コンニャクと月とスッポン と 七本槍 ~魔都の日本酒バル~
『万願寺のタイタン と 松の翠 ~魔都の日本酒バル~』の続きです。
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夕霧がたゆたう魔都の薄暗がりに、今日も赤いランタンが灯る。
霧がたなびく風景は外側からの遠目には詩的だが、内側では陰気なものだ。夕日の残照を受けて不吉な赤色に染まるこの時間帯は、なおさら。
とはいえ、珍しいことでもなければ今日も今日とて働かねばならぬ。
店の中には、開店直前に押しかけてきた常連の小柄な女がひとり。店主が開店準備する姿を肴に、生ビールの小グラスと熱い焙じ茶を交互にちびちびすすっている。
この女もなかなか文句が多い質で、「とりあえずこれ飲んで待ってておくれ」と差し出された一番搾り生に、やれ炭酸がキツいだの冷たすぎて腹が冷えるだの酒カスハラをかましてくれるので熱い茶を与えて、炭酸が抜けて温くなるまで待てと言い置いてある。
茶の銘柄にこだわりはない。お徳用のティーバッグだ。が、女はなかなか気に入ったようで文句は止まっている。ただ、ズズズと行儀悪く音を立てているのは何かの抗議のつもりかもしれない。
ともあれ、準備は完了した。開店の時間だ。部屋の隅に掃除道具が立てかけられて残っているが、わがままなお客様がお帰りになられてから仕舞えばいいだろう。どうせ、客は滅多に来ない。
*
「お待ちどおさん。今日は、何に。」
「うん。今日は、何が?」
「メニューを用意してあんのやから見ておくれ。」
店主が指差す常連・ヨランタの前に広げられた一枚の紙。そこには「本日のお品書き」とブラシのようなもので記されたらしい不思議な文字が並んでいる。
ヨランタには見たこともない文字だが、不思議と意味がわかる。読める。
「へぇ、毎日メニュー書いてるんだ。こんな上等の紙に。生意気だね。」
「いらんこと言うてんんと、チャッとお決め。」
「だって、そんなに毎日お客さん来ないでしょ、このお店。」
「……ハイ、突き出し。」
無造作にトン、とポーション的な小瓶が突き出される。
本日のお通し、ヤクルト。
「……?」
「あぁ、通じひんか。そりゃそうやな。俺のクニじゃあ、嫌な客にはコレ出しといたら勝手に怒って帰ってくれる魔除けなんやけどな。」
「なるほど、ケンカ売られたんだ。知らないってば。ソースじゃなくてドリンク?薬?ビールとお茶飲んだ後に、また飲み物出されても困るよ。どうするのコレ。
……出されたものはいただきますよ。で、蓋?金属の、箔?結構お金かかってるんじゃないの…あ、破れた。
甘い匂いがする…容器の色じゃなくてこういう色のドリンクなんだ…」
「そんなマジマジ見るもんちゃうよ。さっさと飲んで注文しなはれ。」
ゴクリ。
「超おいしい。店主さん、普通にこれだけ売ったら大儲けできるよ。」
「なんでこんなとこまで来てヤクルトの配達員せなあかんねん。もうええから。」
「いいと思うんだけどなぁ…。」
*
唇を尖らせながらメニュー表に目を落としていたヨランタの目がギラリと光り、ガバッと上体を起こす。
「コニャックがあるの? あの、幻のお酒! ちょうだい!コニャック!」
「無いよ。」
「でも、メニューに!」
「ウチは日本酒専門。頼まれたらビールもハイボールも出すけれども、コニャックだのアルマニャックだのそういうモンは……
あ、それか、それはね、コンニャク。それもただのコンニャクやない。東近江名物の赤コンニャクの煮付け。旨いよ。」
冷静に読み返すと、まさしくそう書いてある。しばらくお預けをくらっていたので幻視が起きるほどに気が急いていたようだ。
さすがに赤面して顔を伏せつつ、「じゃあそれで」と小さな声で注文。お酒は、それに合うものでおまかせ。
*
「こちら、本当のお通し。そしてお酒。近江は湖北の地酒、七本槍。」
突き出し(お通し)がヤクルトというのは通じにくいジョークだったようで、本番の小鉢が出てきた。白菜とお揚げさんの炊いたん。
「また、タイタン!あなたのお国のタイタンの理解がわからないわ。もっと、大皿に豪快に盛ったタイタンはないの!?」
「盛り付け次第でもあるけど。お一人様の酒のあてに山盛り出してもなぁ。あ、小鯛の炊いたんなら大きめのお鉢に豪快に盛ってるかも知らんなぁ。今日はないけど。」
「こ、古代のタイタン……」
息を呑みつつも、今日ヨランタが選んだ酒器はツルリとした青磁器。くすんだ浅緑色の、歪みのない整った、薄く軽い焼物だ。なんだか今日はもう疲れたので、混沌属性の伊賀焼とかより秩序属性のこういう物が心安らぐ。
「それにしても、あぁ、コニャック…。金持ち男に見せびらかされてひと舐めだけ貰えた屈辱の甘露……」
「日本酒のほうが旨い。ガタガタ言うてんと、あるもん呑んどき。まー、こんにゃくとコニャックじゃ月とスッポンではあるかもね。」
「月と?泥亀? 何それ。」
「そういう言い回し、こっちには無い? 比べようもない、ってことやね。」
「謎だわ。泥亀と黄金亀とか、月と太陽なら比べたうえで比べものにならないってわかるけど、この酒器とお嬢様のリボンを比べるくらい、そもそも関係ないじゃん。」
「いやいや、どっちも池の水面に丸い姿が映るやん。」
「無駄に詩的ね。うーん…」
「それに、月なんか食えやしないがスッポンは旨い。別にどっちが全部下ってわけじゃないし。」
「うそっ! 泥亀食べるの?」
「高級品よ? ヨランタさんの言うのと同じかはしらんけど。」
「……泥亀には嫌な記憶があるの。あれは、ダンジョンの湖沼地帯クエストを請けたときのことだったわ……」
女はまだ酒を呑んでもいないのに目が据わった表情で語り始めた。
*
ダンジョンの浅層階はいかにもそれらしい石壁の迷宮だが、中層階と呼ばれる階層からは様相が変わる。
未だこの古いダンジョンも踏破はされておらず、最深層がどこまで広がっているのかは知られていない。便宜上、かつての最精鋭の冒険者が踏み込んだエリアを深層と呼び、浅層、中層、深層と呼び別けた。その後、深々層、奥深層までも踏破されたが、底はいまだ見えない。
ヨランタはフリーのヒーラーで、中層までは踏み込めるなかなかの実力者だが諸事情により特定の相棒を持たずにやっている。
この日のメンバーも気心は知れているが、毎回毎回ヒーラーが必要な冒険はしない方針のため、準レギュラー扱いで参加している。
問題のクエストは湖沼エリア、モンスターは弱いし少ないが、奥まで踏み込めば確実に何かの病気を拾うことで忌み嫌われ、ほぼ全ての冒険者が判明している最短ルートで通り過ぎる階層だ。そこでの、薬草の採取クエスト。
エリアは湿地帯なので地面を歩いていると思っていても腰まで地面に沈み込むことがあるから、胴長靴は必須だ。そう言われて、念のためワキを絞れば首まで沈んでもガードできるボディスーツのような装備を準備した。
が、あっさりと。前をゆく大男・大女たちの足跡を追って進みかけた瞬間、足元を踏み抜いて、頭の先まで沼に水没してしまった。
「もう、首の隙間から泥に混じって細かい虫やらミミズやら蛭やらがドバドバーっと服の中になだれ込んできて!」
「お嬢さん、ここ、食べ物屋。OK?」
「OK、OK。…で、なんとか立てる地面のところまで引き上げてもらって、速攻で全部脱いで全部追い出して、おしりに喰い付いたモンスター蛭を屈強の男どもに引っ剥がしてもらって。
あいつら、全裸の女の子が泣いてるのに指さして笑うのよ?信じられない!」
「…いや、なんでそんな話を?」
「悪い記憶は溜め込むとよくないのよ、誰か話せるひとに話すのが大事ね。それでね、みんな疲労困憊したから水飲んで肉食べて休憩したいのに、何もなくなっちゃったのね。
地面はあるけど水浸しで火も起こせないし、どうしようか困ってたらメンバーの1人が、これなら人界にも居るヤツだから食えるだろう、って獲ってきたのが泥亀。」
「……おぅ。」
「お前、喉が渇いてるだろう、って生き血をすすらされて、みんなでベチャベチャになりながら生き肝を貪って、」
「お嬢さん、ここ、食べ物屋。NG。…そうか、そういう思い出があるなら、これはちょっと良くなかったかもなぁ。」
*
「ハイお待っとぉさん。…これが赤コンニャクだ!」
店主が出してきた、白地に紺色で精緻な模様が描かれた伊万里の角皿に盛られた、血のように赤い鮮やかな鉄錆色の塊。見た目は、まさに巨大な肝から切り出されてきたかのような四角い生テリーヌといえる。
一緒に煮込まれた鰹節が添えられているのも、なんだか何かの見立てのようにさえ思える。
「ウッ」と思わず口元を抑える女。
「いや、ウチはゲテモノ屋じゃないから無理することないよ。俺が後で食うから別のんにし。」
「いや、食べる。食べたらおいしいはずだもの。ここで克服しなきゃ。」
赤い塊を箸先で突つく。プルプルしている。案外にしっかりした感触だ。これなら大丈夫かもしれない。
臭みもなく、いつものお出汁の良い匂いだ。
グッとお腹に力を込め、一切れつまみ上げる。テラリとした光沢は生々しいが、上等そうな皿からお箸を使うという文明行為を通して見ると、じゅうぶんおいしそうに見えた。
考えてみれば、刺し身を食べられてこれが食べられないはずがないじゃないか。店主がいらないことを言うから身構えてしまっただけ。
と、心で念じつつ思わず目を閉じて口に入れる。
それは口中でプルリと震え、弾力をもって歯を押し返そうとするも ふつりと切れる。同時に、かつおだしの風味がほとばしるように溢れ出る。
目をつぶったまま、さらに何度か咀嚼する。そして口の中でクニクニと暴れる赤コンニャクを飲み込む。
「はぅ……」
吐息とともに、自然に音が漏れる。その余韻を楽しみつつ、用意されていた酒に手を伸ばす。
“七本槍80”。後に店主が言うには、お酒は米を磨いてつくるもので、特に上等のものは50%まで磨き抜いて芯の部分のみ使用するらしい。が、この酒は20%だけ磨いて80%のほぼ白米でつくった野趣あふれる逸品らしい。
たしかにズンと力強い味わいだが、野卑さは感じられない。キレイに澄んだ、香り高い、でも親しみやすい、気の合う仲間に囲まれて守り守られしている、そんな気持ちを思い起こさせる酒だ。
「賤ヶ岳の七本槍ってな、後に諸侯になる若き戦士の戦物語にちなんだ名がついてる。ええ酒やろ。
…で。ポテトフライと鶏唐でも作ろか。」
「いや、これを食べてからメニュー見て考えるよ。うん、おいしいから大丈夫。」
*
突き出しに出ていた白菜のタイタンもあの湿地を思わせるヴィジュアルだったが、似ても似つかぬ滋味あふれる豊かな草だ。噛むと、最低限の姿をたもつだけの膜がシャリっと弾け、お出汁の味が満ち渡る。
ブロック状のお出汁であるコンニャク、半固体のお出汁である白菜、そして酒。出汁、出汁、酒。口福感の底なし沼に一人、頭の先まで沈みつつ仄かな甘味でくるまれた思い出に浸る。
結局、あのクエストはどうにかこなすことができていた。散々に足を引っ張ったが、他の連中はみんな気の良い奴らで、少なくもない致命的なミスの度に出番があったから最終的には満足が行く仕事だった。
心の傷になったものごともあったが、今日、人に話して酒と一緒に飲み込んでしまった。こんなに鮮やかに収まるならもっと早くにこうできていたかったものだ。
デリカシーには欠ける連中なので七本槍の戦士のように高潔な雰囲気にはならないだろう、そこらの酒場の酸っぱくて気が抜けたエールがお似合いだし、赤コンニャクより猪の肝の水煮に塩と酢をふりかけて涙目でかぶりつくのがお似合いだ。私とは違う。
でも、今夜はあの日の奴らに乾杯。
*
「ところで、月とスッポンって言うなら “月” っぽい料理ってあるのかしら?」
「月ぃ? せやな、月見うどん、月見とろろそばとか、マグロの月見山かけ、とかかなぁ。」
「それは、どういう?」
「生卵の黄身をな、麺のスープやすりおろした山芋に乗っけていただくん。」
「やっぱりゲテモノじゃないの! あれは3年前……」
「四の五の言わずに喰ってみろ超うまいから。うどんかそばかマグロ赤身か、どれがいい。」
「それならマグロで。」
「また赤いナマな塊やけど?」
「いいのよ今日はもうそれで。あと、お酒もおかわり!」
赤かった空は宵闇に沈み、代わりに赤いランタンの光が表を照らす。出来上がってきたヨランタの頬もテラテラと赤い。
日本酒、そして日本の料理、奥深し。次に出てきた同じ近江の酒「百済寺樽」の盃を両手で持って、クフクフとひとり笑う女の夜はまだ長い。