どうして分かるのかって? それはこの後に発生した、ある恐ろしい事件の体験談に触れてもらえば、気付いて頂けるはずだ。
* * *
くたくたに疲れたぼきは、……頭の中まで呂律が回ってない。くたくたに疲れた僕は、顔と体にまとわりついたしょっぱさを押し流すべく、すぐにバスルームに向かった。もちろん、着替えはちゃんと準備して、脱衣所の少し高いところに置いてある。大都会にある寮の割には、中が広いのだ。
疲れを流すと言えば、風呂桶に湯を張っても良かったのだが、そのときの僕はシャワーを選択した。シャワーを選択して、自分の体を洗濯した。ダジャレだ。ダジャレが出るくらいに疲れていて、お湯を張る選択肢も思い浮かばなかったということだ。どうか許して欲しい。
さて、シャワーを浴び始めた僕はすっぽんぽんの生まれたままの姿である。それは当然のことで、こんな説明はいらないかもしれないが、需要はあるらしい。それがどんな需要なのかは分からない。
体に打ち付ける水滴の温度は、いつもよりほんの少し高い。バスルームに置いた防水デジタル時計をちらりと見ると、十六時十六分を表示していた。
ゴシゴシと左腕から洗い始め、全身を磨いていく。特別訓練では嫌というほど吹き飛ばされたが、幸いなことにどこもケガをしていないようだった。
体を磨き終わった後、しばらくぼーっとして温かいお湯に打たれるままになる。
よし、と小さく声を出してシャワーを止め、僕は脱衣所に出る。
そして、乾いたバスタオルで体に残った水分をくまなく拭き取った。僕はこの時間が好きだ。いつも洗濯してくれている職員さんには感謝しかない。
そして全裸のままドライヤーで髪の毛を乾かしていたとき、異変に気付いた。
(ない、ないぞ、あれ、いつもと違う場所に置いたんだっけ? いや、やっぱりないな)
ないのだ、着替えが。パジャマ代わりのもこもこしたトレーナーも、肌着も、お気に入りのパンツもない。ついでに先ほどまで着ていた汗まみれの下着と制服もなかった。
すわ、これは一大事と脱衣所から出て見回せば、黒い靄のような小さな飛行物体が、僕の衣服を頭に乗せているではないか。それはふよふよと飛んで、部屋のドアを開けて廊下に出ていった。