3. 春菜とヒロの始まり
(春菜とヒロの始まり)
あれは、去年だったかな……
今と同じ頃……、九月になって、秋の始まりを感じさせるような星空だった……
夜、天文台では、恒例の夜の星空観測会が開かれる。
その観測会も終わり、幾人かのお客が帰ってからも、一人、女の人がテラスに残って星空を見ていた。
「もう、閉館になりますが……」
「まだ、星空……、見ていてはいけない……?」
「いいですよ……、じゃー、リクライニングチェアーを使ってください。首が痛くなりますから……」
「でも、あの椅子、リクライニングできるから、寝ちゃいそうよ……」
「寝てもいいですよ。後で起こしに来ますから……、僕は、ここを片付けています」
満天の星空だった……、風もなく、こんないい天気の日は珍しい。
彼女でなくても、ずっと見ていたくなるような星空だった。
彼女は言われるまま、リクライニングチェアーに寝そべって、星空を眺めていた。
「これ毛布です。奇麗ですよ。観測会の時に、やっぱり寝てしまう人がいるので用意しているんです」
「ありがとう……、アンドロメダのお話……、良かったです」
「そうですか……、僕の好きなお話なんです。お姫様が出てくるから……」
「貴方は、ペルセウスだわ……、親切にしてくださるから……」
「じゃー、貴女はアンドロメダ姫ですね……」
「もったいないお言葉で……」
彼女は笑って、僕を見ていた。
でも、僕には暗闇の中でも、本当に美しい彼女がアンドロメダ姫に見えた。
「ゆっくりしていってください……」
僕は三台出した天体望遠鏡を片付け、椅子とリクライニングチェアーを片付け、もう一度、彼女を見たとき、やっぱり彼女は気持ちよさそうに寝ていた。
夜のパーティーにでも行くみたいに、黒のフリルトップスとカジュアルな青のデニムパンツ、フリルの上からでも胸の大きさが良く分かった。
軽いウェーブの掛かったロングヘアーに前髪薄めのフルバンクが可愛い……
起こすのも可哀そうに思ったが、放置しておくのも、それはそれで可哀そうかなと思い、細身の彼女の肩を叩いた。彼女はすぐに目を覚ました。
「風邪ひきますよ……」
「あら、やっぱり寝てしまいました……、気持ちよく……」
「分かります。僕もよくここでリクライニングチェアーで星を見ながら寝ているんですよ」
「いいですね……、貴方が羨ましいです……」
「そうですか? そんなにいいものでもないですけど……」
彼女は、ゆっくり起き上がり、毛布を畳んで渡してくれた。
「貴女は、一人で来たんですね……、星、好きなんですね……」
「私、山の麓でスワンと言うペンションをやっているんです。今度、泊まりに来たお客さんに、星空観測会のことを紹介しようと思いまして、一度来てみたんです。もちろん、星は好きですよ……」
「そうなんですか……、それは嬉しいことです。せっかくの天文台ですから、もっと地域の人に利用して欲しいと思っているんですよ」
「喜んで、利用させてもらいます……」
「でも、雨の日とか、曇りとか、月の出ている時は、お休みですけどね。ホームページに詳しく載せていますので、それを見てから来てください」
「ええー、知っています。今日もそれを見てきました」
「夏休み期間中は、毎日やっているんですけど、九月からは土曜日曜祝日の天気の良い日だけですけど……、九月いっぱいは、やるつもりです」
「そうなんですね……、先日、役所のポスターで初めて知りました……」
「そうですか? ポスターを印刷する費用が無くて、僕が手作りでパソコンを使ってプリントしたんです。それで役所に張らせてもらったんです」
「苦労していますね……」
「今度、ポスター持っていきますから、ペンションにも張らせてください……」
「もちろん、いいですよ……、一階は、喫茶レストランもやっていますから、是非いらしてください……」
「それじゃー、よろしくお願いします」
彼女は、微笑んで帰って行った。名前、訊かなかったな……
翌日……
早速、ポスターを持って、ペンション・スワンを探して行った。
白鳥と言うだけ、白い三階建てのペンションだった。
「すみません、天文台の者ですが、星空観測会のポスターを張らせてもらえませんか?」
出てきたのは、彼女の母親らしい女の人だった。
「いらっしゃい……、天文台の人……?」
僕の声を聞き付けたのか、すぐに彼女も出てきた。
「いらっしゃい……、観測会のポスターね……」
「はい、これですけど、それとお昼ご飯まだなんです。カレーライスとコーヒーお願いします……」
僕は彼女にポスターを渡すと、誰もいない店の窓際の席に座った。
「奇麗なお店ですね……」
彼女は、レジの横の壁にポスターを張ってくれた。
「もうー、古いのですけどね……、細々とやっています。これでも昔は、お客さんがいっぱいだったんですけど、今はブームが去ってしまいまして……」
「そうですか……? 温泉もあって、いい所だと思いますよ。もっと宣伝しないと皆さん知らないと思います……」
「私も、そう思いますが、お金が掛かるみたいです……」
「天文台と一緒で、苦労しますね……」
「ほんとに……、今日は、平日ですけど、天気が良さそうなので、星、見に行っては駄目ですか……?」
「普通は門が締まっていて入れませんが、天文台の駐車場に着いたら電話ください。僕が特別に入れてあげます」
「ほんとですか?」
「お安い御用です。ペルセウスですから……」
僕は、名刺を一枚出して、携帯番号を書いて渡した。
「一条、博司、難しい名前ですね……」
「昔、公家だったとか……、よく知りませんが、東京の田舎の出身ですから……」
「私は、大森春奈、みんなハルと呼んでいるわ……、ここが生まれ育ったところ……」
「いいですね。ハルちゃんですね」
「貴方は、ヒロちゃんね……」
僕たちは、顔を合わせて笑った。
彼女は、足早にレジに向かい、名刺を一枚持って戻ってきた。
「ペン、貸してくださらない……?」
彼女は、名刺の裏に彼女の携帯番号を書いて渡してくれた。
その帰り道……
僕は、嬉しさで一杯だった。
昨日、初めて会ったばかりなのに、今日は名前と携帯番号まで交換で来た。
お見合いパーティーじゃーないのに、余りにも事が上手くいって怖いくらいだ。
もし、僕が日記を付けていたら、きっと今日彼女ができたと書くだろうと想像していた。僕の記念日だ……、でも、日記は付けていないけど……
その夜……
彼女は、スモークブルーのブラウスとネイビーなフレアースカートで来ていた。
「一緒に見ていてもいいですか……?」
「え、えー、そのつもりで、二つ椅子を並べてくれたんでしょう……」
「そうなんですけど、もしお邪魔でしたら、仕事に戻ろうと思っていました」
「お仕事、大丈夫でしたら、一緒に居てください……」
「嬉しいです! 夜のデートみたいで……」
「デートですか……? そうですね……、星空デート、いいですね……」
「じゃー、寝てください。毛布、掛けますから……」
彼女は、靴を脱いでリクライニングチェアーに横になった。
僕はその上に毛布を掛けて、僕もその横の椅子に寝ころんだ……