白暦二一一一年十二月某日未明
暗く大きな部屋の中に、大小さまざまなホログラムディスプレイが浮かび上がっている。
青白く輝くそれに映し出されるのは、広大な帝都・火輪の地図。
歴史ある人口一〇〇万都市をシンプルな線で描く地図を、しかし今、赤いコマが侵略しようとしていた。
「早く状況を報告しろ!」
白髪混じりの七三分けに、すらりと細身の男が、大きなイスにどかりと腰掛けて声を荒げれば、オペレーターの若い男がすぐに反応した。
「は! 正体不明の高霊力反応〈ジョン・ドゥ〉は現在、帝都南方防衛ライン〈朱雀道祖土〉にて停滞中であります!」
「そんなことは見れば分かる! あれの正体は分かったのかと聞いておるのだ!」
「は! 不明です!」
「まだ分からんのか。朱雀道祖土の連中はなんと言っている?」
「未だ発見できず、との事」
「まったく、どいつもこいつも馬鹿ばっかりだ!」
細身の男が偉そうにこぼした瞬間、別の女性オペレーターが悲鳴にも似た声を上げた。
「朱雀道祖土通信途絶! ジョン・ドゥに突破されました!」
「なんだと!?」
途端に多くのホログラムディスプレイが色を変え、帝都の危機を知らせてくる。
南から侵入し、仮にジョン・ドゥと名付けられたそのコマは幹線道路を北上、次いで西に折れ、みるみるうちに帝のいる紫烏城へと迫る勢いだ。
「くそ! 〈久那土システム〉を起動しろ! なんとしても城には入れさせるな!」
「全部ですか?」
「子、午、卯、三方向すべてだ! それくらい理解しろ、馬鹿者が!」
「は!」
しかし、悲鳴のような報告はまだやまない。
「新たな高霊力反応出現!」
「なに!? 今度はどこだ!?」
「北方北地道祖土、東方東極門道祖土、……西方背越道祖土、全部です!」
「くそ、くそくそくそ! 全隊員を叩き起こせ! 星読四隊の全隊員だ!」
男は無意識に立ち上がり、いかにもイライラとして頭を掻き毟る。しかし、いくらイライラしたところで、正体不明の高霊力反応ジョン・ドゥは立ち止まってくれるはずもない。帝都を守る組織のトップとして、その使命を果たすべく、どうにか対応をしようと必死だった。
「統括!」
「今度はなんだ!」
更に別の女性オペレーターから、緊張感のある声が男に向けて飛んできた。男の額に浮かぶ血管は、はちきれんばかりである。
「久那土式行政区画高度防壁システム、起動しません!」
「そんな、馬鹿な……。信号を送り続けろ!」
「は!」
しかしこの日、統括と呼ばれた男が声を張り上げたのは、これが最後だった。
「北地道祖土、つながりません!」
「背越道祖土、同じく!」
「東極門道祖土も応答ありません! 高霊力反応、通過します!」
「ジョン・ドゥ、行政区画に侵入! そのまま数を増やして、紫烏城に接近……、破られました!」
もう、おしまいだと統括の男は思った。
齢五〇にして今の地位に上り詰め、コツコツと帝都の平和を守ってきたというのに、この訳の分からぬ、文字通りのジョン・ドゥにそのすべてが破壊されたのだ。
こうなれば、なんとしてでも紫烏城にいる帝をお救いしなければならないと、そう思い始めていたときだった。
「朱雀道祖土、通信回復!」
「北地道祖土、東極門道祖土、背越道祖土も通信回復しました!」
「ジョン・ドゥ消滅! 他の高霊力反応も消滅しました!」
「へ!?」
オペレーターたちの歓喜の声の中、男は一人、立派なイスで間抜けな声を出した。
しかし、これでは威厳もなにもあったものではないと、再び部下たちをどやしつける。
「直ちに各地の被害状況を確認しろ! 紫烏城と久那土システムも忘れるな!」
「了解であります!」
こうして、後に二一一一一二騒動と呼ばれる事件は幕を閉じた。
調査の結果、帝都のどこにも被害は確認できず、また高霊力反応と思しき不審な物体を見た市民も現れることはなかった。帝都特殊警察部隊・星読の統括である三条ミゲルは、そうして一カ月も経たないうちに、この事件を記憶の彼方に追いやってしまうのだった。