【読切】デコボコゲーム
いつも通り、シワまみれのゴワゴワなベッドの上で、気絶するように眠りについた。
はずだったんだ。
目が覚めた時、俺の周りには何もなかった。
あのシミだらけの汚ぇ天井も、胸焼けがするような不快なニオイも、周りをブンブンと飛び回るウザッてえハエも、何もかも消え失せていた。
真っ白ですっからかんな部屋の中に、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。
「なんだよ……ここは……!?」
動揺の中で必死こいて絞り出した声は、汚れもなにもない、気持ち悪ぃくらいに綺麗な壁に吸い込まれて消えていく。
「おいゴラァッ!! 誰だ俺をこんな所まで連れてきやがったクソ野郎は!? 冗談じゃねえ! 目的が何か知らねえが、とっととウチに返しやがれ!!」
とりあえず力一杯に叫んでみるが、まるで返事がねえ。
焦りと苛立ちで頭がおかしくなりそうだ。
「クソがっ……おい!! おいおい!! おいおいおいおい!! 俺を早くここから」
「うるさいなぁ」
突然、後ろからやけに澄んだ声が飛んできて、俺の絶叫を一刀両断した。
「おにーさん、ちょっと静かにしてくれないかな。あたし、うるさい人キライなんだよね」
見ると、藍色の髪を肩くらいまで伸ばした小柄な女が、立て膝をついて壁に寄りかかっていた。
「あぁ!? 俺以外にも人がいたのかよ!! いるならさっさと声掛けろや!! 一人ぼっちかと思って心細かったけどこれでもう寂しくないじゃねえかこの野郎が!!」
女の方にずんずんと近寄ると、そいつは急いで立ち上がって眉間にシワを寄せ、真っ黒いビー玉みてえなキレイな目ん玉を少しだけ細めて、俺にガンを飛ばしてきやがった。
「なっ、なによ……やるっての……!?」
俺よりちょっと年下の……高校生くらいか?
初対面の俺にナメられねえように、背伸びをして精一杯にメンチを切ってきやがるが、体は華奢で、身長は背伸びしてやっとこさ俺の胸くらい。
正直言って威圧感ゼロだ。マシュマロに睨まれた方が怖い。
白い肌とピンク色の薄い唇、やや高めの鼻…………整っちゃいるが、プライドが高そうでなんかイケ好かねえ。
ワケのわからん英語がチョロチョロと書かれた半袖の白Tシャツに灰色のフード付きパーカー、そんでジーパンみてえな柄のバカ短ぇズボンからは細く引き締まった足が伸びてる。
そんでさっきまでの座り方といい…………ぼーいっしゅ、って言うんだっけか。そんな感じの女。
「ちょっ、ジロジロ見ないでよ……あたし、おにーさんみたいなうるさい人は虫酸が全力疾走するほどキライだから」
「ごめんね」
「えっ、急に素直。おにーさんの性格が掴めないんだけど……あたしこそ高圧的だったかも……ごめんね」
「つーか誰なんだテメエは!? まさかテメエが俺をここに連れてきたのかよ殺すぞ!!」
「ひゃわっ、ビックリした……情緒のツマミどうなってんのこの人……!」
女は大きく体を跳ねさせて数歩後退する。
「ストップ。ハズレだから殺すのはひとまずストップ。あたしもおにーさんと一緒で、気が付いたらここに連れてこられたんだよ。どっかの誰かさんにさ」
「なるほどな……なんかよくわかんねえけど、俺の名前は管崎 剣悟、大学生だ。よろしくなチビ女! そんでテメエはいったい何モンだゴラァ!?」
「はぁ、人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗れって教わらなかったの…………って名乗ってた。この手のオラオラキャラでちゃんと自分から名前言ってる人はじめて見た。調谷 美世だよ。まあこうなった以上はよろしくね、おにーさん」
こうしてお互いの自己紹介は終わったが、相変わらず情報はゼロ。
まずはこの気味悪ぃ部屋から脱出しねえことには…………。
「おにーさん、ちょっとこっち来て」
あたりをキョロキョロ見回していた俺に、女が声を掛ける。
「あ? どうした女」
「そんな抽象的な……いま名乗ったばっかりじゃん」
「あぁ、そっか……えっと……名前なんだっけお前」
「ミセでいいよ。苗字はおいおい覚えてくれればいいから」
「ミソ? 味噌汁は赤出汁が好きだぜ俺は。油揚げが入ってるとなお素敵」
「うん……いいからちょっとこっち来て」
手招きされるまま近寄ると、この女が立ってる床だけ少し色が違っていた。
他が真っ白なのに対して、この一部分だけちょっと青白くなってるような……。
「なんだァこの床!? 吐きそうなのか!?」
「おにーさんが寝てるときに色々と調べてて見付けたの。この床はちょっと秘密があってね、こうすると……ほらっ」
女が軽く手を触れると床はうっすらと光り出し、ゼロが四つ並んで表示された。
見たことある。こいつは……
「頻尿剣豪ってやつか」
「暗証番号だよ威厳もへったくれもないなその剣豪。いい加減にしないとぶん殴るよおにーさん」
確かに威厳がねえな。剣豪だけならカッコいいのに。日本語っておもしれえな。
「でも……おにーさんも見て分かる通り、この部屋は他に手がかりになりそうな物なんて何もない。だからあたしも悩んでるの」
「けっ!! こんなもん適当に俺の誕生日でも打っときゃ開くだろ!」
「おにーさんこれスマホのロック画面じゃないんだよ」
「じゃあどうすんだよゴラァ!! このまま暗号解けずにお前と心中なんざまっぴらごめんだぴら!!」
「かわいい」
ったく、ただでさえいきなりこんなワケわからん所にこんなワケわからん女と一緒に閉じ込められてパニックだってのに。
そのうえこんなワケわからん謎解きパズルみてぇなことまでやらされるなんて、もう限界だ。
近くにあった壁を何度も蹴りつけて風穴開けようとするが、ムカつくことにビクともしねえ。なかなか骨のある壁じゃねえか。
ん? 待てよ、壁に骨はねぇじゃねえかよ。
ん? なにを言ってんだ俺は?
んん?
「そっ、そんなのあたしだって、おにーさんとこんな何もない部屋で永遠に一緒なんてイヤだよ! それに、早く帰らないと…………」
「あ? 帰らないと…………なんだよ?」
女は露骨に顔色を変えた。
透明な汗がスベスベの頬をスベり落ちていく。スベがいっぱいでなんかユーモラス。
「どした、暑いのか? そんな薄っぺらい、全裸の親戚みてえな格好してんのに」
「誰が全裸の親戚よ!! 何でもないから放っておいて! あーもうほんとに、何でよりによってこんなデリカシー枯渇バカと相部屋なの……!?」
「こ、こんなデリカシー枯渇バカってなんだよ!! 俺は今お前からそこそこ離れたところにいるんだから『あんなデリカシー枯渇バカ』が正しい表現だろ………ってなんだこれ?」
俺の近くに紙切れのようなものが落ちている。
さっき壁を蹴ったときに天井から落ちてきたのか?
これは大事なヒントに違いねぇ。
ちょうどいい、アイツより先に謎解いてビーフンご馳走してやる。
間違えた、ギャフンと言わせてやる。
勢いよく紙を拾い上げる。
[からだのこと
いのちがなくなること
おこること
からだのこと
たのしいリズムでかんがえて]
「…………へぃ???」
なんなんだこれ? 子どもの落書きかよ?
「ん、なんかあったの?」
「い、いやぁ~! なんも見付からねえわ! マジでヒントがノーすぎるぜチクショウ!!」
「あっそ。役に立ちそうなものがあったらあたしに見せてね。おにーさんの力だけじゃ、ぜえええったいにこの謎は解けないから」
「な、な、なにぃあっぉ!?」
クソが! 完全にこのケンゴ様の腕を甘く見てやがる!!
ペロリンチョ。
試しに自分の腕を舐めてみたけどぜんぜん甘くなかったぞ!! ざまあみやがれってんだ!!
「見てろよオトコ女! 絶対にテメエより先に暗証番号の謎を解いてやるぜ!! ひゃーひゃひゃひゃひゃうんっ!!」
「なんで最後ちょっと感じたの?」
余裕ぶっこきやがって……ガキの頃『謎解きケンちゃん』の異名で恐れられたこの俺をコケにしたこと、土下座して詫びさせてやる。
ほんとはアダ名『ケンゴっちょ』だったけどとりあえず紙をもういっぺん見直そう。
[からだのこと
いのちがなくなること
おこること
からだのこと
たのしいリズムでかんがえて]
ぐぬぬ…………何度見てもサッパリ分からねえ。頭がこんがらがってくる。
だがこの紙がヒントになってるのはさすがの俺にも分かる。ここは年上の意地を見せてやろう。
『からだのこと』は……ボディ。
『いのちがなくなること』は……コワイ。
『おこること』は…………プンプン。
もういっちょ『からだのこと』で…………ボディ。
これを楽しいリズムでってことは…………。
そうか! DJみたいに言えばいいのか!!
よーし…………。
「ヘイヨー、響き渡れ俺の魂のソウル! 熱いホットな灼熱ラップ!! ボディコワァイ!? コワァイボディ!? チェケチェケチェケチェケラッ!! セイ、ボディコワァイ!! コワァイボディ!! プンプンプンプン!! 怒るぜプンプン!! 俺の激怒の怒りはアングリーな怒号だぜイェイッ!! サビいくぜ! 振り落とされんなお前ら! ボディコワァイ!? コワァイボディ!? ボディコワァイ!! コワァイボディ!! 最後にもういっちょ! ボディィィィィ!!! ザ・エンド!! マイグランドマザースーパーカレーライスイーター!! テンキュー!!」
「うるさいの嫌いって言ったよね? 棺桶には何曜日に入りたいとか希望ある?」
「ごめソーリーなさい」
真面目にやってたつもりだったのに怒られてしまった。コンビニの面接みてえに出棺の日程を聞かれた。
反射的にDJ謝罪でチェケチェケペコリンチョしちまった自分が情けない。
俺の渾身の一曲もむなしく、暗証番号が書かれた床はビクともしない。
正直言って万策尽きた。これじゃ魂のソウルが響き渡り損だ。かなしみがえげつない。
仕方ねえ、これ以上この女の機嫌を損ねるのもアレだし、ここはコイツに任せよう。
「おい女、なんかこんな紙切れが落ちてきたんだけどよ……意味分かるか?」
「え? なんかコソコソしてると思ったらやっぱりヒントあったの? あたしに先に解かれたくなくて隠してたんだ。ったく……ほら見せて」
女は立ち上がると俺から紙をやや乱暴に奪い取って、三秒ほど眺めた。
「はぁ……それでおにーさん、あんなバカなことやってたんだ。正真正銘イカれたわけじゃなくて良かった」
な、なんだこの勝ち誇った笑みは。まさかもう分かったってのか?
「ただの言葉遊びだよ。あたしこういうの好きだからすぐ分かっちゃった。おにーさんがどんな勘違いであの奇行を始めたのかも……ね」
「なにぅうぅっなにぅぅ!? そんなハッタリが通じるわけ……!!」
「あたしだってとっとと問題解いて先に進みたいんだから、ハッタリなんかかけても意味ないでしょ。これ、音階だよ」
「オンカイ? 偉い坊さんみてぇな名前だな」
「うん、もちろんドレミのことだよ。まず、最初の四行は全部、漢字一文字で表せるんだ」
そういうと女は俺の隣に移動し、紙を見せてきた。
「最初は『からだのこと』だけど、体っていうのは別の言い方で『身』だよね。それで 『いのちがなくなること』っていうのは死ぬこと、つまり『死』 だよ。同じように『おこること』は『怒』、最後にもうひとつ 『からだのこと』で『身』…………そうすると『身、死、怒、身』っていう並びができる。ここまでは大丈夫?」
「あ、あぁ……ギリギリついていけてない」
「じゃあ置いてくね達者でね。そして最後の『たのしいリズムでかんがえて』…………ここがポイント。これはさっき言った音階を使えって意味。『身、死、怒、身』をカタカナに直すと『ミ、シ、ド、ミ』…………ドレミファソラシの並びでドを1番、レを2番と考えてあてはめていくと……ミは3番、シは7番、ドは1番、ミは3番…………つまり」
女が再びしゃがみこんで、光る床をいじくり始める。
「暗証番号は…………『3713』ってわけ」
ガチャリと音がして床の光が強くなったと思うと、しばらくしてゆっくりと収まっていった。
そして、床の一部が削れて取っ手のみてえな突っ掛かりが2つ、現れた。
「まあ、最初の謎だけあって準備運動にもならなかったね。おにーさんみたいにDJのモノマネなんかしてるおバカさんには一生解けなかったと思うけど。くすっ」
辱オブ屈ッ………!!
女の渾身のドヤ顔を至近距離で食らった俺は、完全に敗けを認めてヒザをつく。
「えっへん、どうだったかなおにーさん? ミセちゃんの華麗な推理は? このままだとあたし一人の力で出口まで行けちゃうかもねぇ。これからもあたしに頼りっぱなしで情けない姿、見せ続けてね……お・に・い・さ・ん?」
女がオレの鼻を5回つついた後で、ぴょこんと嬉しそうに立ち上がる。
「ちっくしょおおおお……アホめぇ……!!」
地団駄を踏みながら攻撃力ゼロの悪口をぶん投げる俺をガン無視して、女は意気揚々と床に手をかけ、ゆっくりと持ち上げ……………
「…………んっ…………………」
持ち上……………
「んくっ…………んぎぎぎ…………」
持ち…………
「ふにっ……ぐぐぐぐぐ…………」
「なにをやってんだい?」
「うっ、うるさい!! おにーさんは黙って見てて…………んっ…………んむむむむうっ…………!!」
「お前、まさかこんなのも持ち上げられな」
「持ち上げられますっ!! くそっ、バカにすんなっ…………ふぎぃぃ……ぐぐぐぅっ…………はれっ?」
女が間の抜けた声を出し、ぺたんと尻餅をついた。急にあっさりと床が持ち上がったことに面食らったらしい。
もちろん、俺の力添えで、だけど。
「『えっへん、どうだったかなおにーさん? ミセちゃんの華麗な推理は? このままだとあたし一人の力で出口まで行けちゃうかもねぇ。これからもあたしに頼りっぱなしで情けない姿、見せ続けてね……お・に・い・さ・ん?』だっけか? なかなか面白ぇこと言ってくれるじゃねえか」
「なっ……ドドドドドポンコツのくせに何なのその超人的な記憶力……!!」
「あんだけ人を見下しといて、この程度で手こずってんのかよ!! ざまあねえなぁ…………ミセ!!」
「いや初めてあたしの名前呼ぶのこんな最悪なタイミングじゃなくてもよくない!? 今まで頑なに呼ばなかったのに!!」
「ほれ、そんなとこ座ってねえで早く行くぞ。足引っ張んなよ……ミ・セ・ち・ゃ・ん?」
「くっ、くぅぅぅぅ……くやしぃぃぃぃ…………ちゃんと小文字も一文字分としてカウントされたぁぁぁ……!!」
さっきのお返しでしっかり5回鼻をつつかれたミセの目に、ジワリと悔し涙が滲む。
これにてケンゴっちょの完全勝利だ。
「あーはいはいわかりましたわかりましたぁ! おにーさんが力持ちで助かりましたぁ!! これからもぉ、あたしの頭脳とぉ、おにーさんの素ん晴らしいフィジカルを駆使してぇ、ご一緒に二人三脚で出口まで突き進んで参りましょうねぇ!!…………こっ、これでいいのっ!?」
真っ赤な顔で俺をキッと見上げるミセ。ほんとプライド高ぇなあこの女。
ミセは普通の人間よりもわずかに頭がいいのかもしれないが壊滅的に、絶望的に、致命的に運動神経がない。
反対に俺は人並み外れた天才的なパワーと運動神経の持ち主だが、頭の回転がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ鈍い可能性があるのかもしれない。
このデコボココンビでこの先進んでいくのはめちゃ不安だ。
でも、進まねえと。
俺も、どうやらコイツも、帰らなきゃいけねえ理由がある。
床を開けるとハシゴが奥深くまで伸びていた。
「ふんっ……ほら行くよ、おにーさん! いつまでも勝ち誇ってると置いてっちゃうんだから」
「へいへい……って、そう言うわりにぜんぜん先に行こうとしねえのは何でだ? ま、まさかハシゴ怖いとか…………ぷぷぷのぷ! みんなそろって爆笑祭りだヨヨイのヨイ」
「このっ……ほんっときらい!! 嫌いだからあたしが落ちた時にクッション役になるために先に行って!! ほら!!」
「やっぱ怖いんじゃねえか」
「怖くないし!! いいから行って!! クッションみたいな顔してるんだから!!」
「そう言われると悪い気はしねえな」
「なんで悪い気しないの……?」
こうして、終わりの見えない長い道のりを、俺たちは進み始めた。
数年前に書いた作品で、一応続きもありますが投稿するかは不明でございます。
また会えたら会いましょう。達者でね。