神巫ストーカー事件(3)
その女性は焦げ茶のタートルネックのセーターに、色の薄いジーンズを着ていた。顔はすっぴんのようで、想像していた夜のおねーさんのようなけばけばしさはなく、セミロングの艶やかな髪も手伝って、むしろ純朴な印象である。眉毛のお手入れも、最小限に抑えているような感じだ。
女性がこちらに近づいてくるとき、中庭の土がもそりと動いたような気がした。緊張しすぎているのかな。
女性は僕たちのすぐそばまで来ると、ぺこりと頭を下げて、青山さんの隣のイスに腰かけた。見れば小さな手帳と、ペンも持参している。
「こちらが、山村茜です。どうか力になってあげてください」
「どうも初めまして。山村茜です」
そこまで言って、青山さんは「では、他の用事があるので、私はこれで失礼します。くれぐれもよろしくお願いしますよ」と、席を外してどこかへ行った。すると途端に、体の感覚が戻ってきたような気がして、同時に小刻みに揺れていたゴザルくんも静かになる。
「えーと、初めまして山村さん。俺は星読の宵雀隊の平岩です。こっちの若い二人は、まあ、研修みたいなもんなんで気にしないでください」
研修と言われてなんとなくカチンときたが、先輩からしてみれば確かにその通りなのかもしれない。案外、僕たちを試そうとしているのかも知れないが、それはともかくとして、先輩は山村さんに話を続ける。
「先に、照会してもいいですか? まさか未登録じゃないですよね?」
「ええ、登録証も持っていますから、問題ありません。ご覧になりますか?」
「助かります」
山村さんは手帳から一枚のカードを取り出して、先輩の前に差し出した。
「……ほう、神巫ですか」
僕とゴザルくんも首を出して覗き込むと、先輩が舌打ちしながら見せてくれる。
そこには芸妓登録証という題字と、山村さんの顔写真、それから住所、性別、生年月日という個人情報の他、登録資格という欄に〈神巫〉という文字が書いてあった。
「(先輩、神巫ってなんですか?)」
「(神巫とはなんでござるか?)」
「(ちっ、お前らそんなことも知らねえのかよ)」
男三人で顔を寄せ合ってこそこそ話しているものだから、山村さんは不安そうな顔になる。
「(神を供応する芸妓の中で、一番ランクが高い資格だ。覚えておけ)」
「(え、ここって神様をおもてなしするところだったんですか!? 僕のどきどきを返してくださいよ)」
「(人間を相手にするところじゃなかったのでござるか!? 拙者のどきどきを返してくだされ)」
「鬱陶しい。ちょっと黙ってろ」
ああ、いけない。山村さんの眉間にすごい高低差ができてる。
「失礼しました。確認したので登録証はお返しします。ご協力、感謝します。ところで相談したい内容というのは?」
先輩が法被を両手で正して話を続けると、山村さんの眉間もなだらかに戻る。
「……ええ、私、最近、誰かに狙われているようなんです」
「ふむ、狙われている。具体的になにか被害は有りましたか? 例えば、追いかけられたとか、刃物で脅されたとか」
僕の視界の端で、何かがもそりと動いた気がした。
「いえ、そういうことではないんですけど、ずっと誰かの視線を感じたり、あとは……そう地面が揺れているように感じることが多くて」
「念のため確認ですが、あなたは神様がはっきりと見えたり、神力を感じ取ることはできますか?」
「はい、もちろんです」
「なるほど。今も神様の気配を?」
「ええ。とにかくこのところずっとです。私、悪い神様にでも狙われているんじゃないかと、不安で不安でしょうがなくて」
「ふうん、なるほどねえ……。ここ一カ月以内に接待した神様で、記憶に残っているのは?」
「いえ、特に……皆さんにこやかで良い神様でした……あ、いました。一言もしゃべらなくて、私がお神酒を勧めても、芸を見せてもまったく無関心だった神様が。喜んでもらえなかったのかと思ってたら、最後に沢山、野菜を置いていって下さいまして」
「だいぶ分かってきましたよ。最後に質問を二つほど。山村さん、その野菜は食べましたか? それからご出身は?」
「え? ええと、生まれは東の藍鉄市というところですが、物心つく前に両親と一緒にこっちに引っ越してきたので、出身地と言えるかどうか。野菜は料理ができないので、全てここの厨房にお渡ししましたので、食べたかどうかまでは、ちょっと……」
「分かりました。……ひよっこ、お前ちょっと解決策を提案してみろ。これだけ情報が揃えば、もう分かんだろ?」
この人、なんて横暴なんだ。
突然振られたって分かるわけがない、と言いたいところなのだが、おねーさんが期待のこもった眼差しでこっちを見ているのだから、男としては答えないわけにはいかない。
まあ、実は答えは出ているのだけど。ゴザルくんは分かったかな。……腕組みをしてうんうん唸ってる。幼女がいないから調子が悪いみたいだ。
「宵雀のナナキ・ウィークエンドです。解決方法はとても簡単なんですが、時間はかかるかも知れません」
「解決するならなんでも構いません」
「まず、厨房の料理人に聞いて、以前に無口な神様からもらった野菜が残ってたら、料理して食べてください。もし、野菜が残ってなかったら、ここです」
「ここ?」
「そう、ここの中庭で何でもいいので野菜を育てて、口に入れて下さい。あ、そうそう、スーパーで藍鉄市産の野菜を買ってきて食べても、効果はあるかも知れませんね」
「はあ、そんなことで大丈夫なんでしょうか?」
「完全に大丈夫とは言い切れない部分もありますが、まず、問題はないと思います」
「そうですか。じゃあ、早速やってみようと思います。でも、原因は結局なんだったんでしょうか?」
「直接見たわけではないので推測の域は出ませんが、無口な神様は産土神様だったんだと思います。生まれた土地で育った食物を食べることによって、加護の力を与える神様ですが、恐らく山村さんは一度も食べないうちに、帝都に来たのでしょう。
普通ならそこで縁が切れて終わりとなるはずが、青山さんが藍鉄市の土を中庭に入れたことによって、産土神の分霊があなたを見つけてしまった。
結果、神様の本能のようなもので、あなたに加護を授けなければならないと考えて、このような状況になってしまった、というのが僕の推測です」
「そうだったんですか、あいてつ様が……。まるで加護の押し売りみたいですね」
彼女はうふふと控えめに笑って、僕の解決策の押し売りはお開きとなった。
結果は後で教えてくれるとのことだったが、心配する必要はないだろう。解決策を実行しなければ、どうせまた中庭の土から産土神がのそりと這い出て、彼女に野菜を押し付けるのだから。




